2015年3月7日土曜日

魅惑のデミタスの宇宙............. 日本のハーブアンドドロシーのコレクション@三井記念美術館

昔むかしのことですが、英国の陶器 ウエッジウッド、ロイヤルクラウンダービー、ロイヤルウースター、ミントン等の並行輸入をしようとしていた時期がありまして、ま、実際にはそのプロジェクトは立ち消えにしてしまったので、手元にもサンプルもないんだけど、そんな夢見る乙女な時期があったわけですね。

・・・なもんだから、昨年の夏頃京都にいく予定があった時、「デミタス・コスモス」なる展覧会があるんで、寄って鑑賞したいなろうと思っていたのだけど、時間が作れず断念。ま、デミタスカッブだから、ま、いいか、と思ったのも事実。
その後、ある場所で知り合った三井の学芸員の方がこの巡回企画のご担当だと知り、あれ?それって?確か細見でみられなかったおんなじ企画?
しかも、記念のチロルチョコも販売するとの情報迄。

いやー、それなら行かねばならぬ。だって、「雪と月と花」に行った時は売り切れてたし。(え?そこ?言う?苦笑)
冗談はさておき(ゲットしましたけどね)、いやー、思っていた以上に楽しかった!

デミタスだけに絞ったコレクション・・・なんて、当時の夢見る乙女には思いもよらなかったけど、それを御夫婦の共通の趣味として、御主人のお身体のせいで浮いたお酒代でコツコツ集めたなんて、しかもお嬢様の結婚準備のお金が必要な時はお休みするなんて身の丈で集められたなんて素晴らしい。日本のハーブ&ドロシー?ま、H&Dよりは少しお金持ちなのでしょうけど。

と、いうより、素直に素敵なコレクションだわ!
まず、最初のケースに入った趣の違う三客のカップたち。
解説にも目もくれない段階で、すぐに一番左下のカップに目を惹かれー。
その《上絵金彩ジュール花文カップandソーサー》 KPMベルリン(1901-1920)と説明書きのあった赤い花などのゴージャスな柄の小さなカップはガラスケースの照明の反射を受けてきらめいて私に訴えかけてくるような美しさ。
それが御主人康裕氏の一番のお気に入りと左の解説にありましたね。
奥様の方は金彩の中に菫が描かれている1800ー10年頃のウィーンのもの。これも素敵。
お二人の共通の御趣味とはいっても、それぞれの好みもあって、二人でどんなのにしましょう?と仲良く選ばれていたのかな?なーんていう想像も広がり、優しい気持ちになれるのもこのコレクションの良さかも。
ちら読みさせていただいた図録には最初は色をテーマに収集、のちに絵柄、窯というようになっていったと書いてあったけど、その中でも、奥様の一番お好きなカップの絵柄にもなっていた菫のモチーフのものも、きっと集められていたんでしょうねー、中でも菫の花がカップの持ち手についていた《上絵菫図カップandソーサー》ニュンフェンブルグ1895ー1910年は、私の心をとらえてくれました。
持ち手といえば、ハイハンドルと呼ばれる持ち手のものにユニークな形のものが多かったなー。うずまきみたいなのとか、鶴・・・じゃなかった白鳥の首が取っ手になってて、くちばしでカップの淵を加えていたり、蝶々の形のものは、ウチにもあるから珍しくはないのかもしれないけど、友達は見たことなかったって言ってたし。四角い取っ手やいろんな形があって楽しかった
(残念ながら図録買わなかったので、ちらしの写真には、
このロイヤルコペンの蝶々の取っ手の以外、それらのユニークな形のものがなくって写真でお見せできず、ちょっと寂しいですが。。)

そして形の中でも秀逸なのはやはり、いつも国宝なんかが一点だけ展示されるところにあったロイヤルウースターの《上絵金彩ジュール透彫カップandソーサー》
1880年代のジョージ・オーエンという陶工の手になるもの、素地を完全に乾燥しない状態に保ちながら、様々な道具を使い小さな穴をくるぬくその技術を誰にも明かさなかったので、同じような作品を作ることができなかった、との解説。このカップandソーサーの脇には同じ技法の対になったポットが展示されていて、透かしだけではなく取っ手のあたりの七宝とかに目を奪われますが、もうひとつ見どころがありました。実は一回目の時には気づかなかったし、皆に聞いても見落としてる人が多いけど、注ぎ口の胴に近い部分に、このエメラルド色のポットの絵が描いてあるんですよ。これが、ちょっとかわいい。技法は誰にも明かさなかったオーエン氏の遊び心が垣間見られて、ヘンクツなだけではなかったと、ほっとしたりして。。

このカップandソーサーは二重構造にはなってないように見えましたが、セーブルあたりはちゃんとダブルフェイスといって実用的に内側には透かしではないカップ、それを取り巻く透かしという技法で魅せてくれてます。もともとは透かしの技術は中国からきているということなので、日本にも伝わってそうなところ、明治維新後のウィーン万博で見て技術をボヘミアまで行って学んできた納富介次郎という人が日本の製陶技術を上げたというからに不思議な気持ちになりますよね。だって、ロイヤルクラウンダービーとかはその絵柄を伊万里に学んだりしているわけだし、






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