前期はブロガー内覧会ということで、館長のお話を伺い、許可を得て、写真を撮らさせていただいた時に、後期には「こういう歴史画も描くんだな、と知りました」と山崎館長が説明された折パネルで見せていただいた《小山内府図》@東京近代美術館蔵などを見に、山種美術館にやってまいりましたよ。
いやいや、日曜美術館の影響か、開館前の一階ホールには長蛇の列が!前売り券買ってたし、前期で見た作品もあるから後期の作品だけさくさくっとね。
・・・と思ったのですが、やはり、じっくり見てしまいました。
特に《小山内府図》
小さなパネルではごちゃごちゃしたようなイメージだったけれど、これが《二日月》のかかっていた場所を埋めるだけの大ぶりの軸絵だったんですね。等身大くらいの烏帽子直衣姿の平重盛の顔は穏やかだけどどこか悲しみをたたえた表情。うまいなぁ。その後のまんがちっくな農民の顔とかから想像つかない筆さばき。ただあくまでもこの人の優しさなのか、甲冑をつけてこない重盛に迫る宗盛といえども荒々しさはあんまり感じられないですよね。
日曜美術館の解説によれば、動物も歴史画もうまいにはうまいけれど、他に描く人がいるので、特色が出せないともがいた上で、コドモの頃かっら身の回りにあった自然と日常を描くことになったとか。
その最初の到達点といわれる作品《焚火》@五島美術館は、ごくありふれた日常・情感で高い評価されるきっかけとなった作品ですが、これも前期にお気に入りだった《雨江帰漁》の場所に展示されています。
霜の降りた落ち葉の質感や焚き火の煙の先の空気がきゅっと締まった冷気であることがわかるのに、焚き火は暖かそう。いい雰囲気です。
とはいえ、身近にありながら美しいということが評価されたこと自体、明治初期の日本画家たちの苦境とは違うんだなぁ、と改めて思ったりもし。
後期にお目見えの作品としては《磯千鳥図》@松岡美術館、以前の《緑蔭閑話図》の場所にすえられた向かい側の《紅白梅》と同様琳派を意識したという屏風。波の砕ける感じは琳派もそうでしょうがイメージ北斎の富嶽三十六景《神奈川沖浪裏》の波の感じだわ。ま、キレイだけど、確かに誰の描いたのかわからないというご本人の葛藤に繋がる絵なのかもしれないなぁ。
それより、湿潤感あふれる覗きケースの中の《雨後山月》の方が好きかな。これはいかにも玉堂という感じ。
前回それほど目には留まらなかった《松竹朝陽》・・よって写真も撮り忘れていたのだけど、しっかりした松の太い幹が画面を支配していて画面が煩いと思ったのだと思うけれど、もう一度見てみるとこの松の枝の構図も良いし、奥の方に朝陽があがってくる感じも良い。日を違えて同じ絵を見ると印象が異なるという例ですね。
同じ絵で良いことを再確認する絵は勿論沢山あるわけで、http://pikarosewine.blogspot.jp/2013/06/140.html
あまり気に入ることのなかった動物絵の中で大変気に入った《虎図》が何故私の心を捉えたか、今回はじっくり鑑賞することでその理由を見つけたような気がします。
すなわち、虎の骨格を太い薄墨でささっと、しかしきちっと捉えて描いているからなんですね。だから毛並みとか余計なものがなくても、虎のシャープで、獰猛な感じを表現できているように思えます。
そりゃ、実物を見たことがなく、猫で代用していた宗達、応挙、若冲でも適わないわ。この作品は昭和20年ということなので、おそらくは戦前に動物園とかで写生したのでしょうかね。
丁度日曜美術館では戦地に赴く前にこれとは別の格好をした虎を描いてもらった人が紹介されていましたが、それも同じく骨格がしっかりした虎でしたね。↓
巻替がされていた《加茂女13首》の絵もよかったなぁ、揖斐川の柳?由比が浦、富士川の遠くの松原。。汽車旅行のワクワク感。
後期に登場した玉堂 龍子 大観の《松竹梅》はそれぞれに括弧して老松、物語、暗香浮動と名づけられていました。
老松の周りを掃除する老夫婦の後姿は玉堂の温かいまなざし、物語は当然竹取物語。故に竹の継ぎ目から光が八方に広がっているし、、大観の梅は金泥で描いてあるのかしら?暗雲の中とても印象的な梅でした♪
そういうわけで後期も楽しい玉堂展でした。
【特別展】生誕140年記念 川合玉堂―日本のふるさと・日本のこころ―
山種美術館
2013年6月8日(土)~8月4日(日)前期 6/8-7/7 終了 後期 7/9-8/4
いやいや、日曜美術館の影響か、開館前の一階ホールには長蛇の列が!前売り券買ってたし、前期で見た作品もあるから後期の作品だけさくさくっとね。
・・・と思ったのですが、やはり、じっくり見てしまいました。
特に《小山内府図》
小さなパネルではごちゃごちゃしたようなイメージだったけれど、これが《二日月》のかかっていた場所を埋めるだけの大ぶりの軸絵だったんですね。等身大くらいの烏帽子直衣姿の平重盛の顔は穏やかだけどどこか悲しみをたたえた表情。うまいなぁ。その後のまんがちっくな農民の顔とかから想像つかない筆さばき。ただあくまでもこの人の優しさなのか、甲冑をつけてこない重盛に迫る宗盛といえども荒々しさはあんまり感じられないですよね。
《小山内府図》東京近代美術館蔵 パネルは色が濃くって良くわからなかったけど。。。 |
日曜美術館の解説によれば、動物も歴史画もうまいにはうまいけれど、他に描く人がいるので、特色が出せないともがいた上で、コドモの頃かっら身の回りにあった自然と日常を描くことになったとか。
その最初の到達点といわれる作品《焚火》@五島美術館は、ごくありふれた日常・情感で高い評価されるきっかけとなった作品ですが、これも前期にお気に入りだった《雨江帰漁》の場所に展示されています。
霜の降りた落ち葉の質感や焚き火の煙の先の空気がきゅっと締まった冷気であることがわかるのに、焚き火は暖かそう。いい雰囲気です。
とはいえ、身近にありながら美しいということが評価されたこと自体、明治初期の日本画家たちの苦境とは違うんだなぁ、と改めて思ったりもし。
後期にお目見えの作品としては《磯千鳥図》@松岡美術館、以前の《緑蔭閑話図》の場所にすえられた向かい側の《紅白梅》と同様琳派を意識したという屏風。波の砕ける感じは琳派もそうでしょうがイメージ北斎の富嶽三十六景《神奈川沖浪裏》の波の感じだわ。ま、キレイだけど、確かに誰の描いたのかわからないというご本人の葛藤に繋がる絵なのかもしれないなぁ。
それより、湿潤感あふれる覗きケースの中の《雨後山月》の方が好きかな。これはいかにも玉堂という感じ。
前回それほど目には留まらなかった《松竹朝陽》・・よって写真も撮り忘れていたのだけど、しっかりした松の太い幹が画面を支配していて画面が煩いと思ったのだと思うけれど、もう一度見てみるとこの松の枝の構図も良いし、奥の方に朝陽があがってくる感じも良い。日を違えて同じ絵を見ると印象が異なるという例ですね。
同じ絵で良いことを再確認する絵は勿論沢山あるわけで、http://pikarosewine.blogspot.jp/2013/06/140.html
あまり気に入ることのなかった動物絵の中で大変気に入った《虎図》が何故私の心を捉えたか、今回はじっくり鑑賞することでその理由を見つけたような気がします。
《虎図》 内覧会時に撮影したものです |
そりゃ、実物を見たことがなく、猫で代用していた宗達、応挙、若冲でも適わないわ。この作品は昭和20年ということなので、おそらくは戦前に動物園とかで写生したのでしょうかね。
丁度日曜美術館では戦地に赴く前にこれとは別の格好をした虎を描いてもらった人が紹介されていましたが、それも同じく骨格がしっかりした虎でしたね。↓
日曜美術館で登場していた虎 |
巻替がされていた《加茂女13首》の絵もよかったなぁ、揖斐川の柳?由比が浦、富士川の遠くの松原。。汽車旅行のワクワク感。
後期に登場した玉堂 龍子 大観の《松竹梅》はそれぞれに括弧して老松、物語、暗香浮動と名づけられていました。
老松の周りを掃除する老夫婦の後姿は玉堂の温かいまなざし、物語は当然竹取物語。故に竹の継ぎ目から光が八方に広がっているし、、大観の梅は金泥で描いてあるのかしら?暗雲の中とても印象的な梅でした♪
そういうわけで後期も楽しい玉堂展でした。
【特別展】生誕140年記念 川合玉堂―日本のふるさと・日本のこころ―
山種美術館
2013年6月8日(土)~8月4日(日)
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