2012年11月12日月曜日

【過去日記 2012/11/12】歴史観が変わっちゃう? 「中国王朝の至宝展」にもブロガー招待会で行ってきた!


近代美術館でのブロガー招待会「美術にぶるっ!」に引き続いて、コチラ「トーハク」(東京国立博物館@上野)で開催中の「中国王朝の至宝展」に行ってまいりました。トーハクは年間パス買ってるので、特別展には行きたければ行けるわけですが、正直言ってあんまり食指がわくテーマではなかったんですね。タイトルからいうと。。最近は結構「鏡」が面白いと感じるようになったので、古い文物でも多少は興味を惹かれることもあるけれど、「王朝っていうから、どうせ、歴史の古い順から並べてるわけでしょ?」みたいに甘くみてたわけなんですよ。

パンフレットだって「4000年の間、中国各地にはいくつもの王朝が誕生し、特色ある豊かな文化が育まれてきました。それらは相互に影響を与えつつ多様な展開をとげ、世界に冠たる中国文化を形成していきました。」「夏から宋の時代にわたる中国歴代の王朝の都・中心地域に焦点をあて、それぞれの地域の特質が凝縮された代表的な文物を対比しながら展示するという新たな手法によって、多元的でダイナミックに展開してきた中国文化の核心に迫ります。」とは書いてはあるんですけどね、でもそれだけではこの対比の意味がわからなかった。

今回の招待会は一時間というきわめて短い時間のうち40分ほど会場内を移動しながらギャラリートーク形式で展覧会の見所を企画担当の松本部長が解説してくれるというもの。なので全部をじっくり見ることはできなかったので、きっちりとはご紹介できないけれど、この解説が目から鱗でした。

今回の企画は「中国の歴史」といったって、歴史の授業で学んだようにあたかも一本道でできたように王朝が入れ替わったわけではないということを判ってもらおうというもの。

考えてみたら、そりゃそうだ。私たちはついつい、秦の次は漢、漢の次は三国が争ったりした後に、隋、唐、宋、元、明、清と続く。。。。っていうイメージをもって中国の歴史を捉えてますよね。(私だけ?)ましてや始皇帝が統一する前の時代は春秋・戦国は勿論、その前は混沌としたイメージだけ。でも、広いあの国土を「ひとつの中国」としたのは、現代を除くと元の頃だけで、他はもっと地域限定だったわけですものね。同時期に違う文明と文化の人たちが今の「中国」の領土を形作っていたんですよね。

 史記などに漢字で記録された国や部族だけが歴史ではない・・しかもイメージする中国の文物とは違う「物」を、しかも精巧に作っていた・・・文字が残っていないので何のために?どのような経緯で?ということはわからない。。でも羽がついた一本足でくちばしを持つ人「形」が蛙のような動物の上に乗っかっている鳳凰のような鳥の上に更に乗っているモノ。。を作っていた「楚」の国の出土品は、この異形のヒトばかりではなく、巨大な、でも精巧な柄が刻まれている「虎座鳳凰架鼓」とか(写真撮ろうとしたけど、反射がひどくてうまく撮れませんでした・・・是非ご自分の目で確認してみてくださいね)。。なんかすごいものがいっぱい。何のために使ったのか想像をめぐらすだけで楽しい。巨大といえば、ちょっと戻って、第一章の蜀についても謎だらけ。「突目仮面」という大きな青銅器も、同じ時期の夏・殷のものとは(展示されているものを見る限り)全然違う巨大さ。一応これは神事に使うものかも。。ということにはなっているし、殷時代に多く見られる青銅器によって刷り込まれている青銅器のイメージもあるので、解説を聞くまでは、殷の国の場合は酒器のような器、蜀の国の場合はこういった常識とは異なる仮面を作っていることが大きな違い・・・なんてわからなかった。その意味でも展示の一番最初に登場するとても小さいけれど純金でできた仮面は、青銅器文化である夏や殷とは違うという特徴的な展示品なのでした。

 この蜀とか楚とかの品々はここ20年くらいで出土したそうです。今までの古代文化に対する認識や常識では考えられない文化の存在がわかったということが大きいということなんですね。だから同時代の二つの地域の文化を対比してみせるという今回の企画に繋がったということなんでしょう。

その後の章については秦と漢の違いとか、北朝と南朝、同じ唐時代の首都 長安と宗教都市であった洛陽、漢民族文化を引き継いだ宋と北方の遼の違いをときおこすというもの。治世そのものはとても短い間だった秦の始皇帝の兵馬俑にみられるようなスケールが大きく、破格さを示しているのに比して400年の長きにわたって王朝が続いた漢は安定期特有の洗練された様式美が形成されていた。。。とかね。本当の魅力はもっとあったのかもしれないけれど解説が駆け足だったこともあり、後半の対決には若干無理があるかなーとも思わないでもないけれど、展示されているもの自体はどれも美しく素晴らしいものが並んでいました。
最後の写真は北宋時代の一枚のレンガに描かれたカラフルな仏様、そのほか最終展示として2008年に発掘され、本邦は勿論中国でも一般公開されていない巨大な仏塔「阿育王搭」は一見の価値ありです。すごいきらきらしてる。

視点を変えて見るということがどれだけ大切かということを教えてくれる展覧会です。12月24日まで。東京国立博物館 平成館 @上野公園

【蜀】突目仮面 フシギな形の巨大な青銅の仮面
【殷】 この地域での典型的な青銅器ー酒器ですね
【楚】これがフシギな羽のついた一本足のヒト?なんどみてもフシギ
【唐】実はこの頃の美人は後代になるにつれマツコDXのようなふくよかーな人だとか。。楊貴妃のイメージが変わる。。

2012年11月8日木曜日

【過去日記 2012/11/8】 美術にぶるっ!=東京近代博物館で絶賛開催中・・・・・FBやってるおかげでブロガー扱い=ブロガー向け内覧会にいってきたーの巻



美術にふるえたことがありますか?

美術を体験すること。
深く感動すること。
知的に考えること。
それらすべての出発である衝撃を「ぶるっ!」という言葉でひょうしました。
あらためて大切にしたいと思う美術鑑賞の原点です

。。。。。。。。。。


・・という解説から始まった約20分弱のミニレクチャー、図録、招待券一枚、音声ガイド、写真撮影OK(但し一点のみはNG)、しかも夜6時半から9時まで!というどんだけGenerousなんだ?という東京国立近代美術館(MOMAT)開館60周年記念展覧会「美術にぶるっ!」のブロガー向け夜間特別観覧会に行って来ましたー。(ツイッターとFBやってる人もブロガー扱いしてくれるので、行けたのです。サンキュ) 昨日のこと。今日は今日でトーハクの中国王朝の至宝展ーーこれも担当部長さんの解説のおかげで、面白さ100倍。。それはまた後日ご報告するとして。。。今日は美術にぶるっ!(ビックリマークは斜めってます。)

みどころは
1 所蔵品ギャラリーが10年ぶりにリニューアル
「近代美術の流れ」としていた常設展示を「MOMATコレクション」に改称し
①ハイライトコーナーと②日本画コーナーの誕生というより分離)、もっと展示室を細分化し
壁紙を一部紺色に、休憩コーナーはオレンジの床色にして(3階にあった資料コーナーを



名前を変えた「眺めのよい部屋」部分の導入部に移設

2 寄託作品を含む重要文化財13点(日本の重要文化財は全部で51点中)一挙に公開

3 1階(第二部)実験場 1950's展との連動(連続性)
時の流れは①MOMATコレクションの「戦争の世紀に1・2」(これも大きな部屋の一部だったものが独立してる)から②戦争が終わり、サンフランシスコ講和条約を日本が結び漸く日本が独立国としての自尊心を取り戻した1952年(そして、同年に近美=MOMATは開館)を含む50年代、戦争の傷跡・基地闘争などが混沌とした1950年代はジャンルの垣根を越え作家と鑑賞者が交流する「場」が存在した。
そこから革新的な表現がうまれた、との認識により実験場と名づけた「実験場1950s展」へ
そして更に時代は、60年代70年代となり再びMOMATコレクションの「疑うこと、信じること」へと続いていく。
しかし、近代美術館の役割は近代美術史の研究としてこの時代を単に回顧するのではなく「現代の文化や社会を批判的に考察し新しい価値創出に向けた問題提起を行うこと」、と位置づけ。

短いながらもコンパクトにまとまったミニレクチャーを聞かなかったら第二部との連携に篭めるキュレーター/主催者の思いと熱意を理解することは難しかったかもしれないので、本当に昨日の内覧会はレクチャーを聴いて更によかった!と思えるものでした。

コレクションの名品が一堂に会しながらも「名品展」ではない!と言い切るあたりも、そのリニューアルの成果を感じることに繋がってよかったなぁ。

絵の並べ併せ方の問題だけ。。かもしれないけれど、今までどうしても好きになれなかった原田直次郎の「騎龍観音」が、萬鉄五郎の「裸体美人」と隣り合わせになり、背景の壁紙の色が紺色になっただけで、以前とほぼ同じ位置にかかっているにもかかわらず、かなり魅力的に写ったわけで。。⇒
もともと好きな劉生の「切通之写生」の隣に、タッチは全く違うし対称的でもないのだけど、同じように下から上へのカーブを持つ絵がかけられたりしていて(作品名確認しわすれたー!泣)、絵を鑑賞することの楽しさを再確認できる展示の工夫が以前にも増してなされるようになったという感じ。⇒

未だにあのガラスのケースに入って展示されている屏風絵などの扱いが変わらないのは残念だけど、ガラスのケースから飛び出してきた絵たちの生き生きとしたこと!小倉遊亀の「欲女 その1」がこんなに大きな作品だったんだと再認識させられた


のも、日本画フロアを分離した・・・というか、再構成して一部は4階同様紺の壁紙の効果ー上村松園の「母子」とかねーが上がっている感じ。



改装を担当された方たちの思いが伝わってきましたよ。

思いの強さという意味では、第二部は咀嚼するには、置いてある資料も含め、相当な時間をかける必要があるのではないか?と思ってしまうけれど、「現代の文化や社会を批判的に考察し新しい価値創出に向けた問題提起を行うこと」を単純化していくと。。。
第一部の原爆の刻印ーーその被害が公にされたのはMOMAT開館の1952年



つまり7年もの間、真の被害状況を人々は知らされていなかったーー翻ってフクシマはどうなの?7年の歳月を要するのかという暗喩

・・同じく砂川事件

ーー場所を変えて基地への反対は今も続くー

現代への連続性?東山魁夷の道が東北の地に題材をとられたところ




からスタートし50年代の国土開発で失われていく東北地方の原風景への思い?

まっ、全く違うかもしれないけれど、こんなことを考える自由をあたえてくれるのも主催者の狙いかもしれないし、メッセージなのか?などと考えながら鑑賞していると
あっという間に9時に!

限られた鑑賞時間ではムリーと思ったわけですね。ま、時間がたっぷりあっても現代美術の解釈は難しいことが多いからね、それぞれのコーナーでもらった4枚の解説の紙を後でもう一度読んでから、出直してきます!

さて、そんな中でちょっと気になった(・・・というか初めてみて好きになった)・・・いやいや、昨日の内覧会一「ぶるっ!」と来た作品はコチラ。⇒

福沢一郎の「牛」 ピンク色の大地と穴のあいた牛(黒の模様。。。ではなく穴があいて空洞)。。
このなんともシュールな絵は「戦争の世紀に1」のコーナーにかかっていました。戦争への序章ともいうべき満州国の理想と現実のギャップを描いたんだそうな。。

いやいや、500点超という今回の展覧会、レクチャー始まる前は今日は二時間もあるから十分あると思うかもしれないけれど、メリハリつけないと時間が足りなくなりますよ、とご説明いただいた主任研究員の鈴木さんのウォーニング通り、ホント、時間がいくらあってもたりないくらいでした。
今まで何度も見ている好きな絵が多いし・・・と思っていたんだけどなぁー。
やっぱり展示の方法が変わるだけで、今まで気付かなかった魅力がまた新たに発見できる。。ホント美術鑑賞ってつきることはないよなー。。。

もう一度行きます、絶対。 12月1日も開館60周年で入れるようだし、あと2回みようかな。。

2012年10月16日~2013年1月14日@東京国立近代美術館 「美術にぶるっ!」ーベストセレクション 日本近代美術の100年



最後のおまけ:その新たな発見。。


頭の上にバッタなんかのってましたっけ?ゴームリーの「反映」って。。

(次に行ったときにヤッパリ、バッタは乗ってなかった。。。。)