まだ若く、お金もあまり持っていなかった時に、タダで入れる(当時ハネ・・・・)メトロポリタン美術館にで見つけた南蛮図屏風展のポスターに魅せられて二㌦で購入したという1972年から約40年かけて江戸絵画を中心に蒐集を行ってきたメリーランド州に住んでいる化学者で実業家のファインバーグ夫妻のコレクションが纏めて公開になるということと、その作品が質の高いものである・・という以外は、殆ど情報はありませんよね、このコレクション。見つけ方が悪いのかな?
でも百聞は一見に如かず...
だけどやっぱり後期終了目前ぎりぎりだけど、観に来ることにしました。
うん、確かに上品・・・というのかな。まぁ、1970年代から集めるとなるとこうなるのかな?という感じでもあり・・・・
でもつかみはいいですよね。最初の章は皆も大好き「琳派」、そして宗達、そして誰もが巧くは描けない猫のような《虎図》が鎮座ましましています。
(例ニヨッテレポハマダナンデ時系列メチャメチャニナルケド)相国寺承天閣美術館で、プライスさんのお持ちの《虎図》いや、足をなめるトラによーく似た若冲の墨で描かれた《竹虎図》を観てきたばかりなので、鏡で写したような向きで同じように足を舐めるポーズをする同じく墨絵の虎を見たら気持ちは盛り上がるというものです。
若冲はお手本としては宗達と同じように中国の絵をお手本にしたというのだけど、宗達のこの毛がふさふさした猫系トラもお手本にしたのかなぁ・・・。
その後に第一章の看板が登場します
日本美のふるさと 琳派
日本美術の歴史は遠く一万年前の縄文時代に始まるとはいっても個性が確立するのは10-13世紀の平安時代後期から鎌倉時代になってから、そして17世紀に宗達が装飾性に優れた日本古典美術を復興しようという動きを始め、18世紀前半に光琳、19世紀に抱一、20世紀は(ナント)神坂雪佳(ッテ言イ切ッテル!。。。殆ド知ラレテナイノニ。。)がその流れを継承したとして説明されています。
次に乾山の《百合図扇面》(後期展示)・・やっぱり、乾山は工芸品の方がいいな、ほっこり系の中村芳中の《六歌仙図》と続いて・・・
抱一の《柿に目白図》が登場します。
解説にはもともと六曲一掃の屏風だったそうで、「夕暮れに白雨が林の中で吹き荒れ、赤く色づいた柿の葉がひるがえる様子が描かれている、そこから洞庭湖の風景が夢幻のように思い浮かぶ、さぁ魯魚を用意して一杯やろう」というような趣旨の儒学者の亀田綾瀬という人による賛が書かれているのですが。。。。
文人画ならともかく、想像力の乏しい私には、どうしてもこの抱一の赤く色づき実においしそうな柿の実と鳥の美しい絵からは洞庭湖を思い出し一献の場面には繋がりません。(涙
ムカシの人の「風雅さ」が理解できていないのかなぁ。。
それにしても今回の展覧会、書画に添えられているけど、いつも意味がわからず四苦八苦する賛や和歌の説明が丁寧でありがたいですね。
さて、順番としては、その後に抱一の《十二ヶ月花鳥図》が続きます。音声ガイドでも花鳥を月毎に描くという古くからの画題に抱一は何回か取り組んでいる中で、少しずつ取り上げる組み合わせを変えていたとか。確かに現在東北を廻っているプライスさんのコレクションの中にある抱一の同じタイトルのものと組み合わせは違っているとの記憶があるものもありますね。音声ガイドでは5月のタチアオイとアジサイの組み合わせは定番と解説されていたけれど、プライスさんの抱一の5月にはタチアオイもアジサイもなく、燕子花。アジサイは6月に描かれていました。
同じ組み合わせを使っていても一月の椿の木の位置はこちらの方が右よりにあって安定した印象。
並べてみたら違いが色々判るかもしれないですね。
でも今日の最初の華は鈴木其一《群鶴図屏風》。
プライスさんのコレクションにもフリーアにある光琳の《群鶴図屏風》を写し取ったと言われている《群鶴図屏風》がありましたが、こちらは、その「模写」から脱した自由な作品。
光琳の作品とプライスコレクションの其一さんの六曲一双の屏風は右隻は左向き、左隻は右向きに沢山の鶴が並んでいて、その迫力が伝わってくるわけですが、ファインバーグさんの二曲一双の鶴は後ろ向きやら下に向いてえさを探しているふうの鶴だとか、が描かれていますね。この間の日曜美術館で、抱一が亡くなってから其一が独自性を発揮するようになったとの解説がありましたけど、これもそんな表れなんでしょうか?
しかも、普通よりガラス面に近いほうに寄せて展示してくれているので、とても見やすく、その迫力に触れることができますね。この展示は良いな。
でも百聞は一見に如かず...
だけどやっぱり後期終了目前ぎりぎりだけど、観に来ることにしました。
うん、確かに上品・・・というのかな。まぁ、1970年代から集めるとなるとこうなるのかな?という感じでもあり・・・・
でもつかみはいいですよね。最初の章は皆も大好き「琳派」、そして宗達、そして誰もが巧くは描けない猫のような《虎図》が鎮座ましましています。
俵屋宗達《虎図》展覧会サイトより |
若冲はお手本としては宗達と同じように中国の絵をお手本にしたというのだけど、宗達のこの毛がふさふさした猫系トラもお手本にしたのかなぁ・・・。
その後に第一章の看板が登場します
日本美のふるさと 琳派
日本美術の歴史は遠く一万年前の縄文時代に始まるとはいっても個性が確立するのは10-13世紀の平安時代後期から鎌倉時代になってから、そして17世紀に宗達が装飾性に優れた日本古典美術を復興しようという動きを始め、18世紀前半に光琳、19世紀に抱一、20世紀は(ナント)神坂雪佳(ッテ言イ切ッテル!。。。殆ド知ラレテナイノニ。。)がその流れを継承したとして説明されています。
酒井抱一《柿に目白図》 ・・・のポチ袋 |
抱一の《柿に目白図》が登場します。
解説にはもともと六曲一掃の屏風だったそうで、「夕暮れに白雨が林の中で吹き荒れ、赤く色づいた柿の葉がひるがえる様子が描かれている、そこから洞庭湖の風景が夢幻のように思い浮かぶ、さぁ魯魚を用意して一杯やろう」というような趣旨の儒学者の亀田綾瀬という人による賛が書かれているのですが。。。。
文人画ならともかく、想像力の乏しい私には、どうしてもこの抱一の赤く色づき実においしそうな柿の実と鳥の美しい絵からは洞庭湖を思い出し一献の場面には繋がりません。(涙
ムカシの人の「風雅さ」が理解できていないのかなぁ。。
それにしても今回の展覧会、書画に添えられているけど、いつも意味がわからず四苦八苦する賛や和歌の説明が丁寧でありがたいですね。
さて、順番としては、その後に抱一の《十二ヶ月花鳥図》が続きます。音声ガイドでも花鳥を月毎に描くという古くからの画題に抱一は何回か取り組んでいる中で、少しずつ取り上げる組み合わせを変えていたとか。確かに現在東北を廻っているプライスさんのコレクションの中にある抱一の同じタイトルのものと組み合わせは違っているとの記憶があるものもありますね。音声ガイドでは5月のタチアオイとアジサイの組み合わせは定番と解説されていたけれど、プライスさんの抱一の5月にはタチアオイもアジサイもなく、燕子花。アジサイは6月に描かれていました。
同じ組み合わせを使っていても一月の椿の木の位置はこちらの方が右よりにあって安定した印象。
並べてみたら違いが色々判るかもしれないですね。
でも今日の最初の華は鈴木其一《群鶴図屏風》。
鈴木其一《群鶴図屏風》....のポチ袋 |
光琳の作品とプライスコレクションの其一さんの六曲一双の屏風は右隻は左向き、左隻は右向きに沢山の鶴が並んでいて、その迫力が伝わってくるわけですが、ファインバーグさんの二曲一双の鶴は後ろ向きやら下に向いてえさを探しているふうの鶴だとか、が描かれていますね。この間の日曜美術館で、抱一が亡くなってから其一が独自性を発揮するようになったとの解説がありましたけど、これもそんな表れなんでしょうか?
同じ其一の描いたプライスコレクションの《群鶴図屏風》と比較してみるため ファインバーグコレクションの《群鶴図屏風》のポチ袋を左上に乗せてみました。 |
次の章だては
中国文化へのあこがれ 文人画
戦国時代が終わり儒学を政治理念と思想の中核にした江戸時代に儒学的教養が武士階級のみならず町人・農民に広がっていき、その中で町人出身の池大雅や農民出身の与謝蕪村が活躍するに至った・・・という解説を読んでも、なかなかこの世界には引き込まれない・・・のが正直な感想です。ハイ。
忙しい現代の中にあってこそ、文人生活を送れるような優雅な時間を持つべきなんでしょうがねぇ。
勿論池大雅の《孟嘉落帽・東坡戴笠図屏風》の右隻中央に描かれた蘇軾の顔の大きなすんぐりした姿http://edo-kiseki.jp/highlight.htmlはそのみすぼらしい笠を借りてもその格好を気にしなかったというエピソードを知らなくても目を引くわけですが、そもそもこれが人目をきにすべきみっともない格好という風には現代人の私には解らないから・・とっつきにくいのかなぁ。勉強が足りません。(ハンセイ)
ま、ファインバーグ夫妻だって、このエピソードが分かって蒐集したというよりは、見て良いと思ったから手に入れた・・って考えたいですがね。
中身はともかく私の目を捉えたのは、この蘇軾のずんぐり姿と、向かい側のケースにあった池大雅の妻池玉瀾による風に吹かれる竹の枝先のみを表現している《風竹図扇面》です。
そして、この章の中で一番愁眉だったのは谷文晁の《秋夜名月図》、
横幅170㎝の軸絵で描線を使わない左上に輝く大きな月の光に照らされた秋草が画面の右下から中央に斜めにぐんと突き出ており、その右にある大きな赤い落款が目を引きます。解説によれば安藤広重の錦絵シリーズ《江戸高名会亭尽》の《山谷八百善》の画中に「文晁」の署名が入る本図と酷似した額絵があるとの事なんだけど、見てみたくなりますよね。
《秋夜名月図》谷文晁 |
・・・
なので、調べてみました♪http://www.kabuki-za.com/syoku/2/no143.html
富士山の上にある左上の欄間部分にある絵がひょっとして?ま、文晁の赤い落款は見えないので、断定はできませんが、この両者の揃い踏みも見てみたいですよね。
第三章は
写生と装飾の融合 円山四条派
圓山應挙が、手本を中国や日本の古典絵画に求めた狩野派や土佐派が自然から離れてしまった弊害から解き放つ為に「写生」を重要視する「四条派」を呉春とともに立ち上げ、それが大変な人気を博したということは、江戸絵画に少しは触れたことがある人ならばその知識の引き出しに入っているのではないかと思います。
その写生至上主義は大阪で活躍した森狙仙の森派、岸駒(がんく)の岸派(京都)などを派生し、竹内栖鳳等近代の関西日本画壇の基礎を築いたというわけなんですね。
言って見れば絵画の世界も「大衆化」し始めたきっかけを作った円山四条派の応挙については、それが故に個人的には巧いと思う同時に、何かその写しとる以外の何かを読み取る事の必要性を消してしまったという部分に対して、逆に浅さを感じてしまうようなアンビヴァレントな気持ちにさせられるんですけど、ま、それはおいて置いて・・・
ここでは裏から光を当てると二重に張られた絹のモアレ模様(タブン)が鯉の泳ぐ水の水紋が透けて見える効果が出るという《鯉亀図風炉先屏風》がよかったかな。でも上からだけで後ろから光当ててないので、十分にその効果を見出すことにはできなかったのが残念です。
これまたプライスさんのコレクションにあるのと向きの違う《孔雀牡丹図》は、牡丹の色がプライスさんのより薄いし、どっちがいいかといわれると、きっとプライスさんのコレクションの方が優品なのかもしれないけれど、その抑え目の色遣いが私には好感が持てました。
左がプライスコレクション、右がファインバーグコレクションの《孔雀牡丹図》 |
圧倒的によかったのは森狙仙の《滝に松樹遊猿図》。猿を得意としていたというこの人の作品はプライスさんのコレクションでも気に入りましたもんね。猿の表情や姿態がなんとも自然で、小難しい漢籍や平安の歌の知識がなくとも幸せを感じることができることを否定はできませんね。
森狙仙《滝に松樹遊猿図》二幅で一対ですが、 コレは左側部分のポストカード。右側には猿はなく滝と松が描かれてます。 右側のポストカードも売ってくれてたらよかったのに・・・ |
この章の最後の方には柴田是真の肉筆画二幅《二節句図》がありました。右の一幅は高貴な人の男子の端午の節句を祝う雅な絵で背景には松、対する左の一幅はひな祭りを祝う鄙の農家のつましい家族。背景には落葉樹。その頃のひな祭りは重陽の節句(9月9日)の時期に行った場合もあるそうなんで、左右は全て対比されるという仕掛けなんだそうです。何のためにこの絵が描かれたのかは不明なんだそうですけど、こういう謎を探るのは楽しいですよね。
次は
大胆な発想と型破りな造形 奇想派
ここでは三幅で成り立っている若冲の《菊図》のうち、一幅足りない軸を日本のコレクターが貸与してくれたことで、ファインバーグさんが持っている二幅との再会を果たしていますが、比較的大人しめのものです。
次は
大胆な発想と型破りな造形 奇想派
ここでは三幅で成り立っている若冲の《菊図》のうち、一幅足りない軸を日本のコレクターが貸与してくれたことで、ファインバーグさんが持っている二幅との再会を果たしていますが、比較的大人しめのものです。
むしろ隣にあった《松図》のほうが大胆な墨描で松葉をしゅっしゅっつって描いてあって、つい最近拝見した鹿苑寺大書院旧障壁画の《松鶴図襖絵》と同じタッチ。でもこちらの方が齢80を超えてからの作品だというのに力強い!印象に残ります。
伊藤若冲《松図》 |
あと、気に入ったのは曾我蕭白の《鉄拐仙人図》・・これはいかにも蕭白。でも《大黒天の餅つき図》もなんだか白隠禅師の描いたような可愛い一筆書きのような絵。
長沢蘆雪は應挙の高弟だけど、師とは対照的な大胆な構図や奇抜な画風ということで奇想派のカテゴリーに入っているんですよね。
でも《拾得・一笑・布袋図》の犬なんかは應挙の犬を思い出すような表情の犬の絵ですよね。なんでも竹と犬はその文字を組み合わせると「笑」という字になるので《一笑》という名前がついているのだそうで。その話を聞くと私にも「笑み」が浮かぶ幸せな画題ですね。うん、可愛いし。
最後の章は浮世絵です。
長沢蘆雪は應挙の高弟だけど、師とは対照的な大胆な構図や奇抜な画風ということで奇想派のカテゴリーに入っているんですよね。
長沢蘆雪《一笑》 |
最後の章は浮世絵です。
都市生活の美化、理想化 浮世絵
ファインバーグ夫妻のコレクションには特別な注文品として描かれた肉筆浮世絵が随分とあるようですが、目を奪われたのは元旗本から浮世絵師に転じた鳥文斎栄之の《遊女と蛍図》。この遊女は髪型(横兵庫って解説には書いてあるけれど、上に向かって蝶のように広がるこの髪形は実際より誇張して描かれているのではないかと思うくらい縦に伸びてますね。)からも高級遊女であることがわかるそうですね。
いずれにしても栄之の描く遊女は胸もはだけてしどけない格好なのに気品があって、いいですね。蛍が仄かに光る感じは図録やポチ袋では分かりませんが、実物はステキです。
最後に北斎の《源頼政の鵺退治図》という肉筆浮世絵が展示されています。
天に向かって弓を引き絞っている姿は実に勇猛、筋肉隆々な感じが生き生きしています。この弓でこの後鵺を一矢で射抜くそうですが、天からは鵺が放つ赤いふた筋の光線が怪しくそして脅かすように頼政に向かってシャープに描かれていますよね。これが88歳の作品とは、先ほどの80歳の若冲といい、絵師たちはいくつになっても、というか歳を重ねるに従い迫力が増してくるというのが凄いですよね。
東京は終わってしまったけれど、この後ミホミュージアム、鳥取県立美術館を巡回するようです。
鳥文斎栄之《遊女と蛍図》 |
いずれにしても栄之の描く遊女は胸もはだけてしどけない格好なのに気品があって、いいですね。蛍が仄かに光る感じは図録やポチ袋では分かりませんが、実物はステキです。
最後に北斎の《源頼政の鵺退治図》という肉筆浮世絵が展示されています。
天に向かって弓を引き絞っている姿は実に勇猛、筋肉隆々な感じが生き生きしています。この弓でこの後鵺を一矢で射抜くそうですが、天からは鵺が放つ赤いふた筋の光線が怪しくそして脅かすように頼政に向かってシャープに描かれていますよね。これが88歳の作品とは、先ほどの80歳の若冲といい、絵師たちはいくつになっても、というか歳を重ねるに従い迫力が増してくるというのが凄いですよね。
東京は終わってしまったけれど、この後ミホミュージアム、鳥取県立美術館を巡回するようです。
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