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2017年10月8日日曜日

【FB投稿 #美術館に行った シリーズ】 出光 江戸の琳派芸術 想いが溢れていたのに。。。

個室でのヘッドスバを含め約三時間弱、新人の美容師さんが練習に入ってくることも、それが竹内涼真ではなかった哀しみ(爆)をも超えて、ちょっと時間ができたので、寄ってみたら、今朝日曜美術館で取り上げられてた、とは!
そんなわけで若干混んではいたけど屏風などの大物が多いせいで、観難いということはなく、ホッとしたわ。
でも、これから、どんどん混むと思うので行きたいかたはお早めに!
抱一と其一中心ですが、色々な思いと感想が溢れそうで、久しぶりにblog書こうかなと思う感じでしたけど、格安な図録購入を思い止まった!◀️自分を誉めたい!ついでに他にも買いたかった雑誌も留まった!◀️本と雑誌に埋め尽くされる家の整理は出来てない!◀️おいっ!


#美術館に行った
#竹内涼真のファンではない
#モニタリング


追記:すぐに書かなかったので結局このままでアップします、すいやせん。
思い出したら書く・・・(有言不実行の可能性大)

2017年6月4日日曜日

茶の湯のうつわ、茶の湯、そして茶碗の中の宇宙―― 出光、トーハク、近美 三者三様

Facebook の投稿から・・
三展を一言で申し述べれば、コレっ!

(昨日へくったので) 最終日滑り込み。
近美は楽に徹し、
トーハクは集客に徹し、
出光は啓蒙に徹している。
(うつわって、好みが結構固定化してるな、私の中では)
自動代替テキストはありません。


補足:【うつわー出光】
前売り券かっていたのに、とんと忘れて最終日にぐるパスで割引で入ったというオバカな事をしてしまいましたけど、安定の啓蒙的な展示はありがたいものであります。
枇杷色ではなく灰色っぽい萩焼が「白萩焼」というカテゴリーなのだと言う事を初めて知りました。

【茶の湯ートーハク】

今日はね、会期末ギリになったけど、激混みだけど、行かねばの娘のトーハクに茶の湯展に行ったのよ。
  #美術館に行った 
補足:実際のところ、混んでいて、じっくり眺めるという余裕はありませんでした。一方で、じっくり見比べたかった灰被天目なんか、見込の中を見る為にはぴょんぴょん跳ねないといけないくらい高い位置で、ちょっと残念。
自動代替テキストはありません。画像に含まれている可能性があるもの:室内


そして、
【近美「茶碗の中の宇宙」】
5月20日

今日のさざえは、おサイフもってるけど、現金1500円しかなかった!でも、セーフ!
#美術館に行った
画像に含まれている可能性があるもの:屋外
やっぱりノンコウが一番だなぁ 斬新なデザイン性 煌き すばらすばら


基本近美は楽16代を時系列的に並べ、そこに係りのあった光悦とかも、ちょこっと、展示という形で網羅的であった事が
理解もしやすい事につながったのかもしれませんが、ひとつひとつの茶碗も見やすい展示でもありました。

一言感想の通り、やはりノンコウ(三代目道入)が一番、心に響くというのか、デザイン性も技法も目を引くんですね、
これには光悦だってかなわない。
色々なところでちょっとずつ拝見していた時もそうだけど、これだけ網羅的に並んでいても、私にとっては一番と言える感じですわ。

後代になると、展示数は少なかったけれど十代旦入の作品も好きかもと思えたかな。

申し訳ないけれど、現在の15代当主の作品(最後のお部屋にがっつり並べてありました)は、今風の言葉遣いをすれば私には「ムリ」(ごめんなさい)

2015年3月19日木曜日

没後50年ーー小杉放菴ー〈東洋〉への愛ー展@出光美術館 放菴はおおらかで巧いなー


i会期も中盤に入ってきたので、慌てていってきましたー。美術館のHPの解説(斜め灰色文字)を参照しながら、感想文をば・・・
 
放菴作品の展示は、当館では2009年2月に開催した「放菴と大観-響きあう技とこころ-」展以降、6年ぶりの公開となります。とくに今回は、東京国立近代美術館、小杉放菴記念日光美術館、栃木県立美術館、泉屋博古館分館ほかのご協力によって、放菴作品の代表作が集います。約90件の作品で放菴の魅力に迫る展覧会。この機会をどうぞお見逃しなく。
展覧会の構成
  1. 第1章
  2. 第2章
  3. 第3章
  4. 第4章
  5. 第5章
  6. 第6章
  7. 第7章
  8. 第8章
  9. 第9章
各章の解説
第1章
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/images/highligh_ph001.jpg
放庵画冊より 明治時代 小杉放菴 出光美術館蔵
小杉放菴(こすぎほうあん 1881~1964)は、明治14年(1881)に日光二荒山(ふたらさん)神社の神官・富三郎(蘇翁)の末息子として生まれます。国学者で文化人であった父に従って、15歳で日光在住の洋画家・五百城文哉(いおきぶんさい)の内弟子となります。高橋由一(たかはしゆいち)の門人で実力者だった文哉に可愛がられてデッサンを学びますが、青雲の志を抑えきれなくなり、18歳で上京、小山正太郎の画塾・不同舎に入ります。勇壮な外貌と、〈未醒(みせい)〉と号するほどの酒好きで元気者の放菴。小山に見込まれて、日露戦争では国木田独歩(くにきだどっぽ)の『戦事画報』(旧『近事画報』)の従軍記者として戦地へ赴き、挿絵で悲惨さを訴えました。洋画家の美術団体である太平洋画会に出品する傍ら、田端の自宅近くに倶楽部を創り、画家仲間とテニスを楽しむうちに、その仲間たちとの間で美術同人誌も生まれました。同人誌に寄せた漫画には、現実社会を直視する繊細な優しさが溢れています。田端に住んだ芥川龍之介も、外貌と内面の差が激しい放菴を、愛おしそうに“未醒蛮民(ばんみん)”と呼びました。
先ず入って最初の章のタイトルに「蛮民」とあるので、野蛮な民って言われいてたの?と一瞬戸惑い、更に、宮司の子供であるからには野蛮からは程遠いだろうーと読み進んでみたら、なるほど愛おしさによる命名だったのですねー、しかも芥川龍之介による命名かぁー。。
それはともかく・・・
敬愛していたという高橋由一を師にもつ五百城文哉と放菴の《日光東照宮》の絵が並ぶ最初のケース。
放菴のそれには、師である文哉の画風をひたすら模倣しているといいつつも、師よりコントラストが強調され白馬会系の影響がある早熟な手の跡・・というような解説がついています。確かにフォンタネージの影響を受けたという大きくて堂々とした師の絵に比べると号数の小さい絵ながら、遠景の木々を薄紫にして朝もやに煙るような森閑とした空気を出している放菴の方が迫力がありますねぇ。また、確かに黒田清輝に代表される白馬会の画風を取り込んでいるといわれればそうなんですけど、私はむしろ、後に影響を受けるというシャバンヌと似た空気を感じましたねぇ・。。
自画像に続いて次のケースに飾られている《婦人立像》、全体的なイメージはちょっとナビ派のような印象。


第2章
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/images/highligh_ph002.jpg
水郷 小杉放菴 明治44年(1911) 東京国立近代美術館蔵
明治40年(1907)から文部省主催の美術展覧会・文展が開催されるようになると、放菴は徐々に頭角を表し、30歳頃には「水郷」と「豆の秋」と二年連続で最高賞の二等賞を受賞します。洋画界の将来を嘱望された放菴は、翌年の大正2年(1913)には銀行家・渡辺六郎の後援を得て渡欧し、当時世界的に流行したフランスの壁画家ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(1828~98)に憧れて、パリを拠点に半年間、ヨーロッパ各地の壁画や美術館を見てまわります。しかし、ヨーロッパの伝統の重みに圧しつぶされそうになり、パリで江戸時代の文人画家・池大雅(いけのたいが 1723~76)の画帖「十便帖」の複製に“帰り行くべき道”を示されて、帰国後は日本画に傾倒してゆくことになります。ここでは、文展入賞、留学中、帰国後の油彩画に、隈取や筆触といった日本画特有の味わいが表れてくる過程を追います。
《水郷》は二等賞という事ですが、旨いけど、題材のせいか楽しくないかも。でも洋行中の《スペイングラナダ娘》は、マティスの影響受けてるなー、と思ったりできるのが楽しい絵です。構図はシャヴァンヌだというのだけど。。そうなのかー。。
この留学中と帰国後の大正時代は色々な事に挑戦している感じ。《初夏山雨》なぞ、なんかエッチングでみられるような細かい点と奥行のあるふしーぎな画面で目を引き付けられます。解説によれば東洋画で常套的に使われる済による黒い点で苔を表すだけではなく、白い点を加えることで雨に濡れた輝く山を表現できているとの事だけど、何しろえぐるような線なぞは当時にしてはアヴァンギャルドだったのではないかと思うのです。


第3章
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/images/highligh_ph003.jpg
湧水(いずみ) 小杉放菴 大正14年(1925) 出光美術館蔵
東洋色が濃くなって帰国した放菴を支えたのは横山大観(よこやまたいかん)でした。大観は大正2年(1913)、岡倉天心(おかくらてんしん)亡き後の日本美術院に、放菴を洋画部門のリーダーとして迎えて再興し、二人は意気投合して国際社会に恥じない新しい絵画を創り出そうと情熱を傾けます。大正9年(1920)に、院から洋画同人たちと共に脱退すると、洋画家たちと創設した春陽会に加わり、水墨の素描や東洋趣味の洋画を出品して注目を浴びました。そして、大正末期には壁画の依頼にも意欲的に応え、洋画家としての地位が不動のものになりました。東京大学大講堂(通称安田講堂)の舞台を飾る壁画では、ソルボンヌ大学大講堂のシャヴァンヌの壁画を念頭におきながら、裸体のミューズたちを天平風俗の乙女に変え、東洋的な情緒を湛えた作風へと昇華させています。日本画を思わせる色彩や筆触が、油彩画に淡白な柔らかさを与え、東西や時代を超えた神話世界へと誘います。
実際の安田講堂の壁画は持ってくることができないので、下絵が展示されているわけですが、シャヴァンヌを意識した人の動きとか構図なんだそうです。でも日本的というのかふくよかな東洋的な人たちが並んでいる壁画写真や《湧水(いずみ)》を見ると、よく咀嚼しているという印象を受けます。つまり自分の画風としているような感じ。
第4章
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/images/highligh_ph004.jpg
瀟湘夜雨 小杉放菴 昭和時代 出光美術館蔵
池大雅の「十便帖」の複製に、放菴は思いがけず墨線の力を見出します。放菴の留学した1913年の西欧においては、ピカソやマティス、カンディンスキーなどが絵画のリアリズムを否定し、新たな空間原理を創り出そうとしていました。しかし、画面上に空間を自由自在に作り出す大雅の線は、こうした西洋の動向に先駆けた新しい線と感じられたのです。

「大雅堂の絵は、さながらの音楽、最も自然を得て、最も装飾的、暖かく賑やかに、しかしながら静かなる世界、其の基調は一に彼の太く緩く引かれたる線條に在る。」〔小杉放菴「線」、大正14年(1925)〕

帰国後の十年間、大雅研究に熱をあげる一方、中国旅行をし、宋元画など中国の古画学習にも没頭してゆきました。ここでは、江戸時代の文人画と放菴の南画の競演により、放菴が憧れた文人世界を検証します。
この章に入ると、池大雅と放菴の同じ画題《洞庭湖秋月》とか《瀟湘夜雨》を隣り合わせて展示。浦上玉堂と同じ画題もあり。そうやってみると、先人にかなり軍配があがってしまうと見えるのは私の偏見かなぁ。。放菴の《瀟湘夜雨》は、大雅にひけをとらないし、比較画題のなかった《渓雲》は良いと思ったわけですが。
《大雅堂瀟湘八景扇面小皿》は元絵が池大雅、染付が放菴、窯は板谷波山というゴージャスな組み合わせ、光悦・宗達や尾形兄弟のコラボを想起させる組み合わせですね。
第5章
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/images/highligh_ph005.jpg
帰院 小杉放菴 大正15年(1926) 出光美術館蔵
大正期には、大観らの影響もあり、日本画の画材に関心が高まります。洋画の主題を屏風、金箔地、絵巻に、南画の主題を油彩画へと、様々な媒体に試して好評を得ました。さらに大正末期に、福井の紙漉き職人・岩野平三郎が、平安時代に姿を消した麻紙(まし)の復元に成功すると、放菴は一種変わった墨の風合いをみせる麻紙の虜になりました。そして昭和4年(1929)の中国旅行の時、その餞別として洋画家の倉田白羊(放居士 ほうこじ)から画号の一字を奪い取って、〈放菴〉と改号します。

「人或いはこれを転向という。自分はずっと続いた一本道だと思う」〔小杉放菴 「半世紀以上」、昭和35年(1960)〕

世間から“転向”、あるいは“東洋回帰”と見られ、放菴の描く南画は、構図が勝ちすぎていて、文人の精神性がないという批判もありました。しかし、放菴は、自らの漢学の教養をおしつける南画ではなく、文人の楽しみを鑑賞者と共有することを第一とし、筆の修練を重ねて、洋画と日本画に新しい風を送り続けようとしたのです。
麻紙に拘る放菴という説明を見て、そういえば、竹内栖鳳も同じ岩野平三郎さんのところで「栖鳳紙」と言われる紙を作らせてたんじゃなかったっけ?と思い至り。。。確か横山大観も同じ紙職人さんを使っていた。。
放菴が出来上がってくる麻紙を使う度に色々コメントして100通程手紙を送り、それに応えたとの解説を読んで、いやいや、放菴ばかりではなく、後世に名前を残す大画家たちの細かいリクエストに応えていた岩野平三郎さん、凄い!っと、そっちに頭がいってしまいましたよ。ほんと。
この章の最初の絵は《ブルターニュ風景》等のシャヴァンヌの影響大と一見してわかるような絵が並んでますが、その中でも《黄初平》という絵が気に入っちゃいました。背景に金箔を使い、道化のように踊るような人物のイメージは西洋風でもあり、画題でもある黄初平の逸話(失踪していた羊飼いが仙人になり石を鞭打つと羊に変身する・・・ってなかなかの話ですが。)は中国のもの、と西洋、東洋入り乱れているものの、そこでうまーくバランスのとれた不思議な絵の魅力。
《帰院》《釣秋》といった絵も構図や金泥使いが素晴らしくて良いなー。
《新緑写意》の解説ではマティスのフォーブ時代の絵に似ているとか書いてあったけど、それには疑問符ありですが。。笑
第6章
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/images/highligh_ph006.jpg
春風有詩 昭和3年(1928) 小杉放菴記念日光美術館蔵
昭和に入って放菴の主要なテーマとなったのが、東洋の神話や古典の世界です。幼少の頃から父・蘇翁や師・文哉に従って漢詩の素読を習ったことの上に、漢学の碩学・公田連太郎(きみだれんたろう)との出会いが、放菴の思想をますます東洋に傾かせることになりました。放菴は、昭和2年(1927)から田端の自宅で友人を集めて、毎週、公田から漢学の講義を聴く「老荘会」を主催します。中国古典の思想は放菴の生き方にも多大な影響を与え、昭和9年(1934)から信州・妙高高原の別荘で、自然の風物に囲まれながら作画する生活を楽しむようになりました。放菴の描く荘子や李白は、別荘前に据えられた“高石”の上で妙高山を眺めて暮らす放菴の分身であり、明るく大地を踏みならす神々は放菴が遊んだ日光の大自然の象徴なのです。現実と離れて遊んでいたいと願った放菴の心が伝わってきます。
確か以前も見たような気がする《酔李白》とか《荘子》も衣の白とそれ以外の抑えた色との対比も含めて、なんというのか、泰然自若の高士の姿を良く表していていいなーとおもいましたよ。解説では放菴自身だというのだけど。
更には《さんたくろうす》、西洋の屋根と松林の中にいるサンタがミスマッチ感なく同居する姿は彼の絵の特徴かもしれませんね。
このコーナーの最後には前回は第一室の一段下がったところに掛かっていた(と記憶)笠木シヅ子がモデルという《天のうづめの命》もかかっています。この絵はポスターやチケットの絵柄にもなっていますよね。
前回の展覧会の時には目に留まっても気にならなかった解説はこの絵が日章丸二世の為に描かれ、船長室に掛かっていたと言う事。出光佐三を描いた『海賊と呼ばれた男』の影響で今回はすっかりあまたに入りました。
《洞裡長春》に出てくる梅の香にうっとりする唐子といいふくよかで、優しさを感じる人物の描き方は抜群ですねぇ。。
第7章
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/images/highligh_ph007.jpg
金太郎遊行 小杉放菴 昭和17年(1942) 泉屋博古館分館蔵
放菴の長い画業人生の中で、人と寄り添う牛はとりわけ好んで描かれたモチーフです。放菴が初めて描いた南画の画帖「南嶋帖(なんとうじょう)」にも、沖縄で牛の手綱を曳く牧童が繰り返し登場しますが、その構図は後年、禅の悟りの段階を説いた中国の伝統的な画題「十牛図(じゅうぎゅうず)」を思わせる画へと展開してゆきます。放菴の眼には、素朴な牛と牧童の日常風景が、「十牛図」や「出関老子(しゅっかんろうし)」といった中国古典文学のテーマと重なって映っていたようです。放菴が孫をモデルに描いた、悠々と熊に跨った金太郎の勇姿も、超然と牛の背に載った老子の分身といえましょう。ここでは、「十牛図」をテーマに、融通無碍に姿を変える物語世界をご紹介いたします。
放菴は金時を随分描いているけれど、本来雷神の子という位置づけで赤い身体を描くのが習わしだったところ、肌色に書いているのはお孫さんを模して書いているからと。放菴という人の人柄も伝わってくるようで、微笑ましい。


第8章
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/images/highligh_ph008.jpg
山水八種 小杉放菴 昭和8年(1933) 出光美術館蔵 〈場面替あり〉
放菴と出光美術館初代館長・出光佐三との出会いは、『景勝の九州』(昭和5年(1927)刊)という一冊の本がきっかけでした。『景勝の九州』は、放菴が九州電力の招待で九州をまわったときのスケッチ画冊「鎮西画冊(ちんぜいがさつ)」をまとめた旅行記ですが、佐三はその挿絵を見ているうちに、自分が惚れ込んだ博多の禅僧・仙厓(せんがい)と相通じるものがあると直感したのです。二人は画家の岸浪百草居(きしなみひゃくそうきょ)の紹介で会った途端に共鳴しました。この頃の放菴は、中国明末の文人・石濤(せきとう)の画冊「黄山八勝画冊」の色彩の美しさに感銘を受け、画冊の制作に精力を注いでいました。青年洋画家たちの間で、写実を突きつめて絵の具を塗り重ねた風景画が流行することを憂慮し、明るく美しい日本の風土を描きたいと願ったからでした。放菴の日本の風土を愛する純粋な心が、佐三には仙厓の無垢な境地に重なって見えたのかもしれません。
もっとみどころ
わかりやすく実感、放菴の画業
近年、日本近代画壇の中で重要な人物として、密かに脚光を浴びている小杉放菴。しかし放菴の名は、いまだ一般の美術ファンにまでは浸透していません。実は、当館の初代館長・出光佐三は、彼の有力な庇護者でした。プライベートな交流からはじまった放菴作品の収集は、約300件に及び、出光コレクションの一つの柱となりました。出光美術館だからこそできる、本格的な展示。この会場を一望すれば、放菴の画業が、さらりと実感できます。
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/images/highligh_ph009.jpg金時遊行 小杉放菴 昭和時代 出光美術館蔵
第9章
妙高高原に別荘・安明荘(あんめいそう)を建てると、放菴は花鳥画に興味を持ち出します。鳥屋から鳥を買ったり、白かん鳥(はっかんちょう)を飼うための小屋を造ったり、川治温泉の鳥屋に一週間ほど籠もってスケッチをするなど、昭和10年(1935)頃から花鳥の写生の手控えが見られるようになります。戦争で田端の画室が焼かれて東京を離れると、安明荘で花と鳥に囲まれた世界に没入します。

「春光秋色自然の風物は人を慰める、又自然の風物を調理した芸術は人を慰める、この慰安芸術は、事実から遊離した境地のものでありたい、」 〔小杉放菴「兼山の縄」、昭和22年(1947)〕

愛国心の強かった放菴は、戦後の荒廃の中に於いて、絵の効用の一つは人々の心の休息や安らぎにあると考えていました。麻紙の繊維が醸し出す墨のぬくもりと絢爛な色彩のハーモニー。時間を忘れてたたずんでしまうような浄土世界は、放菴芸術の極みといえましょう。
http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkan/exhibition/present/images/highligh_ph010.jpg梅花小禽 小杉放菴 昭和時代 出光美術館蔵 〈2月21日~3月15日展示〉
サイトにあった写真は前期のもので、これも素晴らしい構図だけど、後期の同じ《梅花小禽》とのタイトルのあった二曲一隻の屏風もこれまた素晴らしい構図、大胆な構図は天性の巧さをつくづく感じさせられます。
いやー、楽しかった。
 

小杉放菴
没後50年ー〈東洋〉への愛
2015年2月21日~3月29日
出光美術館

2014年5月31日土曜日

【終了後感想文】 出光の日本絵画の魅惑に魅了されちゃうーーー前期、そして後期も見に行きました

トーハクで開催されていた「栄西と建仁寺展」のサイド情報として、宗達をお手本にした光琳版を元に描いたと言われる抱一の《風神雷神図屏風》が出品されている事を知っておられる方は多いと思いますが、まぁ、そのポップっちゅうか、雑っちゅうかの、抱一版風神雷神(過去エントリーご覧くださいhttp://pikarosewine.blogspot.jp/2006/09/2006917-40030015066.html)も真近で見られる楽しさは、ありますが、それだけじゃないんです!
今回の展覧会、2006年の出光美術館開館40周年以来8年ぶりに名品を一挙公開!と自ら宣伝されている通り、解説も充実していて楽しい愉しい。
今回は前期・後期殆どに近い位に入れ替え(一部巻替え)があるのに、前期に入ると、漏れなく五百円で後期に入れるチケット迄下さる大盤振る舞い、ありがたやー。
さて、章立てはい次の通り、随分と細かく分かれてましたが、そう分けたかったであろう、という意図に合った展示と解説、時々、それは、無理やりこじつけだろう、という事があるこちらの企画も、今回は、比較的すんなり入ってきます。
1  絵巻ーアニメ映画の源流
2  仏画ー畏れと救いのかたち
3  室町時代の水墨画ー禅の精神の表現が芸術へ
4  室町時代やまと絵屏風ー美麗なる屏風の世界
5  近世初期風俗画ー日常に潜む人生の機微を描く
6  寛文美人図と初期浮世絵ー洗練されゆく人間美
7  黄金期の浮世絵ー妖艶な人間美
8 文人画ー自娯という独特の美しさ
9 琳派ー色と形の極致
10  狩野派と長谷川等伯ー正当な美vs斬新な美
11 仙厓の画ー未完了の表現

では、第一章の、アニメ映画の源流からね。
さっき、比較的すんなり入ってきたと、書いておきながら、この「映画」っちゅうのは、前期展示の二巻の絵巻からは、少し言い過ぎかな?ま、日本の絵巻が中国を元にしていても、マンガやアニメにあるような時空の展開ストーリー的であるというのは、常に語られているので、アニメ映画でもいいのでしょうけど、たまたま動きの場面がないものだから、ついつい気になって。
それはともかく。最初に登場の《橘直幹(たちばななおもと)申文絵巻(もうしぶみえまき)》、文章博士の橘直幹が、民部大輔の職に空きが出来たことを知って、自ら作文した申文(申立書かしらね)を小野道風に清書させて朝廷に奉ったけど、その文章が天皇の機嫌を損ねて、失敗に終わったというストーリーが展開するらしいのです。
いつの世も、そういう強欲っちゅうか、自らを売り込む系の人はいるもんだな、それを諌めるお話なのね、だいたい、小野道風なんて、当代どころか、歴史に残る能筆を使って、印象良くしようなんてあざといよなぁーーな〜んて、余計な感想はさておき、解説にあるように、この展示でのみどころは、鎌倉時代のこの作品の時代から既に簡易レストランのような店が構えられていて、干物なんぞを調理して食べさせてるという事がわかるということです。ま、チョットその、レストラン的な表現が分かりにくいので、何度も見ちゃいましたが、つくづく思うのは、日本の絵画って、早くから宗教的な意味合いを脱した食べ物の絵が描かれているって事なんですよねー。安定した世の中になって庶民の文化が花開いた江戸時代はもちろんなんだけど、これは、鎌倉時代の絵巻ですからね、つくづく日本人のfoodiesぶりを感じさせられちゃうなぁ。
絵巻物とはいっても、ストーリー展開の文章を読み下すことができない現代人の私たちには、面白さも半分以下なんだろうと思わされるのが、後期に重要美術品として展示された《北野天満宮縁起絵巻》。そもそも信奉するでもない神社の由来を有難がって読もうという事自体、現代人の生活にはほとんどの場合、無関係ですものね。人の顔より大きいのではないか、と思われた有名な紅梅の鮮やかな色だけが、強い印象になりました。

さて、第二章の仏画、あんまり得意じゃないんだけど、特に曼荼羅、なんとか界とか、かんとか界が、頭に入らないからなんですけど、今回前期に展示されていた《当麻曼荼羅図》は、その曼荼羅を取り囲む映画のコマ送り(解説の表現)のようなストーリーと言うのかな?極楽浄土にどうしたら行けて、行けない場合は何故なのかを解説してあるという構成が面白かったですね。これは解説を読まないと、ちと、現代人には難しいだけに、解説有難うございます!っていう感じ?
重要美術品の《山越阿弥陀図》後光が八方に広がる阿弥陀さん、チョット怖い顔だけど、それだけに色といい、構図といい、印象に残ります。
後期も《十王地獄図》で、阿弥陀仏や、観音菩薩に手をひかれ地獄から出られる人についての解説があったけど、大きな画面の中には八つ裂きにされかかってる女性がいたりして、この絵を見させられた人々が、こんな目に逢いたくないよと、真面目に信仰するきっかけは十分に作っているな。つまり、タイトルの通り、畏れと救いのかたちを画面で見せ、ある種の威圧をしながら、仏法への道を拓く事が目的で、今の我々のように鑑賞の為に、単眼鏡まで使ってガラスの向こうから見るのとは話が違うというわけさね。
第三章、能阿弥という人は、http://ja.wikipedia.org/wiki/能阿弥にもあるとおり、足利幕府時代の茶人でもあるし、鑑定士、表具師でもあるという、マルチタレントなわけですが、この人がシゴトではない、しかも年号の残る人の出世祝で描いたという《四季花鳥図屏風》(前期)重文と言われずとも、じっくり見入りたくなる魅力があります。更に後期には、これも言われなくても、しかも小ぶりなのにグッと引き込まれたのが、《破墨山水図》。大胆なブラッシュストローク、というか、筆さばきは自然で美しい。これが雪舟の真骨頂。。。とまでは言わないまでも、「破墨」といわれる凹凸を表現する手法は、「設色」と共に、明で周文に学んだのだとか。。
このほか、その周文の水墨画の《待花軒図》には、8人の僧による賛がある詩画軸の典型ということでいくつかの賛の現代語訳が解説されてました。「花を待ちながら、雪の消え方が遅いのが恨めしい限り。風雨の時は花が落ちてしまい悲しみは深い、春が過ぎた後も春のやってくる前も我が老いを急き立てる」と、まぁ、およそ修行して、ある種の境地に達した人とはおもえぬほどの俗っぽい感想を述べた賛があるかとおもえば「小さな峰に緑の草は生えて春の気配が萌えた。数本の樹が雪のまだ消え残ったところに枯れたままでたっている。花を待つのは良い客を待ち受けるのと似ているようだ、地を掃き清め香もたいた。先ずは読書をしよう」という、解説では快活な、私には絵の醸し出している雰囲気を捉えたように思える賛もありと、ひとつの絵に対して色々な感想があるように、賛も様々なんだな、と自分で読めない残念さを感じましたけれども。
ところで、美術館で、解説が詳しく書かれていても、図録には同じように、解説されていないことも多々ある昨今、今回の図録はこれらの解説は全て網羅されてるみたいです。買ってもよかったんだけど、これ以上増やすことに警戒感がある私的には、こらえるべきところであります。

更に、次章の前期の目玉(ま、この章は二作品で成り立ってるんですがね),、美麗という表現に相応しい、ゴージャスな六曲一双の《日月四季花鳥図屏風》。解説によると、現存する屏風の中でも最も古い作品の一つに考えられている室町を代表するやまと絵屏風だそう。webの解説でも、この時代は水墨画が主流とされていたけれど、近年の調査研究の結果、対照的な装飾的芸術であるやまと絵屏風が相次いで確認されたんですって。
金銀でお日様やお月様を表現するのは珍しくはないとは思うけど、大きな真鍮の板に金箔を貼った上に金泥を塗った太陽や、画面に展開する砂子、野毛、切箔、微塵箔のような蒔絵のモチーフのような多彩な装飾、絵柄もちょっと光琳が描きそうな水流だったり、胡粉でアクセントのような線が引かれていたり、元の彩色は相当ギランギランかも。。。と思うほど。それに屏風の枠も螺鈿の入った漆かしらね。ゴージャスなのは、解説によれば、通常の六曲一双屏風より小ぶりで、何より軽いとか。何せ、ウチには蔵も屏風もないので重さの感覚はないけど、とにかく、その軽さから判断して、明朝の皇帝への進物であった可能性について触れてありました。


 
後期は同じ場所に重文の《四季花木図屏風》。左隻の上の方の松林に積もる雪の解説がなければ危うく見落とすところでした。それと右隻にも左隻にも探幽斎と大きく署名されているのだけど、土佐光信って解説にはあったような。。。あれれ?いずれにしても作品リストに名前がないと言う事は・・・後代の人が書き加えちゃったの?(図録買わなかったので、そこ不明。。。)
 
第五章 近世初期風俗画―日常に潜む人生の機微を描くの部屋に行くと一気に華やかな江戸の名所が楽しめる八曲一双の大振りの屏風《江戸名所図屏風》からスタートしたのが前期。安土桃山の頃の京の都を描いた様々な洛中洛外図屏風といい、江戸が政治の中心になって栄えてきた頃の屏風だけに、生活者目線というか、庶民の生活が活き活きと描かれている事と、現在の地名と照らし合わせて見る喜びがありますよね、我々現代人にとっては。だから、もっとじっくり見たかったなぁ。
引き替え、今回展示の江戸時代の《洛中洛外図屏風》にそれ程の魅力を感じなかったのは、やはり、江戸時代というクレジットを見ちゃったから、そう思い込んだだけなのか??
《世界地図・万国人物図屏風》も画面の真ん中を世界地図、周りを色々な国の人の姿を描いている六曲一双にしては巨大な印象を受ける屏風でした。面白いけど、よく見るとどこの人も国に寄らず、同じような風俗に見えたのは私だけでしょうか?
後期には、そのもっとイキイキとした桃山時代の《祇園祭礼図屏風》が。右隻は前祭の山鉾巡業――長刀鉾とか山なぞが通りを練っているのが描かれていますが、左隻の後祭に出てくるカラフルな風船状にみたいなのは何なのかなぁ。。トーハクの《洛中洛外図―舟木本》にも同じような風船状のものが出ているんだけど、他では見たことがなかったの。でもこの屏風はさすが、同じ桃山時代のものらしく、同じような風船のようなもの、大きな日の丸の扇、南蛮風の傘は綾傘鉾かしら・・・等が出てるんですよね。。。風船のようなものは何なのか・・・これは調べなくては!
《遊女歌舞伎図》は解説では平面に描いた良い絵のようだけどちと薄くはげはげになってしまって保存状態が宜しくなくて残念。一方、《桜下弾弦図屏風》は大変鮮やかな色合いが残っているし、桜の花もぽってり描かれている二曲一隻の屏風。遊女の華やかさをその色彩で表現している印象的な屏風でした。でも解説で書いてある恋愛観にはいまひとつは入れなかった。
三室目にはいると、第六章は「寛文美人図と初期浮世絵―洗練されゆく人間美」に。
そもそも全身を描くという事がこれまでなかった、という解説に些か驚きを感じたものの、考えてみるとそうなのかも・・・その上、右手で縦褄を取り、左手を伸ばすという姿勢を取ったものが「寛文美人図」と言われるスタイルなんだ、という事も新たなお勉強の成果です。なるほど。
前期で出ていた懐月堂安度を始めとした懐月堂系は大柄な身体を「く」の字(あるいは逆くの字)にそらせたポーズをとらせた「仕込絵」と言われるレディイメードの大量制作版画なので、あまり質はよくないとか。でもでっぷり、ぷっくりした姿は印象的。とはいえ、お隣にディスプレーされた浮世絵の始祖と言われる菱川師宣の繊細な吉原風景《遊里風俗図》に比べると雑かな。因みに師宣について房州保田の縫箔師の家に生まれ、「本人自ら「大和絵師」と称していた事、やまと絵の土佐派の町絵師の画様を貴重とし漢画系の諸派や中国版画挿絵本等を大いに学んだ結果「菱川様」と言われる新様式を工夫した」との解説がありましたね。ま、一般的には《見返り美人》@東京国立博物館の絵師と言った方がわかりやすいですよね。見返り美人は言ってみれば上半身は控えめだけど、膝は、くの字に曲げ、全体は緩やかな逆くの字スタイルですものね。その意味でも懐月堂の先輩ですね。
 
第七章は、ちょっと前から広がったスペースに展開。黄金期の浮世絵―妖艶な人間美です。
前期に展示されていた《桜下三美人図》勝川春章は、手前に居る黒っぽい着物の女性だけ後向きにさせる事によって画面奥に展開されている春色に満ちた風景に誘うという視覚効果もあって印象的。
春章は「春宵一刻値千金(花は盛りでおぼろな春の月夜が千金に値する程価値が高い)」をもじって「春章一幅値千金(春章の描くなまめかしい女性は千金に値する)」とまで言われる程人気が高かったとのパネルに、前期の時はむしろ品の良さを感じたのですが、後期に出ていた《柳下納涼美人図》は粋を感じさせる仕込みが見られ(スミマセン、ノートに何か詳しく描いたのに文字が汚すぎてわからん)その真骨頂を感じたわけです。
《更衣美人図》さすがの歌麿、色っぽさが違いますね。帯を解いて肩からずり落ちそうな透かし綾の着物の衿を左手で抑える仕草が色気やたっぷり。後期の《立姿美人図》宮川長春の描いた女性がブロマイドの原節子に思えてしまったのは私だけでしょうかねぇ・。・・
 
 第八章は文人画ー自娯という独特の美しさ
なかなか難しいんですよねー、文人画が理解できる境地には至っておらず。。。
ただね、渡辺崋山の《猫図》はバッタを狙う猫の絵なのですが、空間の取り方が素晴らしく、張り詰めた殺気というか緊張感があります。
その後の崋山の運命とも重ね合わせると感慨深いですね。
 
谷文晁とか田能村竹田とかもっとじっくり見れば色々感想はあったかもしれないけれど・・・谷文晁のは小さな作品だったし、田能村の頼山陽の死をきっかけに描かれたという《梅花書屋図》の素晴らしさに対する理解度が低すぎて。。。
 
さっさと次行きましょう。
 
第九章 琳派ー色とかたちの極致です。
前期はこれに加え抱一の《風神雷神図屏風》。もうこれについては
この時の感想から脱出することができず。。。苦笑
と、其一の《桜・楓図屏風》です。
宗達を起点にした《風神雷神図屏風》もそうですけど、《八ッ橋図屏風》は光琳を起点にして、以降の絵師たちは皆この題材を写したうえで、どのように自分らしさを加えて行くか悩んだのだろうなー、と思います。風神雷神図は少々コミカルになっちゃったにせよ、八ッ橋の方は、カキツバタの数を光琳のものhttp://pikarosewine.blogspot.jp/2013/02/2012423100.html
よりぐっと減らして緑の葉を一枚一枚リズミカルに表現してより図案化を目指した抱一の努力が感じさせられます。
が、工夫という意味では《杜若図屏風》のアレンジの方がもっと好きかな。
 
其一の《桜・楓図屏風》。私は其一という人が時々わからなくなります。朝顔のような素晴らしい作品もある一方で、何故?と首をかしげたくなる作品も結構あるのよね。例えば《夏秋渓流図屏風》評価の高い作品だとは思いますが、あえていえば、毒々しく、画面が煩くて生理的にイヤ。。。
それに引き替え《桜・楓図屏風》は美術館で見た時は、比較的好印象な「抑えめ」な作品・・・と思っていたんです。。
左上の方を中心にした青い楓の太い幹、右隻の下の方を桜の花が埋めていて空間がたっぷり、色も二色のコントラスト。。でもね、後で、もう一度画像を見るとこれが不安定な視点なんだな。。画面真ん中(左上はもっと上)くらいから楓の根元が始まって上に向かって太く短い幹が見えているわけですよ。でそれより目線下に桜の花。俯瞰だと根元が見えるのが異な感じ、いや、右方向から斜め俯瞰なのか?でも正面から見るとなると楓はいいけど、桜の花の位置が変。。と色々悩んでしまいます。
でも、屏風として立体的に見ていた時はその辺りの違和感は全くと言っていいほどなかったわけです。
それが計算されたものだとすれば(色だけでなく形状としての対比を狙ったデザイン的障壁画?)とても面白いし、そうでなければ、オカシイし。。。
今後の宿題にしーよぉっ。
 
さて終盤です。第十章 狩野派と長谷川等伯―正統な美VS斬新な美
狩野派と等伯の闘いは巨大な組織に一人挑む絵師的な構図で小説等にもされていますが、狩野派と等伯に限らず、パトロンを得るが為とはいえ、洋の東西を問わず、そういったドロドロした面が美しい絵の裏にある事を知ってしまうと、どうも、こちらも見る目が曇ってしまうようでいけません。が、しかし、こちらの展示はそういった事とは関係なく、しかも狩野派といっても、闘いの象徴である永徳の作品ではなく、偉大な父の陰に隠れて下手呼ばわりされたり、長谷川派と融和を図った光信とか、その子の長信とかあまり日の目を見ない人たちの花鳥を中心とした屏風が中心でした。江戸狩野派(あー、これも感想かいてなーい。汗)のような優美さが先に立つような洗練された感じとは違って、でも力強さのある画面《西王母・東方朔図屏風》(光信)や《桜・桃・海棠図屏風》(長信)の八曲一隻らしい細長く広がる大画面に展開する花木の重厚ぶりは、やはり正統派狩野派の面目躍如といったところかなぁ。伝松栄という《花鳥図屏風》は好き。
対する長谷川派というより等伯。前期に展示されていた《松に鴉・柳に白鷺図屏風》http://www.idemitsu.co.jp/museum/collection/introduction/painting/ink/ink04.html
は、途中から等伯の署名が消されて、雪舟の偽物署名が書き加えられていたとか。確かに雪舟は等楊(とうよう)という一時違いの諱(いみな)があるし、等伯自身雪舟五代と称して自らを売り込んでいたわけで、本人のやったことなのか?と思いたくなってしまう。その偽物署名解説パネルに写真がついていて赤い四角でクローズアップされていたので、一生懸命探したけれど、良くわからなかったのよねぇ。。目悪すぎ。
後期に展示されていた同じ等伯の《波頭図屏風》。これは京都にある作品と略ほぼ同じ構図?金地に墨だけ?なのに、波濤の散る感じ、流れの速さを一瞬にして感じ取ることができる迫力のある画面ですね。《松林図》が幽玄な静寂を表しているのとは対照をなす荒くれる海のダイナミックさを余すところなく表現している様は、目の前に広がる日本海の冷たく荒ぶる海をずっと眺めて育った等伯その人そのもののような気にさせられますねぇ。。
でも、右隻と左隻の両側にある署名。自己顕示の強さを感じてちょっと萎えるなぁ。
終章である第十一章は、出光らしく仙厓―未完了の表現
仙厓さんの作品については去年の「日本の美・発見VIII 仙厓と禅の世界」の感想で詳しく書こうと思っていたんだけど・・・そのまんまだぁ。。。
ま、アップはしていないけれど、今回はパスしますかね。
 
そういう訳で、ボリュームも内容も素晴らしい出光らしい展覧会でした。感謝。
 
日本の美・発見IX日本絵画の魅惑
出光美術館(丸の内)
 
前期:201445日(土)~56日(火・休) 後期:201459日(金)~68日(日)
 
会期は終了しています。