2015年3月21日土曜日

金儲けは悪いことではないと思うの。文化を育てるのに使ってくれるなら・・・ボッティチェリとルネッサンス@Bunkamura ザ・ミュージアム

ずいぶん前に青い日記帳のTAKさんのつぶやきで、なんでも前売り券にチケットホルダー付きの種類があるという事を見た私は、それをゲットするためにローチケで前売りを買っておいたんですね、いつもBunkamuraは現地で買う以外はネットで予約してファミマのちょっとめんどい前売り券売機にアクセスしなきゃならなかったので、気楽に買えたのがGJでしたんで。。
今回は初日の夕方突撃しました。人の入りはそこそこ。入場したらまずはチケットホルダー交換券をギフトショップで渡して、ニッコリ

 
それはさておき、今回もHPの解説と見どころを復習しながら感想を。(図版はHPより)
15世紀、花の都フィレンツェでは、銀行家でもあったメディチ家の支援を受け、芸術家たちが数々の傑作を生み出しました。ルネサンス期の芸術の誕生には、地中海貿易と金融業によって財を成したフィレンツェおよびメディチ家の資金力が不可欠でした。メディチ家の寵愛を受けたボッティチェリ(1445-1510)に代表されるフィレンツェ・ルネサンスは、フィレンツェ金融業の繁栄が生み出した代表的な文化遺産といえましょう。
 本展では、ヨーロッパ全土の貿易とビジネスを支配し、ルネサンスの原動力となった銀行・金融業と、近代のメセナ活動の誕生を、ボッティチェリの名品の数々を中心に、ルネサンス期を代表する芸術家たちによる絵画・彫刻・版画や、時代背景を物語る書籍・資料など約80点によって、浮き彫りにします。
【美術館HPより】

序章 富の源泉:フィオリーノ金貨


≪フィオリーノ金貨≫ 1252-1303年 金、直径2cm、グラッシーナ(フィレンツェ)、アルベルト・ブルスキ・コレクション、Grassina(Florence), Collezione Alberto Bruschi

表にフィレンツェの百合の紋章、裏に守護聖人洗礼者聖ヨハネを刻印したフィオリーノ金貨は1252年に初めて鋳造され、中世から初期ルネサンス時代にかけて国際通貨となります。町の名にちなんで名づけられたこの金貨がフィレンツェをヨーロッパ経済の中心へと押し上げ、ひいてはルネサンスの繁栄を生み出したのです


いや、こうやって公式HPの写真なんかを拝見しますとかなり精巧にできているということがわかるんですが、何せ13世紀とか14世紀、鋳造技術といっても今ほど精巧ではない頃の加工しやすいとはいえ24金のこういった美しいコインを東京で見られる訳ですから、ありがたや。なんでも、ちゃんとした出来かどうかを歯で噛んで確認したとか。
なるほど、少しひしゃげているのは、そのせい?かしらん。
それは兎も角、何故このプロローグが登場するかといえば、ヴァチカンがさほど遠くないフィレンツェでは、キリスト教の教義に反する・・とまでは行かないまでも、眉を顰められるような銀行業等の金融業が発達し、この金貨が国際通貨となる事でメディチ家のように絵画・芸術を庇護してくれる銀行家がより富を得るのであるという証左である事を後の章でしみじみと感じさせられる訳なんですよね。

 

ところで、ボッティチェリ。本当の名前(アレッサンドロ・フィリペーピ)ではなく、お兄さんにつけられた「小さな樽」という綽名から由来したとか、ずんぐりした人だったんでしょうが、なぜ兄のあだ名が弟に?1445年に皮なめし職人の息子としてフィレンツェに生まれ、1464~67年までフィリポ・リッピの工房で修行、ヴェロキオの工房に出入り後1472年に公的(商業裁判所)仕事を手がけ、1472年には画家組合に親方として加わったそうです。確か、ラファエロだったかしらね、同じように二十代の若さで親方というステータスになったのは。同じように早くから頭角を現していたということですね。
その後のメディチ家の庇護のもとの活躍や、メディチ家没落後の修道士サヴォナローラの禁欲的考えへの傾倒による神秘主義的な傾向とその失脚に伴って注文もなくなり、ひっそりと亡くなった人生については、昨年秋の「ウフィツィ美術館展」@東京都美術館 でもずいぶんと学んだ気が。
それはともかく、金貨に続いて、第一章が始まります。

第1章 ボッティチェリの時代のフィレンツェ
ボッティチェリの《ケルビムを伴う聖母子》の額縁に貨幣の鋳造や銀行業、商人の活動を監督した両替商組合の象徴である金貨があしらわれているように、彼の時代のフィレンツェでは芸術と金融、商業活動は密に関わっていました。ここでは絵画だけでなく、当時の経済活動をうかがわせる資料や商人の仕事道具を紹介します。
サンドロ・ボッティチェリ《ケルビムを伴う聖母子) 
1470年頃、テンペラ・板、120×66cm
フィレンツェ、ウフィツィ美術館
© Gabinetto Fotografico della S.S.P.S.A.E e per il Polo Museale della città di Firenze
 
ケルビムとは位の高い天使のこと。額縁に貨幣の鋳造や銀行業、商人の活動を監督した両替商組合の象徴である金貨があしらわれています。
 
 
さて、この章には早速、プロローグのあった意味を思い起こさせられます。

そう、ボッティチェリ《ケルビムを伴う聖母子》の額縁部分に奥行を持たせる層があって、その赤地の層には柄こそ描いてないですが、金色のコイン状の○が三列装飾として並べられているんですね。これが両替商組合の発注ではないかと思われている理由だそうですが、単なる柄。。。とも見えなくはないですけどね。。。きっと決定的な何か(注文書とか、管理番号とかの記録?)があるのではないかと思われます。
。。にしてもキリストの胸のあたりの花のようなヴェール状の羽織ものは繊細で美しいのに、何故顔は大人顔で怖いんだろう。。ま、他の人のも含めてたいていはそうですけどね。


マリヌス・ファン・レイメルスヴァーレに基づく模写 《高利貸し》
1540年頃、油彩・板、100×76cm
フィレンツェ、スティッベルト博物館
© Archivio fotografico Museo Stibbert, Firenze

15世紀のキリスト教世界では、富を循環させる銀行業は金利で儲ける高利貸しと明確に区別され、近代金融業の礎となりました。フランドルでは、この図像が人気を博し、多くのバりエーションが制作されました。
 
 
 
 
多くのバリエーション。。えぇえぇ、確かにこの手の構図の《両替商とその妻》の絵が国立新美術館でやっている『ルーブル美術館展―日常を描く―風俗画に見るヨーロッパ絵画の真髄』にもありましたよねぇ。皆、いかにもカネカネカネ・・という表情でアクドイ感じに描かれるという気の毒なパターンは、職業の貴賤(銀行業は経済を循環させるから良いが、高利貸しは金利をとりたてるから悪)に関してのキリスト教的道徳観(金利を取るのは悪)を広める役割を果たしていたのでしょうが、それにしても、悪どそうな顔!

でも、お金を持っている彼らにしてみれば、その富を象徴する毛皮のガウンを着て、宝飾品を身に着けていたわけですから、世間の風評なんのそのだったのかもしれませんがね。
ちょっと面白かったのは商業活動とメディチ家の紋章というタイトルではあるものの、算術と幾何の問題集があって 1000引く650は350、更にそこから100を引くと250なんていう縦書きの計算式が描いてある本があったことかな
 
次に、第二章の華とも言える、フランチェスコ・ボッティチーニの旅するトビウスと大天使ラファエルの絵が続きます。

 


 


 
 

第2章 旅と交易:拡大する世界

ヨーロッパ各地にフィレンツェの銀行の支店が開設され、旅行者や商人は現金に代わり信用状を携行して長旅に出られるようになります。交易は活発化し、フィレンツェにはヨーロッパだけでなく遠く中東からの商品も行き交いました。ここでは、航海図や、旅の道具、商品を輸送する船旅の様子を伝える絵画などを紹介します。

フランチェスコ・ボッティチーニ 《大天使ラファエルとトビアス》
1485年頃、テンペラ・板、156×89cm
フィレンツェ文化財特別監督局 

©Gabinetto Fotografico della S.S.P.S.A.E e per il Polo Museale della città di Firenze
病に伏せる父親が、貸したお金の回収のため息子トビアスを旅に出します。その無事を祈る両親の願いを聞き入れ、大天使ラファエルが旅に同行したという旧約聖書外典『トビト記』の物語。交易の拡大で、旅に出る機会が多くなったこの時代に好まれて描かれました。
トビアスは籠に入った魚を持っていますが、これは旅の途中でラファエルの導きによって夕暮れのティグリス河で大きな魚を獲り、その胆嚢で父の病を治すシンボルですね。その他にも牧羊犬とか石ころがごろごろ転がる山の道が描かれていて、この時代十代前半で危険を伴う長旅に出る少年達の艱難を想って注文されたと思うとこの時代の商家の家族のあり方を想像してしまいますよね。
 
今回の目玉のフレスコ画のとは異なる油彩の《受胎告知》が隣に掛かっていたのですが、その背景にも何気にトビアスと大天使ラファエロが遠くの道からこちら側に向かってくるとの構図で描かれていました。今まで気にしなかったけど、この時代の絵画を見るときに背景にこのモチーフが描かれていたら、注文主が旅立たせた息子の安否を気遣って描かせたのかな?と想像できるということですね。鑑賞する楽しみが増えましたね。
ところで、こちらの《受胎告知》、19世紀のラファエル前派の初期パトロンのウィリアム・グラハムから、エドワード・バーン・ジョーンズに贈呈されたという解説が入ってました。今は個人蔵となっているわけですが、バーン・ジョーンズの子孫なのかなぁ。。まぁ、ちょっとマリア様の表情はお疲れ気味のような絵ですが、いずれにしてもバーン・ジョーンズが同じ絵を眺めていたこともあるのねー、と思うと不思議な感覚になりますよね。

第3章 富めるフィレンツェ

13世紀以降、ヨーロッパではたびたび奢侈しゃし禁止令という贅沢を戒める条例が発せられます。
衣類や宝飾品のみならず、饗宴や婚礼、葬儀での節制を求める条例でした。金融、商業で富めるフィレンツェでも例外ではありませんでした。この章では、禁止の対象となった壮麗な婚礼や葬儀の様子を表した作品を展示します。
フラ・アンジェリコ 《聖母マリアの結婚》
1432-1435年、テンペラ・板、19×51.5cm、フィレンツェ、サン・マルコ博物館
©Gabinetto Fotografico della S.S.P.S.A.E e per il Polo Museale della città di Firenze
フラ・アンジェリコの代表作《聖母戴冠》(ウフィツィ美術館)のプレデッラ(祭壇画下部の小壁板絵)のひとつ。

この章は水浴を覗き見した長老たちに脅されて死罪になりかかるスザンナのお話を絵にした《スザンナの物語》等結婚祝いに使われたと思しき壁掛け鏡とかの展示。   
出産盆はこの時代の出産が大変な労苦であり、その苦労を乗り越えた産後の女性に対する周りの思いやりが感じられますねえ。

第4章 フィレンツェにおける愛と結婚

フィレンツェの商人や銀行家の寝室は、結婚生活・出産・死が展開されるプライベートな空間でした。寝室の調度のうちカッソーネ(長持)と呼ばれる婚礼家具や宗教画、出産盆(出産祝いを載せる盆)には、夫婦の社会的役割を示す図像が選ばれ、フィレンツェ・ルネサンスの社会が依って立つ価値観や美徳を伝えてくれます。
スケッジャ《スザンナの物語》
1450年頃、テンペラ・板、41×127.5cm、フィレンツェ、ダヴァンツァーティ宮殿博物館
©Gabinetto Fotografico della S.S.P.S.A.E e per il Polo Museale della città di Firenze
旧約聖書外典で語られる敬虔で貞淑な妻スザンナの物語が、美徳を代表するものとして婚礼家具に描かれました。背景には当時の邸宅の様子が描かれています

 

第5章 銀行家と芸術家

ルネサンス期のフィレンツェの名作の数々はメディチ家をはじめとする銀行家一族の注文によって制作されました。メディチ家から絶大な信頼を得ていたボッティチェリは、彼らの要望を満たす作品を生み出す理想的な画家でした。この章では、銀行家による注文作品とともに彼らの豪華な生活を偲ばせる品々を紹介します。

ウフィッツィから来た《開廊の聖母》は優美な作品。この写真では額の頭頂部(チマーザ)に鳩が描かれているなんてわからないけど、正面から羽根を広げて、この絵を包んでいる感じでありまして、美しいとの印象でした。
ワシントン・ナショナルギャラリーの《聖母子と二人の天使は》 ボッティチェリ帰属とあるので、真贋はわからないわけですが、その聖母の赤い宝飾品で留めたマントのような衣がその気品の高さと相まって美しい作品です。天使も赤っぽいガウン着ちゃって黒っぽい羽根なのが気になりましたが。


さて目玉の《受胎告知》のフレスコ。 大天使ガブリエルが空から飛んできたように左空中に浮遊して、マリアが右でははーっといわんばかりにひれ伏そうとしている。同じ横に長く展開しているダヴィンチのもう既に貫禄があるマリアに向かい片膝落として告知するガブリエルという構図の《受胎告知》に比べて、ガブリエル――神の使い、マリア――聖母になる前の人間といった印象が強いのは、天使と聖母の距離が結構離れているからそういう印象になるのかなぁ。。でもこの構図、個人的には好きだなぁ。
HPの担当学芸員さんの解説を読むと、やっぱり、ガブリエルに主役の座を敢えて渡しているようですね。。ふんふん。意図通りの印象を持ってしまったわけで、ボッティチェリにやられたわけですね。



 サンドロ・ボッティチェリ《受胎告知》
1481年、フレスコ、243×555cm フィレンツェ、ウフィツィ美術館
©Gabinetto Fotografico della S.S.P.S.A.E e per il Polo Museale della città di Firenze


サンドロ・ボッティチェリ 《聖母子と洗礼者聖ヨハネ》
1477-1480年頃、テンペラ・板、直径96.5cm
ピアチェンツァ市立博物館
©Musei civici di Palazzo Farnese - foto Carlo Pagani

*3月21日―5月6日の期間限定出品
その脇に、今回期間限定で公開のテンペラ画《聖母子と洗礼者聖ヨハネ》の丸い板がかかっています。
確かキリストは厩の飼葉桶に寝かされたと聖書の記述とは違い、身体を包んだ布の下には括った柴のように堅そうに積んだ薔薇の上に寝かされています。バラ⇒棘のインスピレーションで、これから起きる苦難の道―茨の道というボッティチェリのアレンジでしょうかねぇ。この絵は 背景にも薔薇というより椿にも見えてしまう生垣が描かれ外界との遮断をしているようでまるで窓のある回廊のように薔薇の生垣を置いている構図はインパクトがありますね。美しい絵画でした。


絵画作品ではないけど、途中のケースに《三声と四声のための歌曲集》がありましたが、とても美しい本です。


この章の最後に、ウフィツィにある名作《ヴィーナスの誕生》の貝の上に立っているヴィーナスの下絵のようなのがありました。黒地の背景にヴィーナスだけなので、ホンモノよりも裸体が強調されたような印象になります。解説には《ヴィーナスの誕生》は(後にボッティチェリが傾倒することになる「正統な信仰」を説く修道士サヴォナローラから見れば享楽的な社会を体現するようなとんでもない絵となるわけですが、そのような悦楽的な絵画や文化を庇護してきたロレンツォ・メディチのような金持ちがいてこその華やかな文化の発展でもあったわけで、もし「正統な信仰」だけの世界なら、今でも西洋文化は受胎告知と聖母子だらけに囲まれていた事になり、それはツマラナイナ。。。ま、そんなことなくてよかった訳です。この展覧会の副題が「フィレンツェの富と美―Money and Beauty」となっている事を改めて思い出させてもらえる作品でした。
 

第6章 メディチ家の凋落とボッティチェリの変容


修道女プラウティッラ・ネッリ(帰属) 《聖人としてのジロラモ・サヴォナローラ》
1550年頃、油彩・キャンヴァス、61×45.7cm、個人蔵
メディチ銀行の衰退とともにフィレンツェは危機の時代を迎えます。この頃、台頭した修道士サヴォナローラが行った「虚栄の焼却」では贅沢品や宗教上好ましくない芸術作品が燃やされます。ボッティチェリの晩年の作品はそうした時代の空気を反映しています


そのメディチ家が没落し、「虚栄の焼却」を目指したサヴォナローラもいずれ処刑されてしまうという歴史を見れば、一度林檎をかじってしまったアダムとイブの子孫が「正統な信仰」を保ち続けることができず、美しいものを求め続ける事はそれが堕落であったとしても運命なんだなぁーと思わざるを得ない事をこの章で学ぶわけですねー。いや、しかし、このサヴォナローラはきっと本人に似てるんだろうけど、この鷲鼻の横顔からは、一切の奢侈は認めないぞ!的な強い意志と、融通なんて言う言葉は彼の辞書になさそうだなぁと思わされるのはなんでなんでしょうかねー。。
 
 
ボッティチェリとルネッサンス
フィレンツェの富と美
 
Bunkamuraザ・ミュージアム
2015/3/21(土・祝)-6/28(日) 
*4/13(月)、4/20(月)のみ休館
 


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