2013年5月20日月曜日

藤田嗣治 本のしごと 日本での装幀を中心に----日比谷図書文化館特別展




日比谷図書館(現在の正式名は千代田区立日比谷図書文化館)でフジタの生誕100周年を記念した特別展をやっているので、昼休みに行ってきました。そろそろ日差しが強く暑くなってきてはいましたが、日比谷公園はところどころある、大きな木の下には十分な日陰ができていてとてもひんやりして良いですね。でもコンクリの上は暑いわ。。
入場料は300円、入口の券売機で購入する予定でしたが、この日は故障の為、受付の人にニコニコ現金払いして、一階奥にある展示室に案内され、パンフレットを渡されました。
300円なのに、カラー刷りのパンフレットがゴージャス。


構成は
フランス時代の装幀・挿絵の仕事
フランスでの装幀の仕事の中から、特に日本に関するものを中心に紹介
日本での装幀の仕事
「文学者たちとの交流」「詩人たちとの協働」「婦人雑誌の表紙絵」などを紹介
千代田区六番町、藤田のアトリエ
千代田区六番町にあった藤田のアトリエを取り上げるとともに、写真家土門拳が撮影した貴重な記録写真もあわせて紹介
ふたたびフランスへ
戦後の豪華装丁本の仕事を紹介
となっていて、藤田が取り組んだ様々な本のしごとが紹介されています。

ちらしの解説によれば
「ヨーロッパにおける挿画本の歴史は古く、本としての価値のみならず「芸術作品」としてひとつの分野を確立してきました。その時代ごと、一流の画家たちが本の内容に自分自身の解釈とイメージをふくらませた絵を描き、文字と一体となった美しい「挿画本」を生み出すことに夢中になりました。とりわけ19世紀末から20世紀にかけては、印象派をはじめ新しい美術の潮流が挿画本の世界にも多大な影響を与えました。画商ヴォラールは、ボナールやピカソ、シャガールなど、当時もっとも勢いのある画家たちに依頼して、詩集や小説に彼らのオリジナル版画を挿画として、限定版の挿画本を次々とこの世に送り出しました。」

・・・・・とあり、フジタがフランスに渡った1913年頃は挿画本が興隆していた時代で、フジタ自身も1917年には挿画本を手がけ、同じ時期(1920年代)多作のピカソにも10点ほどしかない挿画の作品が藤田には30点を超える作品があり、いかに挿画の世界の魅力に引き込まれていたかを示しているとの解説でした。挿画の方が金になる仕事だったから、、という理由じゃないのかしら??という根本的な疑問はあるものの、少なくとも精力的に働いた結果としての作品の数であることには違いありませんね。

さて、最初のフランス時代には記憶の中の日本というサブタイトルがつけられていて、渡仏してから頼まれた日本を紹介する本や、俳諧を紹介する本の表紙や扉の絵、挿絵が展示されていました。
最初のガラスケースの中の十二単を着たようなしもぶくれの平安美人の画風だけでフジタとわかる、と言われちゃうと、そうかなー?(チョット疑問)という感情もわかないでもなかったですが、あのシッカロールを使った乳白色のタッチは油絵のみにしか出しえない特徴である以上、そういったタッチでなくとも、当然と思って見始めることが肝心ですね。

俳諧の本の例として「古池や蛙飛び込む池の中」のフランス語訳の反対側のページに緑を使った二色刷りの美しい挿絵があったり、扉部分に自画像と横になって本を読む童子のような絵が組み合わせてあったりと、本によって色々なスタイルを見せてくれているのもなかなか面白い。
コクトーの詩への挿絵、日本昔話を挿絵と共にフランス語訳にした本の頁も展示されており、様々な仕事ぶりがわかります。

角を曲がったコーナーからは「文学者たちとの交流」「詩人たちとの協働」「婦人雑誌の表紙絵」になりますが、戦前「泰西名画」といわれていたような絵画のイメージの延長で、これが藤田と言われれば藤田、いや、野田英夫だと言われれば野田と信じてしまうようなパターン化したイメージの中に押し込められたような印象もなくはないけれど、「スタイル」(これが宇野千代の編纂していた雑誌だと知り、二重に面白かったですが。)の表紙の女性は、中原淳一のような可愛い印象ではなく、大人の西洋風女性であることには変わりなく、それはやはり藤田の描く女性の姿であるように感じることはできました。


一枚、特に解説もなく洋菓子店コロンバンの包み紙らしきものが貼ってありましたが、洋菓子コロンバンのロゴには記憶がある私ですが、この絵がフジタの手になるものとは初めて知った次第。調べてみると一種類だけではなく何種類かのパターンがあったみたいですね。

戦時中の本のしごとは、この頃描いていた戦争画と対をなすように戦車の表紙やら何やらで、一転して絵の題材も変わるわけですが、その意味では一貫しているなぁ。この人は外国暮らしをしていたからこそ、心底、祖国「ニッポン」の為になると信じて、そこに、こういう絵も描けるという矜持を持って戦争画や戦車の絵を描いていたんじゃないかなぁと、思ってしまいます。
土門拳の写真のコーナーに移る手前に、藤田の自著が並べられていましたが、最初の本は20版を重ねたくらいの人気本であったとか。戦時中(しかも昭和18年)にも関わらず、多色刷りの画集を出したりしていたようで、当時の本邦での人気ぶりが窺えるというものです。

今回掲げられていた土門拳の写真には、額縁を自分で作る姿や、額用なのかな?枠になるような木材を机の脇に積み上げ仕事をするフジタの姿がありましたが、解説に土門の言葉として、フジタ
は仕事は速いし、画法を盗まれないように秘密主義を守っていたこと、それにも関わらず土門の撮影を許したのは違うジャンルだったからではないかという言葉を読み、二年ほど前のポーラ美術館で、土門の写真からあの乳白色の肌色はシッカロールの粉を使っていた事の傍証が得られたとの展覧会の内容を思い出すことになりました。あの頃はX線やらの光学分析等されてしまうなんてご本人も思っていなかったから、土門の写真にそのヒミツが映りこんでいても、その発表をOKしたんでしょうかねぇ。今回の写真の中にも何かそんな仕事のヒミツがあるのかしら?とワクワクしながら眺めましたが、素人の私にはみつからなかった。・・(ザンネン)

最後のコーナーには豪華装丁本が展示されており、解説にはフランス国籍を取得し洗礼を受けた頃から戦争前にやむなく手放したフランス本の蔵書(殆どはフランスに寄贈され、夫人が手元に残していた500冊以上を近美に寄贈)を再び集中して集めた姿に今度はフランス人に同化するべく努力していったことが見受けられる、とありました。

戦前は時節柄にも関わらず豪華な多色刷り画集を出版できるほどの人気を博していたにも関わらず、手のひらを返されるように、戦犯の如く扱われたことがきっかけで、日本を捨てフランス国籍を取ったというのは有名な話ですが、今回の同化も、お国(ニッポン)の為に純粋に心血注いだ時と全く同じく純粋に新たな祖国の為に心血を注いだのだろうなぁ。と「本の仕事」を通じても感じてしまった私でした。

会期は残り一週間ですが、300円で、しかも遅い時間までこんなに楽しめる、とてもありがたい展覧会です。

藤田嗣治 本のしごと 日本での装幀を中心に
千代田区立日比谷図書文化館
201344日(木)~ 63日(月)
平日 10:00から20:00、土 10:00から19:00、日祝 10:00から17:00(入室は30分前まで)

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