2018年9月14日金曜日

【投稿更新中】15日から始まる「狩野芳崖と四天王」の視点が面白い!泉屋博古館


プレス内覧会より一日前に発信力に期待してブロガー内覧会を開催されるという泉屋博古館に行ってまいりました。
なので、いつもと違うアップの仕方=随時更新 でお伝えしてまいります。
まずは、いつもの通りのお願いを最初に。
会場内写真は主催者の許可を得ての撮影であり、通常会場での写真撮影は不可となっております。(不出来な写真なので、される方は居ないとは毎回思っておりますが、転載もおやめくださいね。)→まだあげてませんが、写真は徐々に上げてまいります。

まず個人的感想としてお伝えしたいのは、
江戸末期から明治初期の日本美術に関しては、
①フェノロサ→岡倉天心→東京美術学校そこから輩出された天才たち
②超絶技巧の世界(工芸品を中心にした江戸末期から明治初期→博覧会出品)
の視点から取り上げられたものが多い中で、この展覧会は、その前からを丁寧に掬い上げているという面で斬新だし、面白い切り口だな、という事です。
(いや、他に似たようなのあったよ、という場合はごめんなさいなのですが。)
その意味でも、野地館長のギャラリートークが開催される土曜の午後3時、絶対面白いと思うので是非

さて、ここからは「狩野芳崖と四天王」ブロガー内覧会の概要をご報告

ますは野地館長からのご挨拶

ブレスより先の発信力あるところに注力

ハッシュタグて発信してね、という事でありましたので、発信したことご報告致しますわ。


昨日は 泉屋博古館で明日から開催される  #狩野芳崖 #四天王」#ブロガー内覧会 にいったよ!面白い視点からの #近代日本画 を鑑賞できて楽しかった!#美術館に行った 感想は別途纏めますが、土曜の15時は館長のギャラリートークもあるから、是非聞かれるといいと思います。凄く勉強になります。


明治150周年、明治は遠くなりにけり

野地さんご自身は今年60歳になられるそうで、
今年が明治150年という事は生まれた時は明治90年だった事になる。

そうなると、まだ明治時代生まれのおじいちゃん、おばあちゃんもいらして近しい感じがしたし、その後明治100年には、100年を記念して東京近代美術館ができた事、その翌年美術館は京橋(今のフィルムセンター)から竹橋に移ったのであること等に触れられ、既に明治は、平成世代にとって近世扱いの分野であるとのお話がありました。
明治初めの日本絵画を取り巻く状況は?
さて、明治という近代における日本絵画を取り巻く状況はどうだった?
ということですが・・
江戸時代は、各藩のお抱えとして狩野派が活躍していたわけですが、体制の瓦解共に

給料をもらっていた絵師達は路頭に迷う事になります。
(維新政府が文化面にも力を注ぐようになる)明治15年くらいまで絵師たちは陶器や漆器の下絵を描いて糊口を凌いでいたというのです。
芳崖は、この美術館にほど近い、愛宕下に住んでて上述の陶器や漆器の下絵を描いて食い扶持を得ていたのですが、維新政府の請負で政府の象徴の絵を描いたり、東京大学で解剖図や地図を描く仕事をしていたらしい。
器用な人なら、それくらいなんでもないでしょうね。(朝ドラの主人公が漫画家で売れない時に星占いか何かのイラストの仕事請け負ってた事をふと思い出す・・・いや、レベル全く違いますが)

で、フェノロサが登場。明治11-22年(←要確認)にやってきて 法哲学教えつつ、日本美術の研究、コレクション更には日本絵画史記述をするという(かなり入れ込んだのね)。

その時、アドバイザーとして起用されたのが橋本雅邦、雅邦が͡古画の鑑定ができたという理由のようで、同様に狩野派が重用され、お互いウインウインの関係に。
狩野派って?
狩野派といっても、いくつかの流れがある事も解説されていました。
場所との関係が面白い。マメ知識をどうぞ。
〇江戸後期の狩野派といえば、「木挽町狩野家」
   木挽町と言えば、現在の歌舞伎座辺りで画塾があったそうです。

   今週から静岡美術館で木挽町狩野家の特集があるそうですよ。

〇幕府の、奥絵師は中橋狩野家、場所は今のブリジストン美術館の場所にあった

〇江戸城に出仕できたのが、鍛冶橋狩野家、今の国際フォーラムのあるところですね
(昔の都庁)

日本人は四天王好き?
ところで、日本人は四天王という言葉好きなんですね、今回のタイトルの四天王に併せ、本展覧会では①弟子の四天王②東京美術学校の四天王が登場します。
章立ての説明 
〇第一章は 基礎になる作品絡み
明治時代に入った狩野派がどういう方向に向かうかがテーマ
芳崖、雅邦、木村立獄(りつがく)、しょうぎょく(?)は作品ないので狩野友信を紹介

〇第二章は芳崖四天王、すなわち4人のお弟子さんが 明治時代に変容していく姿
岡倉秋水、岡不崩、高屋肖哲、本多天城

〇第三章は朦朧体に代表される 東京美術学校で学んだ革新的なひとたち
 =芳崖四天王(天心の甥でもある秋水等)が教育者としての道を歩かされるのに比し、
  同期生でもある大観、観山、春草らは自由に革新への道を進んだ

(ギャラリー詳細解説と写真はあとで)


狩野芳崖と四天王
2018/9/15(土)~10/28(日)休館日月曜(17日、24日、8日は開館)
前期 ~10/8(日)
後期 10/10(水)~
泉屋博古館 分館

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