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2013年6月8日土曜日

【終了後感想文】 Paris パリ 巴里・・・・日本人が描く1900-1945 ブリヂストン美術館

最近どうも会期末ギリギリになって滑り込む展覧会が多くなって反省している私です。でも反省だけでちっとも実行が伴わない実態。
特に場所的にそんなに押し寄せることが想像つかないところ、だから激混みじゃないだろうとの予想に立てる(そんなこと書かれたら美術館や主催者的には宜しくないですけどね。スミマセン)展覧会だったり、近いからいつでも行ける、とタカをくくりやすい、でも昼休みに見るには結局のところ、時間がないじゃないか!やっぱり週末にいかなきゃ。と逡巡する美術館だったり、もともと、さしたる興味はなかったのだけど、美術仲間や他のブログの評判がよかったりする企画なんかだとその傾向が強くなるワケで。。。

そんなわけで、先々週末も慌ただしく美術館の梯子。。。(最近はせいぜい一日2館(展覧会的には一日4だったりするけど)程度に抑えてますが。。。)をしてまいりましたよ。
まず、最初は・・

ブリヂストン美術館 テーマ展「Paris,パリ、巴里――日本人が描く 1900-1945

明治維新以降、西洋文化を学んでそれを乗り越えることが、日本のひとつの目標となりました。日本人洋画家にとって、芸術の都パリは、19世紀末から聖地となります。いつか訪れてその空気を吸い、泰西名画や最新の美術に直に触れてみたい、と強く憧れる対象となりました。1900年以降、パリを訪れる洋画家たちが増えていきました。聖地パリで、あるものは衝撃を受け、あるものは西洋美術を必死に学びとろうとし、またあるものは、西洋文化の真っ只中で日本人のアイデンティティーを確立しようと試みます。ブリヂストン美術館と石橋美術館のコレクションから、浅井忠、坂本繁二郎、藤田嗣治、佐伯祐三、岡鹿之助たちがパリで描いた作品約35点を選び出し、さらに他館から約5点の関連作品を加えて、日本人洋画家にとってのパリの意味を考えてみます。20世紀前半の、生き生きとした異文化交流のありさまをお楽しみください。

ブリヂストンは大型展でない限り激混みになることもないし、近い方だけど昼休みに行くにはもったいないし。。というわけで、ギリギリになる事が多い口。今回も終了前日。丁度土曜講座が終わった時間とかち合ってしまって、いつもよりは鑑賞者が多い・・でも、今回のテーマ展を聞きに来た方たちなので、お話されていても、いやな感じのしない程度。
私といえば・・・
丁度前の週に「夏目漱石の美術世界展」(東京藝術大学大学美術館)のブロガー内覧会に行って(記事は http://pikarosewine.blogspot.jp/2013/05/blog-post_31.html  )明治時代の官費留学生としての英国派遣の漱石が英文学の理解の為と称して貪欲に英国絵画の耽美な世界に引き込まれていた同じ頃、フランスに留学していた浅井忠と深く交流をしており留学中にも会っていた・・・ような音声ガイドを聞いた記憶がありまして・・・。

明治新政府が政治や法制等ばかりではなく、文学・美術に至る様々な分野で西欧文化を吸収させるべく官費留学をさせた、という懐の深さにしみじみと思いを巡らすことになったわけですが、1896年から黒田清輝を筆頭に、浅井、岡田三郎助、和田英作をパリに送り込む事を決めたあの頃の政官の人々の器量に脱帽しながら展示を見始めました。
タイムリー♪

1900年代に入るとからは安井曾太郎(07年渡仏)や梅原龍三郎(08年)らの私費留学生も登場するようだけど、その安井が留学のきっかけが、漱石に南画を教えていた津田清楓の渡欧だと知れば、面白さに拍車がかかるというものです。

余談はさておき・・・

この時代にパリに行くと言うこと、そしてそこで国を背負って貪欲に知見を広げようと気負ってやってきたであろう彼らにとって、まるで違う世界の体験はその後の人生や画業にいかほどかの影響を及ぼしたのか・・と思うと面白いですよね。

特にクスり、と笑ってしまったのは、小出楢重。フランスには「絵はどっさりあるが、芸術はない」と一刀両断に切り捨てたという小出だけど、たった五か月の滞在で、美術館と画廊巡り、そして買い物しかしなかったのに、そこまで言いのけたからには、パリのすごさに触れて、ちっぽけに見える自分を奮い立たせるべく、大きく振る舞わずにはいられなかった、或いは何か「事件」があったのではないか、、と勘繰りたくなるというもの。常設でもお目に掛かれる《自画像》が小品の多い小出にしては異例な大きさ(126×91.3センチ)のキャンバスという説明を読み、そこに描かれる神経質そうで、でも洋画家として洋風生活を送るとし、全身とてもおしゃれな恰好をした本人の自画像を見ると、自己顕示の強さと同時に多少の自虐の表情が画面一杯に広がっている感じを受けます。きっと、そうするほどのプライドに満ちた彼の事だからこそ、突っ張り過ぎて、フランス人と仲良くなることもできず、留学生仲間(少なくとも坂本繁二郎とは同じ船に乗っていたみたいだけれど・・・)と安易につるむことなく異国での孤独を感じながら、一人美術館・ギャラリーめぐりをし、なんとか5か月を乗り切ったのでは??と勘繰ってみたわけであります。


もともと東京美術学校の西洋画科に入りたかったのに、日本画科に入って(以前ブリヂストンで彼の日本画による静物画を展示していた時がありましたよねぇ)、その後転向したという彼の経歴から見ても、帰国後の西欧式生活態度からみても、洋画、ひいては西欧に対する憧憬は一方ならぬものがあったに違いないと思うわけです。でも初めての海外、石造りの建物や、大きな宮殿等が並び、体躯の大きく華やかな服装の人々を目にして、(当時の日本人の平均的な身長であれば)小さく、色浅黒くの自分の貧相な姿との比較をせざるを得なかっただろうし、委縮しそうになる気持ちを抑えながら、せめて言葉くらい自由に話したいが、それもままならぬもどかしさ等々、プライドが高ければ高いほど、或いは憧憬の強ければ強い人ほど、最初は打ちのめされるほどの気持ちに陥るだろうことは想像に難くないですからねぇ。
《自画像》は帰国後の制作ですが、《パリ、ソンムラールの宿にて》(三重県立美術館)という1922年の滞在中に描かれたと思われる小品は、その孤独感と打ちのめされ感を象徴しているように思えるんですね。画面中央より少し下を横切る窓枠とその下部分にある真鍮の鉄柵、窓は閉められ、ピンとはそのシャープな窓枠に合っています。本当は少し顔を出せば空も見えただろう筈の窓の内側から見えるのは、その先に映し出される道に沿っていつまでも続く(当時にしては)威風堂々たる高い建物。ただそれだけを描いているのだけど、、非常に心に残りました。
その辛い半年か一年を過ぎれば、言葉もできたり、フランス人のトモダチもできたりして、行ける場所も広がって、また見方が違ったかもしれないのに、と思うと彼の自画像から透けて見えるそのアンヴィヴァレントなプライドと自虐の危ういバランスの背景に興味が湧いてしまった、という訳です。自叙伝みたいなのないかしら。

さて、同じ留学中の過ごし方でも、画家によって随分と違うものなのね、という事をわからせてくれたのもこのテーマ展覧会。

(きっと)一人寂しく美術館巡りと買い物ばかりして短い滞在を終えた小出のような人もいれば、同じ時期に滞在していた画家とモデル(時間給を払って描いていたんですね)を共有するなど工夫し、裕福ではない(であろう)留学生活を豊かに身のあるものにしていったのが、浅井忠と和田栄作、或いは坂本繁二郎と遠山五郎。


最終日一日前だったので、残念ながら和田栄作とモデルを共にした浅井忠の《読書》は見ることができなかった(*)けれど、面影は同じ、でも描き方が全く違う坂本の《読書の女》と遠山五郎の《読書の女》の対比はなかなか面白かったなぁ。個人的には薄茶色と水色がベースの坂本の作品よりべたーっと塗りたくった 遠山の作品の方がベタだけど好きかな。でも坂本は坂本らしさ満載だから、それはそれで良しということで。。


(*)見ることはできませんでしたけど、インターネットミュージアムでちらっと確認♪ 今日の感想文で取り上げている絵も多く見られますので、引用させていただきます♪ ↓↓
http://www.museum.or.jp/modules/topics/?action=view&id=267.

そして、更に黒田の紹介に拠ったり、自らおしかけ、フランスで師を得た積極派の画家たちもいたことがわかります。黒田の紹介でラファエル・コランという師を得た岡田三郎助の《臥裸婦》はその丁寧な指導の成果なのか、向きはかなりアクロバティックとはいえ、なんだかアングルを見ているような感じ。有名な《グランオダリスク》じゃなくって、衣をまとったほうの《奴隷のいるオダリスク》の方ね。(イヤ、ナラベテシマウト全然違ウイメージナンダケド、「アッ、アングル!」(ト、三四郎ノ、アッ、マーメイド!」ト言ウ場面ヲリフレインシテミル感ジ・・・))なんか、惹きつけられてしまいますね。

そのコラン師がどんな絵描きであったのかが分からないのが゙惜しい。説明に加えて欲しかったなぁ・・・・
・・・ということで、調べてみましたよ。
外光派と言われた師コランさん、ウィキペディアではご本人の写真しかないから、グーグル先生の画像検索をさせていただくと・・・
http://www.fukuoka-art-museum.jp/jc/html/jc04/01/raphael_collin.html
ん?なんか、ずいぶんと・・・・(以下 自粛)更に、検索していくと・・・あっ!こ、これは・・・・
http://island.geocities.jp/hisui_watanabe/art/artist/collin/collin.html
なるほど、《臥裸婦》はこの絵からの影響が大きいんですね、
このコラン師、別荘をフォントネ=オ=ローズという地にお持ちだったようで、(裕福ナ人ダッタノネ。)その地を題材に、辻 永(ツジヒサシ)が描いた《フォントネ=オ=ローズの春》は、いかにもフランスののどかな田舎といった風情の佳作で、これも惹かれたなぁ。

梅原龍三郎は美術館通いをした中で心惹かれたルノワールに会いにカーニュにまで出かけ、その熱意に丁寧に応えたルノワール師のおかげで、彼の絵はそのルノワールフレーバーを身に着けることになるわけです。

ルノワールの家に押しかけたのは梅原だけはなく、アトリエに訪ねて本人から直接500フランで《水浴の女》の絵を購入したという山下新太郎。その絵を使って研究した成果が表れているなぁ、と思えたのが《供物》。無花果の壁紙を背景にした女性が無花果を持っている姿は、「ルノワール写し」といった風情があります。ただ、肌の色は残念ながら、あのルノワール独特の透明感のある色合いまでは引き出せてないのが、残念。画材も高かったでしょうから、そこが限界だったのかなぁ。

その点は7年弱に亘る留学の総決算的に帰国前年に安井曾太郎が描いたという《水浴裸婦》のルノワール風裸婦でも表現しきれてなかった・・一番近いのは梅原の《脱衣婦》かしら。
ところで安井の《水浴裸婦》は裸婦はルノワール風、背景の山の絵はセザンヌ風という面白いものでしたが、エックス=オン=プロヴァンスのセザンヌのアトリエを借りて集中的に描いた留学生もいたんですね。セザンヌのアトリエを借りることができたなんて・・・・@@; 
その林倭衛も、留学当初はあまり熱心に描いたりしなかったみたいだから、わからないものです。

・・・と、あらま、随分書いてしまったわ。ホントハココカラガイイトコロナノニ・・・
 
いや、今回のテーマはParis パリ 巴里・・・な、訳ですけど、今までのパリとは「行くべき場所」としてのパリ。それは、第一次世界大戦が始まってもそこに留まった藤田にしても対象としてのパリを描いたもの一枚にとどまっている中で、なんといっても佐伯祐三の渾身の作品がパリという街を切り取っていますよね。絵より字がいいと言っていたという佐伯の作品は今回は6点が展示されていて見ドコロは同じオテル・デュ・マルシェというレストランを写実的に、例えばテーブルの六角形を正確に描いた《テラスの広告》とこれがデフォルメされて、テーブルが丸かったりしている《レストラン(オテル・デュ・マルシェ)》の二枚が並んでいることだろうかと思うのですが、そしてその対比はなかなか面白い。でも、私が一番心惹かれたのは《ガラージュ》という作品。画面の左中央から右上に向かって対角線のようにシャープに伸びる屋根、その奥行き感を出している、ガスライトがついているようにも見える看板と、壁に描かれた文字なのかな。この作品は文字であふれたほかの作品とは少し趣は違うけれど、構図、色といいシンプルな中に彼のきらめく感性があふれ出ているような、そんな感じを受けたのです。

フジタの場合は、皆が戦争で日本に帰国したときも踏みとどまって描き続けたというところが、やはりパリから切り離せない画家という事になるのでしょうが、場面的にはパリなのかブラジルなのか、麹町なのかは、わかりにくいところがありますよね。でも、乳白色が使われている作品は全てフジタ=パリのイメージとしてわたしたちに刷り込みをしてしまったフジタの力はやはり頭抜けたところがあります。今回の佐伯同様6枚の展示のうち、《カルポー公園》だけは。一時やめていた乳白色を復活させたころの作品で、他の手法、つまり普通の地を使った作品で、フジタのものかどうかはやはりわかりにくい。カルポー公園なるところが、どこにあるのかよくはわからないけど、パリにあったとしても、フジタなのか、パリなのかの判別はつかないなぁ。でもフジタ=としてもうひとつの確実なイメージである猫が魅力的な《猫のいる風景》は何度見ても魅力的な絵ですね。

・・というわけで。
前回のテーマ企画より、タイトルとやりたいことと、内容がミスマッチだったかな、と見た瞬間は思っていたのですけど、こうやって整理して(イヤ私的ニデスガ)書いてみると、やっぱり、良い企画だったことがしみじみわかりますね。うーん。ブリヂストンやるな。。

1章 パリ万博から第一次世界大戦まで 1900-1914
2章 黄金の1920年代と両大戦間期 1918-1945

2013年5月20日月曜日

藤田嗣治 本のしごと 日本での装幀を中心に----日比谷図書文化館特別展




日比谷図書館(現在の正式名は千代田区立日比谷図書文化館)でフジタの生誕100周年を記念した特別展をやっているので、昼休みに行ってきました。そろそろ日差しが強く暑くなってきてはいましたが、日比谷公園はところどころある、大きな木の下には十分な日陰ができていてとてもひんやりして良いですね。でもコンクリの上は暑いわ。。
入場料は300円、入口の券売機で購入する予定でしたが、この日は故障の為、受付の人にニコニコ現金払いして、一階奥にある展示室に案内され、パンフレットを渡されました。
300円なのに、カラー刷りのパンフレットがゴージャス。


構成は
フランス時代の装幀・挿絵の仕事
フランスでの装幀の仕事の中から、特に日本に関するものを中心に紹介
日本での装幀の仕事
「文学者たちとの交流」「詩人たちとの協働」「婦人雑誌の表紙絵」などを紹介
千代田区六番町、藤田のアトリエ
千代田区六番町にあった藤田のアトリエを取り上げるとともに、写真家土門拳が撮影した貴重な記録写真もあわせて紹介
ふたたびフランスへ
戦後の豪華装丁本の仕事を紹介
となっていて、藤田が取り組んだ様々な本のしごとが紹介されています。

ちらしの解説によれば
「ヨーロッパにおける挿画本の歴史は古く、本としての価値のみならず「芸術作品」としてひとつの分野を確立してきました。その時代ごと、一流の画家たちが本の内容に自分自身の解釈とイメージをふくらませた絵を描き、文字と一体となった美しい「挿画本」を生み出すことに夢中になりました。とりわけ19世紀末から20世紀にかけては、印象派をはじめ新しい美術の潮流が挿画本の世界にも多大な影響を与えました。画商ヴォラールは、ボナールやピカソ、シャガールなど、当時もっとも勢いのある画家たちに依頼して、詩集や小説に彼らのオリジナル版画を挿画として、限定版の挿画本を次々とこの世に送り出しました。」

・・・・・とあり、フジタがフランスに渡った1913年頃は挿画本が興隆していた時代で、フジタ自身も1917年には挿画本を手がけ、同じ時期(1920年代)多作のピカソにも10点ほどしかない挿画の作品が藤田には30点を超える作品があり、いかに挿画の世界の魅力に引き込まれていたかを示しているとの解説でした。挿画の方が金になる仕事だったから、、という理由じゃないのかしら??という根本的な疑問はあるものの、少なくとも精力的に働いた結果としての作品の数であることには違いありませんね。

さて、最初のフランス時代には記憶の中の日本というサブタイトルがつけられていて、渡仏してから頼まれた日本を紹介する本や、俳諧を紹介する本の表紙や扉の絵、挿絵が展示されていました。
最初のガラスケースの中の十二単を着たようなしもぶくれの平安美人の画風だけでフジタとわかる、と言われちゃうと、そうかなー?(チョット疑問)という感情もわかないでもなかったですが、あのシッカロールを使った乳白色のタッチは油絵のみにしか出しえない特徴である以上、そういったタッチでなくとも、当然と思って見始めることが肝心ですね。

俳諧の本の例として「古池や蛙飛び込む池の中」のフランス語訳の反対側のページに緑を使った二色刷りの美しい挿絵があったり、扉部分に自画像と横になって本を読む童子のような絵が組み合わせてあったりと、本によって色々なスタイルを見せてくれているのもなかなか面白い。
コクトーの詩への挿絵、日本昔話を挿絵と共にフランス語訳にした本の頁も展示されており、様々な仕事ぶりがわかります。

角を曲がったコーナーからは「文学者たちとの交流」「詩人たちとの協働」「婦人雑誌の表紙絵」になりますが、戦前「泰西名画」といわれていたような絵画のイメージの延長で、これが藤田と言われれば藤田、いや、野田英夫だと言われれば野田と信じてしまうようなパターン化したイメージの中に押し込められたような印象もなくはないけれど、「スタイル」(これが宇野千代の編纂していた雑誌だと知り、二重に面白かったですが。)の表紙の女性は、中原淳一のような可愛い印象ではなく、大人の西洋風女性であることには変わりなく、それはやはり藤田の描く女性の姿であるように感じることはできました。


一枚、特に解説もなく洋菓子店コロンバンの包み紙らしきものが貼ってありましたが、洋菓子コロンバンのロゴには記憶がある私ですが、この絵がフジタの手になるものとは初めて知った次第。調べてみると一種類だけではなく何種類かのパターンがあったみたいですね。

戦時中の本のしごとは、この頃描いていた戦争画と対をなすように戦車の表紙やら何やらで、一転して絵の題材も変わるわけですが、その意味では一貫しているなぁ。この人は外国暮らしをしていたからこそ、心底、祖国「ニッポン」の為になると信じて、そこに、こういう絵も描けるという矜持を持って戦争画や戦車の絵を描いていたんじゃないかなぁと、思ってしまいます。
土門拳の写真のコーナーに移る手前に、藤田の自著が並べられていましたが、最初の本は20版を重ねたくらいの人気本であったとか。戦時中(しかも昭和18年)にも関わらず、多色刷りの画集を出したりしていたようで、当時の本邦での人気ぶりが窺えるというものです。

今回掲げられていた土門拳の写真には、額縁を自分で作る姿や、額用なのかな?枠になるような木材を机の脇に積み上げ仕事をするフジタの姿がありましたが、解説に土門の言葉として、フジタ
は仕事は速いし、画法を盗まれないように秘密主義を守っていたこと、それにも関わらず土門の撮影を許したのは違うジャンルだったからではないかという言葉を読み、二年ほど前のポーラ美術館で、土門の写真からあの乳白色の肌色はシッカロールの粉を使っていた事の傍証が得られたとの展覧会の内容を思い出すことになりました。あの頃はX線やらの光学分析等されてしまうなんてご本人も思っていなかったから、土門の写真にそのヒミツが映りこんでいても、その発表をOKしたんでしょうかねぇ。今回の写真の中にも何かそんな仕事のヒミツがあるのかしら?とワクワクしながら眺めましたが、素人の私にはみつからなかった。・・(ザンネン)

最後のコーナーには豪華装丁本が展示されており、解説にはフランス国籍を取得し洗礼を受けた頃から戦争前にやむなく手放したフランス本の蔵書(殆どはフランスに寄贈され、夫人が手元に残していた500冊以上を近美に寄贈)を再び集中して集めた姿に今度はフランス人に同化するべく努力していったことが見受けられる、とありました。

戦前は時節柄にも関わらず豪華な多色刷り画集を出版できるほどの人気を博していたにも関わらず、手のひらを返されるように、戦犯の如く扱われたことがきっかけで、日本を捨てフランス国籍を取ったというのは有名な話ですが、今回の同化も、お国(ニッポン)の為に純粋に心血注いだ時と全く同じく純粋に新たな祖国の為に心血を注いだのだろうなぁ。と「本の仕事」を通じても感じてしまった私でした。

会期は残り一週間ですが、300円で、しかも遅い時間までこんなに楽しめる、とてもありがたい展覧会です。

藤田嗣治 本のしごと 日本での装幀を中心に
千代田区立日比谷図書文化館
201344日(木)~ 63日(月)
平日 10:00から20:00、土 10:00から19:00、日祝 10:00から17:00(入室は30分前まで)