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2015年5月6日水曜日

やっぱり抱一と守一が好き♪ーーーー琳派400年記念 京都 細美美術館 琳派のきらめきー宗達・光琳・抱一・雪佳ー @日本橋髙島屋

江戸時代に華やかに展開した琳派。王朝文化の復興をめざした裕福な町衆らによって創始され、時を経て隆盛し、大坂にも広がりをみせます。その後、花の都・江戸において装いを新たにし、さらに近代の京都で再興されました。400年の歴史を持つ琳派は、日常の中で追及された日本独自の美、そして日本人に寄り添った美として高い人気を博しています。
本展では、琳派を幅広く蒐集し、国内外から高く評価されている「細美コレクション」を通して、京都・大坂・江戸と3つの都で咲き誇った系譜を総覧。それぞれの特徴や魅力を、美術館開館以来はじめての規模で展覧いたします。また、今回出品される屏風や掛け軸などは細美家で実際に飾られたものもカス多く、個人コレクションならではの視点と美意識が光る琳派を紹介いたします。
日本が誇る美の世界「琳派」の優品の数々を、細美コレクションでどうぞお愉しみください。
展覧会ちらしより

今年は琳派400年ということであちらこちら、特に京都で、琳派関連の展覧会が多く開催され、観るほうも忙しい、忙しい。
つい先日(といっても、もう1月の事でしたな)、三越で岡田美術館の所蔵する「琳派名品展」があり、デパートで開催する展覧会とはいえ、もとの所蔵する美術館次第では十分に良い作品を見られるということを覚えた私、今回は混雑する前の午前中に出かけてきたわけです。
細美美術館の琳派作品は有名ですからね。(デモナカナカ機会ガナクテ行ケテナイ)

展覧会構成は以下の通り
第一章  琳派誕生ー光悦・宗達の美ー
第二章  花咲く琳派ー光琳・乾山と上方の絵師ー
第三章  新たなる展開ー抱一と江戸琳派ー
第四章  京琳派ルネサンスー神坂雪佳ー

第一章 琳派誕生ー光悦・宗達の美ー
琳派の誕生はいわば総合プロデューサー光悦が家康から鷹峰の土地を与えられて今でいうところのアーティスト村を作ったことから・・・とか言われていますが、どこが起点かという事はともかくとして、扇や料紙を扱ってた宗達と光悦が間違いなく時代を切り開いてますよねー。
だって↑の扇面《月梅下絵和歌書扇面》の画面を対角線に金泥、銀泥の二分割に分けるとか、そんなこと今は普通に見てるけど、この時代すごく斬新ですよね。
対角線という意味では、同じく宗達が描いている《伊勢物語図色紙「大淀」》も口説く男を女が拒絶する場面をうまく対角線の左上と右下に男女を配しその間に海山雲松で区切る。。二人の心の距離を巧く表現しています。
今根津でやっている光琳の《燕子花図屏風》ではパターンのように同じ型紙を使っているということが有名ですけど、実は光悦・宗達の作品にもパターンはみられますよね。《忍草下絵和歌巻断簡》の上部は金泥と銀泥の藤が描かれているけど、これって絶対型紙のようなものを使っていますよね。同じように光悦の《和歌短冊》の和歌の背景の草もパターンだし。ついでに隣にあった《前田宗悦宛書状》を貼った掛け軸の中廻し部分の右側の草の葉と全く同じ柄、思わずこれも光悦が描いた(描かせた?)のかな・・・と思ったりもし。。。

光悦の養子の嫡男だったという本阿弥光甫の《梅に鶯図》 抑えぎみなふくよかな線がよかったわー。。

第二章  花咲く琳派ー光琳・乾山と上方の絵師ー
冒頭登場の光琳の《宇治橋図団扇》
いかにもという絵柄と大胆な線ですねぇ
それに日して乾山の《唐子図筆筒》はらしくない・・・と思ったら、中国の赤絵写しだった、
今回は光琳・乾山の作品は少な目で、むしろ工房のお弟子さんたちや私淑した芳中の作品が多く並んでいるのがこの章の特徴。気にいったのは渡辺始興の《簾に秋月図》 簾のむこうに桔梗、ススキ,藤袴を配し、外隈の大きな月に照らされた一種エロい感じの絵なんですえ。あとね
《白象図屏風》、二曲一双の画面を斜めに白象を配したところが、なんかいいなーって。今サントリーでやっている若冲の象はなんとなくコミカルだけど、この人のは絶対観て描いたよね、と思う精緻さ。

芳中は六曲一双の《白梅小禽図屏風》が金箔地の上に大胆な筆で描かれていて細美の持つ代表作なんでしょうが、なんか、琳派っていってもずいぶんと光琳とは違った力強さみたいなものを感じて、個人的にはこれよりも抑えめの朝顔図だとかの方が気に入りました。

さて第三章は私の大好きな抱一の名前が冠されてます。いや、昔っから抱一のその育ちのよい品の良い作品群が好きで、弟子の其一さんは玉石混交でどうよっていう感じ、其一さんの息子の守一さんは好きだなぁという作品が多いんです。
今回もそれをまざまざと感じることになりました。
たまさか、細美家の現在の当主のお父様が琳派に傾倒・蒐集することになったのが抱一の美しい団扇《鹿楓図団扇》だそうで、そんなことからなのか、抱一作品は品の良いものばかり。とりわけ以前トーハクでの「大琳派展」でも拝見したと思う《桜に小禽図》と名付けられた(大琳派展では《桜に瑠璃地鳥》
であったみたいなので似た別ものかしら?)軸一幅とそのとなりの《雪中檜小禽図》が対をなすように並んでいたのだけど、ご当主も語っておられましたが、育ちの良さがにじみ出たような気品のある作品。桜のS字カーブも自然に一番美しい姿に描かれていて、やっぱり好きだーと改めて思ったりし。
ところで蒐集のきっかけとなったという団扇の鹿の姿はどことなく光悦・宗達の作品で宗達が描いた鹿に似ているんですよねー。いや鹿の振り向く角度とかを考えると全然違うんだけど、印象が似ている。






玉石混交と書いたけど、こちらがお持ちの其一作品は、比較的抑えめでまぁまぁ好みのものが多うございましたが、やはり息子の守一の作品の方が記憶に残りました。《楓桜紅葉図》は中廻しの上下に桜の木を配し、地面には桜の花びらが散り、タンポポが咲いている様、上は桜満開、左右には燕子花やらそのほかの季節の花を配しているんですね、オサレ。。。しかも表装の中廻しの絵も手描き。
同じように手描きの表装(描表装)の《桜下花雛図》《業平東下り図》などうっとりするくらい素敵。

あと、名前はないのだけど《四季草花虫図屏風》(六曲一双)がよかったなー。右隻は金箔地に春夏を、左隻は銀地に秋冬の草花と虫を描いた屏風で、左隻は季節こそ違いけれ、これまたトーハクの「大琳派展」でみた光琳の風神雷神図屏風の裏側に描かれていたという抱一の《夏秋草図屏風》を彷彿とさせるタッチのような気がしたんですよねー。

最後の章は神坂雪佳。

岡田美術館の時は加山又造に至るまでの流れだったけど、こちらは神坂雪佳まで。でも雪佳は充実。なんといっても、中廻りに葦簀まで描いてしまった《金魚玉図》の秀逸さには脱帽でした。

比較的開催が短い期間なのでお早めに。

琳派400年記念
京都・細美美術館
琳派のきらめき
ー宗達・光琳・抱一・雪佳ー
2015年4月29日(水)~5月11日(月)
日本橋髙島屋8階ホール





2014年5月31日土曜日

【終了後感想文】 出光の日本絵画の魅惑に魅了されちゃうーーー前期、そして後期も見に行きました

トーハクで開催されていた「栄西と建仁寺展」のサイド情報として、宗達をお手本にした光琳版を元に描いたと言われる抱一の《風神雷神図屏風》が出品されている事を知っておられる方は多いと思いますが、まぁ、そのポップっちゅうか、雑っちゅうかの、抱一版風神雷神(過去エントリーご覧くださいhttp://pikarosewine.blogspot.jp/2006/09/2006917-40030015066.html)も真近で見られる楽しさは、ありますが、それだけじゃないんです!
今回の展覧会、2006年の出光美術館開館40周年以来8年ぶりに名品を一挙公開!と自ら宣伝されている通り、解説も充実していて楽しい愉しい。
今回は前期・後期殆どに近い位に入れ替え(一部巻替え)があるのに、前期に入ると、漏れなく五百円で後期に入れるチケット迄下さる大盤振る舞い、ありがたやー。
さて、章立てはい次の通り、随分と細かく分かれてましたが、そう分けたかったであろう、という意図に合った展示と解説、時々、それは、無理やりこじつけだろう、という事があるこちらの企画も、今回は、比較的すんなり入ってきます。
1  絵巻ーアニメ映画の源流
2  仏画ー畏れと救いのかたち
3  室町時代の水墨画ー禅の精神の表現が芸術へ
4  室町時代やまと絵屏風ー美麗なる屏風の世界
5  近世初期風俗画ー日常に潜む人生の機微を描く
6  寛文美人図と初期浮世絵ー洗練されゆく人間美
7  黄金期の浮世絵ー妖艶な人間美
8 文人画ー自娯という独特の美しさ
9 琳派ー色と形の極致
10  狩野派と長谷川等伯ー正当な美vs斬新な美
11 仙厓の画ー未完了の表現

では、第一章の、アニメ映画の源流からね。
さっき、比較的すんなり入ってきたと、書いておきながら、この「映画」っちゅうのは、前期展示の二巻の絵巻からは、少し言い過ぎかな?ま、日本の絵巻が中国を元にしていても、マンガやアニメにあるような時空の展開ストーリー的であるというのは、常に語られているので、アニメ映画でもいいのでしょうけど、たまたま動きの場面がないものだから、ついつい気になって。
それはともかく。最初に登場の《橘直幹(たちばななおもと)申文絵巻(もうしぶみえまき)》、文章博士の橘直幹が、民部大輔の職に空きが出来たことを知って、自ら作文した申文(申立書かしらね)を小野道風に清書させて朝廷に奉ったけど、その文章が天皇の機嫌を損ねて、失敗に終わったというストーリーが展開するらしいのです。
いつの世も、そういう強欲っちゅうか、自らを売り込む系の人はいるもんだな、それを諌めるお話なのね、だいたい、小野道風なんて、当代どころか、歴史に残る能筆を使って、印象良くしようなんてあざといよなぁーーな〜んて、余計な感想はさておき、解説にあるように、この展示でのみどころは、鎌倉時代のこの作品の時代から既に簡易レストランのような店が構えられていて、干物なんぞを調理して食べさせてるという事がわかるということです。ま、チョットその、レストラン的な表現が分かりにくいので、何度も見ちゃいましたが、つくづく思うのは、日本の絵画って、早くから宗教的な意味合いを脱した食べ物の絵が描かれているって事なんですよねー。安定した世の中になって庶民の文化が花開いた江戸時代はもちろんなんだけど、これは、鎌倉時代の絵巻ですからね、つくづく日本人のfoodiesぶりを感じさせられちゃうなぁ。
絵巻物とはいっても、ストーリー展開の文章を読み下すことができない現代人の私たちには、面白さも半分以下なんだろうと思わされるのが、後期に重要美術品として展示された《北野天満宮縁起絵巻》。そもそも信奉するでもない神社の由来を有難がって読もうという事自体、現代人の生活にはほとんどの場合、無関係ですものね。人の顔より大きいのではないか、と思われた有名な紅梅の鮮やかな色だけが、強い印象になりました。

さて、第二章の仏画、あんまり得意じゃないんだけど、特に曼荼羅、なんとか界とか、かんとか界が、頭に入らないからなんですけど、今回前期に展示されていた《当麻曼荼羅図》は、その曼荼羅を取り囲む映画のコマ送り(解説の表現)のようなストーリーと言うのかな?極楽浄土にどうしたら行けて、行けない場合は何故なのかを解説してあるという構成が面白かったですね。これは解説を読まないと、ちと、現代人には難しいだけに、解説有難うございます!っていう感じ?
重要美術品の《山越阿弥陀図》後光が八方に広がる阿弥陀さん、チョット怖い顔だけど、それだけに色といい、構図といい、印象に残ります。
後期も《十王地獄図》で、阿弥陀仏や、観音菩薩に手をひかれ地獄から出られる人についての解説があったけど、大きな画面の中には八つ裂きにされかかってる女性がいたりして、この絵を見させられた人々が、こんな目に逢いたくないよと、真面目に信仰するきっかけは十分に作っているな。つまり、タイトルの通り、畏れと救いのかたちを画面で見せ、ある種の威圧をしながら、仏法への道を拓く事が目的で、今の我々のように鑑賞の為に、単眼鏡まで使ってガラスの向こうから見るのとは話が違うというわけさね。
第三章、能阿弥という人は、http://ja.wikipedia.org/wiki/能阿弥にもあるとおり、足利幕府時代の茶人でもあるし、鑑定士、表具師でもあるという、マルチタレントなわけですが、この人がシゴトではない、しかも年号の残る人の出世祝で描いたという《四季花鳥図屏風》(前期)重文と言われずとも、じっくり見入りたくなる魅力があります。更に後期には、これも言われなくても、しかも小ぶりなのにグッと引き込まれたのが、《破墨山水図》。大胆なブラッシュストローク、というか、筆さばきは自然で美しい。これが雪舟の真骨頂。。。とまでは言わないまでも、「破墨」といわれる凹凸を表現する手法は、「設色」と共に、明で周文に学んだのだとか。。
このほか、その周文の水墨画の《待花軒図》には、8人の僧による賛がある詩画軸の典型ということでいくつかの賛の現代語訳が解説されてました。「花を待ちながら、雪の消え方が遅いのが恨めしい限り。風雨の時は花が落ちてしまい悲しみは深い、春が過ぎた後も春のやってくる前も我が老いを急き立てる」と、まぁ、およそ修行して、ある種の境地に達した人とはおもえぬほどの俗っぽい感想を述べた賛があるかとおもえば「小さな峰に緑の草は生えて春の気配が萌えた。数本の樹が雪のまだ消え残ったところに枯れたままでたっている。花を待つのは良い客を待ち受けるのと似ているようだ、地を掃き清め香もたいた。先ずは読書をしよう」という、解説では快活な、私には絵の醸し出している雰囲気を捉えたように思える賛もありと、ひとつの絵に対して色々な感想があるように、賛も様々なんだな、と自分で読めない残念さを感じましたけれども。
ところで、美術館で、解説が詳しく書かれていても、図録には同じように、解説されていないことも多々ある昨今、今回の図録はこれらの解説は全て網羅されてるみたいです。買ってもよかったんだけど、これ以上増やすことに警戒感がある私的には、こらえるべきところであります。

更に、次章の前期の目玉(ま、この章は二作品で成り立ってるんですがね),、美麗という表現に相応しい、ゴージャスな六曲一双の《日月四季花鳥図屏風》。解説によると、現存する屏風の中でも最も古い作品の一つに考えられている室町を代表するやまと絵屏風だそう。webの解説でも、この時代は水墨画が主流とされていたけれど、近年の調査研究の結果、対照的な装飾的芸術であるやまと絵屏風が相次いで確認されたんですって。
金銀でお日様やお月様を表現するのは珍しくはないとは思うけど、大きな真鍮の板に金箔を貼った上に金泥を塗った太陽や、画面に展開する砂子、野毛、切箔、微塵箔のような蒔絵のモチーフのような多彩な装飾、絵柄もちょっと光琳が描きそうな水流だったり、胡粉でアクセントのような線が引かれていたり、元の彩色は相当ギランギランかも。。。と思うほど。それに屏風の枠も螺鈿の入った漆かしらね。ゴージャスなのは、解説によれば、通常の六曲一双屏風より小ぶりで、何より軽いとか。何せ、ウチには蔵も屏風もないので重さの感覚はないけど、とにかく、その軽さから判断して、明朝の皇帝への進物であった可能性について触れてありました。


 
後期は同じ場所に重文の《四季花木図屏風》。左隻の上の方の松林に積もる雪の解説がなければ危うく見落とすところでした。それと右隻にも左隻にも探幽斎と大きく署名されているのだけど、土佐光信って解説にはあったような。。。あれれ?いずれにしても作品リストに名前がないと言う事は・・・後代の人が書き加えちゃったの?(図録買わなかったので、そこ不明。。。)
 
第五章 近世初期風俗画―日常に潜む人生の機微を描くの部屋に行くと一気に華やかな江戸の名所が楽しめる八曲一双の大振りの屏風《江戸名所図屏風》からスタートしたのが前期。安土桃山の頃の京の都を描いた様々な洛中洛外図屏風といい、江戸が政治の中心になって栄えてきた頃の屏風だけに、生活者目線というか、庶民の生活が活き活きと描かれている事と、現在の地名と照らし合わせて見る喜びがありますよね、我々現代人にとっては。だから、もっとじっくり見たかったなぁ。
引き替え、今回展示の江戸時代の《洛中洛外図屏風》にそれ程の魅力を感じなかったのは、やはり、江戸時代というクレジットを見ちゃったから、そう思い込んだだけなのか??
《世界地図・万国人物図屏風》も画面の真ん中を世界地図、周りを色々な国の人の姿を描いている六曲一双にしては巨大な印象を受ける屏風でした。面白いけど、よく見るとどこの人も国に寄らず、同じような風俗に見えたのは私だけでしょうか?
後期には、そのもっとイキイキとした桃山時代の《祇園祭礼図屏風》が。右隻は前祭の山鉾巡業――長刀鉾とか山なぞが通りを練っているのが描かれていますが、左隻の後祭に出てくるカラフルな風船状にみたいなのは何なのかなぁ。。トーハクの《洛中洛外図―舟木本》にも同じような風船状のものが出ているんだけど、他では見たことがなかったの。でもこの屏風はさすが、同じ桃山時代のものらしく、同じような風船のようなもの、大きな日の丸の扇、南蛮風の傘は綾傘鉾かしら・・・等が出てるんですよね。。。風船のようなものは何なのか・・・これは調べなくては!
《遊女歌舞伎図》は解説では平面に描いた良い絵のようだけどちと薄くはげはげになってしまって保存状態が宜しくなくて残念。一方、《桜下弾弦図屏風》は大変鮮やかな色合いが残っているし、桜の花もぽってり描かれている二曲一隻の屏風。遊女の華やかさをその色彩で表現している印象的な屏風でした。でも解説で書いてある恋愛観にはいまひとつは入れなかった。
三室目にはいると、第六章は「寛文美人図と初期浮世絵―洗練されゆく人間美」に。
そもそも全身を描くという事がこれまでなかった、という解説に些か驚きを感じたものの、考えてみるとそうなのかも・・・その上、右手で縦褄を取り、左手を伸ばすという姿勢を取ったものが「寛文美人図」と言われるスタイルなんだ、という事も新たなお勉強の成果です。なるほど。
前期で出ていた懐月堂安度を始めとした懐月堂系は大柄な身体を「く」の字(あるいは逆くの字)にそらせたポーズをとらせた「仕込絵」と言われるレディイメードの大量制作版画なので、あまり質はよくないとか。でもでっぷり、ぷっくりした姿は印象的。とはいえ、お隣にディスプレーされた浮世絵の始祖と言われる菱川師宣の繊細な吉原風景《遊里風俗図》に比べると雑かな。因みに師宣について房州保田の縫箔師の家に生まれ、「本人自ら「大和絵師」と称していた事、やまと絵の土佐派の町絵師の画様を貴重とし漢画系の諸派や中国版画挿絵本等を大いに学んだ結果「菱川様」と言われる新様式を工夫した」との解説がありましたね。ま、一般的には《見返り美人》@東京国立博物館の絵師と言った方がわかりやすいですよね。見返り美人は言ってみれば上半身は控えめだけど、膝は、くの字に曲げ、全体は緩やかな逆くの字スタイルですものね。その意味でも懐月堂の先輩ですね。
 
第七章は、ちょっと前から広がったスペースに展開。黄金期の浮世絵―妖艶な人間美です。
前期に展示されていた《桜下三美人図》勝川春章は、手前に居る黒っぽい着物の女性だけ後向きにさせる事によって画面奥に展開されている春色に満ちた風景に誘うという視覚効果もあって印象的。
春章は「春宵一刻値千金(花は盛りでおぼろな春の月夜が千金に値する程価値が高い)」をもじって「春章一幅値千金(春章の描くなまめかしい女性は千金に値する)」とまで言われる程人気が高かったとのパネルに、前期の時はむしろ品の良さを感じたのですが、後期に出ていた《柳下納涼美人図》は粋を感じさせる仕込みが見られ(スミマセン、ノートに何か詳しく描いたのに文字が汚すぎてわからん)その真骨頂を感じたわけです。
《更衣美人図》さすがの歌麿、色っぽさが違いますね。帯を解いて肩からずり落ちそうな透かし綾の着物の衿を左手で抑える仕草が色気やたっぷり。後期の《立姿美人図》宮川長春の描いた女性がブロマイドの原節子に思えてしまったのは私だけでしょうかねぇ・。・・
 
 第八章は文人画ー自娯という独特の美しさ
なかなか難しいんですよねー、文人画が理解できる境地には至っておらず。。。
ただね、渡辺崋山の《猫図》はバッタを狙う猫の絵なのですが、空間の取り方が素晴らしく、張り詰めた殺気というか緊張感があります。
その後の崋山の運命とも重ね合わせると感慨深いですね。
 
谷文晁とか田能村竹田とかもっとじっくり見れば色々感想はあったかもしれないけれど・・・谷文晁のは小さな作品だったし、田能村の頼山陽の死をきっかけに描かれたという《梅花書屋図》の素晴らしさに対する理解度が低すぎて。。。
 
さっさと次行きましょう。
 
第九章 琳派ー色とかたちの極致です。
前期はこれに加え抱一の《風神雷神図屏風》。もうこれについては
この時の感想から脱出することができず。。。苦笑
と、其一の《桜・楓図屏風》です。
宗達を起点にした《風神雷神図屏風》もそうですけど、《八ッ橋図屏風》は光琳を起点にして、以降の絵師たちは皆この題材を写したうえで、どのように自分らしさを加えて行くか悩んだのだろうなー、と思います。風神雷神図は少々コミカルになっちゃったにせよ、八ッ橋の方は、カキツバタの数を光琳のものhttp://pikarosewine.blogspot.jp/2013/02/2012423100.html
よりぐっと減らして緑の葉を一枚一枚リズミカルに表現してより図案化を目指した抱一の努力が感じさせられます。
が、工夫という意味では《杜若図屏風》のアレンジの方がもっと好きかな。
 
其一の《桜・楓図屏風》。私は其一という人が時々わからなくなります。朝顔のような素晴らしい作品もある一方で、何故?と首をかしげたくなる作品も結構あるのよね。例えば《夏秋渓流図屏風》評価の高い作品だとは思いますが、あえていえば、毒々しく、画面が煩くて生理的にイヤ。。。
それに引き替え《桜・楓図屏風》は美術館で見た時は、比較的好印象な「抑えめ」な作品・・・と思っていたんです。。
左上の方を中心にした青い楓の太い幹、右隻の下の方を桜の花が埋めていて空間がたっぷり、色も二色のコントラスト。。でもね、後で、もう一度画像を見るとこれが不安定な視点なんだな。。画面真ん中(左上はもっと上)くらいから楓の根元が始まって上に向かって太く短い幹が見えているわけですよ。でそれより目線下に桜の花。俯瞰だと根元が見えるのが異な感じ、いや、右方向から斜め俯瞰なのか?でも正面から見るとなると楓はいいけど、桜の花の位置が変。。と色々悩んでしまいます。
でも、屏風として立体的に見ていた時はその辺りの違和感は全くと言っていいほどなかったわけです。
それが計算されたものだとすれば(色だけでなく形状としての対比を狙ったデザイン的障壁画?)とても面白いし、そうでなければ、オカシイし。。。
今後の宿題にしーよぉっ。
 
さて終盤です。第十章 狩野派と長谷川等伯―正統な美VS斬新な美
狩野派と等伯の闘いは巨大な組織に一人挑む絵師的な構図で小説等にもされていますが、狩野派と等伯に限らず、パトロンを得るが為とはいえ、洋の東西を問わず、そういったドロドロした面が美しい絵の裏にある事を知ってしまうと、どうも、こちらも見る目が曇ってしまうようでいけません。が、しかし、こちらの展示はそういった事とは関係なく、しかも狩野派といっても、闘いの象徴である永徳の作品ではなく、偉大な父の陰に隠れて下手呼ばわりされたり、長谷川派と融和を図った光信とか、その子の長信とかあまり日の目を見ない人たちの花鳥を中心とした屏風が中心でした。江戸狩野派(あー、これも感想かいてなーい。汗)のような優美さが先に立つような洗練された感じとは違って、でも力強さのある画面《西王母・東方朔図屏風》(光信)や《桜・桃・海棠図屏風》(長信)の八曲一隻らしい細長く広がる大画面に展開する花木の重厚ぶりは、やはり正統派狩野派の面目躍如といったところかなぁ。伝松栄という《花鳥図屏風》は好き。
対する長谷川派というより等伯。前期に展示されていた《松に鴉・柳に白鷺図屏風》http://www.idemitsu.co.jp/museum/collection/introduction/painting/ink/ink04.html
は、途中から等伯の署名が消されて、雪舟の偽物署名が書き加えられていたとか。確かに雪舟は等楊(とうよう)という一時違いの諱(いみな)があるし、等伯自身雪舟五代と称して自らを売り込んでいたわけで、本人のやったことなのか?と思いたくなってしまう。その偽物署名解説パネルに写真がついていて赤い四角でクローズアップされていたので、一生懸命探したけれど、良くわからなかったのよねぇ。。目悪すぎ。
後期に展示されていた同じ等伯の《波頭図屏風》。これは京都にある作品と略ほぼ同じ構図?金地に墨だけ?なのに、波濤の散る感じ、流れの速さを一瞬にして感じ取ることができる迫力のある画面ですね。《松林図》が幽玄な静寂を表しているのとは対照をなす荒くれる海のダイナミックさを余すところなく表現している様は、目の前に広がる日本海の冷たく荒ぶる海をずっと眺めて育った等伯その人そのもののような気にさせられますねぇ。。
でも、右隻と左隻の両側にある署名。自己顕示の強さを感じてちょっと萎えるなぁ。
終章である第十一章は、出光らしく仙厓―未完了の表現
仙厓さんの作品については去年の「日本の美・発見VIII 仙厓と禅の世界」の感想で詳しく書こうと思っていたんだけど・・・そのまんまだぁ。。。
ま、アップはしていないけれど、今回はパスしますかね。
 
そういう訳で、ボリュームも内容も素晴らしい出光らしい展覧会でした。感謝。
 
日本の美・発見IX日本絵画の魅惑
出光美術館(丸の内)
 
前期:201445日(土)~56日(火・休) 後期:201459日(金)~68日(日)
 
会期は終了しています。
 

 





2013年7月13日土曜日

【終了後感想文】 江戸東京博物館開館20周年記念特別展ーファインバーグ・コレクション展 江戸絵画の奇跡

まだ若く、お金もあまり持っていなかった時に、タダで入れる(当時ハネ・・・・)メトロポリタン美術館にで見つけた南蛮図屏風展のポスターに魅せられて二㌦で購入したという1972年から約40年かけて江戸絵画を中心に蒐集を行ってきたメリーランド州に住んでいる化学者で実業家のファインバーグ夫妻のコレクションが纏めて公開になるということと、その作品が質の高いものである・・という以外は、殆ど情報はありませんよね、このコレクション。見つけ方が悪いのかな?


でも百聞は一見に如かず...
だけどやっぱり後期終了目前ぎりぎりだけど、観に来ることにしました。


うん、確かに上品・・・というのかな。まぁ、1970年代から集めるとなるとこうなるのかな?という感じでもあり・・・・

でもつかみはいいですよね。最初の章は皆も大好き「琳派」、そして宗達、そして誰もが巧くは描けない猫のような《虎図》が鎮座ましましています。


俵屋宗達《虎図》展覧会サイトより
(例ニヨッテレポハマダナンデ時系列メチャメチャニナルケド)相国寺承天閣美術館で、プライスさんのお持ちの《虎図》いや、足をなめるトラによーく似た若冲の墨で描かれた《竹虎図》を観てきたばかりなので、鏡で写したような向きで同じように足を舐めるポーズをする同じく墨絵の虎を見たら気持ちは盛り上がるというものです。

若冲はお手本としては宗達と同じように中国の絵をお手本にしたというのだけど、宗達のこの毛がふさふさした猫系トラもお手本にしたのかなぁ・・・。

その後に第一章の看板が登場します

日本美のふるさと 琳派
日本美術の歴史は遠く一万年前の縄文時代に始まるとはいっても個性が確立するのは10-13世紀の平安時代後期から鎌倉時代になってから、そして17世紀に宗達が装飾性に優れた日本古典美術を復興しようという動きを始め、18世紀前半に光琳、19世紀に抱一、20世紀は(ナント)神坂雪佳(ッテ言イ切ッテル!。。。殆ド知ラレテナイノニ。。)がその流れを継承したとして説明されています。

酒井抱一《柿に目白図》 ・・・のポチ袋
次に乾山の《百合図扇面》(後期展示)・・やっぱり、乾山は工芸品の方がいいな、ほっこり系の中村芳中の《六歌仙図》と続いて・・・
抱一の《柿に目白図》が登場します。

解説にはもともと六曲一掃の屏風だったそうで、「夕暮れに白雨が林の中で吹き荒れ、赤く色づいた柿の葉がひるがえる様子が描かれている、そこから洞庭湖の風景が夢幻のように思い浮かぶ、さぁ魯魚を用意して一杯やろう」というような趣旨の儒学者の亀田綾瀬という人による賛が書かれているのですが。。。。

文人画ならともかく、想像力の乏しい私には、どうしてもこの抱一の赤く色づき実においしそうな柿の実と鳥の美しい絵からは洞庭湖を思い出し一献の場面には繋がりません。(涙
ムカシの人の「風雅さ」が理解できていないのかなぁ。。

それにしても今回の展覧会、書画に添えられているけど、いつも意味がわからず四苦八苦する賛や和歌の説明が丁寧でありがたいですね。

さて、順番としては、その後に抱一の《十二ヶ月花鳥図》が続きます。音声ガイドでも花鳥を月毎に描くという古くからの画題に抱一は何回か取り組んでいる中で、少しずつ取り上げる組み合わせを変えていたとか。確かに現在東北を廻っているプライスさんのコレクションの中にある抱一の同じタイトルのものと組み合わせは違っているとの記憶があるものもありますね。音声ガイドでは5月のタチアオイとアジサイの組み合わせは定番と解説されていたけれど、プライスさんの抱一の5月にはタチアオイもアジサイもなく、燕子花。アジサイは6月に描かれていました。
同じ組み合わせを使っていても一月の椿の木の位置はこちらの方が右よりにあって安定した印象。
並べてみたら違いが色々判るかもしれないですね。

でも今日の最初の華は鈴木其一《群鶴図屏風》。
鈴木其一《群鶴図屏風》....のポチ袋
プライスさんのコレクションにもフリーアにある光琳の《群鶴図屏風》を写し取ったと言われている《群鶴図屏風》がありましたが、こちらは、その「模写」から脱した自由な作品。

光琳の作品とプライスコレクションの其一さんの六曲一双の屏風は右隻は左向き、左隻は右向きに沢山の鶴が並んでいて、その迫力が伝わってくるわけですが、ファインバーグさんの二曲一双の鶴は後ろ向きやら下に向いてえさを探しているふうの鶴だとか、が描かれていますね。この間の日曜美術館で、抱一が亡くなってから其一が独自性を発揮するようになったとの解説がありましたけど、これもそんな表れなんでしょうか?
同じ其一の描いたプライスコレクションの《群鶴図屏風》と比較してみるため
ファインバーグコレクションの《群鶴図屏風》のポチ袋を左上に乗せてみました。
しかも、普通よりガラス面に近いほうに寄せて展示してくれているので、とても見やすく、その迫力に触れることができますね。この展示は良いな。

次の章だては
中国文化へのあこがれ 文人画
戦国時代が終わり儒学を政治理念と思想の中核にした江戸時代に儒学的教養が武士階級のみならず町人・農民に広がっていき、その中で町人出身の池大雅や農民出身の与謝蕪村が活躍するに至った・・・という解説を読んでも、なかなかこの世界には引き込まれない・・・のが正直な感想です。ハイ。
忙しい現代の中にあってこそ、文人生活を送れるような優雅な時間を持つべきなんでしょうがねぇ。

勿論池大雅の《孟嘉落帽・東坡戴笠図屏風》の右隻中央に描かれた蘇軾の顔の大きなすんぐりした姿http://edo-kiseki.jp/highlight.htmlはそのみすぼらしい笠を借りてもその格好を気にしなかったというエピソードを知らなくても目を引くわけですが、そもそもこれが人目をきにすべきみっともない格好という風には現代人の私には解らないから・・とっつきにくいのかなぁ。勉強が足りません。(ハンセイ)
ま、ファインバーグ夫妻だって、このエピソードが分かって蒐集したというよりは、見て良いと思ったから手に入れた・・って考えたいですがね。

中身はともかく私の目を捉えたのは、この蘇軾のずんぐり姿と、向かい側のケースにあった池大雅の妻池玉瀾による風に吹かれる竹の枝先のみを表現している《風竹図扇面》です。

そして、この章の中で一番愁眉だったのは谷文晁の《秋夜名月図》、
《秋夜名月図》谷文晁
横幅170㎝の軸絵で描線を使わない左上に輝く大きな月の光に照らされた秋草が画面の右下から中央に斜めにぐんと突き出ており、その右にある大きな赤い落款が目を引きます。解説によれば安藤広重の錦絵シリーズ《江戸高名会亭尽》の《山谷八百善》の画中に「文晁」の署名が入る本図と酷似した額絵があるとの事なんだけど、見てみたくなりますよね。
・・・
なので、調べてみました♪http://www.kabuki-za.com/syoku/2/no143.html
富士山の上にある左上の欄間部分にある絵がひょっとして?ま、文晁の赤い落款は見えないので、断定はできませんが、この両者の揃い踏みも見てみたいですよね。


第三章は
写生と装飾の融合 円山四条派

圓山應挙が、手本を中国や日本の古典絵画に求めた狩野派や土佐派が自然から離れてしまった弊害から解き放つ為に「写生」を重要視する「四条派」を呉春とともに立ち上げ、それが大変な人気を博したということは、江戸絵画に少しは触れたことがある人ならばその知識の引き出しに入っているのではないかと思います。
その写生至上主義は大阪で活躍した森狙仙の森派、岸駒(がんく)の岸派(京都)などを派生し、竹内栖鳳等近代の関西日本画壇の基礎を築いたというわけなんですね。

言って見れば絵画の世界も「大衆化」し始めたきっかけを作った円山四条派の応挙については、それが故に個人的には巧いと思う同時に、何かその写しとる以外の何かを読み取る事の必要性を消してしまったという部分に対して、逆に浅さを感じてしまうようなアンビヴァレントな気持ちにさせられるんですけど、ま、それはおいて置いて・・・

ここでは裏から光を当てると二重に張られた絹のモアレ模様(タブン)が鯉の泳ぐ水の水紋が透けて見える効果が出るという《鯉亀図風炉先屏風》がよかったかな。でも上からだけで後ろから光当ててないので、十分にその効果を見出すことにはできなかったのが残念です。

これまたプライスさんのコレクションにあるのと向きの違う《孔雀牡丹図》は、牡丹の色がプライスさんのより薄いし、どっちがいいかといわれると、きっとプライスさんのコレクションの方が優品なのかもしれないけれど、その抑え目の色遣いが私には好感が持てました。
左がプライスコレクション、右がファインバーグコレクションの《孔雀牡丹図》


圧倒的によかったのは森狙仙の《滝に松樹遊猿図》。猿を得意としていたというこの人の作品はプライスさんのコレクションでも気に入りましたもんね。猿の表情や姿態がなんとも自然で、小難しい漢籍や平安の歌の知識がなくとも幸せを感じることができることを否定はできませんね。

森狙仙《滝に松樹遊猿図》二幅で一対ですが、
コレは左側部分のポストカード。右側には猿はなく滝と松が描かれてます。
右側のポストカードも売ってくれてたらよかったのに・・・

この章の最後の方には柴田是真の肉筆画二幅《二節句図》がありました。右の一幅は高貴な人の男子の端午の節句を祝う雅な絵で背景には松、対する左の一幅はひな祭りを祝う鄙の農家のつましい家族。背景には落葉樹。その頃のひな祭りは重陽の節句(9月9日)の時期に行った場合もあるそうなんで、左右は全て対比されるという仕掛けなんだそうです。何のためにこの絵が描かれたのかは不明なんだそうですけど、こういう謎を探るのは楽しいですよね。

次は
大胆な発想と型破りな造形 奇想派

ここでは三幅で成り立っている若冲の《菊図》のうち、一幅足りない軸を日本のコレクターが貸与してくれたことで、ファインバーグさんが持っている二幅との再会を果たしていますが、比較的大人しめのものです。

むしろ隣にあった《松図》のほうが大胆な墨描で松葉をしゅっしゅっつって描いてあって、つい最近拝見した鹿苑寺大書院旧障壁画の《松鶴図襖絵》と同じタッチ。でもこちらの方が齢80を超えてからの作品だというのに力強い!印象に残ります。
伊藤若冲《松図》
あと、気に入ったのは曾我蕭白の《鉄拐仙人図》・・これはいかにも蕭白。でも《大黒天の餅つき図》もなんだか白隠禅師の描いたような可愛い一筆書きのような絵。

長沢蘆雪は應挙の高弟だけど、師とは対照的な大胆な構図や奇抜な画風ということで奇想派のカテゴリーに入っているんですよね。
長沢蘆雪《一笑》
でも《拾得・一笑・布袋図》の犬なんかは應挙の犬を思い出すような表情の犬の絵ですよね。なんでも竹と犬はその文字を組み合わせると「笑」という字になるので《一笑》という名前がついているのだそうで。その話を聞くと私にも「笑み」が浮かぶ幸せな画題ですね。うん、可愛いし。
最後の章は浮世絵です。
都市生活の美化、理想化 浮世絵

鳥文斎栄之《遊女と蛍図》
ファインバーグ夫妻のコレクションには特別な注文品として描かれた肉筆浮世絵が随分とあるようですが、目を奪われたのは元旗本から浮世絵師に転じた鳥文斎栄之の《遊女と蛍図》。この遊女は髪型(横兵庫って解説には書いてあるけれど、上に向かって蝶のように広がるこの髪形は実際より誇張して描かれているのではないかと思うくらい縦に伸びてますね。)からも高級遊女であることがわかるそうですね。
いずれにしても栄之の描く遊女は胸もはだけてしどけない格好なのに気品があって、いいですね。蛍が仄かに光る感じは図録やポチ袋では分かりませんが、実物はステキです。

最後に北斎の《源頼政の鵺退治図》という肉筆浮世絵が展示されています。
天に向かって弓を引き絞っている姿は実に勇猛、筋肉隆々な感じが生き生きしています。この弓でこの後鵺を一矢で射抜くそうですが、天からは鵺が放つ赤いふた筋の光線が怪しくそして脅かすように頼政に向かってシャープに描かれていますよね。これが88歳の作品とは、先ほどの80歳の若冲といい、絵師たちはいくつになっても、というか歳を重ねるに従い迫力が増してくるというのが凄いですよね。

東京は終わってしまったけれど、この後ミホミュージアム、鳥取県立美術館を巡回するようです。


2006年9月17日日曜日

【過去日記 2006/9/17】 400年前と300年前と150年前が66年ぶりの揃い踏み 10月1日まで 出光美術館(日比谷

○2日目でございます。ぐるっとパス。。今日もがんばるぞー。  この展覧会に行くつもりだったから、昨日最初の1枚を使ったのであります。。

○3
年ぶりでございます。宗達の風神・雷神屏風にお目にかかかるのは。  前回は鶴岡八幡宮の鎌倉国宝館で開催された建長寺創建750周年記念特別展で奉祝寺院である建仁寺からの出品作品でした。人もまばらでしたので、じーっくり、対面させていただきました。

○66
年ぶりなのだそうです。宗達とその実物を見て模写した光琳と、光琳をOriginalと思って模写した抱一の風神・雷神屏風が一同に会するのは。。  いやー、今日も出遅れたから午後になっちゃったという理由もありますが、いつもは静かな出光美術館が、それはそれは大変な人出でございました。 でも、66年ぶり、というか宗達の実物にだってなかなかお目にかかることができない中、光琳や抱一までもれなくついてきちゃうわけですから、混まないほうがおかしいです。はい。  

見せ方も非常に工夫され、構図・目の位置、足、へそ、手の握り方を風神・雷神に分け、徹底的に比較し説明するコーナーがあったり、宗達がいかに雷神のモチーフを気に入っていたかを他作品を紹介しながら説明したり、抱一の弟子の鈴木其一が金屏風ではなく襖絵として描いた風神雷神があることまでの体系的な解説がなされている。  

そればかりでなく、この風神雷神の構図から光琳が宗達に対する答えとして描いた紅白梅屏風のモチーフ梅や燕子花(カキツバタ)を抱一がどのようにアレンジしていったか、と見せ方に流れがあって非常に面白い展示でした。。
http://www.fujitv.co.jp/event/art-net/go/369.html
  



風神雷神に関しては、私的にはやっぱり、彫像などを研究した成果をもとにこの大胆な構図を作り上げた宗達が一番!





指が四本しかない雷神が鉄アレイのような雷棒を握り締めているのはまんがチックとまで解説された抱一の分が悪い。抱一が光琳の八橋図(メトロポリタン所蔵)のような構図にも挑戦している絵もあったけど、やはり光琳の大胆なあの八橋図の燕子花の印象に勝つことができていない。(メトロポリタンの薄暗い部屋一面に広がる八橋の印象が強いからかもしれないけど。。)やはりOriginalityって大切なんだなー。   


でもね、抱一の名誉のために言っておくと、模写から一歩踏み出た抱一の燕子花図屏風は構図といい、遊び心(白いかきつばたが3輪挿入されている)といい、無冠の風神雷神屏風よりお上も高い評価を下している(重文)良い作品で、私のお気に入りです~。。



p.s.  この後、京橋のブリヂストン美術館、白金台の松岡美術館を廻り、へとへとでーす。。頭の中も東洋>西洋>東洋>ヘレニズム>ガンダーラってもうパンクしちゃう! 廻り方悪かったか?!  それでも、やはり良い絵や自分にとって印象的な絵というものは記憶に残るものですね。。こうやって、ちゃんと日記が書けるわけで。。 あーあ、明日は少しセーブするかなー。