2013年12月8日日曜日

「特別展 小林古径生誕130年記念 古径と土牛」関連イベント ブロガー内覧会(青い日記帳×山種美術館共催)にいってきたんですー。

ありがたいことに第三弾となる青い日記帳×山種美術館共催のブロガー内覧会にも参加させて戴く事ができました。
少々バタバタなもんで、後期をみてから纏めて感想書こうとしていたら、こんなに遅くなっちゃいましたが。。えへっ。

今回も館長の解説をお伺いできるばかりか、写真もほぼ撮り放題、作品に因んだ菊屋さんの和菓子までついている素晴らしい企画♪

実は、「ザ・ベスト・オブ山種コレクション展」(2012年1月頃)の時に、この時は青い日記帳企画という名前のもと(山種美術館のサイトで応募する形ではなく、青い日記帳の中村さんのブログとツイートで知って伺ったように記憶しています)、山崎館長のお話を伺っていますから、そういう意味ではこのタッグでお話を伺うのは4回目かな。

ところが、その時伺った館長の解説とか感想文に纏めておく予定だったのに、ツイートだけして(今朝7時半に家を出、北京故宮博物院200選⇒ブリジストン60周年記念記念日で無料→一旦帰宅⇒山種山崎館長のお話by @taktwiさん企画とほぼ12時間に亙る美術探訪の一日終了。故宮みたばっかりで館長の話を伺ったので御舟桃花の見方が変ったし、楽しい話を聞けtakeさんtksです。)感想文は書いてなかったんですね。

だから古径さんや土牛さんについて解説された部分で、今回はお話がなかった部分についても、もう一度かみしめながら、いざいざ感想文を書かん♪

尚、本展覧会にはまだ著作権の残る作品も多くあるそうですが、本企画に参加し、展覧会のご紹介をするという事で特別に写真を掲載する事を許可されていますので、くれぐれも写真の無断転載はなさらぬようお願い致します。(ま、私の低性能写真を使いたいという奇特な方は少ないとは思いますが、時々、ブログ内の記事で写真を検索されている足跡がありますからね、一応念のため。苦笑)

先ずは、つぶやきをして・・・(写真ツケワスレチャッタノヨ)
これから古径と土牛posted at 17:17:17
入口で参加申し込み証とチケット代をお出しして、ピンクのリボンとチラシやお菓子の引き替え券の入った袋を戴き、荷物をロッカーにしまい。。。。階段を降りて行くと・・・そう、前回お勉強したように、看板が見えるように設計された窓つき自動扉が空いて・・・・まずは右の第一会場に。
いつも最初のご挨拶や解説のあるエリアの目玉作品はおめでたい《鶴》。

・・極めてクラシックな絵柄で、なんの変哲もなさそうに見えるこの古径の鶴ですが、猫が丸くなったように、でーんと構えていて、鮮やかな印象ですね。 でも、一枚一枚の羽の中心通る骨等、ディテールもしっかり、さすがは円熟した65歳の時の作品、人気があるそうですよ。(この柄の手ぬぐいも買っちゃいました♪)

サテ、先ずは中村さんのご挨拶―今回は「古径の金を探せ!(同じ金でも、色合いの違う二種類の金を同じ画面に展開させたりしている・・・・最初の《鶴》もね。)」がキーワードとか。ふむふむ。
引続いて、山崎館長の解説を伺います。
先ずは、古径さんの生誕130年記念という事で企画された展覧会に何故、奥村土牛さんもセットとなったのか?
それは、二人が同じ梶田半古(かじたはんこ)の画塾の兄弟弟子関係・・・というよりは、半古が亡くなってからは土牛の先生は塾頭であった古径と言ってもいいほどの師弟関係だった・・・という事のようです。勿論、古径の作品は46点、土牛の作品は135点も所蔵している山種美術館だからこそ、そういう組み合わせが可能だった、とも言えるでしょうね
脱線しちゃうけど、この梶田半古センセイ、横山大観より二年遅れた明治3年生まれ、弟子は古径、土牛に青邨と世に名を残す画家を輩出しているのに、歴史画が多いというご本人の作品は殆ど残っていないし、彼らの先生でなかったら、今の世の中にこのような形で名前が連呼されることもなかったであろうかと思うと不思議なものですねぇ。(脱線終わり)

この半古先生、「写生」や「画品」それに「色」を重んぜられていた、と古径が言葉を残しているけれど、粉本を与えず写生をさせ、今でいうデッサンを重視したのに対し、(今村)紫紅や(速水)御舟を輩出した松本楓湖(の安雅堂画塾で)は古典を粉本とし、それを写し研鑽したと言う事です。
まぁ、やり方は異なっても、結局うまい人は、備わった天賦の才でそれをモノにしていく事にはかわりはないようにも思えますが、残っている初期作品の題材に違いが出るので、面白いといえば面白いですよね。
その写生重視の半古の影響を強く受けているというのが、古径24才にして文展に出品した《闘草》。右の少年の腕の部分が透けて見えているけれど、ただ透けて見せているのではなくしっかりとしたデッサンの成果としての身躯体が表現されている結果とみるべきなのだそう。


更に半古好みの大和絵的な表現(トオッシャッテイタヨウニメモシテルンデスガ、コレデタダシイカシラ?)の《小督(こごう)》。
《小督》左幅 あばら家で琴を
奏でる小督の局と侍女
《小督》 小督を探しに野を行く
仲国
これは平家物語が題材になっているので、その内容がわからないことには、絵解きは難しいですねぇ。要は帝の寵愛を受けていたけれど、権勢をふるう平氏の中宮を慮って隠遁した小督の局が琴を奏でる場面(左幅)と、勅命を受けて探し出そうとする仲国(右幅)というふたつの異なる時間帯を描いているところは絵巻物にはよくあるパターンとはいえ、二幅の絵を繋ぐのは「琴の音」という説明には、ぐっときた人が多いのではないでしょうかねぇ。。あ、もちろん、何気に墨でぼかした地(地隈)や草花も連続して描かれている訳なんですが。




実は、本展より後に開催された「江戸の狩野派」展@出光美術館で《小督弾琴・子獣訪戴図屏風》(狩野尚信)というのを拝見したのですが、こちらは右隻の左側から仲国が右のあばら家で琴を奏でる小督の方を探しに進むという構図でした。
尚信は時の美術評論家のような人物に、時に兄の(狩野)探幽よりも先進性を感じると言わしめていますが、左隻の中国の故事との対比という描き方ということがあるせいか、この小督と仲国のエピソードに関しては通りいっぺんの表現にとどまっている気がします。まぁ、17世紀の絵師と20世紀の日本画家を比べるのも何ではありますが。

古径のこの対の二幅の絹本に描かれる、小督の方も優美なものですから、それがあばら家と理解するのは屋根が石で押さえられただけ、という描き方によってだけ・・・というくらい、上品で、構図的にも、その解釈も大変に素晴らしいということが改めて判ったというだけでも尚信に感謝しなくてはなりませんね。

《西行法師》 
頂いた猫を童子にやって、すたすたと。。
童子が小さすぎるくらい
ただ、《蛍》とか《西行法師》にみられるような周囲と比較しての(主役となる)人物の大きさには、ちょっとひるむ感じになりますがね。《蛍》なんか、牛車から袖と扇だけ出している女性の扇の大きさと引き比べても蛍大きすぎ?と思うものですから、どうもしっくり来ないんですよねー。《西行法師》が戴いた猫を童子にやるという場面を描いた絵でも、童子の大きさが小さすぎるんだけど、ストーリー的には重要な人物なのに、なんでだろう。



《蛍》
蛍の大きさが従者と比べるとおっきい。
一方、私が心惹かれたのは、《蛍》で、牛車の前に立つ白の直衣の人物。おそらくは織だけで艶のある(ひかひかした)地紋を織り込んだ羽二重なのかしら?・・・と想像をしてしまうほど細かいところにも心配りされているのを見ると、文様だけでも誰とわかる地紋なのかしら?なんか知る方法はないかなぁ・・・と別の興味が湧きますね。

そうかと思えば≪小督≫と同じように二幅の掛け軸を使った《猿曳》の場合は二幅の間に距離も時間も音も隔たりなく、シンプルな構図。曳いている紐はゴージャスな金の紐・・・な訳はなく縄なんだとは思うけれど、ささっと描いたような、緩さと勢いがあって、なんだか別人の作品を見ているような感じ。
《猿曳》

まぁ、描いている本人の時間軸には20年弱の隔たりがあるわけだから、一人の人の絵描きとしての時間の隔たりによる変化を知る意味で対比してみると面白いですね。この間に《大昆古命図》に見られるような没骨法、たらしこみ等古典技法を同じ画面で種々展開してみたり、カラフルが身上の今村紫紅の影響があったり。
因みに、解説ではこの違う師匠を持つ紫紅の影響があるという《河風》、巡り巡って、弟弟子の土牛の家の床の間で、作者を出迎えることになって、お呼ばれした古径がびっくりしたとか、書いてありました。
表装も良くて後期にも堪能させてい戴きました。話は戻りますが、その試行錯誤の結果かもしれないこの《猿曳》もまだ洋行前の作品なんですね。

洋行と書きましたが、向かって右側の壁には欧州に絵の勉強に行っていた時代の現存するただ一枚の油絵がかかっています。この絵は何度か見たことがあるけれど、(いつぞや、ブリヂストンに貸していた事ありませんでしたっけ?と、どうしても関係ない事を思い出してしまう私です。)この絵の解説の時には古径が、欧州に行ったおかげで輪郭線を大事にする日本画に回帰した、という話が常に登場するわけです。であれば、奥のケースに掛かっている、似たように果物が入った軸絵が隣に掛かっていて欲しかったなー、と思ったわけですね。なので、自分で並べてみてしまいました。

ま、日本画の方は涼しげなガラスの器に入った果物ですから、そもそもの趣が違うけれど、でも、きっとこういう絵が描きたくなったのかしらね・・・と思いをはせるには十分です。

ところで、私にとっての、今回の見どころはなんといっても《清姫》連作シリーズです。数少ないつぶやきでも・・・

清姫連作、今までなかなか見られなかった、全ストーリー見られて幸せ!当初は巻物仕立てにしようとしたらしい。清姫が安珍を追いかける右と左の展開はまさに、巻物だにゃ。 https://pic.twitter.com/zkTXMbNWrI

は、もともと、古径も絵巻にしたかったそうですが。それはともかく、全ての作品が展示されるのは久しぶりだそうです。

ユニークなのは、清姫に魅入られる事になる安珍が熊野詣を行う始めの一歩となる〈旅立〉。

これだけ白描画なんですね。館長のご説明では(図録にも載っている由)一枚の絵を長く描く古径の場合、これが完成作と断定するのが難しいのだそうですが、お弟子さん曰くもとより白描の予定だったという話が残っているので、そのように断定しているとか。確かに画家の意図に寄り添うとすると、まだ清々しい気持ちで颯爽とした感じを出したかったのかしらね、と思えてもきます。ただ、この作品だけ紙の幅が広く、異質感は残っていますが、逆の幅広の巻紙(の断簡)の中央にぽつんと描かれた感じが、これからの旅に伴う困難を予感させる為なのかもしれませんね。

その後はストーリー展開毎に額装されているわけで、中央の展示ボックスを挟んでクライマックスへ・・・


これから変身するよ、清姫!髪も金色がバックに。。。 https://pic.twitter.com/JlAjcpkn4U

この〈日高川〉は髪のバックだけではなく、袖口も怪しく光ってますよね
更に、浄瑠璃や歌舞伎でもクライマックスとなる清姫が大蛇に変身して、その蜷局を鐘に巻いて、その中に逃げ込んだ安珍を閉じ込めてしまう場面は、炎を全てオレンジ系と黄色系の金色で描き上げていて迫力があります。

終章の〈入相桜〉は、古径自身の創作による後日談なんですね。
焼き尽くされた後に芽を吹いた日本の桜が絡み合い、満開となっている図です。

これ、絵としては胡粉をたっぷり盛り上げて綺麗なんですが、焼き尽くした後にも清姫が安珍を絡め取って、ぼってりとした桜を咲かせ、勝利宣言をしているみたいで、静けさを感じる絵柄とは相反する清姫の執念みたいなのを感じて、安珍が休まらなくって可哀そうだなぁ・・・って思ってしまいましたが。

それに比すと、ただただ美しい写生をした、という感じの《桜花》は見ていて落ち着きますね。
上手―――。《栗》も同じような平安を感じます。

上手~♪なんて、名のある画家に言ってしまい、失礼千万でありますが。

さて、今回、展覧会の為にお借りしているという作品が数点ありますが、その一つ《紫苑紅蜀葵》屏風は、ゴージャスで美しい。



蒔絵のように金の砂子を撒いた金屏風、右隻は満開の紫苑、左隻には咲き始めの紅蜀葵を置き、夏から初秋にかけて咲く花を対照的に表し、その間をつなぐように朝顔を置いたとの事ですけれど、大きな紅蜀葵の華やかさが印象的です。でも紅蜀葵って何?って調べちゃいましたよ。
こんな花なんですね。
http://www.hana300.com/momiao.html
まんまですね。(苦笑)

館長は琳派を意識しているとのお話でしたが、手法的には没骨法も使っているし、背後には墨による陰影(隈)が施されていて、まさに(当時の)「現代」アートとしての障壁画であるように思われます。

その屏風の隣にかけてある《竹雀》、隣の屏風に比べると小品ですが、下草として描かれる熊笹の細かい描き方等、何故か心惹かれます。古径は《小督》の時代から草の表現がうまいですよねぇ。

さて、このあたりから、漸く遅咲きの土牛さん(奥村土牛)が登場します。二人の作品が隣り合わせとなり、個々の特徴が対比できる、うまい展示です。
色に関しては 古径が絵具そのものの色――クリアな色が多く、土牛はセザンヌを意識して色を「面」で描くといった違いがあり、輪郭線に関しては、帰国してからの古径はより強い意識で輪郭線を引き、土牛はあったり、なかったり。
ま、アタマで理解するよりも、目で見てその醸し出す雰囲気で違いを感じればそれでいいのですが・・
《弥勒》は土牛によると古径は緑青の絵具の色が気に入らずに、何度も描きなおしたとかで、全体的には色々な色を別々に重ねている印象。
左が土牛の《北山杉》 右が古径の《弥勒》

対する(?―――左隣にあるのでネ)土牛の《北山杉》の緑色はグラデーションで描かれていて、館長の説明では胡粉を薄くとかして何度も塗り重ねたとか。杉の幹がデザインのように並んだ構図が面白いですね。

土牛の再興院展の初入選は38歳で遅咲きという表現をされていましたが、今回も展示されていた代表作の《鳴門》とか《醍醐》を描いたのが其々70歳、83歳で、101歳まで長寿を全うした土牛さんにとっては、遅咲きかもしれないけれど、自分の好きなお絵描きをずっと続けられたのだから幸せだったとは思いますが、それも、無名だった時代を館長の祖父である山﨑種二が支えてくれたからこそ、なのかもしれませんね。その見返りといってはなんですが、佐久に行かなくても(佐久には土牛さんの記念美術館ありますよね。行った事ないんですが。)東京にいる私たちが135点もある所蔵品の中から、度々これらの名作を真近いで拝見する事ができるわけです。

さて、《醍醐》では胡粉と綿臙脂であのぼってりとしたピンクの桜が描かれているんですよね。綿臙脂というかいがら虫から作られた絵具の事を前回のザベストオブ山種の館長解説で知ったわけですが、今回もさらっと説明がありました。
でも今回の私の興味は鳴門の重ね塗り。遠くから見ても大変な迫力がある渦の部分、色も描き方もよくみると油絵のように塗り重ねられています。



古径があげたセザンヌ画集を良く勉強した土牛さん、姫路城は確かに影響感じられますね、 でも横山操にも似てる感じがするのは私だけ? https://pic.twitter.com/AbsWex9I2l


奥村土牛《城》 真下から見上げたような視点が面白いですよね

横山操に似ているかどうかは別として、セザンヌを意識した色の面というのは、《雨趣》にも良く表れていますよねぇ。
ただタイトルの通り湿潤感があるところが違うけど、面で描いているのがセザンヌの影響かな・・・と思っちゃいますよね。でも、セザンヌと違って見る視点が一点なんですよね。

《雨趣》は昭和3年だけど、《城》は昭和30年、ここにも時の流れがあるんですけどねぇ。

斜めちゃっているけど古径の《牡丹》
土牛《富貴草》 富貴草とは牡丹の別名
コレ、鮮やかな赤い色と縁の黄色っぽい色
のコンビネーションが美しくお気に入りです。
さて、古径との比較で土牛の代名詞のような富士山が前期・後期ともにあって、楽しめましたが、比較という意味では、コレ。輪郭線を大事にする古径の牡丹の白と色の面で描く土牛の赤い《富貴草》。

そのほかにも古径が集めていた陶磁器に活けられた花や鉢そのもの等にも個性の違いがあって面白かったなぁ。。
土牛が《泰山木》(後期)で描いた花瓶は古径の《八重山吹》(展示の対象ではありません)と同じだったとか。

ポスターになっている古径の《観音》も色鮮やかな赤の蓮が目立ちますし、比較的大画面だけど、基本的には個人の床の間に飾るような大きさの絵を描き続けたようですが、土牛の方は、戦後は展覧会芸術(云い得て妙だなぁ)の要求によって余白のない大画面も随分描いたそうです。
個人的には展覧会用の作品は好きになれないのが多いですから、すごく納得してしまいました。

第二室の牛や犬などの動物の比較も含め、前期も後期も愉しみました。
古径《牛》 
土牛《聖牛》







【特別展】小林古径 生誕130年記念 古径と土牛
山種美術館
2013年10月22日(火)~12月23日(月・祝)