2013年12月8日日曜日

「特別展 小林古径生誕130年記念 古径と土牛」関連イベント ブロガー内覧会(青い日記帳×山種美術館共催)にいってきたんですー。

ありがたいことに第三弾となる青い日記帳×山種美術館共催のブロガー内覧会にも参加させて戴く事ができました。
少々バタバタなもんで、後期をみてから纏めて感想書こうとしていたら、こんなに遅くなっちゃいましたが。。えへっ。

今回も館長の解説をお伺いできるばかりか、写真もほぼ撮り放題、作品に因んだ菊屋さんの和菓子までついている素晴らしい企画♪

実は、「ザ・ベスト・オブ山種コレクション展」(2012年1月頃)の時に、この時は青い日記帳企画という名前のもと(山種美術館のサイトで応募する形ではなく、青い日記帳の中村さんのブログとツイートで知って伺ったように記憶しています)、山崎館長のお話を伺っていますから、そういう意味ではこのタッグでお話を伺うのは4回目かな。

ところが、その時伺った館長の解説とか感想文に纏めておく予定だったのに、ツイートだけして(今朝7時半に家を出、北京故宮博物院200選⇒ブリジストン60周年記念記念日で無料→一旦帰宅⇒山種山崎館長のお話by @taktwiさん企画とほぼ12時間に亙る美術探訪の一日終了。故宮みたばっかりで館長の話を伺ったので御舟桃花の見方が変ったし、楽しい話を聞けtakeさんtksです。)感想文は書いてなかったんですね。

だから古径さんや土牛さんについて解説された部分で、今回はお話がなかった部分についても、もう一度かみしめながら、いざいざ感想文を書かん♪

尚、本展覧会にはまだ著作権の残る作品も多くあるそうですが、本企画に参加し、展覧会のご紹介をするという事で特別に写真を掲載する事を許可されていますので、くれぐれも写真の無断転載はなさらぬようお願い致します。(ま、私の低性能写真を使いたいという奇特な方は少ないとは思いますが、時々、ブログ内の記事で写真を検索されている足跡がありますからね、一応念のため。苦笑)

先ずは、つぶやきをして・・・(写真ツケワスレチャッタノヨ)
これから古径と土牛posted at 17:17:17
入口で参加申し込み証とチケット代をお出しして、ピンクのリボンとチラシやお菓子の引き替え券の入った袋を戴き、荷物をロッカーにしまい。。。。階段を降りて行くと・・・そう、前回お勉強したように、看板が見えるように設計された窓つき自動扉が空いて・・・・まずは右の第一会場に。
いつも最初のご挨拶や解説のあるエリアの目玉作品はおめでたい《鶴》。

・・極めてクラシックな絵柄で、なんの変哲もなさそうに見えるこの古径の鶴ですが、猫が丸くなったように、でーんと構えていて、鮮やかな印象ですね。 でも、一枚一枚の羽の中心通る骨等、ディテールもしっかり、さすがは円熟した65歳の時の作品、人気があるそうですよ。(この柄の手ぬぐいも買っちゃいました♪)

サテ、先ずは中村さんのご挨拶―今回は「古径の金を探せ!(同じ金でも、色合いの違う二種類の金を同じ画面に展開させたりしている・・・・最初の《鶴》もね。)」がキーワードとか。ふむふむ。
引続いて、山崎館長の解説を伺います。
先ずは、古径さんの生誕130年記念という事で企画された展覧会に何故、奥村土牛さんもセットとなったのか?
それは、二人が同じ梶田半古(かじたはんこ)の画塾の兄弟弟子関係・・・というよりは、半古が亡くなってからは土牛の先生は塾頭であった古径と言ってもいいほどの師弟関係だった・・・という事のようです。勿論、古径の作品は46点、土牛の作品は135点も所蔵している山種美術館だからこそ、そういう組み合わせが可能だった、とも言えるでしょうね
脱線しちゃうけど、この梶田半古センセイ、横山大観より二年遅れた明治3年生まれ、弟子は古径、土牛に青邨と世に名を残す画家を輩出しているのに、歴史画が多いというご本人の作品は殆ど残っていないし、彼らの先生でなかったら、今の世の中にこのような形で名前が連呼されることもなかったであろうかと思うと不思議なものですねぇ。(脱線終わり)

この半古先生、「写生」や「画品」それに「色」を重んぜられていた、と古径が言葉を残しているけれど、粉本を与えず写生をさせ、今でいうデッサンを重視したのに対し、(今村)紫紅や(速水)御舟を輩出した松本楓湖(の安雅堂画塾で)は古典を粉本とし、それを写し研鑽したと言う事です。
まぁ、やり方は異なっても、結局うまい人は、備わった天賦の才でそれをモノにしていく事にはかわりはないようにも思えますが、残っている初期作品の題材に違いが出るので、面白いといえば面白いですよね。
その写生重視の半古の影響を強く受けているというのが、古径24才にして文展に出品した《闘草》。右の少年の腕の部分が透けて見えているけれど、ただ透けて見せているのではなくしっかりとしたデッサンの成果としての身躯体が表現されている結果とみるべきなのだそう。


更に半古好みの大和絵的な表現(トオッシャッテイタヨウニメモシテルンデスガ、コレデタダシイカシラ?)の《小督(こごう)》。
《小督》左幅 あばら家で琴を
奏でる小督の局と侍女
《小督》 小督を探しに野を行く
仲国
これは平家物語が題材になっているので、その内容がわからないことには、絵解きは難しいですねぇ。要は帝の寵愛を受けていたけれど、権勢をふるう平氏の中宮を慮って隠遁した小督の局が琴を奏でる場面(左幅)と、勅命を受けて探し出そうとする仲国(右幅)というふたつの異なる時間帯を描いているところは絵巻物にはよくあるパターンとはいえ、二幅の絵を繋ぐのは「琴の音」という説明には、ぐっときた人が多いのではないでしょうかねぇ。。あ、もちろん、何気に墨でぼかした地(地隈)や草花も連続して描かれている訳なんですが。




実は、本展より後に開催された「江戸の狩野派」展@出光美術館で《小督弾琴・子獣訪戴図屏風》(狩野尚信)というのを拝見したのですが、こちらは右隻の左側から仲国が右のあばら家で琴を奏でる小督の方を探しに進むという構図でした。
尚信は時の美術評論家のような人物に、時に兄の(狩野)探幽よりも先進性を感じると言わしめていますが、左隻の中国の故事との対比という描き方ということがあるせいか、この小督と仲国のエピソードに関しては通りいっぺんの表現にとどまっている気がします。まぁ、17世紀の絵師と20世紀の日本画家を比べるのも何ではありますが。

古径のこの対の二幅の絹本に描かれる、小督の方も優美なものですから、それがあばら家と理解するのは屋根が石で押さえられただけ、という描き方によってだけ・・・というくらい、上品で、構図的にも、その解釈も大変に素晴らしいということが改めて判ったというだけでも尚信に感謝しなくてはなりませんね。

《西行法師》 
頂いた猫を童子にやって、すたすたと。。
童子が小さすぎるくらい
ただ、《蛍》とか《西行法師》にみられるような周囲と比較しての(主役となる)人物の大きさには、ちょっとひるむ感じになりますがね。《蛍》なんか、牛車から袖と扇だけ出している女性の扇の大きさと引き比べても蛍大きすぎ?と思うものですから、どうもしっくり来ないんですよねー。《西行法師》が戴いた猫を童子にやるという場面を描いた絵でも、童子の大きさが小さすぎるんだけど、ストーリー的には重要な人物なのに、なんでだろう。



《蛍》
蛍の大きさが従者と比べるとおっきい。
一方、私が心惹かれたのは、《蛍》で、牛車の前に立つ白の直衣の人物。おそらくは織だけで艶のある(ひかひかした)地紋を織り込んだ羽二重なのかしら?・・・と想像をしてしまうほど細かいところにも心配りされているのを見ると、文様だけでも誰とわかる地紋なのかしら?なんか知る方法はないかなぁ・・・と別の興味が湧きますね。

そうかと思えば≪小督≫と同じように二幅の掛け軸を使った《猿曳》の場合は二幅の間に距離も時間も音も隔たりなく、シンプルな構図。曳いている紐はゴージャスな金の紐・・・な訳はなく縄なんだとは思うけれど、ささっと描いたような、緩さと勢いがあって、なんだか別人の作品を見ているような感じ。
《猿曳》

まぁ、描いている本人の時間軸には20年弱の隔たりがあるわけだから、一人の人の絵描きとしての時間の隔たりによる変化を知る意味で対比してみると面白いですね。この間に《大昆古命図》に見られるような没骨法、たらしこみ等古典技法を同じ画面で種々展開してみたり、カラフルが身上の今村紫紅の影響があったり。
因みに、解説ではこの違う師匠を持つ紫紅の影響があるという《河風》、巡り巡って、弟弟子の土牛の家の床の間で、作者を出迎えることになって、お呼ばれした古径がびっくりしたとか、書いてありました。
表装も良くて後期にも堪能させてい戴きました。話は戻りますが、その試行錯誤の結果かもしれないこの《猿曳》もまだ洋行前の作品なんですね。

洋行と書きましたが、向かって右側の壁には欧州に絵の勉強に行っていた時代の現存するただ一枚の油絵がかかっています。この絵は何度か見たことがあるけれど、(いつぞや、ブリヂストンに貸していた事ありませんでしたっけ?と、どうしても関係ない事を思い出してしまう私です。)この絵の解説の時には古径が、欧州に行ったおかげで輪郭線を大事にする日本画に回帰した、という話が常に登場するわけです。であれば、奥のケースに掛かっている、似たように果物が入った軸絵が隣に掛かっていて欲しかったなー、と思ったわけですね。なので、自分で並べてみてしまいました。

ま、日本画の方は涼しげなガラスの器に入った果物ですから、そもそもの趣が違うけれど、でも、きっとこういう絵が描きたくなったのかしらね・・・と思いをはせるには十分です。

ところで、私にとっての、今回の見どころはなんといっても《清姫》連作シリーズです。数少ないつぶやきでも・・・

清姫連作、今までなかなか見られなかった、全ストーリー見られて幸せ!当初は巻物仕立てにしようとしたらしい。清姫が安珍を追いかける右と左の展開はまさに、巻物だにゃ。 https://pic.twitter.com/zkTXMbNWrI

は、もともと、古径も絵巻にしたかったそうですが。それはともかく、全ての作品が展示されるのは久しぶりだそうです。

ユニークなのは、清姫に魅入られる事になる安珍が熊野詣を行う始めの一歩となる〈旅立〉。

これだけ白描画なんですね。館長のご説明では(図録にも載っている由)一枚の絵を長く描く古径の場合、これが完成作と断定するのが難しいのだそうですが、お弟子さん曰くもとより白描の予定だったという話が残っているので、そのように断定しているとか。確かに画家の意図に寄り添うとすると、まだ清々しい気持ちで颯爽とした感じを出したかったのかしらね、と思えてもきます。ただ、この作品だけ紙の幅が広く、異質感は残っていますが、逆の幅広の巻紙(の断簡)の中央にぽつんと描かれた感じが、これからの旅に伴う困難を予感させる為なのかもしれませんね。

その後はストーリー展開毎に額装されているわけで、中央の展示ボックスを挟んでクライマックスへ・・・


これから変身するよ、清姫!髪も金色がバックに。。。 https://pic.twitter.com/JlAjcpkn4U

この〈日高川〉は髪のバックだけではなく、袖口も怪しく光ってますよね
更に、浄瑠璃や歌舞伎でもクライマックスとなる清姫が大蛇に変身して、その蜷局を鐘に巻いて、その中に逃げ込んだ安珍を閉じ込めてしまう場面は、炎を全てオレンジ系と黄色系の金色で描き上げていて迫力があります。

終章の〈入相桜〉は、古径自身の創作による後日談なんですね。
焼き尽くされた後に芽を吹いた日本の桜が絡み合い、満開となっている図です。

これ、絵としては胡粉をたっぷり盛り上げて綺麗なんですが、焼き尽くした後にも清姫が安珍を絡め取って、ぼってりとした桜を咲かせ、勝利宣言をしているみたいで、静けさを感じる絵柄とは相反する清姫の執念みたいなのを感じて、安珍が休まらなくって可哀そうだなぁ・・・って思ってしまいましたが。

それに比すと、ただただ美しい写生をした、という感じの《桜花》は見ていて落ち着きますね。
上手―――。《栗》も同じような平安を感じます。

上手~♪なんて、名のある画家に言ってしまい、失礼千万でありますが。

さて、今回、展覧会の為にお借りしているという作品が数点ありますが、その一つ《紫苑紅蜀葵》屏風は、ゴージャスで美しい。



蒔絵のように金の砂子を撒いた金屏風、右隻は満開の紫苑、左隻には咲き始めの紅蜀葵を置き、夏から初秋にかけて咲く花を対照的に表し、その間をつなぐように朝顔を置いたとの事ですけれど、大きな紅蜀葵の華やかさが印象的です。でも紅蜀葵って何?って調べちゃいましたよ。
こんな花なんですね。
http://www.hana300.com/momiao.html
まんまですね。(苦笑)

館長は琳派を意識しているとのお話でしたが、手法的には没骨法も使っているし、背後には墨による陰影(隈)が施されていて、まさに(当時の)「現代」アートとしての障壁画であるように思われます。

その屏風の隣にかけてある《竹雀》、隣の屏風に比べると小品ですが、下草として描かれる熊笹の細かい描き方等、何故か心惹かれます。古径は《小督》の時代から草の表現がうまいですよねぇ。

さて、このあたりから、漸く遅咲きの土牛さん(奥村土牛)が登場します。二人の作品が隣り合わせとなり、個々の特徴が対比できる、うまい展示です。
色に関しては 古径が絵具そのものの色――クリアな色が多く、土牛はセザンヌを意識して色を「面」で描くといった違いがあり、輪郭線に関しては、帰国してからの古径はより強い意識で輪郭線を引き、土牛はあったり、なかったり。
ま、アタマで理解するよりも、目で見てその醸し出す雰囲気で違いを感じればそれでいいのですが・・
《弥勒》は土牛によると古径は緑青の絵具の色が気に入らずに、何度も描きなおしたとかで、全体的には色々な色を別々に重ねている印象。
左が土牛の《北山杉》 右が古径の《弥勒》

対する(?―――左隣にあるのでネ)土牛の《北山杉》の緑色はグラデーションで描かれていて、館長の説明では胡粉を薄くとかして何度も塗り重ねたとか。杉の幹がデザインのように並んだ構図が面白いですね。

土牛の再興院展の初入選は38歳で遅咲きという表現をされていましたが、今回も展示されていた代表作の《鳴門》とか《醍醐》を描いたのが其々70歳、83歳で、101歳まで長寿を全うした土牛さんにとっては、遅咲きかもしれないけれど、自分の好きなお絵描きをずっと続けられたのだから幸せだったとは思いますが、それも、無名だった時代を館長の祖父である山﨑種二が支えてくれたからこそ、なのかもしれませんね。その見返りといってはなんですが、佐久に行かなくても(佐久には土牛さんの記念美術館ありますよね。行った事ないんですが。)東京にいる私たちが135点もある所蔵品の中から、度々これらの名作を真近いで拝見する事ができるわけです。

さて、《醍醐》では胡粉と綿臙脂であのぼってりとしたピンクの桜が描かれているんですよね。綿臙脂というかいがら虫から作られた絵具の事を前回のザベストオブ山種の館長解説で知ったわけですが、今回もさらっと説明がありました。
でも今回の私の興味は鳴門の重ね塗り。遠くから見ても大変な迫力がある渦の部分、色も描き方もよくみると油絵のように塗り重ねられています。



古径があげたセザンヌ画集を良く勉強した土牛さん、姫路城は確かに影響感じられますね、 でも横山操にも似てる感じがするのは私だけ? https://pic.twitter.com/AbsWex9I2l


奥村土牛《城》 真下から見上げたような視点が面白いですよね

横山操に似ているかどうかは別として、セザンヌを意識した色の面というのは、《雨趣》にも良く表れていますよねぇ。
ただタイトルの通り湿潤感があるところが違うけど、面で描いているのがセザンヌの影響かな・・・と思っちゃいますよね。でも、セザンヌと違って見る視点が一点なんですよね。

《雨趣》は昭和3年だけど、《城》は昭和30年、ここにも時の流れがあるんですけどねぇ。

斜めちゃっているけど古径の《牡丹》
土牛《富貴草》 富貴草とは牡丹の別名
コレ、鮮やかな赤い色と縁の黄色っぽい色
のコンビネーションが美しくお気に入りです。
さて、古径との比較で土牛の代名詞のような富士山が前期・後期ともにあって、楽しめましたが、比較という意味では、コレ。輪郭線を大事にする古径の牡丹の白と色の面で描く土牛の赤い《富貴草》。

そのほかにも古径が集めていた陶磁器に活けられた花や鉢そのもの等にも個性の違いがあって面白かったなぁ。。
土牛が《泰山木》(後期)で描いた花瓶は古径の《八重山吹》(展示の対象ではありません)と同じだったとか。

ポスターになっている古径の《観音》も色鮮やかな赤の蓮が目立ちますし、比較的大画面だけど、基本的には個人の床の間に飾るような大きさの絵を描き続けたようですが、土牛の方は、戦後は展覧会芸術(云い得て妙だなぁ)の要求によって余白のない大画面も随分描いたそうです。
個人的には展覧会用の作品は好きになれないのが多いですから、すごく納得してしまいました。

第二室の牛や犬などの動物の比較も含め、前期も後期も愉しみました。
古径《牛》 
土牛《聖牛》







【特別展】小林古径 生誕130年記念 古径と土牛
山種美術館
2013年10月22日(火)~12月23日(月・祝)

2013年10月17日木曜日

なんでもとっておいてくれてありがとう♪ 「明治のこころーモースが見た庶民のくらし」 江戸東京博物館 

いやー、ちょっと、なんちゃって外交で忙しかったので、書く気力も失っていたのを超久しぶりに感想文書くに至らせることになったのは、一通のメールのおかげです。
そう、ブロガー向け内覧会のお知らせね。
内覧会といったって、既に江戸東京博物館で始まっている「明治のこころーモースが見た庶民のくらし」

うーん、絵画や陶器じゃないから、なかなか、感想文書くの難しい展覧会かもー。
でも、行っちゃお。。

・・・ということで参りました。 
〔会場写真は博物館の特別許可を得て撮影したものです。会場入り口のパネルのみ、撮影可能となっています。〕

解説は副館長でもある小林学芸員。

曰く、大森貝塚を発見したということで、教科書で学んだことのあるはずのエドワード・モースの名前は知っていたとしても、その人と成り、そして、彼が日本に二年間に三度やってきて滞在した動機については、殆ど知られていない。

うん、確かに。名前は知っていても、彼が日本全国旅して、庶民を彩る鍋釜などの日常雑貨を2800点も集めたこと、これ以外に陶器も5千点集めたことなど、知る人ぞ、知るですよねー。

しかし、なんでまた使いかけの道具とかをそんなに集めちゃったのかしらね?!

ま、考えてみると
やっぱり、全く知らない文化のものって、珍奇なものとして目にとまりますよね、ましてや時は明治の初め・・・・今のわれわれが見ても、ナニコレ?的なものが次の章立てで陳列されています。

第一章 モースという人
このモースという人はコドモの時はどこの学校に行っても放り出されるような、ま、ヒトコトで言えば、変わった子だったらしいんですな。モノ集めにご執心だったところから言っても、今でいう「オタク」の部類だな。
実際、若いうちから「貝」の収集では早くから頭角を現していたみたいだから、「オタク」も極めていたということでしょう。もともとシャミセンガイの研究で日本にやってきたとはいえ、そのオタク魂がシャミセンガイへの興味⇒「貝塚」発見にも繋がったのでしょうから。

第二章 日本と日本人ー130年前の暮らしを彩る品々
この章ではモースが日本を旅した旅行地図、
また日記を纏めた「日本その日その日」という本を出版したそうですが、そんな解説から始まります。

いや、ムカシ書いていた日記を出版したのが、最初に日本に来た時から数えて40年、もう御歳79歳におなりになっていた時、というんですから、どんなきっかけだったのか?と不思議に思いますよね。

それはともかく、この章は更に細分化されています。
2-1 よそおう
2-2 たべる
2-3 すまい
2-4 こども
2-5 あそぶ
2-6 いのる
2-7 あきない
2-8 なりわい
ワザワザ歯欠けで泥もついているような
下駄まで集めた、ということで、裏まで
見せてくれちゃってます。



薄汚れちゃってますね、足袋


こんな竹の草履なんて見たことないなぁ

ムカシは確かに下駄やさんがあっちこちにあったんでしょうねぇ。いまや見つけるのは至難の業だけど。

手ぬぐいは今も再びブーム・・だけど

鏡付の団扇だなんて、今あるのかしら?
というか明治の頃だって珍しかったんじゃないかしら?
しかもこの赤の地のデザインは確かに
ハイカラというか斬新、西洋人向けだったのかしら?

今、お歯黒の女性を見たらびっくりするだろうなぁ、モースがびっくりした、というかぞっとしたのもわかるよね。


海苔の缶とそこに入っていた海苔・・・って・・スゴイ

箸は実は日本だけのものではなかったわけですが、ありがたいお言葉ですね。
でもこのミニチュアのおままごとセットの方が見るものを愉しませてくれますね。
今でも合羽橋商店街で外人に大うけの小さな食品サンプルの
ことを考えると絶対受けたに違いないと思ったりもし。。
おしろいやさん(左)と三味線やさん(右)の看板、どちらも今は店自体なかなか発見できませんね。

この八百屋さんの看板なんていいよね、今もあったら楽しいのに

順不同で写真だけならべちゃう感じになっちゃったけど、現代のわれわれも見たこともないような器具であったり、当時の海苔とかお菓子がそのまま瓶にはいっていたり、と、こういう収集の仕方もありなのねー、と感心しちゃいます。

小林副館長の説明では、使ったままのぞうきん、汚れた足袋、泥のついた下駄・・と使いかけのものでも集めたというのですが、頂いた図録を後で読んでいたら別の学芸員小山さんの解説を読んで納得。すなわち、「単なる生活民具で、あまりにありふれたモノだったため、人々は米国の博物館に入ると聞いて、喜んでモースにただであげたのだ。もしかすると彼自身も好んでほしくなかったモノもふくまれているかもしれない。」

とはいえ。。。。
私の知っている外国人の家にも戦後すぐに駐在した両親が集めたぽっくりとかが麗々しく額装されて飾られていて、それがなかなか、西洋の家の中ではエキゾシズムを奏でていて、ははーん、こんな風にするといいのか、なーんて思ったことがあるし、最近よく行く発展途上国では逆になんか、見たことないプリミティブな道具なんか見ると目を惹かれることもあるわけなんで、やっぱりガイジンから見たら、生活習慣も言葉も違う、(当時)なんとなく、未開の発展途上国と思っていた日本なのに、意外や意外、自分の国(米国)よりも歴史は長いわ、樽や桶を作る道具などの道具だって、

はさみなどは今も健在ですね。
実に精巧で、高い技術を持っていたことに、結構感動して、集めたんじゃないかなー、なーんて思いながら鑑賞しましたよ。


ありがたいことにモースさん、自分は写真もあまり撮ってないけど、日記にはイラストを入れたり、幻燈写真といわれる、モノクロ写真に色をつけたりしたものを沢山残してくれたおかげで、ちょっと不自然とはいえ、ビビッドな明治を再現しているというわけ。そして日記の言葉は「珠玉」ということのようで・・・確かにアイキャッチーだ言葉ですな~。

おっと、もう一章あった
第三章 モースをめぐる人々〔蜷川式胤の親交と陶器コレクション〕
モースさんがこんなにも多くのコレクションを形成することができたのは、モチロン彼の「興味」が原動力なんだろうけど、集めるに当たっては、周りで支えてくれた人たちがいたから・・という、当たり前だけど、忘れられやすい(?)ポイントにも焦点があたっています。ま、ここまで見てきて、ガイジンからは「珍奇」に思えるような品々は、ホント良く集めたよねー、とか、自分の興味範囲である貝に関連した砂糖菓子なんかはさすがに美しい。
 

と思う一方、美術品としてだけの価値を評価したら、趣味が大変良いとか、質が高いとかというような作品は見当たりそうもない、いや、そんな失礼な言い方をしちゃいけませんね、ま、でも正直な感想。

・・・な、わけですが、ま、だからこそ、彼のコレクション形成には日本の友人の力が必要だったわけですね。
そんな友人のおかげで5000にものぼる陶器コレクションがボストンで残ることになったわけですね。


ところで、小林学芸員がもうひとつ口にされていたこと。こどもを表現したかったと。
実際、展覧会の入り口にある拡大の幻燈写真の解説も実に力がこもってらっしゃる。

この子らがニコニコしていてとても幸せそうなこと、拡大してみたら、どうやらこの子たちは団子を食べていたようで、左の女の子は既に団子を食べちゃった見たいだとか、右から二番目の男の子がなんか面白いことを言った事が原因で皆が笑っているのだとか。。。
まぁね、当時の風俗の一ページということですっと通りがかるような写真にも思えるのだけど、
入れ込みたい気持ちになったのは、こんなモースの言葉があるからかなあ。
「世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。」

平成に生きる私たちにとっては、このあたりが変わってしまったのかもしれない、ということも考えないといけないかなあと、明治の人の屈託ない幸せな日々に思いを馳せることになりました。

そんな学芸員さんたちの熱い思い入れが感じられる展覧会です。

あ、写真撮るの忘れちゃったけれど、売店面白いですよ。ムカシ風の箒とかいっぱいかかっていて、楽しい。

「明治のこころーモースが見た庶民のくらしー」
江戸東京博物館
2013年9月14日(土)-12月8日(日)


2013年7月15日月曜日

【遅ればせながら・・】ふんわりとウキウキ浮世をたのしみませう。浮世絵フローティングワールドー珠玉の斎藤コレクション@三菱一号館美術館。。のブロガー内覧会レポと第一期の感想文

いや、うかうかしているうちに第一期が終わってしまいました。
ブロガー内覧会にお伺いしたのは6月25日だったのですが、直後になんちゃって外交第一弾、一瞬帰ってきて、プーシキン美術館展の内覧会(あーこれも書かないと!)にも行かせて頂いて、第二弾、戻ってきたら15日で展示期間終了の展覧会を弾丸見学ー!みたいな事をやって、15日の第一期終了時間の1時間半前に、もう一度お伺いすることができた・・・というわけであります。

いや、内覧会の時は写真撮ったり(一点撮りも含め撮影は主催者のご了解を得ています)するだけで時間が終わってしまい、一枚一枚をじっくり鑑賞した気持ちになれなかったし、音声ガイド聞けなかったし。。。

・・・言い訳はこれくらいにして。
当日はツイッターでのつぶやきはしてあるので、とりあえず、最低限のミッションはコンプリーテッド!(ナハズ)

再録すると・・・
はい、今日も内覧会 #三菱浮世絵 珍しく床に座布団敷いて聴くの。 で富士山世界遺産登録にぴったりな富嶽三十六景お土産も売ってるらしい。 pic.twitter.com/F3IczkfQH3posted at 18:31:43
そう、この日の内覧会は、肉筆浮世絵の展示されている部屋に簡易の座布団を敷いた上に座らせてもらって、学芸員の野口さんと企画してくださった「青い日記帳」ブログの中村さんやミュージアムショップの企画をされていた方のお話を伺った上で、鑑賞をするというスケジュールでした。

野口学芸員さんのの説明では
①タイトルについて・・・Floating World は日本語に訳すと「浮世」ですよね。Ukiyo-eが固有名詞になる前のムカシはまさにFloating Worldと直訳されていたとか。そして「ふんわりと」浮いた感じも表現したかったと。
②何故西洋画の美術館と思われ(がちな)ている三菱一号館で浮世絵なのか・・・いやいや、印象派などの近代絵画の発展に力を貸したのはまさに浮世絵。ジャポネスクが流行り、ゴッホが広重や英泉の模写をし、マネの《エミール・ゾラの肖像》の背景には浮世絵と西洋画が両方架かっている。
つまり西洋の家に(西洋)額装した浮世絵が西洋画と共に架けられていた。
三菱一号館はジョサイア・コンドル(ニコライ堂とか旧岩崎邸とかを設計建築)が19世紀に設計した建物を忠実に再現しているので、西洋人が建てた建物の中で西洋人が愉しんだような環境で鑑賞ができる。しかも、同美術館はロートレックなどの版画を所蔵しており、西洋の版画と日本の版画=浮世絵を並べて見たい、それが合うのか合わないのか、勝つのか勝たぬのか、響きあうのか合わないのか、ノリで選んだということもあるけれど他の美術館ではできない(洋館の中で洋版画とあわせてみる)展示をして見たかった、と。
西洋美術の美術館というイメージが一般的かもしれないけれど、その西洋の画家に影響を与えた浮世絵の展覧会を行うのは自然なこと、第一、こんな組み合わせ、今回のような企画でなければ出会えませんよね #三菱浮世絵 pic.twitter.com/ZYcBMfpvvJ posted at 20:20:26 
これは写楽《伊達与作》と
ウジューヌ・フラッセという人の
《硫酸魔》の組合せ・・・
硫酸魔って・・・(汗)、オソロシイ
が、しかし、フシギと良く合う。。

③肉筆浮世絵を通常天目茶碗等を展示するようなケースの中にいれ床の間に飾ってあるような感
じに展示し、更に展示室の中に一点一点のケースを点々と置き、まるで江戸時代の人ごみの中に『紛れ込んだ』感じのように演出。

#三菱浮世絵 江戸の街にタイムスリップする感覚を狙った展示。狙いはともかく、肉筆浮世絵の軸が目線にあるって最高な環境、ついつい長居したら最後は駆け足になってしまった。もっとじっくり見たい! pic.twitter.com/aPM7G6wyBB
posted at 20:26:17 

実はもう一度行って見たときに気付いたのですが、→この向きではなく、この手前の二枚の肉筆浮世絵の飾られたケースとケースの間に立つと、奥のほうの壁に架かった、西洋画風に奥行きのある描き方=透視図法っていうんでしたっけね、←作者不詳の《吉原賑之図》が見えるんですね。
更に江戸の街が遠くまで続き、吉原大門を通りぬけて・・・と。
なかなかニクイ演出だわ。

④元参議院議員の斎藤文夫氏(現在 コレクションを保有する川崎の砂子の里資料館館長)が50年余かけ、個人で収集した4,000点とも6,000点とも言われる(組み物の数え方次第で点数が変わるそうで・・・)膨大、且つレアなコレクションを3会期合わせ500点超に絞込み優品を展示。会期ごとに全て架け替え。早くから一般にも公開するなどされていたとはいえ、勿論知りませんでした。ものすごい数ですよね。

鳥居清長 《江之嶋》
鳥居清長《江之嶋の渡し》
天明年間のこの頃は肩車されて渡ったんですねぇ。
なんかちょっと恥ずかしかったんじゃないかなぁ。
なんでも、この方、最初(50年ほど前)はお住まいの川崎と神奈川に因んだ浮世絵を集め始めたそうだけど、病膏肓に入り、次第に江ノ島、鎌倉と版図を広げ、ついには時代毎、ジャンル毎といったように系統だって蒐集するに至ったそうです。


今回はそのエッセンンスのみだそうだけど、いずれも品が良く、幕末の血みどろの作品であるとか春画とかはコレクションにはないそうです。(春画は高橋館長が是非並べたかったといわれていたそうなんですが、育ち盛りの息子さんの教育の為蒐集しないというのが奥様との蒐集にあたっての約束を守られたそうです。・・・ま、口吸いとか女湯みたいな浮世絵はありましたがね。)


でもコレクター魂を揺さぶる「(世界で現存するのは)一点(だけの)もの」であるとか「揃い」の画帖であるとかをお持ちです。
例えば、鈴木春信の《風流やつし七小町》シリーズの七点は揃っているのは珍しい・・確か斎藤コレクションだけ。

春信は浮世絵の始まりといわれた紅摺絵の時代から木版多色摺りの錦絵に変わっていく時代の立役者で「○○やつし」といった、シリーズを手がけています。
そのひとつが小野小町のエピソードを当世風(といっても、勿論宝暦年間の当世ですね)にやつして表現したこの七小町シリーズ。

鈴木春信《風流やつし七小町 草紙あらひ》丁度根津美術館で同じエピソード=草紙洗いの浮世絵を拝見しましたが、こちらより直接的。こちらの方は知識がないとなかなかそれとわかりませんね。(汗)
 このほかにも第一期だけでも歌麿の《青楼十二時 続(せいろうじゅうにとき つづき)》シリーズの12枚セット、
喜多川歌麿《青楼十二時(じゅうにとき)続(つづき)》
続とはシリーズの事。一部はみたことがあるけれど
並んで飾られているのはみたことなかったのかー。









この午の刻なんて、客から来た手紙を
横目でみながら一服してるわ。太夫大忙し!










そしてこの《青楼十二時 続》の反対側には三菱一号館が誇るロートレックの版画作品群の中でも、いかにも西洋の女(道化師)らしく黒い絹のストッキング穿いた足をひらいたアンニュイな女性の版画と髪を梳く女の版画が飾られているところがニクイですね。
ロートレックの版画が
青楼十二時の向かい側の壁に


レアものは第一期だけでも他に沢山あります。
例えば、
《女織蚕手業草(じょしょくかいこでわざぐさ)》の12枚並べて作業の流れを洛中洛外図屏風に使われるような雲でつないであるもの↓


喜多川歌麿《女織蚕手業草》
右から左に蚕を育て機織にかけて反物ができるまでを
12枚並べると絵巻物のようになるという仕掛け。
その隣には世界で一枚しか現存しない《恵比須講》などなど。見たことのない浮世絵も多く登場します。
扇面に描かれたような勝川春章描くところの《東扇(あずまおおぎ) 初代中村富十郎の娘道成寺》は特に紫の色が良く残った優品の上、一枚しかないとのことですが、その意匠も含めきわめて印象的な絵柄ですよね、ほんと。


④会期は3期に分けて全て展示替え。でも図録は勿論3期分一緒。この図録の表紙もちゃーんと考えられています。この両国の花火(が水面に反映してますね)を愉しむべく、屋形船のへりに座った女性の後姿(珊瑚玉の簪を一本丸髷に挿していて、高田郁の「澪つくし料理帖」に出てくる御寮さんを想像してしまいますが。。)を描いた浮世絵の作者である小林清親は

図録の表表紙 第三期に展示される小林清親の
《両国花火》は広重の《両国花火》へのオマージュ

有名な初代広重の
《名所江戸百景 両国花火》も第三期に登場
こちらは二代広重の
《江戸名勝図絵 両国橋》
タイトルこそ花火ではないけれど
三枚同時に見られるのが楽しみです
広重に憬れ、名所江戸百景の《両国花火》←を参考にして制作したそうです。
うつりゆく江戸から東京がテーマの第三期に登場するそうですが、近代から江戸を回顧するというこの夏に開催されるこの展覧会を象徴するという意味で選ばれたそう。
細かいところにも配慮されているんですね。図録には協力者として今をときめく奈良美智とか会田誠などなどのアーティストの名前が並んでいましたけど、どういうところでご協力されたんでしょうかねぇ。。


⑤今回の目玉は展示だけではありません。実は売店にも力が入っているそうです。まずは、壁の色にご注目。
ジヴェルニーのモネの家の壁のようなレモンイエローの壁・・・に掛かった浮世絵は現在日本で唯一手刷りをしている版画制作の職人たちの手になる復刻浮世絵を手がけるアダチ版画研究所によるもの。モネの頃、本邦では勿論、浮世絵を額にいれて飾るなんてことはしていないわけですが、そんな感じにしていますね。
勿論ジヴェルニーの日焼けして退色したほんものの浮世絵よりも復刻版が遥かに美しいことも請け合いということでしょうね。
そして物販についても「売れないものもうるのが美術館のショップ」といいつつ、ホンモノを追求。
第二期のテーマが旅の絵ということもあり、東海道53次の宿場の時代から今に至るまで続く老舗のもの。
例えば日本橋にちなんでかつおぶしの「にんべん」の高級かつおぶし・・・削り器も含め置いているそうですが、「にんべん」の方も、まさか売れるとは思っていなかったのに、早速買う人がいたとか。
団扇にしても江戸時代から続く版元さんのもの、手ぬぐいや和紙も1600年代から続く老舗のもの、つまりはホンモノを置いているということ、
江尻の宿の「追分羊羹」さんの蒸し羊羹も、江戸時代の製法になるもので、消費期限が限られているので、滅多に手に入らないとか・・・それを聞くと買わずばいられまい。。

いやー、説明だけでもこんなに紙幅を使ってしまったけれども、私的にツボだった作品たちをささっと紹介しておきたいと思います。

まず最初の部屋『浮世絵の誕生』の壁に掛かっていた菱川師宣の白黒の切り絵のように見える墨摺絵《韃靼人・・・・図》。・・・の部分は《狩猟》だったり、《休息》だったりして、何故これを描いたのかはわからないけれど、兎に角よくかけている。。

その後に紅摺絵と言われる初期の浮世絵が並びます。いずれも良くみると、既に高度な技術だし、絵も上手。でも私が気になったのは三幅対の右となっている《みやこのもみじ》。
《みやこのもみじ》いや、背景は桜だと思うのだけど。。。
紅葉といいつつ、背景は桜と思われ。。。残りの二幅のいずれかは紅葉だったんだろうか。。などなど。。どうでもいいことなのに、ひっかかってしまいました。
《二代目坂東彦三郎》

もう一枚紅摺絵の中で私の心を捉えたのは初代鳥居清満の《二代目坂東彦三郎》
赤と緑が色濃く残っていて、印象的でしたねぇ。

春信の○○やつしのうち風流七小町やつしシリーズについては書きましたが、そのほかにも色々なやつしもの。これがまたすぐに見て理解できないのが口惜しい。残念ながら図録も主要作品の解説しかないので、何になぞらえているのかがわからないのでした。(涙)

春画はないというけれど、春信の《菊見の男女》や《風流浮世寄華 新枕 初開梅》なんかは非常にエロティック、文字の並びだけでもね。

その後に続く磯田湖龍斎の作品群はふくよかな顔とボリュームのある花魁が登場したりして、100種を超えるシリーズとなる「ファッション雑誌」のような人気があったと聞くと、確かに着物の柄だとか、髪型のお手本としての浮世絵のあり方というのが、よくわかって面白い感じ。
でも、この人、《雉と牡丹》という作品は対象が人じゃないせいか、色が退色しているだけの理由ではなく、イマイチ。ところが図録だと、丁度ジョルジュ・マンザナ・ピサロの白黒版画《いたずら七面鳥》と並べてあり、意外に映えている。なるほど。
現場ではマントルピースの上に《いたずら七面鳥》がぽつんとあった印象なので、あまり対比して考えられなかったのだけど。。。取り合わせの妙ですね。

さて、気になったといえば、あの江戸の町をぶらぶらと歩く趣向の「肉筆浮世絵」コーナー。
肉筆画はいわば注文制作という高級品だけに普段(図録では絶対味わえない)掛け軸の表装の美しさもすばらしいものが多く、うっとりしてしまいます。
特に右側の最初の陳列ケースにあった懐月堂度繁の《美人立姿図》は着物の縁の墨線が太く、着物の色も赤のグラデーション、そして姿もゆるいCの字型と、目を引く上、囲んでいる中廻しとか中縁(へり)と言われる部分の大胆な刺繍が目立ったので、印象が強くなりました。隣にあった同じく懐月堂派の《美人立ち姿図》も金地の美しい裂に囲まれていて美人が際立ちますよね。
懐月堂度繁《美人立姿図》中縁が大胆

懐月堂派の《美人立姿図》


























さて、美人といえば、歌麿の美人画で有名な「高島おひさ」と「難波屋おきた」。さすが美人だけあって、初代歌川豊国や栄松斎長喜といった人たちによっても描かれていたわけなんですね。歌麿と並べて展示してほしかったなぁ。。ということで、東洋文庫の展覧会の時の図録のおひさと勝手に並べてみました♪同じ向きだけど、趣は大分違いますね。歌麿の構図取りの素晴らしさと当時からの人気の高さが良くわかります。
こちら栄松斎長喜のおひさ
イケメンの団扇なんか
持っちゃって、あだっぽい
でも歌麿のと比較すると小娘っぽい


こちらが初代豊国のおひさ、
美人なんだけど、ただそれだけ?
って感じでモッタイナイ
歌麿のおひさ(部分)@東洋文庫 
プロマイドとしての価値が
高いのもむべからぬかな

















比較といえば最後の部屋に出てくる豊国の《浮絵忠臣蔵》と北斎の《新版浮絵忠臣蔵》の同じ段(場面)を上下に並べていたのが面白かったなぁ。これはどちらが素晴らしいということではなく、それぞれに味があって良かった。
ただ、クライマックスの夜討ちを描いた十一段目に関しては、横の壁に国芳による極めて異国情緒の強いモノクロの(ソレコソ)浮絵や、先日根津で見て強い印象の残った同じ十一段目をダイナミックに描く豊春の《新版浮絵忠臣蔵夜打之図》と比較すると大人しかったかもしれないなぁ。

上段が北斎で下段が豊国
同じ段を描いている






ジャカルタの領主館をモデルに(何故?)
十一段目を描いたという国芳、
犬に餌を与えてほえさせないようにしている
義士の姿を描くなんて、いかにも国芳らしいような。。
にしてもフシギは静寂感が良く伝わってきますね。

北斎の十一段目

豊国の十一段目
さて、ささっと書くといった割りには長々書いてきましたが、第一期の最後の部屋でもう一枚強い印象を残してくれたのが、コレ。初代豊国による《両国花火図》 少しでもいい位置で花火を鑑賞しようと人々がわんさか集まって、打ち上げられた花火にどよめく姿は、今もムカシも変わりませんね。


いやー、楽しかった。第二期も行こう♪→早速イッテキマシタ、レポハイツニナルノヤラ。


浮世絵Floating World-珠玉の斎藤コレクション展
三菱一号館美術館
第一期 浮世絵の黄金期 江戸のグラビア    6月22日(火)~7月15日(月・祝) 終了
第二期 北斎・広重の登場 ツーリズムの発展  7月17日(水)~8月11日(日)
第三期 うつりゆく江戸から東京 ジャーナリスティック、ノスタルジックな視線
                              8月13日(火)~9月8日(日)