2014年3月31日月曜日

【番外編】 坂さんの紙管の仮設教会を見てきた‼


今年の春先、プリツカー賞という建築家に与えられる賞を坂茂氏が受賞するというニュースを見たんですね。
アートの世界の中でも建築の展示(特に図面とか・・・)は、はっきりいって飛ばそうかな、と思うジャンルで、完成品としての美しさしか感想は持てないので、はっきり言って、このような賞があることも、また、この賞を数多くの日本の建築家が受賞されている事も全く知らなかったんですけど、今回はたまたま、私のアンテナに引っかかった。
 
たまさか、同氏の被災地での活動(仮設住宅のの一部として紹介されたのがクライストチャーチ(ニュージーランド)の教会。いや、丁度なんちゃって外交でクライストチャーチに行く直前だったものだから、引っかかったのでしょう。
 
そんなわけで現地に到着した日、天気もよかったので、破壊されて未だに、手も付けられていない崩れ落ちた教会と、坂氏のカードボードで作ったと言われる仮設教会を外から眺めに行ったわけです。
 
丁度、これから集会が始まるので、それまでは見学してもいいよ、と言ってくれた牧師さんやボランティアの人たちの顔が楽しそうで、明るかったなぁ。
仮設教会は、簡素ではあるけれど、とても明るくて(つまり、古めかしい教会に比して圧倒的な明るさ)そして横に広い。ステンドグラス様のようなカラフルなガラス(なのか、他の素材なのか?)が印象的な教会でした。
 
 

 
それだけ?
感想としてはそれだけなんです。でも、建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞ってどういう賞なんだろうと調べている時に、坂さんのプロフィールというのを読んで、そっちにおおいに興味をひかれた。
自分の進むべき道を明確に理解し、その目的の為に何をしていくべきなのかを小学校の頃から自覚し実行しているなんて、凄いなぁ。。(ラグビーと建築を同時にできる為には早稲田に行こう、試合に負けて建築一本に絞る為には東大に行こう、外国人がクーパーユニオン行くには、他の米国内の大学に行く必要があるから行こう・・・と学校選びだけでも、周到な準備。それなのに、建築家としての資格には無頓着だったのかなぁ。。。何の経験もないまま、実業の世界にぽんと、入っている。。)今やっておられること=難民や被災者のように、寄る辺のない人たちに快適で最先端の住環境や教会(心の拠り所)を提供し支援していくのは、そういうpracticeの積み重ねの上に成り立っているんでしょうね、
人々の顔が明るかった要因のひとつかな。。


 

2014年3月8日土曜日

obseesed with holes!--荒木 美由 anarchy

若い美術家さんのお友達の後輩の個展のお誘いを受けたので、アートスペース・イエローハウス@東日本橋久松町に行ってきました。
イエローハウスそのものも、外はカラフルでホップにリノベした感じで、中は、昔の民家みたい。だれか、美術家さんが、制作?(笑)したのかな。そういえば、古民家や、取り壊し寸前のアパートをアトリエにしたり、ギャラリーとしたりすると、そのしつらいも含めてアート
と言うことで、見る方も、たのしくなりますよね。尺の決まった美術館や、ギャラリーに比べて!フランス大使館の旧館でやっていたno man's land展とか、まだ書いてないけど、大分のフンドーキンアパートの展示とか。

話は脱線しちゃったけど、そのお誘いの主、荒木サンは、穴に魅せられた人。おじいさまのワイシャツを、お線香で穴を開けた新スタイルシャツが、かかってる一階は、 現在進行形的な公開制作展示、彼女の穴を開けたい症候群が、宝箱のように展開されたワンダーランド、これこら更に進化するらしい。
2階の展示スペースには、石の展開。<石の時間>
なんだろう、嵯峨野のお寺だったかしら?を想起させるような。ホントは踏みしめたい衝動にかられた。

で、手前のお部屋は、<for grandmother>
上から穴を開けたように見える紙が添か天井ら、床までピンと張られてた!自身の解説では穴を開けないようにやさしくするpracticeとあるから、仕方ないけど、造形的に惜しむらくは、電気つけたら、影絵が出たらもっと楽しめたかも!
なんだけど、私が、このひと、やっぱり線香での穴開けに魅せられてるな!と、感じさせられたのは!作品カタログのように、置かれたファイルケース!コンビニの(しかもセブンばっかりだよ(笑))レシートを丁寧に、炙ってる!作品を見た時かな。

そういえば、最後に入っていた名刺、前に戴いた時に、妙に心惹かれたのは、こういうことだったのかー!
今は若いので、しばらく穴に集中するのかな?最近のアーティストは、自分を主張するテーマが早くからあると思うけど、このヒトの今後の展開が、気になる展示でした。

3月16日迄11:00-21:00
アートスペース イエローハウス
中央区日本橋久松町3-1

2014年1月17日金曜日

【終了後感想文】 シンプルで美しい岩田俊彦さんの「漆芸(アート)」に首ったけ・・・欲しいなぁ・・「KIZASHI ―友禅の斬新、漆芸の大胆― 」展@ポーラ・ミュージーアム・アネックス

 

禅染といえば優雅な着物のイメージ、そして漆といえば艶やかな上質の器のイメージ・・・。ところが、これらの伝統技法を表現の手法として用いることで、現代アートの新しい息吹へと変えた2人が登場! 110日(金)から22日(日)まで、ポーラ銀座ビルの「ポーラ ミュージアム アネックス」で開催中の「KIZASHI ―友禅の斬新、漆芸の大胆」展では、石井亨の「友禅」と岩田俊彦の「漆芸」によるアート作品を展示。
 
2人に共通するのは、「用の美」ではなく、伝統技法を新しい発想で自在に操っていること。さらに、伝統技法の新たな世代の継承者として注目されており、そのセンスが国内外を問わず高い評価を得ていることも。友禅染でグラフィカルな表現を行う石井亨の作品は、糸目友禅染が本来持っている優美な線を使って色鮮やかに染め上げるもの。今回の展覧会では、ヴィヴィッドな友禅模様で現代社会の姿や都市の風景を捉え、「日本の風景の過去から未来」を描き出しているそう。
 
また、独自の視点で漆を表現する岩田俊彦は、既存の漆芸にはない新しい表現で、はるか縄文時代から用いられているという漆を使って、「人・植物・自然」を辿りながら、平成の遊び心を革新的かつポップに展開。
 
「友禅染も漆も日本の伝統的なもので、広く知られていますが、一般的に触れる機会は少なかったと思います。今回は、現代社会をシニカルかつ鮮やかに表現した石井さんの友禅作品や、遊び心あふれるポップな岩田さんの漆作品を通じて、それぞれの伝統技法の可能性が感じられる展覧会です。ぜひ、ご覧いただければと思います」と、広報担当の松本さん。
 
着物ではない「友禅」と器ではない「漆」の絵画的な作品の数々。これまでのイメージを一新するような新しい表現に、「異端」を見るか「未来」を感じるか? ここで、あなたの新しい美意識が試されるかも?
 
ポーラアネックスより
 
新しい展覧会のちらしをゲットした時からその梅干し飴のデザインを思い出す(いや、実際比べると違ったんですけど、なんか、連想しちゃった)でも、シンプルでインパクトのある松の柄が描かれた朱い漆の写真に心奪われていたんですよね。
 

会場に入ると、カラフルで細かい絵柄を連ねたポップな印象の石井亨氏の友禅作品(平面的)とシンプルで色も二色程度にしか見えない岩田氏の漆芸作品(立体的)が飾られているわけですが、どうしても、漆芸作品の方が私の心を捉えて離さなかったの。良く見ると、小さな髑髏が描かれていたり、なんだか柴田是真のような粋@21世紀のような感じです。色もアイボリーだったり、緑だったり、紫まである!む。ら。さ。きーーーー、びっくり♪
朱色や黒のイメージや器という固定観念を解き放たってくれたわけですよ。
ま、勿論、よくよく見ていけば、それが、お重を逆さにしたとか、硯入れの蓋の部分だ、と考えればそれはそれで器にも見えるのだけど、西洋風に壁にかかっていると、やはり、斬新。
 
艶めくその表面をみているだけでも溜息が出てくる。欲しいなー。。。いくらなんだろうー。なーんて考えながら素敵な時間を過ごせました。
 
また、作品に出会える時を楽しみにしたいな。。
 
(ごめんなさい、石井さんの作品・・・あまりにも岩田さんの作品に入れ込んじゃった為、感想文なしで・・・苦笑)

2013年12月8日日曜日

「特別展 小林古径生誕130年記念 古径と土牛」関連イベント ブロガー内覧会(青い日記帳×山種美術館共催)にいってきたんですー。

ありがたいことに第三弾となる青い日記帳×山種美術館共催のブロガー内覧会にも参加させて戴く事ができました。
少々バタバタなもんで、後期をみてから纏めて感想書こうとしていたら、こんなに遅くなっちゃいましたが。。えへっ。

今回も館長の解説をお伺いできるばかりか、写真もほぼ撮り放題、作品に因んだ菊屋さんの和菓子までついている素晴らしい企画♪

実は、「ザ・ベスト・オブ山種コレクション展」(2012年1月頃)の時に、この時は青い日記帳企画という名前のもと(山種美術館のサイトで応募する形ではなく、青い日記帳の中村さんのブログとツイートで知って伺ったように記憶しています)、山崎館長のお話を伺っていますから、そういう意味ではこのタッグでお話を伺うのは4回目かな。

ところが、その時伺った館長の解説とか感想文に纏めておく予定だったのに、ツイートだけして(今朝7時半に家を出、北京故宮博物院200選⇒ブリジストン60周年記念記念日で無料→一旦帰宅⇒山種山崎館長のお話by @taktwiさん企画とほぼ12時間に亙る美術探訪の一日終了。故宮みたばっかりで館長の話を伺ったので御舟桃花の見方が変ったし、楽しい話を聞けtakeさんtksです。)感想文は書いてなかったんですね。

だから古径さんや土牛さんについて解説された部分で、今回はお話がなかった部分についても、もう一度かみしめながら、いざいざ感想文を書かん♪

尚、本展覧会にはまだ著作権の残る作品も多くあるそうですが、本企画に参加し、展覧会のご紹介をするという事で特別に写真を掲載する事を許可されていますので、くれぐれも写真の無断転載はなさらぬようお願い致します。(ま、私の低性能写真を使いたいという奇特な方は少ないとは思いますが、時々、ブログ内の記事で写真を検索されている足跡がありますからね、一応念のため。苦笑)

先ずは、つぶやきをして・・・(写真ツケワスレチャッタノヨ)
これから古径と土牛posted at 17:17:17
入口で参加申し込み証とチケット代をお出しして、ピンクのリボンとチラシやお菓子の引き替え券の入った袋を戴き、荷物をロッカーにしまい。。。。階段を降りて行くと・・・そう、前回お勉強したように、看板が見えるように設計された窓つき自動扉が空いて・・・・まずは右の第一会場に。
いつも最初のご挨拶や解説のあるエリアの目玉作品はおめでたい《鶴》。

・・極めてクラシックな絵柄で、なんの変哲もなさそうに見えるこの古径の鶴ですが、猫が丸くなったように、でーんと構えていて、鮮やかな印象ですね。 でも、一枚一枚の羽の中心通る骨等、ディテールもしっかり、さすがは円熟した65歳の時の作品、人気があるそうですよ。(この柄の手ぬぐいも買っちゃいました♪)

サテ、先ずは中村さんのご挨拶―今回は「古径の金を探せ!(同じ金でも、色合いの違う二種類の金を同じ画面に展開させたりしている・・・・最初の《鶴》もね。)」がキーワードとか。ふむふむ。
引続いて、山崎館長の解説を伺います。
先ずは、古径さんの生誕130年記念という事で企画された展覧会に何故、奥村土牛さんもセットとなったのか?
それは、二人が同じ梶田半古(かじたはんこ)の画塾の兄弟弟子関係・・・というよりは、半古が亡くなってからは土牛の先生は塾頭であった古径と言ってもいいほどの師弟関係だった・・・という事のようです。勿論、古径の作品は46点、土牛の作品は135点も所蔵している山種美術館だからこそ、そういう組み合わせが可能だった、とも言えるでしょうね
脱線しちゃうけど、この梶田半古センセイ、横山大観より二年遅れた明治3年生まれ、弟子は古径、土牛に青邨と世に名を残す画家を輩出しているのに、歴史画が多いというご本人の作品は殆ど残っていないし、彼らの先生でなかったら、今の世の中にこのような形で名前が連呼されることもなかったであろうかと思うと不思議なものですねぇ。(脱線終わり)

この半古先生、「写生」や「画品」それに「色」を重んぜられていた、と古径が言葉を残しているけれど、粉本を与えず写生をさせ、今でいうデッサンを重視したのに対し、(今村)紫紅や(速水)御舟を輩出した松本楓湖(の安雅堂画塾で)は古典を粉本とし、それを写し研鑽したと言う事です。
まぁ、やり方は異なっても、結局うまい人は、備わった天賦の才でそれをモノにしていく事にはかわりはないようにも思えますが、残っている初期作品の題材に違いが出るので、面白いといえば面白いですよね。
その写生重視の半古の影響を強く受けているというのが、古径24才にして文展に出品した《闘草》。右の少年の腕の部分が透けて見えているけれど、ただ透けて見せているのではなくしっかりとしたデッサンの成果としての身躯体が表現されている結果とみるべきなのだそう。


更に半古好みの大和絵的な表現(トオッシャッテイタヨウニメモシテルンデスガ、コレデタダシイカシラ?)の《小督(こごう)》。
《小督》左幅 あばら家で琴を
奏でる小督の局と侍女
《小督》 小督を探しに野を行く
仲国
これは平家物語が題材になっているので、その内容がわからないことには、絵解きは難しいですねぇ。要は帝の寵愛を受けていたけれど、権勢をふるう平氏の中宮を慮って隠遁した小督の局が琴を奏でる場面(左幅)と、勅命を受けて探し出そうとする仲国(右幅)というふたつの異なる時間帯を描いているところは絵巻物にはよくあるパターンとはいえ、二幅の絵を繋ぐのは「琴の音」という説明には、ぐっときた人が多いのではないでしょうかねぇ。。あ、もちろん、何気に墨でぼかした地(地隈)や草花も連続して描かれている訳なんですが。




実は、本展より後に開催された「江戸の狩野派」展@出光美術館で《小督弾琴・子獣訪戴図屏風》(狩野尚信)というのを拝見したのですが、こちらは右隻の左側から仲国が右のあばら家で琴を奏でる小督の方を探しに進むという構図でした。
尚信は時の美術評論家のような人物に、時に兄の(狩野)探幽よりも先進性を感じると言わしめていますが、左隻の中国の故事との対比という描き方ということがあるせいか、この小督と仲国のエピソードに関しては通りいっぺんの表現にとどまっている気がします。まぁ、17世紀の絵師と20世紀の日本画家を比べるのも何ではありますが。

古径のこの対の二幅の絹本に描かれる、小督の方も優美なものですから、それがあばら家と理解するのは屋根が石で押さえられただけ、という描き方によってだけ・・・というくらい、上品で、構図的にも、その解釈も大変に素晴らしいということが改めて判ったというだけでも尚信に感謝しなくてはなりませんね。

《西行法師》 
頂いた猫を童子にやって、すたすたと。。
童子が小さすぎるくらい
ただ、《蛍》とか《西行法師》にみられるような周囲と比較しての(主役となる)人物の大きさには、ちょっとひるむ感じになりますがね。《蛍》なんか、牛車から袖と扇だけ出している女性の扇の大きさと引き比べても蛍大きすぎ?と思うものですから、どうもしっくり来ないんですよねー。《西行法師》が戴いた猫を童子にやるという場面を描いた絵でも、童子の大きさが小さすぎるんだけど、ストーリー的には重要な人物なのに、なんでだろう。



《蛍》
蛍の大きさが従者と比べるとおっきい。
一方、私が心惹かれたのは、《蛍》で、牛車の前に立つ白の直衣の人物。おそらくは織だけで艶のある(ひかひかした)地紋を織り込んだ羽二重なのかしら?・・・と想像をしてしまうほど細かいところにも心配りされているのを見ると、文様だけでも誰とわかる地紋なのかしら?なんか知る方法はないかなぁ・・・と別の興味が湧きますね。

そうかと思えば≪小督≫と同じように二幅の掛け軸を使った《猿曳》の場合は二幅の間に距離も時間も音も隔たりなく、シンプルな構図。曳いている紐はゴージャスな金の紐・・・な訳はなく縄なんだとは思うけれど、ささっと描いたような、緩さと勢いがあって、なんだか別人の作品を見ているような感じ。
《猿曳》

まぁ、描いている本人の時間軸には20年弱の隔たりがあるわけだから、一人の人の絵描きとしての時間の隔たりによる変化を知る意味で対比してみると面白いですね。この間に《大昆古命図》に見られるような没骨法、たらしこみ等古典技法を同じ画面で種々展開してみたり、カラフルが身上の今村紫紅の影響があったり。
因みに、解説ではこの違う師匠を持つ紫紅の影響があるという《河風》、巡り巡って、弟弟子の土牛の家の床の間で、作者を出迎えることになって、お呼ばれした古径がびっくりしたとか、書いてありました。
表装も良くて後期にも堪能させてい戴きました。話は戻りますが、その試行錯誤の結果かもしれないこの《猿曳》もまだ洋行前の作品なんですね。

洋行と書きましたが、向かって右側の壁には欧州に絵の勉強に行っていた時代の現存するただ一枚の油絵がかかっています。この絵は何度か見たことがあるけれど、(いつぞや、ブリヂストンに貸していた事ありませんでしたっけ?と、どうしても関係ない事を思い出してしまう私です。)この絵の解説の時には古径が、欧州に行ったおかげで輪郭線を大事にする日本画に回帰した、という話が常に登場するわけです。であれば、奥のケースに掛かっている、似たように果物が入った軸絵が隣に掛かっていて欲しかったなー、と思ったわけですね。なので、自分で並べてみてしまいました。

ま、日本画の方は涼しげなガラスの器に入った果物ですから、そもそもの趣が違うけれど、でも、きっとこういう絵が描きたくなったのかしらね・・・と思いをはせるには十分です。

ところで、私にとっての、今回の見どころはなんといっても《清姫》連作シリーズです。数少ないつぶやきでも・・・

清姫連作、今までなかなか見られなかった、全ストーリー見られて幸せ!当初は巻物仕立てにしようとしたらしい。清姫が安珍を追いかける右と左の展開はまさに、巻物だにゃ。 https://pic.twitter.com/zkTXMbNWrI

は、もともと、古径も絵巻にしたかったそうですが。それはともかく、全ての作品が展示されるのは久しぶりだそうです。

ユニークなのは、清姫に魅入られる事になる安珍が熊野詣を行う始めの一歩となる〈旅立〉。

これだけ白描画なんですね。館長のご説明では(図録にも載っている由)一枚の絵を長く描く古径の場合、これが完成作と断定するのが難しいのだそうですが、お弟子さん曰くもとより白描の予定だったという話が残っているので、そのように断定しているとか。確かに画家の意図に寄り添うとすると、まだ清々しい気持ちで颯爽とした感じを出したかったのかしらね、と思えてもきます。ただ、この作品だけ紙の幅が広く、異質感は残っていますが、逆の幅広の巻紙(の断簡)の中央にぽつんと描かれた感じが、これからの旅に伴う困難を予感させる為なのかもしれませんね。

その後はストーリー展開毎に額装されているわけで、中央の展示ボックスを挟んでクライマックスへ・・・


これから変身するよ、清姫!髪も金色がバックに。。。 https://pic.twitter.com/JlAjcpkn4U

この〈日高川〉は髪のバックだけではなく、袖口も怪しく光ってますよね
更に、浄瑠璃や歌舞伎でもクライマックスとなる清姫が大蛇に変身して、その蜷局を鐘に巻いて、その中に逃げ込んだ安珍を閉じ込めてしまう場面は、炎を全てオレンジ系と黄色系の金色で描き上げていて迫力があります。

終章の〈入相桜〉は、古径自身の創作による後日談なんですね。
焼き尽くされた後に芽を吹いた日本の桜が絡み合い、満開となっている図です。

これ、絵としては胡粉をたっぷり盛り上げて綺麗なんですが、焼き尽くした後にも清姫が安珍を絡め取って、ぼってりとした桜を咲かせ、勝利宣言をしているみたいで、静けさを感じる絵柄とは相反する清姫の執念みたいなのを感じて、安珍が休まらなくって可哀そうだなぁ・・・って思ってしまいましたが。

それに比すと、ただただ美しい写生をした、という感じの《桜花》は見ていて落ち着きますね。
上手―――。《栗》も同じような平安を感じます。

上手~♪なんて、名のある画家に言ってしまい、失礼千万でありますが。

さて、今回、展覧会の為にお借りしているという作品が数点ありますが、その一つ《紫苑紅蜀葵》屏風は、ゴージャスで美しい。



蒔絵のように金の砂子を撒いた金屏風、右隻は満開の紫苑、左隻には咲き始めの紅蜀葵を置き、夏から初秋にかけて咲く花を対照的に表し、その間をつなぐように朝顔を置いたとの事ですけれど、大きな紅蜀葵の華やかさが印象的です。でも紅蜀葵って何?って調べちゃいましたよ。
こんな花なんですね。
http://www.hana300.com/momiao.html
まんまですね。(苦笑)

館長は琳派を意識しているとのお話でしたが、手法的には没骨法も使っているし、背後には墨による陰影(隈)が施されていて、まさに(当時の)「現代」アートとしての障壁画であるように思われます。

その屏風の隣にかけてある《竹雀》、隣の屏風に比べると小品ですが、下草として描かれる熊笹の細かい描き方等、何故か心惹かれます。古径は《小督》の時代から草の表現がうまいですよねぇ。

さて、このあたりから、漸く遅咲きの土牛さん(奥村土牛)が登場します。二人の作品が隣り合わせとなり、個々の特徴が対比できる、うまい展示です。
色に関しては 古径が絵具そのものの色――クリアな色が多く、土牛はセザンヌを意識して色を「面」で描くといった違いがあり、輪郭線に関しては、帰国してからの古径はより強い意識で輪郭線を引き、土牛はあったり、なかったり。
ま、アタマで理解するよりも、目で見てその醸し出す雰囲気で違いを感じればそれでいいのですが・・
《弥勒》は土牛によると古径は緑青の絵具の色が気に入らずに、何度も描きなおしたとかで、全体的には色々な色を別々に重ねている印象。
左が土牛の《北山杉》 右が古径の《弥勒》

対する(?―――左隣にあるのでネ)土牛の《北山杉》の緑色はグラデーションで描かれていて、館長の説明では胡粉を薄くとかして何度も塗り重ねたとか。杉の幹がデザインのように並んだ構図が面白いですね。

土牛の再興院展の初入選は38歳で遅咲きという表現をされていましたが、今回も展示されていた代表作の《鳴門》とか《醍醐》を描いたのが其々70歳、83歳で、101歳まで長寿を全うした土牛さんにとっては、遅咲きかもしれないけれど、自分の好きなお絵描きをずっと続けられたのだから幸せだったとは思いますが、それも、無名だった時代を館長の祖父である山﨑種二が支えてくれたからこそ、なのかもしれませんね。その見返りといってはなんですが、佐久に行かなくても(佐久には土牛さんの記念美術館ありますよね。行った事ないんですが。)東京にいる私たちが135点もある所蔵品の中から、度々これらの名作を真近いで拝見する事ができるわけです。

さて、《醍醐》では胡粉と綿臙脂であのぼってりとしたピンクの桜が描かれているんですよね。綿臙脂というかいがら虫から作られた絵具の事を前回のザベストオブ山種の館長解説で知ったわけですが、今回もさらっと説明がありました。
でも今回の私の興味は鳴門の重ね塗り。遠くから見ても大変な迫力がある渦の部分、色も描き方もよくみると油絵のように塗り重ねられています。



古径があげたセザンヌ画集を良く勉強した土牛さん、姫路城は確かに影響感じられますね、 でも横山操にも似てる感じがするのは私だけ? https://pic.twitter.com/AbsWex9I2l


奥村土牛《城》 真下から見上げたような視点が面白いですよね

横山操に似ているかどうかは別として、セザンヌを意識した色の面というのは、《雨趣》にも良く表れていますよねぇ。
ただタイトルの通り湿潤感があるところが違うけど、面で描いているのがセザンヌの影響かな・・・と思っちゃいますよね。でも、セザンヌと違って見る視点が一点なんですよね。

《雨趣》は昭和3年だけど、《城》は昭和30年、ここにも時の流れがあるんですけどねぇ。

斜めちゃっているけど古径の《牡丹》
土牛《富貴草》 富貴草とは牡丹の別名
コレ、鮮やかな赤い色と縁の黄色っぽい色
のコンビネーションが美しくお気に入りです。
さて、古径との比較で土牛の代名詞のような富士山が前期・後期ともにあって、楽しめましたが、比較という意味では、コレ。輪郭線を大事にする古径の牡丹の白と色の面で描く土牛の赤い《富貴草》。

そのほかにも古径が集めていた陶磁器に活けられた花や鉢そのもの等にも個性の違いがあって面白かったなぁ。。
土牛が《泰山木》(後期)で描いた花瓶は古径の《八重山吹》(展示の対象ではありません)と同じだったとか。

ポスターになっている古径の《観音》も色鮮やかな赤の蓮が目立ちますし、比較的大画面だけど、基本的には個人の床の間に飾るような大きさの絵を描き続けたようですが、土牛の方は、戦後は展覧会芸術(云い得て妙だなぁ)の要求によって余白のない大画面も随分描いたそうです。
個人的には展覧会用の作品は好きになれないのが多いですから、すごく納得してしまいました。

第二室の牛や犬などの動物の比較も含め、前期も後期も愉しみました。
古径《牛》 
土牛《聖牛》







【特別展】小林古径 生誕130年記念 古径と土牛
山種美術館
2013年10月22日(火)~12月23日(月・祝)

2013年10月17日木曜日

なんでもとっておいてくれてありがとう♪ 「明治のこころーモースが見た庶民のくらし」 江戸東京博物館 

いやー、ちょっと、なんちゃって外交で忙しかったので、書く気力も失っていたのを超久しぶりに感想文書くに至らせることになったのは、一通のメールのおかげです。
そう、ブロガー向け内覧会のお知らせね。
内覧会といったって、既に江戸東京博物館で始まっている「明治のこころーモースが見た庶民のくらし」

うーん、絵画や陶器じゃないから、なかなか、感想文書くの難しい展覧会かもー。
でも、行っちゃお。。

・・・ということで参りました。 
〔会場写真は博物館の特別許可を得て撮影したものです。会場入り口のパネルのみ、撮影可能となっています。〕

解説は副館長でもある小林学芸員。

曰く、大森貝塚を発見したということで、教科書で学んだことのあるはずのエドワード・モースの名前は知っていたとしても、その人と成り、そして、彼が日本に二年間に三度やってきて滞在した動機については、殆ど知られていない。

うん、確かに。名前は知っていても、彼が日本全国旅して、庶民を彩る鍋釜などの日常雑貨を2800点も集めたこと、これ以外に陶器も5千点集めたことなど、知る人ぞ、知るですよねー。

しかし、なんでまた使いかけの道具とかをそんなに集めちゃったのかしらね?!

ま、考えてみると
やっぱり、全く知らない文化のものって、珍奇なものとして目にとまりますよね、ましてや時は明治の初め・・・・今のわれわれが見ても、ナニコレ?的なものが次の章立てで陳列されています。

第一章 モースという人
このモースという人はコドモの時はどこの学校に行っても放り出されるような、ま、ヒトコトで言えば、変わった子だったらしいんですな。モノ集めにご執心だったところから言っても、今でいう「オタク」の部類だな。
実際、若いうちから「貝」の収集では早くから頭角を現していたみたいだから、「オタク」も極めていたということでしょう。もともとシャミセンガイの研究で日本にやってきたとはいえ、そのオタク魂がシャミセンガイへの興味⇒「貝塚」発見にも繋がったのでしょうから。

第二章 日本と日本人ー130年前の暮らしを彩る品々
この章ではモースが日本を旅した旅行地図、
また日記を纏めた「日本その日その日」という本を出版したそうですが、そんな解説から始まります。

いや、ムカシ書いていた日記を出版したのが、最初に日本に来た時から数えて40年、もう御歳79歳におなりになっていた時、というんですから、どんなきっかけだったのか?と不思議に思いますよね。

それはともかく、この章は更に細分化されています。
2-1 よそおう
2-2 たべる
2-3 すまい
2-4 こども
2-5 あそぶ
2-6 いのる
2-7 あきない
2-8 なりわい
ワザワザ歯欠けで泥もついているような
下駄まで集めた、ということで、裏まで
見せてくれちゃってます。



薄汚れちゃってますね、足袋


こんな竹の草履なんて見たことないなぁ

ムカシは確かに下駄やさんがあっちこちにあったんでしょうねぇ。いまや見つけるのは至難の業だけど。

手ぬぐいは今も再びブーム・・だけど

鏡付の団扇だなんて、今あるのかしら?
というか明治の頃だって珍しかったんじゃないかしら?
しかもこの赤の地のデザインは確かに
ハイカラというか斬新、西洋人向けだったのかしら?

今、お歯黒の女性を見たらびっくりするだろうなぁ、モースがびっくりした、というかぞっとしたのもわかるよね。


海苔の缶とそこに入っていた海苔・・・って・・スゴイ

箸は実は日本だけのものではなかったわけですが、ありがたいお言葉ですね。
でもこのミニチュアのおままごとセットの方が見るものを愉しませてくれますね。
今でも合羽橋商店街で外人に大うけの小さな食品サンプルの
ことを考えると絶対受けたに違いないと思ったりもし。。
おしろいやさん(左)と三味線やさん(右)の看板、どちらも今は店自体なかなか発見できませんね。

この八百屋さんの看板なんていいよね、今もあったら楽しいのに

順不同で写真だけならべちゃう感じになっちゃったけど、現代のわれわれも見たこともないような器具であったり、当時の海苔とかお菓子がそのまま瓶にはいっていたり、と、こういう収集の仕方もありなのねー、と感心しちゃいます。

小林副館長の説明では、使ったままのぞうきん、汚れた足袋、泥のついた下駄・・と使いかけのものでも集めたというのですが、頂いた図録を後で読んでいたら別の学芸員小山さんの解説を読んで納得。すなわち、「単なる生活民具で、あまりにありふれたモノだったため、人々は米国の博物館に入ると聞いて、喜んでモースにただであげたのだ。もしかすると彼自身も好んでほしくなかったモノもふくまれているかもしれない。」

とはいえ。。。。
私の知っている外国人の家にも戦後すぐに駐在した両親が集めたぽっくりとかが麗々しく額装されて飾られていて、それがなかなか、西洋の家の中ではエキゾシズムを奏でていて、ははーん、こんな風にするといいのか、なーんて思ったことがあるし、最近よく行く発展途上国では逆になんか、見たことないプリミティブな道具なんか見ると目を惹かれることもあるわけなんで、やっぱりガイジンから見たら、生活習慣も言葉も違う、(当時)なんとなく、未開の発展途上国と思っていた日本なのに、意外や意外、自分の国(米国)よりも歴史は長いわ、樽や桶を作る道具などの道具だって、

はさみなどは今も健在ですね。
実に精巧で、高い技術を持っていたことに、結構感動して、集めたんじゃないかなー、なーんて思いながら鑑賞しましたよ。


ありがたいことにモースさん、自分は写真もあまり撮ってないけど、日記にはイラストを入れたり、幻燈写真といわれる、モノクロ写真に色をつけたりしたものを沢山残してくれたおかげで、ちょっと不自然とはいえ、ビビッドな明治を再現しているというわけ。そして日記の言葉は「珠玉」ということのようで・・・確かにアイキャッチーだ言葉ですな~。

おっと、もう一章あった
第三章 モースをめぐる人々〔蜷川式胤の親交と陶器コレクション〕
モースさんがこんなにも多くのコレクションを形成することができたのは、モチロン彼の「興味」が原動力なんだろうけど、集めるに当たっては、周りで支えてくれた人たちがいたから・・という、当たり前だけど、忘れられやすい(?)ポイントにも焦点があたっています。ま、ここまで見てきて、ガイジンからは「珍奇」に思えるような品々は、ホント良く集めたよねー、とか、自分の興味範囲である貝に関連した砂糖菓子なんかはさすがに美しい。
 

と思う一方、美術品としてだけの価値を評価したら、趣味が大変良いとか、質が高いとかというような作品は見当たりそうもない、いや、そんな失礼な言い方をしちゃいけませんね、ま、でも正直な感想。

・・・な、わけですが、ま、だからこそ、彼のコレクション形成には日本の友人の力が必要だったわけですね。
そんな友人のおかげで5000にものぼる陶器コレクションがボストンで残ることになったわけですね。


ところで、小林学芸員がもうひとつ口にされていたこと。こどもを表現したかったと。
実際、展覧会の入り口にある拡大の幻燈写真の解説も実に力がこもってらっしゃる。

この子らがニコニコしていてとても幸せそうなこと、拡大してみたら、どうやらこの子たちは団子を食べていたようで、左の女の子は既に団子を食べちゃった見たいだとか、右から二番目の男の子がなんか面白いことを言った事が原因で皆が笑っているのだとか。。。
まぁね、当時の風俗の一ページということですっと通りがかるような写真にも思えるのだけど、
入れ込みたい気持ちになったのは、こんなモースの言葉があるからかなあ。
「世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。」

平成に生きる私たちにとっては、このあたりが変わってしまったのかもしれない、ということも考えないといけないかなあと、明治の人の屈託ない幸せな日々に思いを馳せることになりました。

そんな学芸員さんたちの熱い思い入れが感じられる展覧会です。

あ、写真撮るの忘れちゃったけれど、売店面白いですよ。ムカシ風の箒とかいっぱいかかっていて、楽しい。

「明治のこころーモースが見た庶民のくらしー」
江戸東京博物館
2013年9月14日(土)-12月8日(日)