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2013年7月6日土曜日

二年間待っていたのーーープーシキン美術館展@横浜美術館

なんだかんだ言っているうちに会期終了間際になってしまいました。すみません。

7月6日初日に開かれた件のブーシキン美術館展のブロガー内覧会@横浜美術館につき、遅まきながらご報告旁感想をようやく書くところまで至りました。スミマセン、忙しくてなかなか在庫がはけない。。(滝汗)

この展覧会はもともと2011年の4月2日に開催される予定だったのだけど、震災の影響で中止になってしまったんですよねぇ。その後開催の噂がなかなか聞こえてこず・・・・
震災でキャンセルされてから暫く音沙汰ないから券捨てちゃって悔しい思いをして居ただけに夜間特別内覧会に行けて良かったですよ。色々ご意見はあるかもしれないけど、素直に楽しめました。 #pushkin2013 pic.twitter.com/bq3vDAVNpW
posted at 21:31:01




・・とつぶやいたくらいです。あの時持っていた券が使えるかも、聞くことはしなかったけれど、その代わりこの内覧会でじっくり見ることができたので幸せ。



ところで、こちらの展覧会四部構成となっており、写真撮影が許されたのは三部まで、主に現代を扱った四部が許可されなかったのは著作権とかの問題かな? いずれにせよ、会場写真は主催者のご了解を得たものであることお断りしておきます。



今回も初めに横浜美術館の講堂のようなところで、同美術館の 松永学芸員の解説を聞いて、それから鑑賞(借りたい人は無償で音声ガイドも貸してくださったのでありがたかった♪)というパターンです。



最初に震災の時のエピソードが紹介されました。本来は昨年のプーシキン美術館開館100周年に合わせ、日本で開催される予定だった本展ですが、ロシアを出発する4日前に震災が起きたため、中止の運びに。でも震災が出航する前に起きた為中止ができてよかったそうです。なるほど、他の展覧会は開催されていたもの、一部来なかったもの、そしてこの展覧会のように全面中止になったものと、当時分かれていたことが気になっていたのです。特に。単に放射能被害が怖いから出し渋った某米国の美術館があったとか、なかったとか、まことしやかな噂が流れたこともあったけれど、震災直後は電力供給すら不安定で、開催しても、お客さんが精神的にも、物理的にもいらしていただけるかわからないから安心できるまで待った方が良いとの美術館側の判断もあったという事ですよね。ふむふむ。

とはいえ、先ほどの私の呟きではないけれど、待ちわびていた人は多く、内覧会のあった、展覧会初日朝10時の開館前に200数十名の行列ができたそうです。さて、プーシキン美術館はロシアの現在の首都モスクワに1912年に作られた、エルミタージュ美術館(サンクトペテルスブルグ)と並ぶロシアが誇る美術館です。

その65万点以上ともいわれる所蔵品(因みに横浜美術館は1万点程度というわけですからそのスケール感が窺えます)は、珍しいものではコインであるとか、石膏であるとか、浮世絵に至るまで多岐にわたるそうですが、なんといってもその中核となるのはフランス絵画。その更に華ともいえる17-19世紀の絵画66点がやってきています。

スライドで美術館の沿革を紹介してくれていましたが、
「2011年の拡張計画に伴って日本への貸与を計画していたという事のようですから、大変な交渉をされたとは思いますけど、100周年記念式典を行ったその翌年に同じ66点全てを貸与し開催することを承諾してくれたプーシキン美術館の太っ腹にも感謝したいところですねぇ。(マ、66分ノ65万クライ貸シタッテビクトモシナイデショウガ。。)そのうち47点は日本未公開という訳です。


ロシアは昔からフランスへの憧れが強く帝政ロシアの時代からロココ・バロック・印象派と王家ばかりでなく、財をなした富豪たちもこぞって蒐集に力を注いでいたわけです。副題にもフランス絵画の300年となっていますよね。

この展覧会はそのフランス絵画蒐集の軌跡、その中でも人物を取り上げた絵画を追うような形となって、100(101)年前の開館に至った迄の章立てになっています。


第一章17-18世紀 ―――古典主義、ロココ

第二章 19世紀前半―――新古典主義、自然主義

第三章 19世紀後半―――印象主義、ポスト印象主義

第四章 20世紀―――――フォーヴィズム、キュビズム、エコールドパリ



各章の中でも注目される作品を中心と、それらを主に蒐集した人たちの紹介を解説ではしてくれたのですが、ここから先は私が印象に残ったものを、先ずは上げておこうかな。。

1700年頃に描かれたというジャン=バティスト・サンテールの《蝋燭の前の少女》。


第一章の壁紙となった赤い地とのコントラストのせいか、非常に目を引きます。18世紀初頭であれば、こういった蝋燭の光に照らされたような絵を描く人は他にもいたかもしれないけれど、少し中心を左に寄せたうつむき加減な美しい少女の瞬間を切り取るようなこの絵は、少女の清らかさが伝わってくる印象的な絵でした。

後はベタだけどフランソワ・ブーシェの《ユピテルとカリスト》


この絵じっくり見ると、色々発見があって面白い。

かなーり豊満な女神ジュノーを描いたカルル・ヴァン・ローの《ユノ》も印象に残りますね。音声ガイドの説明でジュノーの象徴が孔雀だと聞き、何故天使が孔雀と戯れているのかがわかり、二度美味しい感じ。因みにスェーデンに嫁入りする娘の為に、この絵のタペスリーをエカテリーナ女帝が作らせたという解説もありましたので、三度美味しい絵でしたね。

去年だったかに国立西洋美術館で企画展として取り上げられていた廃墟の画家ユベール・ロベールの《ピラミッドと神殿》 


は、ひと目でユベール・ロベールだぁ。。と思わせる何かがあって、でもピラミッドのサイズおかしくないか?というか、この神殿との取り合わせ自体が非現実的なので、目に留まったというのが正解かもしれませんが。。そういう意味で改めて時空を超えたユベール・ロベールの空想世界のフシギな魅力に引き込まれたのかもしれないなぁ。



第二章では、今回の展覧会で最も見たかったアングルが登場するのですけど、その前に、おおっ、となったのはウジューヌ・フロマンタンという人の《ナイルの渡し船を待ちながら》。


ピラミッドこそ背景にはないけれど、渡し船がやってくるまでナイルの畔で待つラクダに乗った人物の服装、従者の恰好は非常にエキゾティックだし、低い位置に水平線と夕日の落ちる地平線が描かれた画面構成には奥行があって、ゆったりとした時間がたゆとう大河ナイルの流れも広大さと共にうまく表現されていて、これを蒐集した頃の首都、華やかなサンクトペテルスブルグであっても、絶対に見ることのできない異国情緒を愛でたのだろうなぁ・・と想像してしまいます。



そして、ジャン・オギュスト・ドミニク・アングルの《聖杯の前の聖母》。この絵はこの展覧会の二枚看板で、2年前に戴いたチケットもこの絵だったんですよね。だからずっと遭いたいと思っていました。
おそらくは二年後になってよかったかも・・・と思われるのは、この間に修復がされているみたいなんですね。松永さんの解説では言っておられなかったけれど、展覧会企画中に撮った写真を中心に構成されたスライドでのクローズアップ写真には、ひび割れ等の痕が見られますからね。。




目の前で拝むように何度も見てしまいましたが、実に美しい。3月に再会した、ラファエロの《大公の聖母》と同様、黒ではないにせよ、遠目には暗い色のバックに浮き出るように見える聖母は、同じく濃い青いベールの下に赤い服を着ているところまで、よく似ています。でも・・・・清楚なのだけど、匂い立つようなほのかな色気がありますよねー。


この絵はニコライ一世の皇太子アレクサンドルが当時ローマでフランスアカデミーの校長をしていたアングルに直接発注したそうで、それが故に右下のはじっこにROMAのサインが入っているとか、

後ろに聖母を背後から亡霊のように囲んでいるのはアレクサンドルと父ニコライの守護神であるとか、コネタを説明して戴きました。この守護神が背後両脇にいるから、余計聖母の色気が目立つ。。という事なのかなぁ。。。アングルの中でもっとも美しい女性像のように思えます。とにかくこの一枚がじっくり見られたことだけでも、来た甲斐があったというものです。



同じ章の最後の方(だったかな)に地味、というか全体的に暗い色ですけどコローの《突風》
という作品があって、突風に向かって歩く女性が、何故か広重の《庄野 白雨》で風雨に立ち向かう人とイメージが重なるような気になりました。構図も絵も全然違うんですけどね。。



次の章は印象主義。この部屋の目玉はルノワールの《ジャンヌ・サマリーの肖像》で、こちらを見ている花形女優ジャンヌのうるうるした眼差しとか、幸せそうな表情がバラ色の背景と相まって大変な傑作と説明されたわけなんですが、私には、どうも媚びているような感じで、好きにはなれない。。。。のが本音です。すんません。同じルノワールの《セーヌの水浴(ラ・グルヌイエール)》の方がよかった?ま、こういうところが、「感想文」である所以でもありますが。巧さとかを超えた訴えるものが、どうなのか。。というところではないでしょうかね。

(・・・と言い訳をしてみる。)



このコーナーの最後の方にはゴーギャンとかゴッホ、   とかがありましたが、ま、特筆すべき感想はなし。



次の第四章は、撮影禁止エリア。

そこで、ちょっと個人的には驚いたのはマリーローランサンの《女の顔》。
 だって、この人って、なーんか、御嬢さんの描いた絵的、対象もそんな御嬢さんのスタイル画的で好かん。。(ファンノヒトゴメンナサイ)だったわけなので、こんなちっと前衛的な絵も描いたのか、当たり前だけど、画家は試行錯誤をするんだったわ。。とちょっと安心してみたり。



ピカソもアンリルソーもあったけど、そしてこの展覧会は「人」を描いているとの話であったけれども、意外な発見が・・・・

それは・・・・


#pushkin2013 一番見たかったアングルは、もちろん良かったけれど、期待してなかった、マティスのカラー、アイリス、ミモザに逢えて嬉しい。但し撮影許可されていた今回の内覧会中、写真NGだった第四部なので、ポストカードを拡大 pic.twitter.com/NCUOuVuA1q
posted at 22:10:43

実は、この絵をみたときに、初めてみたかも?いやみたけど忘れた?と逡巡した結果、キット初めてきたに違いないと思って、ポストカードを買ったわけなんですが、家に帰って気になって、ムカシムカシにMOMAであったMatisse in Moroccoの図録を確認。
あったーーーーー!!
なーんだ。
何回も見に行かなかったから、と言い訳しながらも、自分の記憶の薄さにあきれるばかりです。
でも、これともう一点の《青い水差し》は人の絵じゃないよね。。


・・・というわけで点数は比較的少ないながらも、佳作の並ぶ展覧会です。
会期はあと10日ほどですけど、まだの方はお早めにーーー♪

プーシキン美術館展 フランス絵画300年
横浜美術館
2013年7月6日(土)~9月16日(月)

2013年3月16日土曜日

キャパは二人なのか、やっぱり一人なのか・・・「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」


きゃー、また会期末近くになっての感想文になってしまいましたが、先週 漸く「みなとみらい」の横浜美術館で開催されている(24日まで)「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展に足を運んできましたー。

仲間うちの評判が良いので、ブログやらを斜め読みして、「そうか、キャパというひとつの名前で二人がそれぞれの写真を発表していて、タローが死んでからその名前をアンドレが独り占めして継承したのか・・」と早合点していたのですが、展覧会に行って、そりゃ違うな、とわかりました。やっぱりちゃんと自分の目で確かめることは大事ですね。とはいえ、美術館の展覧会概要にも、二人が創り出した名前であることは書いてあっても、二人がその名前で発表していたとは一言も書いてませんものね。おっちょこちょいの私。(汗)

世界で最も著名な写真家のひとり、「ロバート・キャパ」ことアンドレ・フリードマン(1913年生/1954年没)が生まれて今年で一世紀が経ちます。しかしこの「ロバート・キャパ」という名が、当初フリードマンとドイツ人女性ゲルダ・タロー(本名ゲルタ・ポホリレ、1910年生/1937年没)の二人によって創り出された架空の写真家であったという事実は、あまり知られていません。
1934年にパリで出会い意気投合した二人は、1936年春に「ロバート・キャパ」という架空の名を使って報道写真の撮影と売り込みをはじめます。仕事が軌道に乗りはじめてほどなく、フリードマン自身が「キャパ」に取ってかわり、タローも写真家として自立していきますが、その矢先の1937年、タローはスペイン内戦の取材中に命を落とします。タローの存在とその死は、キャパのその後の活動にも大きな影響をおよぼしたといわれています。
本展覧会は、キャパとタローそれぞれの写真作品による二つの「個展」で構成されます。死後50余年を経てなお絶大な人気を誇るロバート・キャパと、その陰でほとんど紹介されることのなかったゲルダ・タロー。約300点にのぼる豊富な写真作品と関連資料によって二人の生涯と活動の軌跡を辿りながら、両者の深いつながりと個性の違いを浮かび上がらせていきます。
横浜美術館 公式サイト 展覧会概要より・・・

それはさておき、その二つの個展のタロー版が最初に始まります。
もともと、2007年にニューヨークの国際写真センター(ICP)で世界初となる個展「Gerda Taro Retrospective」が、開催・ロンドン等に巡回したものと同じ構成のようです。
真四角のローライフレックスで撮影されたタローの写真は基本的に低い位置から撮影され、広い空を背景にして人物を中央に配する構図が多いのだそうだけど、中で最も印象的だったのは、色々な職業の貧しい村人の人たちが思い思いの服装で一つの銃を共同で持って戦い始めたスペイン内戦の初期の頃女性兵士のこの写真
http://digitaljournalist.org/issue0710/y_taro14.html より

 

屈んだ姿そのものが絵になっていることもあるのだけど、銃を構えているというのに、足元をみると太いけれどヒールのついた靴を履いているんですよね。これは私にとっては「新鮮な発見」でした。
戦況の悪化に伴って、前線の女性兵士の数は減ってしまったそうです。うん、ヒールじゃ無理だな。

スペイン内戦に係る美術についてはピカソの《ゲルニカ》がとても有名で、その悲惨さを強く印象づけられている訳なのですが、最期にはマドリードに程近いブルネテの前線に出向いていたというゲルダ・タローの初期の写真はとてもどかな感じがあって、ほのぼのさせられます。
スープを飲んでいる小さな戦争孤児の男の子をクローズアップで撮った写真も非常に魅力的でした。

彼女の写真がキャパと同じ長方形のライカに変わっていく頃から、共和国政府(対するのはフランコ将軍率いる反乱軍・・・結果的にフランコ将軍の独裁時代が始まるわけですね)の戦況悪化と共に構図とユーモア・笑顔を失っていくという解説通り、戦死者の近くまで寄って撮る等、フロントへフロントへと突き進み、ある種の焦燥感のようなもの――余裕がなくなっていく感じが80数点の写真の流れを見て行くとよくわかりました。
そして、その焦燥感が戦況のなせるわざのみだったのか?という疑問を持つにいたったのは、アンドレ・フリードマン転じたロバート・キャパの写真を見てのことです。

というか、写真の内容に入る前に、解説を読んで凄いなーと思ったのは、横浜美術館には彼の弟さんの好意によって193点もの作品、更にいわば原版ともいうべきオリジナルプリントを相当数保有しているという事実。何故、弟さん(コーネル・キャパ・・・弟だってフリードマンだったろうに、名前変えちゃったわけね。。)が寄贈してくれたのか、そんな「いきさつ」も解説してほしかったなぁ。(図録買わなかったけれど、どこかに書いてあるのかしら?)

それはともかく、タローの焦燥感の原因について、私なりの分析。(・・というほどでもないけど。)

どこかのレビューで、「ちょっと残念なのはキャパとゲルダの写真がまったく別の部屋に飾られているので、できれば並べて見たかったと」と書かれていましたけれど、プリントではないにせよ、ちゃんとキャパとタローの年表と共に、同じ場所で撮影された二人の写真のパネルが寄り添うように展示されていたんですね。(ソノレビュー書イタ人、現場ニ行カズニ図録ミタダケデ書イタンジャナイカ疑惑。。。)
それを見ると、私の目には圧倒的にキャパの撮ったアングルやフレームの方が迫力がある・・・一枚の写真を除いて。

例えば、タローはマラガ(ピカソの出身地ですね)からの難民達を全体像として撮っています。難民の人たちが、ひとつの部屋に入れられていて、これからの不安な日々を憂えている雰囲気が伝わってくる上質の群像写真です。


(この写真はちらしに載っていた写真をトリミングしています) 

同じ場面で、キャパは慟哭の表情ををして立っている女性を横からクローズアップで捉え、そのスカートの後ろから、私がママを守るとばかりな強い光を放つ目をした少女がカメラを見据えているんです。


私にはタローの写真より、迫真を持ってこれからの難局に立ち向かうオトナとコドモの不安と決意を訴えかけている対比のあるストーリーを問いかけているように思えたわけなんですね。
どのような角度から捉えるかによって印象が違うので、どちらがいいというわけではないけれど、キャパの一瞬の表情を捉える力は凄いですよね。

タローにカメラを教えたのもキャパだった事を除いても写真の構図や撮るタイミングって、やっぱり、撮影者の天性の「眼」がものを言うから。。。(ト、イツモ自分ノ撮ル写真ノダメダメサヲ呪ッテイルノダ)

ゲルダ・タローという人は、そのタローという名前も岡本太郎から取った(本名はポポリレ)り、それが、ユダヤ人とわからぬようにする目的があったとしても、キャパの名前をプロデュースしてみたりと、ネーミングや売り込み等には子供好き(写真家として)で素朴な(勝手なイメージですが)なキャパ(アンドレ・フリードマン)に比べて才能溢れていたと思います。

ですが、写真家としてみた場合、もちろん彼女も十分優秀なんだけど、その瞬間を捉える力や構図取り等、微妙なタッチがキャパに敵わないと彼女自身感じていたのではないか、だから、フロントまで出ていって、危険な位置取りで撮影するというアグレッシブな手法で彼を上回る写真を撮りたいという欲望を出していき、構図に注意を払う余裕がなくなってしまったのかも。。等と勝手な想像を加えております。あくまでも想像の世界ですがね。

一枚の写真を除いてと書いたのも、キャパとしての出世作として知られる《崩れ落ちる兵士》だけが、
http://digitaljournalist.org/issue0710/x_capa_taro12.html より

他のキャパの写真からみるとその微妙なタッチを失っているように思えたからで、それがタローの撮影した写真説(沢木耕太郎さん)なんかを読んでしまうと、我が意を得たり・・となりかねないので、自重しますがね。それに、当時彼女が使っていたのは正方形のローライフレックス・・・だから、この作品はキャパのものと認定されていたはず。。
あっ、勿論、この写真が真実を撮影したか否かの議論やキャパかタローかという議論をよそに、この写真の構図は大変印象的で、(たとえ微妙なタッチが失われていたとしても)素晴らしい写真であることには違いがありません。念のため。

ただ、車のステップに飛び乗って脇から戦車に衝突されて亡くなるという劇的な死を遂げたタローの一生はあまりにも短く、また、その死を反ファシズム運動の殉教者として政治的に利用しようとする人たちを巻き込んでお葬式だけは数万人も集まったそうだけど、その後は忘れ去られてしまったというんですね。そうだとするとやはり、それまで有名であったのはその写真の質ではなく「勇猛に戦場を駆け巡る左翼系カメラウーマン」であり、その役目を終えたら作品は残らなかった。。という事になってしまって、「崩れ落ちる兵士」がタローの作品として世に出ていたら、ちょっとは違っていたのか・・・との想像もし、ちょっと残念でもあります。

しかし、同じく最後は戦場で地雷を踏んで命を落とすことになるキャパの力強い作品を一枚一枚みるにつけ、やはり、有数の報道写真家・・敢えて戦場カメラマンとは書かない・・としての実力をヒシヒシと感じます。特に人物の表情が実に自然で、そして一瞬の表情に被写体の性格や気持ちを捉えて切り取っている。今みたいに簡単にパチリとシャッター押して撮れる時代でないはずなのに。。。。
この↓写真


だってタローが亡くなった後もスペイン内乱を撮り続け、最後は共和国軍が解散する(つまりは負けたということ)にあたっての共和国軍兵士のなんともやり切れず哀しさあふれる表情を捉えて涙をそそります。

この人が映像写真家(ムービーですね)になりたかったという話も含め、決して戦場カメラマンとして生きたかったわけではなく、金(といってしまうと身も蓋もないけど)や売り出す為の手段として使った戦場での写真が、また質がよいが為に次を求められるようになって、心ならずも、戦地に赴いたのではないか・・とまで考えてしまう。。(実際のところは自伝も読んでないからわかりませんが)ほど。

金と思っちゃうのは日中戦争の写真が中国よりのプロパガンダ写真だったりするからですけど、戦場での写真より肖像写真に、この人本来の伸びやかさを感じるから・・特に、地雷を踏んでなくなる直前の日本での写真は名所旧跡には目もくれず人をとっていた、ことからも、この人の興味は人・・・でも有名になってしまって、戦場という場での報道写真を求められてもいたから、そのフィールドの写真を撮り続けることになったのか。だから彼にとっては、凄惨な殺戮をするのも人という切り口での報道写真なのかなぁ。。と感じさせられました。(だから戦場カメラマンと書かない)ま、これも勝手な想像ですが。

とはいえ、この数多くの残された写真の中からロバート・キャパという人、或いはゲルダ・タローという人の心の中を想像する事ができるのもこの写真展の力なのかもしれないですねぇ。

常設展でも戦争の場での報道写真を撮っていた人たちの写真が展示されていました。
丁度、出かける前に沢田教一のピュリッツァー賞を受賞した写真の被写体となった家族に俳優玉木宏が会いに行くという番組を見たばかりだったので、常設だということもあり、これは写真を撮らせてもらいました。

この写真も素晴らしいですが、戦地に赴いて前線で写真を撮る人も最期はつらい。。沢田教一は、タローやキャパ同様戦場で命を落としたんですよね。

キャパの最後の写真(本当はカラー写真が最後だったので最後から二番目の写真)はフィルムロールの右端の黒い部分をわざと残し最後のコマ11がわかるように現像されています。キャパが写真家の権利を守るべくアンドレ・ブレッソンらと設立した写真家集団(会社?)マグナムの同僚(とでもいうべき)モリスが哀悼の意を込めて現像したものだそうですけど、その黒い部分の先は永遠に戻らなかったキャパの命を表し、11番は戦場であったインドシナのちょっとのどかに見える風景で終わっていました。でも、その風景のあちこちに(今も残るといわれているけど)地雷が埋めてあったんですよね。嗚呼。