2014年5月31日土曜日

【終了後感想文】 出光の日本絵画の魅惑に魅了されちゃうーーー前期、そして後期も見に行きました

トーハクで開催されていた「栄西と建仁寺展」のサイド情報として、宗達をお手本にした光琳版を元に描いたと言われる抱一の《風神雷神図屏風》が出品されている事を知っておられる方は多いと思いますが、まぁ、そのポップっちゅうか、雑っちゅうかの、抱一版風神雷神(過去エントリーご覧くださいhttp://pikarosewine.blogspot.jp/2006/09/2006917-40030015066.html)も真近で見られる楽しさは、ありますが、それだけじゃないんです!
今回の展覧会、2006年の出光美術館開館40周年以来8年ぶりに名品を一挙公開!と自ら宣伝されている通り、解説も充実していて楽しい愉しい。
今回は前期・後期殆どに近い位に入れ替え(一部巻替え)があるのに、前期に入ると、漏れなく五百円で後期に入れるチケット迄下さる大盤振る舞い、ありがたやー。
さて、章立てはい次の通り、随分と細かく分かれてましたが、そう分けたかったであろう、という意図に合った展示と解説、時々、それは、無理やりこじつけだろう、という事があるこちらの企画も、今回は、比較的すんなり入ってきます。
1  絵巻ーアニメ映画の源流
2  仏画ー畏れと救いのかたち
3  室町時代の水墨画ー禅の精神の表現が芸術へ
4  室町時代やまと絵屏風ー美麗なる屏風の世界
5  近世初期風俗画ー日常に潜む人生の機微を描く
6  寛文美人図と初期浮世絵ー洗練されゆく人間美
7  黄金期の浮世絵ー妖艶な人間美
8 文人画ー自娯という独特の美しさ
9 琳派ー色と形の極致
10  狩野派と長谷川等伯ー正当な美vs斬新な美
11 仙厓の画ー未完了の表現

では、第一章の、アニメ映画の源流からね。
さっき、比較的すんなり入ってきたと、書いておきながら、この「映画」っちゅうのは、前期展示の二巻の絵巻からは、少し言い過ぎかな?ま、日本の絵巻が中国を元にしていても、マンガやアニメにあるような時空の展開ストーリー的であるというのは、常に語られているので、アニメ映画でもいいのでしょうけど、たまたま動きの場面がないものだから、ついつい気になって。
それはともかく。最初に登場の《橘直幹(たちばななおもと)申文絵巻(もうしぶみえまき)》、文章博士の橘直幹が、民部大輔の職に空きが出来たことを知って、自ら作文した申文(申立書かしらね)を小野道風に清書させて朝廷に奉ったけど、その文章が天皇の機嫌を損ねて、失敗に終わったというストーリーが展開するらしいのです。
いつの世も、そういう強欲っちゅうか、自らを売り込む系の人はいるもんだな、それを諌めるお話なのね、だいたい、小野道風なんて、当代どころか、歴史に残る能筆を使って、印象良くしようなんてあざといよなぁーーな〜んて、余計な感想はさておき、解説にあるように、この展示でのみどころは、鎌倉時代のこの作品の時代から既に簡易レストランのような店が構えられていて、干物なんぞを調理して食べさせてるという事がわかるということです。ま、チョットその、レストラン的な表現が分かりにくいので、何度も見ちゃいましたが、つくづく思うのは、日本の絵画って、早くから宗教的な意味合いを脱した食べ物の絵が描かれているって事なんですよねー。安定した世の中になって庶民の文化が花開いた江戸時代はもちろんなんだけど、これは、鎌倉時代の絵巻ですからね、つくづく日本人のfoodiesぶりを感じさせられちゃうなぁ。
絵巻物とはいっても、ストーリー展開の文章を読み下すことができない現代人の私たちには、面白さも半分以下なんだろうと思わされるのが、後期に重要美術品として展示された《北野天満宮縁起絵巻》。そもそも信奉するでもない神社の由来を有難がって読もうという事自体、現代人の生活にはほとんどの場合、無関係ですものね。人の顔より大きいのではないか、と思われた有名な紅梅の鮮やかな色だけが、強い印象になりました。

さて、第二章の仏画、あんまり得意じゃないんだけど、特に曼荼羅、なんとか界とか、かんとか界が、頭に入らないからなんですけど、今回前期に展示されていた《当麻曼荼羅図》は、その曼荼羅を取り囲む映画のコマ送り(解説の表現)のようなストーリーと言うのかな?極楽浄土にどうしたら行けて、行けない場合は何故なのかを解説してあるという構成が面白かったですね。これは解説を読まないと、ちと、現代人には難しいだけに、解説有難うございます!っていう感じ?
重要美術品の《山越阿弥陀図》後光が八方に広がる阿弥陀さん、チョット怖い顔だけど、それだけに色といい、構図といい、印象に残ります。
後期も《十王地獄図》で、阿弥陀仏や、観音菩薩に手をひかれ地獄から出られる人についての解説があったけど、大きな画面の中には八つ裂きにされかかってる女性がいたりして、この絵を見させられた人々が、こんな目に逢いたくないよと、真面目に信仰するきっかけは十分に作っているな。つまり、タイトルの通り、畏れと救いのかたちを画面で見せ、ある種の威圧をしながら、仏法への道を拓く事が目的で、今の我々のように鑑賞の為に、単眼鏡まで使ってガラスの向こうから見るのとは話が違うというわけさね。
第三章、能阿弥という人は、http://ja.wikipedia.org/wiki/能阿弥にもあるとおり、足利幕府時代の茶人でもあるし、鑑定士、表具師でもあるという、マルチタレントなわけですが、この人がシゴトではない、しかも年号の残る人の出世祝で描いたという《四季花鳥図屏風》(前期)重文と言われずとも、じっくり見入りたくなる魅力があります。更に後期には、これも言われなくても、しかも小ぶりなのにグッと引き込まれたのが、《破墨山水図》。大胆なブラッシュストローク、というか、筆さばきは自然で美しい。これが雪舟の真骨頂。。。とまでは言わないまでも、「破墨」といわれる凹凸を表現する手法は、「設色」と共に、明で周文に学んだのだとか。。
このほか、その周文の水墨画の《待花軒図》には、8人の僧による賛がある詩画軸の典型ということでいくつかの賛の現代語訳が解説されてました。「花を待ちながら、雪の消え方が遅いのが恨めしい限り。風雨の時は花が落ちてしまい悲しみは深い、春が過ぎた後も春のやってくる前も我が老いを急き立てる」と、まぁ、およそ修行して、ある種の境地に達した人とはおもえぬほどの俗っぽい感想を述べた賛があるかとおもえば「小さな峰に緑の草は生えて春の気配が萌えた。数本の樹が雪のまだ消え残ったところに枯れたままでたっている。花を待つのは良い客を待ち受けるのと似ているようだ、地を掃き清め香もたいた。先ずは読書をしよう」という、解説では快活な、私には絵の醸し出している雰囲気を捉えたように思える賛もありと、ひとつの絵に対して色々な感想があるように、賛も様々なんだな、と自分で読めない残念さを感じましたけれども。
ところで、美術館で、解説が詳しく書かれていても、図録には同じように、解説されていないことも多々ある昨今、今回の図録はこれらの解説は全て網羅されてるみたいです。買ってもよかったんだけど、これ以上増やすことに警戒感がある私的には、こらえるべきところであります。

更に、次章の前期の目玉(ま、この章は二作品で成り立ってるんですがね),、美麗という表現に相応しい、ゴージャスな六曲一双の《日月四季花鳥図屏風》。解説によると、現存する屏風の中でも最も古い作品の一つに考えられている室町を代表するやまと絵屏風だそう。webの解説でも、この時代は水墨画が主流とされていたけれど、近年の調査研究の結果、対照的な装飾的芸術であるやまと絵屏風が相次いで確認されたんですって。
金銀でお日様やお月様を表現するのは珍しくはないとは思うけど、大きな真鍮の板に金箔を貼った上に金泥を塗った太陽や、画面に展開する砂子、野毛、切箔、微塵箔のような蒔絵のモチーフのような多彩な装飾、絵柄もちょっと光琳が描きそうな水流だったり、胡粉でアクセントのような線が引かれていたり、元の彩色は相当ギランギランかも。。。と思うほど。それに屏風の枠も螺鈿の入った漆かしらね。ゴージャスなのは、解説によれば、通常の六曲一双屏風より小ぶりで、何より軽いとか。何せ、ウチには蔵も屏風もないので重さの感覚はないけど、とにかく、その軽さから判断して、明朝の皇帝への進物であった可能性について触れてありました。


 
後期は同じ場所に重文の《四季花木図屏風》。左隻の上の方の松林に積もる雪の解説がなければ危うく見落とすところでした。それと右隻にも左隻にも探幽斎と大きく署名されているのだけど、土佐光信って解説にはあったような。。。あれれ?いずれにしても作品リストに名前がないと言う事は・・・後代の人が書き加えちゃったの?(図録買わなかったので、そこ不明。。。)
 
第五章 近世初期風俗画―日常に潜む人生の機微を描くの部屋に行くと一気に華やかな江戸の名所が楽しめる八曲一双の大振りの屏風《江戸名所図屏風》からスタートしたのが前期。安土桃山の頃の京の都を描いた様々な洛中洛外図屏風といい、江戸が政治の中心になって栄えてきた頃の屏風だけに、生活者目線というか、庶民の生活が活き活きと描かれている事と、現在の地名と照らし合わせて見る喜びがありますよね、我々現代人にとっては。だから、もっとじっくり見たかったなぁ。
引き替え、今回展示の江戸時代の《洛中洛外図屏風》にそれ程の魅力を感じなかったのは、やはり、江戸時代というクレジットを見ちゃったから、そう思い込んだだけなのか??
《世界地図・万国人物図屏風》も画面の真ん中を世界地図、周りを色々な国の人の姿を描いている六曲一双にしては巨大な印象を受ける屏風でした。面白いけど、よく見るとどこの人も国に寄らず、同じような風俗に見えたのは私だけでしょうか?
後期には、そのもっとイキイキとした桃山時代の《祇園祭礼図屏風》が。右隻は前祭の山鉾巡業――長刀鉾とか山なぞが通りを練っているのが描かれていますが、左隻の後祭に出てくるカラフルな風船状にみたいなのは何なのかなぁ。。トーハクの《洛中洛外図―舟木本》にも同じような風船状のものが出ているんだけど、他では見たことがなかったの。でもこの屏風はさすが、同じ桃山時代のものらしく、同じような風船のようなもの、大きな日の丸の扇、南蛮風の傘は綾傘鉾かしら・・・等が出てるんですよね。。。風船のようなものは何なのか・・・これは調べなくては!
《遊女歌舞伎図》は解説では平面に描いた良い絵のようだけどちと薄くはげはげになってしまって保存状態が宜しくなくて残念。一方、《桜下弾弦図屏風》は大変鮮やかな色合いが残っているし、桜の花もぽってり描かれている二曲一隻の屏風。遊女の華やかさをその色彩で表現している印象的な屏風でした。でも解説で書いてある恋愛観にはいまひとつは入れなかった。
三室目にはいると、第六章は「寛文美人図と初期浮世絵―洗練されゆく人間美」に。
そもそも全身を描くという事がこれまでなかった、という解説に些か驚きを感じたものの、考えてみるとそうなのかも・・・その上、右手で縦褄を取り、左手を伸ばすという姿勢を取ったものが「寛文美人図」と言われるスタイルなんだ、という事も新たなお勉強の成果です。なるほど。
前期で出ていた懐月堂安度を始めとした懐月堂系は大柄な身体を「く」の字(あるいは逆くの字)にそらせたポーズをとらせた「仕込絵」と言われるレディイメードの大量制作版画なので、あまり質はよくないとか。でもでっぷり、ぷっくりした姿は印象的。とはいえ、お隣にディスプレーされた浮世絵の始祖と言われる菱川師宣の繊細な吉原風景《遊里風俗図》に比べると雑かな。因みに師宣について房州保田の縫箔師の家に生まれ、「本人自ら「大和絵師」と称していた事、やまと絵の土佐派の町絵師の画様を貴重とし漢画系の諸派や中国版画挿絵本等を大いに学んだ結果「菱川様」と言われる新様式を工夫した」との解説がありましたね。ま、一般的には《見返り美人》@東京国立博物館の絵師と言った方がわかりやすいですよね。見返り美人は言ってみれば上半身は控えめだけど、膝は、くの字に曲げ、全体は緩やかな逆くの字スタイルですものね。その意味でも懐月堂の先輩ですね。
 
第七章は、ちょっと前から広がったスペースに展開。黄金期の浮世絵―妖艶な人間美です。
前期に展示されていた《桜下三美人図》勝川春章は、手前に居る黒っぽい着物の女性だけ後向きにさせる事によって画面奥に展開されている春色に満ちた風景に誘うという視覚効果もあって印象的。
春章は「春宵一刻値千金(花は盛りでおぼろな春の月夜が千金に値する程価値が高い)」をもじって「春章一幅値千金(春章の描くなまめかしい女性は千金に値する)」とまで言われる程人気が高かったとのパネルに、前期の時はむしろ品の良さを感じたのですが、後期に出ていた《柳下納涼美人図》は粋を感じさせる仕込みが見られ(スミマセン、ノートに何か詳しく描いたのに文字が汚すぎてわからん)その真骨頂を感じたわけです。
《更衣美人図》さすがの歌麿、色っぽさが違いますね。帯を解いて肩からずり落ちそうな透かし綾の着物の衿を左手で抑える仕草が色気やたっぷり。後期の《立姿美人図》宮川長春の描いた女性がブロマイドの原節子に思えてしまったのは私だけでしょうかねぇ・。・・
 
 第八章は文人画ー自娯という独特の美しさ
なかなか難しいんですよねー、文人画が理解できる境地には至っておらず。。。
ただね、渡辺崋山の《猫図》はバッタを狙う猫の絵なのですが、空間の取り方が素晴らしく、張り詰めた殺気というか緊張感があります。
その後の崋山の運命とも重ね合わせると感慨深いですね。
 
谷文晁とか田能村竹田とかもっとじっくり見れば色々感想はあったかもしれないけれど・・・谷文晁のは小さな作品だったし、田能村の頼山陽の死をきっかけに描かれたという《梅花書屋図》の素晴らしさに対する理解度が低すぎて。。。
 
さっさと次行きましょう。
 
第九章 琳派ー色とかたちの極致です。
前期はこれに加え抱一の《風神雷神図屏風》。もうこれについては
この時の感想から脱出することができず。。。苦笑
と、其一の《桜・楓図屏風》です。
宗達を起点にした《風神雷神図屏風》もそうですけど、《八ッ橋図屏風》は光琳を起点にして、以降の絵師たちは皆この題材を写したうえで、どのように自分らしさを加えて行くか悩んだのだろうなー、と思います。風神雷神図は少々コミカルになっちゃったにせよ、八ッ橋の方は、カキツバタの数を光琳のものhttp://pikarosewine.blogspot.jp/2013/02/2012423100.html
よりぐっと減らして緑の葉を一枚一枚リズミカルに表現してより図案化を目指した抱一の努力が感じさせられます。
が、工夫という意味では《杜若図屏風》のアレンジの方がもっと好きかな。
 
其一の《桜・楓図屏風》。私は其一という人が時々わからなくなります。朝顔のような素晴らしい作品もある一方で、何故?と首をかしげたくなる作品も結構あるのよね。例えば《夏秋渓流図屏風》評価の高い作品だとは思いますが、あえていえば、毒々しく、画面が煩くて生理的にイヤ。。。
それに引き替え《桜・楓図屏風》は美術館で見た時は、比較的好印象な「抑えめ」な作品・・・と思っていたんです。。
左上の方を中心にした青い楓の太い幹、右隻の下の方を桜の花が埋めていて空間がたっぷり、色も二色のコントラスト。。でもね、後で、もう一度画像を見るとこれが不安定な視点なんだな。。画面真ん中(左上はもっと上)くらいから楓の根元が始まって上に向かって太く短い幹が見えているわけですよ。でそれより目線下に桜の花。俯瞰だと根元が見えるのが異な感じ、いや、右方向から斜め俯瞰なのか?でも正面から見るとなると楓はいいけど、桜の花の位置が変。。と色々悩んでしまいます。
でも、屏風として立体的に見ていた時はその辺りの違和感は全くと言っていいほどなかったわけです。
それが計算されたものだとすれば(色だけでなく形状としての対比を狙ったデザイン的障壁画?)とても面白いし、そうでなければ、オカシイし。。。
今後の宿題にしーよぉっ。
 
さて終盤です。第十章 狩野派と長谷川等伯―正統な美VS斬新な美
狩野派と等伯の闘いは巨大な組織に一人挑む絵師的な構図で小説等にもされていますが、狩野派と等伯に限らず、パトロンを得るが為とはいえ、洋の東西を問わず、そういったドロドロした面が美しい絵の裏にある事を知ってしまうと、どうも、こちらも見る目が曇ってしまうようでいけません。が、しかし、こちらの展示はそういった事とは関係なく、しかも狩野派といっても、闘いの象徴である永徳の作品ではなく、偉大な父の陰に隠れて下手呼ばわりされたり、長谷川派と融和を図った光信とか、その子の長信とかあまり日の目を見ない人たちの花鳥を中心とした屏風が中心でした。江戸狩野派(あー、これも感想かいてなーい。汗)のような優美さが先に立つような洗練された感じとは違って、でも力強さのある画面《西王母・東方朔図屏風》(光信)や《桜・桃・海棠図屏風》(長信)の八曲一隻らしい細長く広がる大画面に展開する花木の重厚ぶりは、やはり正統派狩野派の面目躍如といったところかなぁ。伝松栄という《花鳥図屏風》は好き。
対する長谷川派というより等伯。前期に展示されていた《松に鴉・柳に白鷺図屏風》http://www.idemitsu.co.jp/museum/collection/introduction/painting/ink/ink04.html
は、途中から等伯の署名が消されて、雪舟の偽物署名が書き加えられていたとか。確かに雪舟は等楊(とうよう)という一時違いの諱(いみな)があるし、等伯自身雪舟五代と称して自らを売り込んでいたわけで、本人のやったことなのか?と思いたくなってしまう。その偽物署名解説パネルに写真がついていて赤い四角でクローズアップされていたので、一生懸命探したけれど、良くわからなかったのよねぇ。。目悪すぎ。
後期に展示されていた同じ等伯の《波頭図屏風》。これは京都にある作品と略ほぼ同じ構図?金地に墨だけ?なのに、波濤の散る感じ、流れの速さを一瞬にして感じ取ることができる迫力のある画面ですね。《松林図》が幽玄な静寂を表しているのとは対照をなす荒くれる海のダイナミックさを余すところなく表現している様は、目の前に広がる日本海の冷たく荒ぶる海をずっと眺めて育った等伯その人そのもののような気にさせられますねぇ。。
でも、右隻と左隻の両側にある署名。自己顕示の強さを感じてちょっと萎えるなぁ。
終章である第十一章は、出光らしく仙厓―未完了の表現
仙厓さんの作品については去年の「日本の美・発見VIII 仙厓と禅の世界」の感想で詳しく書こうと思っていたんだけど・・・そのまんまだぁ。。。
ま、アップはしていないけれど、今回はパスしますかね。
 
そういう訳で、ボリュームも内容も素晴らしい出光らしい展覧会でした。感謝。
 
日本の美・発見IX日本絵画の魅惑
出光美術館(丸の内)
 
前期:201445日(土)~56日(火・休) 後期:201459日(金)~68日(日)
 
会期は終了しています。