ラベル ブリヂストン美術館 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ブリヂストン美術館 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年6月17日火曜日

描かれたチャイナドレス@ブリヂストン美術館のブロガーナイト(内覧会)に行ってまいりました♪



中国 は、古代から近世にいたるまで、つねに日本をリードしてきたアジアの先進国でした。その日本は、明治維新以降、ヨーロッパに目を向け始めます。しかしそれでもなお、日本人の心から中国への憧憬や愛着をぬぐい去ることはできませんでした。

大正時代、日本で中国趣味がわきおこります。芥川龍之介や谷崎潤一郎らが中国をテーマにした小説を次々に発表します。同じように、美術でも中国ブームがあらわれました。油彩画の世界では、藤島武二が中国服を着た女性像を描き始めます。ツーリズムの発達によって渡航しやすくなったことから、児島虎次郎や三岸好太郎、藤田嗣治、梅原龍三郎らは、中国を実際に訪れて題材を見つけました。一方、興味深いことに、藤島や岸田劉生、安井曾太郎らは、日本にいて、日本女性に中国服を着せて描きます。そこには、ヨーロッパから学んだ油彩技法を用いて、日本人が描くべき題材を求め、東西文化の融合をめざした到達点の一つを見ることができます。

このテーマ展示は、1910年代から40年代にかけて日本人洋画家が描いた中国服の女性像約30点で構成されます。成熟していく日本洋画の展開をお楽しみください。

ブリヂストン美術館 HPより・・・


今年から年パス買ったのに、なんちゃって外交やらなんやらで、会期は4月からだったというのに、ブリヂストンに行く時間がぜーんぜんなーーい!(ダッテ夜間延長している金曜とかに予定入れたりしちゃうから・)と焦っていたある日、ステーションギャラリーのフォートリエ展の感想文を書くために所蔵作品の確認をする為HPを開いたところ・・・あれー?ブロガー内覧会があるーーーーー!!しかーーし、先着100名、募集始まって既に1週間・・・思わずつぶやいちゃいましたよ・・

きゃー。今日になってから気づいたブロガー内覧会@ブリヂストン。bridgestone-museum.gr.jp/news/2014/270/ さっき申し込んだけど、ポストされてから既に一週間近く、もう先着100名に到達してそうだしなぁ。。。くーーー、折角空いている日だから行けるといいんだけどなぁ。。 2014.06.03 15:47




営業時間中だけど・・・ご返事がこない・・・うーん既に100人超えちゃったか??

ブログの内容によってはお断りみたいな注意書きがあるけど、そういう事じゃないよね、大丈夫よね?と思わず数少ない公開ポスト(あはっ、書きかけのポストは一杯あるのだ。)を読み返したりして。。

その夜。。。

「先ほどこちらのメールに不具合があり、送信できたかどうか確認ができませんでしたので再送させていただきます。この度は「描かれたチャイナドレス」展ブロガーナイトにお申込みいただきまして、ありがとうございました。このメールの内容にて、お申込みを完了いたしました。」やったー!!ってか、最初のメールも同時に来たー!!


・・・という訳で、うきうきルンルン(古っ!)で、なんちゃってチャイナドレスに着替えてGo!チャイナ着てきたりするともらえるというのは、これかな?
メモパッドとボールペンのセットを戴いて、更にフォーチュンクッキー付のウェルカムドリンクを戴き、最初のポストをね!https://www.facebook.com/pikachann2008/timeline/2014#!/pikachann2008/posts/649892968413214?notif_t=like

・・とはいえ、ブリヂストンの場合は#(ハッシュタグ)で同時進行的に呟く方式ではないので、気は楽。


今回の企画をされた貝塚学芸員が解説をしてくださいました。

纏めて解説方式でなく作品を回りながら熱心に愛情をこめて解説してくださる姿がいとおしい。これができるのも、二室に約28点(後期)程度だからかな。

後期の目玉の《金蓉》安井曾太郎@東京国立近代美術館蔵は大好きな作品なので、修復前は勿論、修復後も何度となく近美で見させていただいているけれど、その他の作品は、私にとっては、ほぼ粗、お初にお目にかかる作品たちばかり。だって、今回は石橋財団がお持ちの二点を除いて、略全作品を日本の他の美術館から借りてきて展示されているんですもの。いつもは手持ちの絵画を色々なテーマで魅せてくれる企画力のブリヂストンだけれど、今回は、企画力はそのままに、しかも短期間に(昨年の8月から、前期開始の4月までの約8か月)よくぞ、貸借交渉を纏められたものですねぇ。。。

しかし、その成果あって、展覧会そのものは「一部から」大変ご好評をいただいております、でも、図録は少々売れ行きが・・・・とおっしゃり、参加者を沸かせる貝塚学芸員。

図録をふやさない決意を固めていて、カイユボット展の時だって我慢したのに・・その甘言(笑)にのって(?)買ってしまいました。

でもね、宣伝するわけではないけれど、今回写真撮影できない作品とか、解説が充実しているので、買ってよかった図録でした。オススメです。(マジメに申しております)

どれも素敵は作品を詳細に解説戴いたので、そこで学んだ事は後述するとして、大変印象が強かった作品を二点あげるとすると。。。。

久米民十郎《支那の踊り》・・・・・

久米民十郎《支那の踊り》


誰にも似ていない、なんだ、これは!この不思議なフォルムの女性は!? でも流れるようなそのデフォルメされた肢体は画面の中心で確実に舞っている!その優美な線をかたどるチャイナドレス。。。 同じく参加の美術友達が東郷青児のよう、と言っていたけれど、画風が似ていないのに、そのイメージも若干。。と思うのはその細く長く伸びたとがった三角形の手指のせいかしら。良く見れば、首は異様に太いのにね。そして、まげた足の内側は紫なの、どんだけ長い間ぎゅーっと折り畳んでいたんだか!

後で解説を伺ったり、図録を読むと英国に留学し渦巻派というムーブメントに加わった彼は四度目の英国渡航の前日に横浜で関東大震災に遭い、泊まっていたホテルの下敷きになって30歳の若さで亡くなったそう。久米建築事務所(現久米設計)の創始者久米権九郎のお兄さんというのだけど、久米設計は耐震設計で有名だから、兄の死が少なからず影響を与えたのかしら??・と、妄想の横道にそれること暫し。

この作品は1920年、27歳の時の個展以来行方不明だったのが87年後に永青文庫で見つかったとか。今回の展覧会には同じく永青文庫で正宗得三郎の《中国服を着た女》
 
 
正宗得三郎《中国服を着た女》
モデルは《金蓉》の小田切峯子
 
も2007年に見つかったという話だったから、永青文庫にはまだまだ見つかってないものが一杯あるんじゃないかとか、結構鷹揚な管理だったのかなーとか、またまた余計な事(妄想)を・・・。いかん、いかん。

貝塚さんのお話では、陶板のような上に乗っているという言い方をされていたけど、そう見ようとすると、陶板部分はソーサーで、彼女はカップのようであり。。。でも、私には、陶板部分は、絨毯、それもトルコを感じさせる絨毯のように思えたのは、彼女の動きがトルコのダンスをする人の絵を思い出させられたからでした。

さて。

もう一点は・・撮影禁止の(なので、今ならコチラご覧ください→http://www.bridgestone-museum.gr.jp/exhibitions/ )

藤田嗣治《力士と病児》@大日本印刷蔵(役員室に掛かっているとか)

いやー、この力強い表情、うまいなぁー。顔に湿疹なのか、魔除けの印なのか赤いぽちぽちが縦に並んだ辮髪?(その変形?)の赤子とそれを抱く赤い頬、でもモダンガールの雰囲気の黒い緩いガウンのような中国服を着た母親、構図も背景も、一人一人の表情や表現もとても強い印象です。

乳白色の時代から一度離れていた時代に描いたという《カルポー公園》の事を、フジタと言われてもわかんなーい、と、くさしたhttp://pikarosewine.blogspot.jp/2013/06/paris-1900-1945.html

私ですが、(まぁ、結果として、名前も絵も頭の中にすっかり入りこんでしまいましたがね。)これは、フジタとわかる、わからない以前に、ぐっと引きつけられます。魁偉とのご説明でしたが、なかなか、頼りがいのあるかっこいい風貌のこの「力士」、同じ人物を取り上げたという《北平(ぺいぴん)の力士》も是非展示したかったそうですが、できなかったととても残念そうな貝塚さん。うん、確かに横に並べて魅せて欲しかったなぁ・・・こっちは、行けばみられるというので、秋田行かなきゃ。

この絵に引き寄せられたもう一つの理由はレンガの壁を中心にした背景の右上の黒い窓枠のような中にモンドリアンのような黄色と青、赤子の衣装の赤、母親の頬の赤と黒いローブ、そして、力士のシャツの白、左上の黒地に白い文字が描かれた看板のようなもの、その黒い文字の下は赤い四角、床の肌色系のタイルと、何だろう、四角や長方形といったカタチと赤白青黄黒という色を意図して、人物を三角形に置いて更に力士の堂々とした体躯が目に入るようにしたのかもしれない・・と思えたからかなぁ・・

重厚で力強さのある印象的なフジタでありました。


いやー、例によって、二点だけで既に紙幅を使っていますが、まだまだ行くよん。

第一室の最初を飾るのは、今企画展の副題を飾る藤島武二の≪匂い≫。最初にタイトル見た時はピンとこなかったんだけど、モデルがいつている肘のまえにある嗅ぎたばこが、あるからだったんですね。はっきりした顔立ちなのに、何故かもよんとした、彼女の顔は、周りの花。。。というよりは、今回塗られた赤の壁を反映しているかのように、照らし出されている感じ。
藤島武二 《匂い》

 そうそう、トーハクには150人のスタッフがいて、壁の色などをデザインされる専門の木下さん(という名前までだされてましたねぇ)という方もお出でになるけど、うちは担当学芸員が決めるんです、と、うらやましそうな口ぶりではありましたが、全てが自分で出来るというのも大変だけど、楽しくやりがいありそうですよねぇ。
少なくとも、今回はアジア、中国、日本(日の丸)につき、日本人がイメージする赤を壁の色にされたようです。仰るように全てがピッタリとくるわけではないけど、赤を基調にした色彩を使っている絵にはかなり、自然に入ってきて、あまり、煩い感じがなかったからに、成功している気が。

 藤島は短いとはいえ、フランス・イタリア(ローマ)に二年ずつ、そして、朝鮮半島でも勉強、絵を描くとの試みをしています。それだけに、フランスが北アフリカや、イタリアを見る眼差しに似た感覚で、朝鮮半島や中国に対して目を向けていたのではないか、との解説。そして、フランスでルネッサンス期のイタリアの横顔の肖像画に触れて模写などをしたことがきっかけなのか、横顔が美しい日本人が殊に少ないとして、めぐりあったのが、かつての竹下夢二の愛人の佐々木カネ子ヨ(かねよ)。
いや、残っている写真も美しい顔立ち、



カネヨの写真を見せながら解説される貝塚学芸員


私にはその最も美しい顔立ちを表現していると思われるのが≪芳 蕙≫(参考図版)
参考図版 藤島武二《芳蕙》
のパネルでしたが、帝展で発表されて以降行方不明だということ。それはそうよね、消失していないとしても、、誰にも見せないで毎日眺めていたいような美しい顔立ち。出てこないわよね、そうそう、簡単には‼
そして、いかにもルネッサンス時の肖像画にあるような背景の空と雲も、彼女の美しさを際立たせていますよね、本物が見てみたい。。。。
背景といえば、今回のポスターにも使われている≪女の横顔≫
藤島武二《女の横顔》
の背景もダヴィンチに出てきそうな荒野を想像させる背景。イタリアかぶれ、、、もとい、憧れのルネッサンス様式で、中国への憧憬を描く藤島が、この横顔シリーズを描いていた1920年代は、日本にチーパオブーム即ちチャイナドレスですな、が訪れていたとか。ま、といっても、一部の上流階級に、ではないかと思うけど。だって、銀座などで常に纏っていた中国服で歩いていて中国人に間違えられた小田切峯子の事を外交官の父親がつけた愛称が≪金蓉≫というからには、やはり珍しかったのではないかなぁ、とも思い。
それはともかく、中国服に魅せられた藤島は60着も取り寄せて、モデルに着せたというんですね。聞きながらマティスが、モロッコに行った折に、彼の地の生地を買い集めたことを思い出し、フランス人の北アフリカに寄せる眼差しと日本人である藤島が中国に向ける眼差しと共通といったことを仰る貝塚さんの解説が納得できるものに聞こえ。

同じく中国服に憑りつかれたというのが、小林萬吾。ラピスラズリでも使ったのではないかと思われるほど美しいひかひかしたブルーの中国服の女性を描いた≪銀屏の前≫を見たオルセー美術館の館長が、色が美しいと言われたとのエピソードが紹介されましたが、サインがデカすぎ!自己顕示欲強そうだなー。
小林萬吾《銀屏の前》

その、萬吾に東京美術学校(芸大ですな)で師事した矢田清四郎の卒業制作作品と言われる≪支那服の少女≫の清楚さと気品にうっとりする人も多いのではないかしら?
左の窓から差し込む光に少女のうつむき加減の斜めからの顔の雰囲気は、全然似ていないのに、フェルメールとか、ああいった窓からの光や静謐さと共通項を見いだそうとする自分がおります。
(残念ながら、この作品は撮影ができませんでした。会場で確認くださいね、まだやっているので)

光が当たっていないのに、何故か、後宮の長ーい廊下に差し込む光を感じてしまったのは、恩地孝四郎の≪白堊(蘇州所見)≫。正面の窓のような長方形の中には幾何学模様の格子、これを中心に天井や壁の線だけで構成される画面のほんの少しのスペースに青い中国服の女性の後姿をちょっとだけ描くという、洒落た構図が素敵。


恩地孝四郎≪白堊(蘇州所見)≫


取り寄せができない場合は、作ってしまえー、とばかりにフランス製の生地をもはや、中国服と言えるかどうか分からないけど、奥さんに手作りの中国服を着せて描いてしまった強者はーーー正宗得三郎です。
正宗得三郎《赤い支那服》

さて、中国服描きたい、描きたいと駄々っ子のように言ってた割には一枚しか描かなかったという小出楢重。上海出身のダンサーモデルに「似とらへん!」といわれちゃったらしいのだけど、そのダンサーが本名を憚ったので≪周秋蘭立像≫と、一字変えたくらいだから、お顔も気を遣って重子夫人に似せたのかもしれないですねぇ。そんな優しいところがあったから、亡くなった後に重子夫人がリーガロイヤルに度々訪れて、絵とそして亡き夫と、会話してたのかも。。。

去年エミールクラウス展で、俄かに私の心に入り込んできた児島虎次郎。


でも、あの時は二枚(あれ一枚ダッタッケカナ)、しかなかったし、その後こちらで一枚見たんだっけか?
それが、この企画展では、なんと、四点、解説の時に見せていただいた図版も入れて五点に出会うことができたのは行幸です。

そのうち印象的だった二点・・



児島虎次郎《西湖の画舫》
 
児島虎次郎《花卓の少女》

この人は、欧州のサロンに作品を応募する為、東洋を意識した作品を描いたそうですが、 《西湖の画舫》は100号より横の幅が長い大画面に カラフルでエキゾチックな中国の服装の人たちが画舫という、屋形船の中国版、いや、日本の屋形船と比べるのは申し訳ないくらい立派な船内で二胡を奏で、歌を歌い、宮燈の赤い房がたなびく程の涼風を感じながら話に興ずるといったシーンが描かれています。なんでも資料が少なく画舫の内側迄描いてくれているという意味でも貴重な作品なのだとか。。
もう一枚は《花卓の少女 》
クラウスの外光派的な要素なのかどうか、と言われるとよくわからないけれど、明るい色使いはやはり抜群のものがあるのではないかと改めて思ってしまう作品です。紫の色がきれい。
エピソード的には京劇の派手な化粧を取るととても清楚なイメージの女性であることがわかって、黒のチャイナドレスを着た姿を描いたという《中国の少女 》も記憶には残りました。やはり、はバックはカラフルですよねぇ。。。これは師匠のスタイルに近いかな?
 
児島虎次郎《中国の少女》(一部・・下の方影ニナッテシマッタノデトリミクングしました)

さて、ここからは撮影ができなかった梅原龍三郎の作品。彼の作風は、ともすると、マティスに酷似しているようにも思えるものがあるのですが、展示されていた《姑娘とチューリップ》なんかも本当にそんなイメージ。違うのは、女性の顔が東洋人で、着ているものが中国服。でも結構好きな絵だなぁ。。中国が気に入って四年の間に6回、しかも1月半とか数か月とか、長期逗留したというだけあって午前中は風景を描き、午後は姑娘を招いて中国服の人物画を描くという精力的な毎日を過ごしていたそうです。風景画は有名で、知っていたけど、中国服の人物画というテーマを持っていたとは知らなんだ。梅原も「中国の女性は美しい。すべて描きたくなる」と言ってたとの解説、図録には更に「今日の日本の女はそう描きたくないが」という前文がありました。藤島と同様ですね。
 
まぁ、他にも色々解説もして頂いたのですが、あんまり長くなっちゃっうのと、いつもと違って会期終了後にのんびりアップしたのでは、ちょっとは宣伝してね、という趣旨もボケテしまいますからね。。感想文はこの辺で一旦ストップ。
 
 
 
今回全てではないのですが、常設の一部のお部屋の写真撮影も許可して戴きました。
開館60周年を記念して常設展示の内容と九州の石橋美術館の作品で構成された二年前の「あなたに見せたい絵があります」展のブロガー内覧会の時にも撮らせて戴いたけれど、今回は企画展の範囲を超えた部分なので、有難い事です。
なので、ちょっとだけ・・・
 
 
普段はじっくり見ない古代美術コーナーで横顔を撮った(笑)

 
いやいや、今回も内容の濃い企画展で大変楽しめた上に、丁寧な解説、本当にありがとうございました。
翌日もう一度確認する為に、もう一度(ヨウヤク年パス使って・・・苦笑)行きましたよ。

注:会場内の画像は主催者の許可を得て撮影したものです。私の写真の質ではそんなことはないかとは思いますが、転載はなさらないでくださいね♪



描かれたチャイナドレス─藤島武二から梅原龍三郎まで
ブリヂストン美術館
2014年4月26日(土)〜2014年7月21日(月)









2013年6月8日土曜日

【終了後感想文】 Paris パリ 巴里・・・・日本人が描く1900-1945 ブリヂストン美術館

最近どうも会期末ギリギリになって滑り込む展覧会が多くなって反省している私です。でも反省だけでちっとも実行が伴わない実態。
特に場所的にそんなに押し寄せることが想像つかないところ、だから激混みじゃないだろうとの予想に立てる(そんなこと書かれたら美術館や主催者的には宜しくないですけどね。スミマセン)展覧会だったり、近いからいつでも行ける、とタカをくくりやすい、でも昼休みに見るには結局のところ、時間がないじゃないか!やっぱり週末にいかなきゃ。と逡巡する美術館だったり、もともと、さしたる興味はなかったのだけど、美術仲間や他のブログの評判がよかったりする企画なんかだとその傾向が強くなるワケで。。。

そんなわけで、先々週末も慌ただしく美術館の梯子。。。(最近はせいぜい一日2館(展覧会的には一日4だったりするけど)程度に抑えてますが。。。)をしてまいりましたよ。
まず、最初は・・

ブリヂストン美術館 テーマ展「Paris,パリ、巴里――日本人が描く 1900-1945」

明治維新以降、西洋文化を学んでそれを乗り越えることが、日本のひとつの目標となりました。日本人洋画家にとって、芸術の都パリは、19世紀末から聖地となります。いつか訪れてその空気を吸い、泰西名画や最新の美術に直に触れてみたい、と強く憧れる対象となりました。1900年以降、パリを訪れる洋画家たちが増えていきました。聖地パリで、あるものは衝撃を受け、あるものは西洋美術を必死に学びとろうとし、またあるものは、西洋文化の真っ只中で日本人のアイデンティティーを確立しようと試みます。ブリヂストン美術館と石橋美術館のコレクションから、浅井忠、坂本繁二郎、藤田嗣治、佐伯祐三、岡鹿之助たちがパリで描いた作品約35点を選び出し、さらに他館から約5点の関連作品を加えて、日本人洋画家にとってのパリの意味を考えてみます。20世紀前半の、生き生きとした異文化交流のありさまをお楽しみください。

ブリヂストンは大型展でない限り激混みになることもないし、近い方だけど昼休みに行くにはもったいないし。。というわけで、ギリギリになる事が多い口。今回も終了前日。丁度土曜講座が終わった時間とかち合ってしまって、いつもよりは鑑賞者が多い・・でも、今回のテーマ展を聞きに来た方たちなので、お話されていても、いやな感じのしない程度。
私といえば・・・
丁度前の週に「夏目漱石の美術世界展」(東京藝術大学大学美術館)のブロガー内覧会に行って(記事は http://pikarosewine.blogspot.jp/2013/05/blog-post_31.html  )明治時代の官費留学生としての英国派遣の漱石が英文学の理解の為と称して貪欲に英国絵画の耽美な世界に引き込まれていた同じ頃、フランスに留学していた浅井忠と深く交流をしており留学中にも会っていた・・・ような音声ガイドを聞いた記憶がありまして・・・。

明治新政府が政治や法制等ばかりではなく、文学・美術に至る様々な分野で西欧文化を吸収させるべく官費留学をさせた、という懐の深さにしみじみと思いを巡らすことになったわけですが、1896年から黒田清輝を筆頭に、浅井、岡田三郎助、和田英作をパリに送り込む事を決めたあの頃の政官の人々の器量に脱帽しながら展示を見始めました。
タイムリー♪

1900年代に入るとからは安井曾太郎(07年渡仏)や梅原龍三郎(08年)らの私費留学生も登場するようだけど、その安井が留学のきっかけが、漱石に南画を教えていた津田清楓の渡欧だと知れば、面白さに拍車がかかるというものです。

余談はさておき・・・

この時代にパリに行くと言うこと、そしてそこで国を背負って貪欲に知見を広げようと気負ってやってきたであろう彼らにとって、まるで違う世界の体験はその後の人生や画業にいかほどかの影響を及ぼしたのか・・と思うと面白いですよね。

特にクスり、と笑ってしまったのは、小出楢重。フランスには「絵はどっさりあるが、芸術はない」と一刀両断に切り捨てたという小出だけど、たった五か月の滞在で、美術館と画廊巡り、そして買い物しかしなかったのに、そこまで言いのけたからには、パリのすごさに触れて、ちっぽけに見える自分を奮い立たせるべく、大きく振る舞わずにはいられなかった、或いは何か「事件」があったのではないか、、と勘繰りたくなるというもの。常設でもお目に掛かれる《自画像》が小品の多い小出にしては異例な大きさ(126×91.3センチ)のキャンバスという説明を読み、そこに描かれる神経質そうで、でも洋画家として洋風生活を送るとし、全身とてもおしゃれな恰好をした本人の自画像を見ると、自己顕示の強さと同時に多少の自虐の表情が画面一杯に広がっている感じを受けます。きっと、そうするほどのプライドに満ちた彼の事だからこそ、突っ張り過ぎて、フランス人と仲良くなることもできず、留学生仲間(少なくとも坂本繁二郎とは同じ船に乗っていたみたいだけれど・・・)と安易につるむことなく異国での孤独を感じながら、一人美術館・ギャラリーめぐりをし、なんとか5か月を乗り切ったのでは??と勘繰ってみたわけであります。


もともと東京美術学校の西洋画科に入りたかったのに、日本画科に入って(以前ブリヂストンで彼の日本画による静物画を展示していた時がありましたよねぇ)、その後転向したという彼の経歴から見ても、帰国後の西欧式生活態度からみても、洋画、ひいては西欧に対する憧憬は一方ならぬものがあったに違いないと思うわけです。でも初めての海外、石造りの建物や、大きな宮殿等が並び、体躯の大きく華やかな服装の人々を目にして、(当時の日本人の平均的な身長であれば)小さく、色浅黒くの自分の貧相な姿との比較をせざるを得なかっただろうし、委縮しそうになる気持ちを抑えながら、せめて言葉くらい自由に話したいが、それもままならぬもどかしさ等々、プライドが高ければ高いほど、或いは憧憬の強ければ強い人ほど、最初は打ちのめされるほどの気持ちに陥るだろうことは想像に難くないですからねぇ。
《自画像》は帰国後の制作ですが、《パリ、ソンムラールの宿にて》(三重県立美術館)という1922年の滞在中に描かれたと思われる小品は、その孤独感と打ちのめされ感を象徴しているように思えるんですね。画面中央より少し下を横切る窓枠とその下部分にある真鍮の鉄柵、窓は閉められ、ピンとはそのシャープな窓枠に合っています。本当は少し顔を出せば空も見えただろう筈の窓の内側から見えるのは、その先に映し出される道に沿っていつまでも続く(当時にしては)威風堂々たる高い建物。ただそれだけを描いているのだけど、、非常に心に残りました。
その辛い半年か一年を過ぎれば、言葉もできたり、フランス人のトモダチもできたりして、行ける場所も広がって、また見方が違ったかもしれないのに、と思うと彼の自画像から透けて見えるそのアンヴィヴァレントなプライドと自虐の危ういバランスの背景に興味が湧いてしまった、という訳です。自叙伝みたいなのないかしら。

さて、同じ留学中の過ごし方でも、画家によって随分と違うものなのね、という事をわからせてくれたのもこのテーマ展覧会。

(きっと)一人寂しく美術館巡りと買い物ばかりして短い滞在を終えた小出のような人もいれば、同じ時期に滞在していた画家とモデル(時間給を払って描いていたんですね)を共有するなど工夫し、裕福ではない(であろう)留学生活を豊かに身のあるものにしていったのが、浅井忠と和田栄作、或いは坂本繁二郎と遠山五郎。


最終日一日前だったので、残念ながら和田栄作とモデルを共にした浅井忠の《読書》は見ることができなかった(*)けれど、面影は同じ、でも描き方が全く違う坂本の《読書の女》と遠山五郎の《読書の女》の対比はなかなか面白かったなぁ。個人的には薄茶色と水色がベースの坂本の作品よりべたーっと塗りたくった 遠山の作品の方がベタだけど好きかな。でも坂本は坂本らしさ満載だから、それはそれで良しということで。。


(*)見ることはできませんでしたけど、インターネットミュージアムでちらっと確認♪ 今日の感想文で取り上げている絵も多く見られますので、引用させていただきます♪ ↓↓
http://www.museum.or.jp/modules/topics/?action=view&id=267.

そして、更に黒田の紹介に拠ったり、自らおしかけ、フランスで師を得た積極派の画家たちもいたことがわかります。黒田の紹介でラファエル・コランという師を得た岡田三郎助の《臥裸婦》はその丁寧な指導の成果なのか、向きはかなりアクロバティックとはいえ、なんだかアングルを見ているような感じ。有名な《グランオダリスク》じゃなくって、衣をまとったほうの《奴隷のいるオダリスク》の方ね。(イヤ、ナラベテシマウト全然違ウイメージナンダケド、「アッ、アングル!」(ト、三四郎ノ、アッ、マーメイド!」ト言ウ場面ヲリフレインシテミル感ジ・・・))なんか、惹きつけられてしまいますね。

そのコラン師がどんな絵描きであったのかが分からないのが゙惜しい。説明に加えて欲しかったなぁ・・・・
・・・ということで、調べてみましたよ。
外光派と言われた師コランさん、ウィキペディアではご本人の写真しかないから、グーグル先生の画像検索をさせていただくと・・・
http://www.fukuoka-art-museum.jp/jc/html/jc04/01/raphael_collin.html
ん?なんか、ずいぶんと・・・・(以下 自粛)更に、検索していくと・・・あっ!こ、これは・・・・
http://island.geocities.jp/hisui_watanabe/art/artist/collin/collin.html
なるほど、《臥裸婦》はこの絵からの影響が大きいんですね、
このコラン師、別荘をフォントネ=オ=ローズという地にお持ちだったようで、(裕福ナ人ダッタノネ。)その地を題材に、辻 永(ツジヒサシ)が描いた《フォントネ=オ=ローズの春》は、いかにもフランスののどかな田舎といった風情の佳作で、これも惹かれたなぁ。

梅原龍三郎は美術館通いをした中で心惹かれたルノワールに会いにカーニュにまで出かけ、その熱意に丁寧に応えたルノワール師のおかげで、彼の絵はそのルノワールフレーバーを身に着けることになるわけです。

ルノワールの家に押しかけたのは梅原だけはなく、アトリエに訪ねて本人から直接500フランで《水浴の女》の絵を購入したという山下新太郎。その絵を使って研究した成果が表れているなぁ、と思えたのが《供物》。無花果の壁紙を背景にした女性が無花果を持っている姿は、「ルノワール写し」といった風情があります。ただ、肌の色は残念ながら、あのルノワール独特の透明感のある色合いまでは引き出せてないのが、残念。画材も高かったでしょうから、そこが限界だったのかなぁ。

その点は7年弱に亘る留学の総決算的に帰国前年に安井曾太郎が描いたという《水浴裸婦》のルノワール風裸婦でも表現しきれてなかった・・一番近いのは梅原の《脱衣婦》かしら。
ところで安井の《水浴裸婦》は裸婦はルノワール風、背景の山の絵はセザンヌ風という面白いものでしたが、エックス=オン=プロヴァンスのセザンヌのアトリエを借りて集中的に描いた留学生もいたんですね。セザンヌのアトリエを借りることができたなんて・・・・@@; 
その林倭衛も、留学当初はあまり熱心に描いたりしなかったみたいだから、わからないものです。

・・・と、あらま、随分書いてしまったわ。ホントハココカラガイイトコロナノニ・・・
 
いや、今回のテーマはParis パリ 巴里・・・な、訳ですけど、今までのパリとは「行くべき場所」としてのパリ。それは、第一次世界大戦が始まってもそこに留まった藤田にしても対象としてのパリを描いたもの一枚にとどまっている中で、なんといっても佐伯祐三の渾身の作品がパリという街を切り取っていますよね。絵より字がいいと言っていたという佐伯の作品は今回は6点が展示されていて見ドコロは同じオテル・デュ・マルシェというレストランを写実的に、例えばテーブルの六角形を正確に描いた《テラスの広告》とこれがデフォルメされて、テーブルが丸かったりしている《レストラン(オテル・デュ・マルシェ)》の二枚が並んでいることだろうかと思うのですが、そしてその対比はなかなか面白い。でも、私が一番心惹かれたのは《ガラージュ》という作品。画面の左中央から右上に向かって対角線のようにシャープに伸びる屋根、その奥行き感を出している、ガスライトがついているようにも見える看板と、壁に描かれた文字なのかな。この作品は文字であふれたほかの作品とは少し趣は違うけれど、構図、色といいシンプルな中に彼のきらめく感性があふれ出ているような、そんな感じを受けたのです。

フジタの場合は、皆が戦争で日本に帰国したときも踏みとどまって描き続けたというところが、やはりパリから切り離せない画家という事になるのでしょうが、場面的にはパリなのかブラジルなのか、麹町なのかは、わかりにくいところがありますよね。でも、乳白色が使われている作品は全てフジタ=パリのイメージとしてわたしたちに刷り込みをしてしまったフジタの力はやはり頭抜けたところがあります。今回の佐伯同様6枚の展示のうち、《カルポー公園》だけは。一時やめていた乳白色を復活させたころの作品で、他の手法、つまり普通の地を使った作品で、フジタのものかどうかはやはりわかりにくい。カルポー公園なるところが、どこにあるのかよくはわからないけど、パリにあったとしても、フジタなのか、パリなのかの判別はつかないなぁ。でもフジタ=としてもうひとつの確実なイメージである猫が魅力的な《猫のいる風景》は何度見ても魅力的な絵ですね。

・・というわけで。
前回のテーマ企画より、タイトルとやりたいことと、内容がミスマッチだったかな、と見た瞬間は思っていたのですけど、こうやって整理して(イヤ私的ニデスガ)書いてみると、やっぱり、良い企画だったことがしみじみわかりますね。うーん。ブリヂストンやるな。。

第1章 パリ万博から第一次世界大戦まで 1900-1914
第2章 黄金の1920年代と両大戦間期 1918-1945