2014年6月17日火曜日

描かれたチャイナドレス@ブリヂストン美術館のブロガーナイト(内覧会)に行ってまいりました♪



中国 は、古代から近世にいたるまで、つねに日本をリードしてきたアジアの先進国でした。その日本は、明治維新以降、ヨーロッパに目を向け始めます。しかしそれでもなお、日本人の心から中国への憧憬や愛着をぬぐい去ることはできませんでした。

大正時代、日本で中国趣味がわきおこります。芥川龍之介や谷崎潤一郎らが中国をテーマにした小説を次々に発表します。同じように、美術でも中国ブームがあらわれました。油彩画の世界では、藤島武二が中国服を着た女性像を描き始めます。ツーリズムの発達によって渡航しやすくなったことから、児島虎次郎や三岸好太郎、藤田嗣治、梅原龍三郎らは、中国を実際に訪れて題材を見つけました。一方、興味深いことに、藤島や岸田劉生、安井曾太郎らは、日本にいて、日本女性に中国服を着せて描きます。そこには、ヨーロッパから学んだ油彩技法を用いて、日本人が描くべき題材を求め、東西文化の融合をめざした到達点の一つを見ることができます。

このテーマ展示は、1910年代から40年代にかけて日本人洋画家が描いた中国服の女性像約30点で構成されます。成熟していく日本洋画の展開をお楽しみください。

ブリヂストン美術館 HPより・・・


今年から年パス買ったのに、なんちゃって外交やらなんやらで、会期は4月からだったというのに、ブリヂストンに行く時間がぜーんぜんなーーい!(ダッテ夜間延長している金曜とかに予定入れたりしちゃうから・)と焦っていたある日、ステーションギャラリーのフォートリエ展の感想文を書くために所蔵作品の確認をする為HPを開いたところ・・・あれー?ブロガー内覧会があるーーーーー!!しかーーし、先着100名、募集始まって既に1週間・・・思わずつぶやいちゃいましたよ・・

きゃー。今日になってから気づいたブロガー内覧会@ブリヂストン。bridgestone-museum.gr.jp/news/2014/270/ さっき申し込んだけど、ポストされてから既に一週間近く、もう先着100名に到達してそうだしなぁ。。。くーーー、折角空いている日だから行けるといいんだけどなぁ。。 2014.06.03 15:47




営業時間中だけど・・・ご返事がこない・・・うーん既に100人超えちゃったか??

ブログの内容によってはお断りみたいな注意書きがあるけど、そういう事じゃないよね、大丈夫よね?と思わず数少ない公開ポスト(あはっ、書きかけのポストは一杯あるのだ。)を読み返したりして。。

その夜。。。

「先ほどこちらのメールに不具合があり、送信できたかどうか確認ができませんでしたので再送させていただきます。この度は「描かれたチャイナドレス」展ブロガーナイトにお申込みいただきまして、ありがとうございました。このメールの内容にて、お申込みを完了いたしました。」やったー!!ってか、最初のメールも同時に来たー!!


・・・という訳で、うきうきルンルン(古っ!)で、なんちゃってチャイナドレスに着替えてGo!チャイナ着てきたりするともらえるというのは、これかな?
メモパッドとボールペンのセットを戴いて、更にフォーチュンクッキー付のウェルカムドリンクを戴き、最初のポストをね!https://www.facebook.com/pikachann2008/timeline/2014#!/pikachann2008/posts/649892968413214?notif_t=like

・・とはいえ、ブリヂストンの場合は#(ハッシュタグ)で同時進行的に呟く方式ではないので、気は楽。


今回の企画をされた貝塚学芸員が解説をしてくださいました。

纏めて解説方式でなく作品を回りながら熱心に愛情をこめて解説してくださる姿がいとおしい。これができるのも、二室に約28点(後期)程度だからかな。

後期の目玉の《金蓉》安井曾太郎@東京国立近代美術館蔵は大好きな作品なので、修復前は勿論、修復後も何度となく近美で見させていただいているけれど、その他の作品は、私にとっては、ほぼ粗、お初にお目にかかる作品たちばかり。だって、今回は石橋財団がお持ちの二点を除いて、略全作品を日本の他の美術館から借りてきて展示されているんですもの。いつもは手持ちの絵画を色々なテーマで魅せてくれる企画力のブリヂストンだけれど、今回は、企画力はそのままに、しかも短期間に(昨年の8月から、前期開始の4月までの約8か月)よくぞ、貸借交渉を纏められたものですねぇ。。。

しかし、その成果あって、展覧会そのものは「一部から」大変ご好評をいただいております、でも、図録は少々売れ行きが・・・・とおっしゃり、参加者を沸かせる貝塚学芸員。

図録をふやさない決意を固めていて、カイユボット展の時だって我慢したのに・・その甘言(笑)にのって(?)買ってしまいました。

でもね、宣伝するわけではないけれど、今回写真撮影できない作品とか、解説が充実しているので、買ってよかった図録でした。オススメです。(マジメに申しております)

どれも素敵は作品を詳細に解説戴いたので、そこで学んだ事は後述するとして、大変印象が強かった作品を二点あげるとすると。。。。

久米民十郎《支那の踊り》・・・・・

久米民十郎《支那の踊り》


誰にも似ていない、なんだ、これは!この不思議なフォルムの女性は!? でも流れるようなそのデフォルメされた肢体は画面の中心で確実に舞っている!その優美な線をかたどるチャイナドレス。。。 同じく参加の美術友達が東郷青児のよう、と言っていたけれど、画風が似ていないのに、そのイメージも若干。。と思うのはその細く長く伸びたとがった三角形の手指のせいかしら。良く見れば、首は異様に太いのにね。そして、まげた足の内側は紫なの、どんだけ長い間ぎゅーっと折り畳んでいたんだか!

後で解説を伺ったり、図録を読むと英国に留学し渦巻派というムーブメントに加わった彼は四度目の英国渡航の前日に横浜で関東大震災に遭い、泊まっていたホテルの下敷きになって30歳の若さで亡くなったそう。久米建築事務所(現久米設計)の創始者久米権九郎のお兄さんというのだけど、久米設計は耐震設計で有名だから、兄の死が少なからず影響を与えたのかしら??・と、妄想の横道にそれること暫し。

この作品は1920年、27歳の時の個展以来行方不明だったのが87年後に永青文庫で見つかったとか。今回の展覧会には同じく永青文庫で正宗得三郎の《中国服を着た女》
 
 
正宗得三郎《中国服を着た女》
モデルは《金蓉》の小田切峯子
 
2007年に見つかったという話だったから、永青文庫にはまだまだ見つかってないものが一杯あるんじゃないかとか、結構鷹揚な管理だったのかなーとか、またまた余計な事(妄想)を・・・。いかん、いかん。

貝塚さんのお話では、陶板のような上に乗っているという言い方をされていたけど、そう見ようとすると、陶板部分はソーサーで、彼女はカップのようであり。。。でも、私には、陶板部分は、絨毯、それもトルコを感じさせる絨毯のように思えたのは、彼女の動きがトルコのダンスをする人の絵を思い出させられたからでした。

さて。

もう一点は・・撮影禁止の(なので、今ならコチラご覧ください→http://www.bridgestone-museum.gr.jp/exhibitions/

藤田嗣治《力士と病児》@大日本印刷蔵(役員室に掛かっているとか)

いやー、この力強い表情、うまいなぁー。顔に湿疹なのか、魔除けの印なのか赤いぽちぽちが縦に並んだ辮髪?(その変形?)の赤子とそれを抱く赤い頬、でもモダンガールの雰囲気の黒い緩いガウンのような中国服を着た母親、構図も背景も、一人一人の表情や表現もとても強い印象です。

乳白色の時代から一度離れていた時代に描いたという《カルポー公園》の事を、フジタと言われてもわかんなーい、と、くさしたhttp://pikarosewine.blogspot.jp/2013/06/paris-1900-1945.html

私ですが、(まぁ、結果として、名前も絵も頭の中にすっかり入りこんでしまいましたがね。)これは、フジタとわかる、わからない以前に、ぐっと引きつけられます。魁偉とのご説明でしたが、なかなか、頼りがいのあるかっこいい風貌のこの「力士」、同じ人物を取り上げたという《北平(ぺいぴん)の力士》も是非展示したかったそうですが、できなかったととても残念そうな貝塚さん。うん、確かに横に並べて魅せて欲しかったなぁ・・・こっちは、行けばみられるというので、秋田行かなきゃ。

この絵に引き寄せられたもう一つの理由はレンガの壁を中心にした背景の右上の黒い窓枠のような中にモンドリアンのような黄色と青、赤子の衣装の赤、母親の頬の赤と黒いローブ、そして、力士のシャツの白、左上の黒地に白い文字が描かれた看板のようなもの、その黒い文字の下は赤い四角、床の肌色系のタイルと、何だろう、四角や長方形といったカタチと赤白青黄黒という色を意図して、人物を三角形に置いて更に力士の堂々とした体躯が目に入るようにしたのかもしれない・・と思えたからかなぁ・・

重厚で力強さのある印象的なフジタでありました。


いやー、例によって、二点だけで既に紙幅を使っていますが、まだまだ行くよん。

第一室の最初を飾るのは、今企画展の副題を飾る藤島武二の≪匂い≫。最初にタイトル見た時はピンとこなかったんだけど、モデルがいつている肘のまえにある嗅ぎたばこが、あるからだったんですね。はっきりした顔立ちなのに、何故かもよんとした、彼女の顔は、周りの花。。。というよりは、今回塗られた赤の壁を反映しているかのように、照らし出されている感じ。
藤島武二 《匂い》

 そうそう、トーハクには150人のスタッフがいて、壁の色などをデザインされる専門の木下さん(という名前までだされてましたねぇ)という方もお出でになるけど、うちは担当学芸員が決めるんです、と、うらやましそうな口ぶりではありましたが、全てが自分で出来るというのも大変だけど、楽しくやりがいありそうですよねぇ。
少なくとも、今回はアジア、中国、日本(日の丸)につき、日本人がイメージする赤を壁の色にされたようです。仰るように全てがピッタリとくるわけではないけど、赤を基調にした色彩を使っている絵にはかなり、自然に入ってきて、あまり、煩い感じがなかったからに、成功している気が。

 藤島は短いとはいえ、フランス・イタリア(ローマ)に二年ずつ、そして、朝鮮半島でも勉強、絵を描くとの試みをしています。それだけに、フランスが北アフリカや、イタリアを見る眼差しに似た感覚で、朝鮮半島や中国に対して目を向けていたのではないか、との解説。そして、フランスでルネッサンス期のイタリアの横顔の肖像画に触れて模写などをしたことがきっかけなのか、横顔が美しい日本人が殊に少ないとして、めぐりあったのが、かつての竹下夢二の愛人の佐々木カネ子ヨ(かねよ)。
いや、残っている写真も美しい顔立ち、



カネヨの写真を見せながら解説される貝塚学芸員


私にはその最も美しい顔立ちを表現していると思われるのが≪芳 蕙≫(参考図版)
参考図版 藤島武二《芳蕙》
のパネルでしたが、帝展で発表されて以降行方不明だということ。それはそうよね、消失していないとしても、、誰にも見せないで毎日眺めていたいような美しい顔立ち。出てこないわよね、そうそう、簡単には‼
そして、いかにもルネッサンス時の肖像画にあるような背景の空と雲も、彼女の美しさを際立たせていますよね、本物が見てみたい。。。。
背景といえば、今回のポスターにも使われている≪女の横顔≫
藤島武二《女の横顔》
の背景もダヴィンチに出てきそうな荒野を想像させる背景。イタリアかぶれ、、、もとい、憧れのルネッサンス様式で、中国への憧憬を描く藤島が、この横顔シリーズを描いていた1920年代は、日本にチーパオブーム即ちチャイナドレスですな、が訪れていたとか。ま、といっても、一部の上流階級に、ではないかと思うけど。だって、銀座などで常に纏っていた中国服で歩いていて中国人に間違えられた小田切峯子の事を外交官の父親がつけた愛称が≪金蓉≫というからには、やはり珍しかったのではないかなぁ、とも思い。
それはともかく、中国服に魅せられた藤島は60着も取り寄せて、モデルに着せたというんですね。聞きながらマティスが、モロッコに行った折に、彼の地の生地を買い集めたことを思い出し、フランス人の北アフリカに寄せる眼差しと日本人である藤島が中国に向ける眼差しと共通といったことを仰る貝塚さんの解説が納得できるものに聞こえ。

同じく中国服に憑りつかれたというのが、小林萬吾。ラピスラズリでも使ったのではないかと思われるほど美しいひかひかしたブルーの中国服の女性を描いた≪銀屏の前≫を見たオルセー美術館の館長が、色が美しいと言われたとのエピソードが紹介されましたが、サインがデカすぎ!自己顕示欲強そうだなー。
小林萬吾《銀屏の前》

その、萬吾に東京美術学校(芸大ですな)で師事した矢田清四郎の卒業制作作品と言われる≪支那服の少女≫の清楚さと気品にうっとりする人も多いのではないかしら?
左の窓から差し込む光に少女のうつむき加減の斜めからの顔の雰囲気は、全然似ていないのに、フェルメールとか、ああいった窓からの光や静謐さと共通項を見いだそうとする自分がおります。
(残念ながら、この作品は撮影ができませんでした。会場で確認くださいね、まだやっているので)

光が当たっていないのに、何故か、後宮の長ーい廊下に差し込む光を感じてしまったのは、恩地孝四郎の≪白堊(蘇州所見)≫。正面の窓のような長方形の中には幾何学模様の格子、これを中心に天井や壁の線だけで構成される画面のほんの少しのスペースに青い中国服の女性の後姿をちょっとだけ描くという、洒落た構図が素敵。


恩地孝四郎≪白堊(蘇州所見)≫


取り寄せができない場合は、作ってしまえー、とばかりにフランス製の生地をもはや、中国服と言えるかどうか分からないけど、奥さんに手作りの中国服を着せて描いてしまった強者はーーー正宗得三郎です。
正宗得三郎《赤い支那服》

さて、中国服描きたい、描きたいと駄々っ子のように言ってた割には一枚しか描かなかったという小出楢重。上海出身のダンサーモデルに「似とらへん!」といわれちゃったらしいのだけど、そのダンサーが本名を憚ったので≪周秋蘭立像≫と、一字変えたくらいだから、お顔も気を遣って重子夫人に似せたのかもしれないですねぇ。そんな優しいところがあったから、亡くなった後に重子夫人がリーガロイヤルに度々訪れて、絵とそして亡き夫と、会話してたのかも。。。

去年エミールクラウス展で、俄かに私の心に入り込んできた児島虎次郎。


でも、あの時は二枚(あれ一枚ダッタッケカナ)、しかなかったし、その後こちらで一枚見たんだっけか?
それが、この企画展では、なんと、四点、解説の時に見せていただいた図版も入れて五点に出会うことができたのは行幸です。

そのうち印象的だった二点・・



児島虎次郎《西湖の画舫》
 
児島虎次郎《花卓の少女》

この人は、欧州のサロンに作品を応募する為、東洋を意識した作品を描いたそうですが、 《西湖の画舫》は100号より横の幅が長い大画面に カラフルでエキゾチックな中国の服装の人たちが画舫という、屋形船の中国版、いや、日本の屋形船と比べるのは申し訳ないくらい立派な船内で二胡を奏で、歌を歌い、宮燈の赤い房がたなびく程の涼風を感じながら話に興ずるといったシーンが描かれています。なんでも資料が少なく画舫の内側迄描いてくれているという意味でも貴重な作品なのだとか。。
もう一枚は《花卓の少女 》
クラウスの外光派的な要素なのかどうか、と言われるとよくわからないけれど、明るい色使いはやはり抜群のものがあるのではないかと改めて思ってしまう作品です。紫の色がきれい。
エピソード的には京劇の派手な化粧を取るととても清楚なイメージの女性であることがわかって、黒のチャイナドレスを着た姿を描いたという《中国の少女 》も記憶には残りました。やはり、はバックはカラフルですよねぇ。。。これは師匠のスタイルに近いかな?
 
児島虎次郎《中国の少女》(一部・・下の方影ニナッテシマッタノデトリミクングしました

さて、ここからは撮影ができなかった梅原龍三郎の作品。彼の作風は、ともすると、マティスに酷似しているようにも思えるものがあるのですが、展示されていた《姑娘とチューリップ》なんかも本当にそんなイメージ。違うのは、女性の顔が東洋人で、着ているものが中国服。でも結構好きな絵だなぁ。。中国が気に入って四年の間に6回、しかも1月半とか数か月とか、長期逗留したというだけあって午前中は風景を描き、午後は姑娘を招いて中国服の人物画を描くという精力的な毎日を過ごしていたそうです。風景画は有名で、知っていたけど、中国服の人物画というテーマを持っていたとは知らなんだ。梅原も「中国の女性は美しい。すべて描きたくなる」と言ってたとの解説、図録には更に「今日の日本の女はそう描きたくないが」という前文がありました。藤島と同様ですね。
 
まぁ、他にも色々解説もして頂いたのですが、あんまり長くなっちゃっうのと、いつもと違って会期終了後にのんびりアップしたのでは、ちょっとは宣伝してね、という趣旨もボケテしまいますからね。。感想文はこの辺で一旦ストップ。
 
 
 
今回全てではないのですが、常設の一部のお部屋の写真撮影も許可して戴きました。
開館60周年を記念して常設展示の内容と九州の石橋美術館の作品で構成された二年前の「あなたに見せたい絵があります」展のブロガー内覧会の時にも撮らせて戴いたけれど、今回は企画展の範囲を超えた部分なので、有難い事です。
なので、ちょっとだけ・・・
 
 
普段はじっくり見ない古代美術コーナーで横顔を撮った(笑)

 
いやいや、今回も内容の濃い企画展で大変楽しめた上に、丁寧な解説、本当にありがとうございました。
翌日もう一度確認する為に、もう一度(ヨウヤク年パス使って・・・苦笑)行きましたよ。

注:会場内の画像は主催者の許可を得て撮影したものです。私の写真の質ではそんなことはないかとは思いますが、転載はなさらないでくださいね♪



描かれたチャイナドレス─藤島武二から梅原龍三郎まで
ブリヂストン美術館
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2014年5月31日土曜日

【終了後感想文】 出光の日本絵画の魅惑に魅了されちゃうーーー前期、そして後期も見に行きました

トーハクで開催されていた「栄西と建仁寺展」のサイド情報として、宗達をお手本にした光琳版を元に描いたと言われる抱一の《風神雷神図屏風》が出品されている事を知っておられる方は多いと思いますが、まぁ、そのポップっちゅうか、雑っちゅうかの、抱一版風神雷神(過去エントリーご覧くださいhttp://pikarosewine.blogspot.jp/2006/09/2006917-40030015066.html)も真近で見られる楽しさは、ありますが、それだけじゃないんです!
今回の展覧会、2006年の出光美術館開館40周年以来8年ぶりに名品を一挙公開!と自ら宣伝されている通り、解説も充実していて楽しい愉しい。
今回は前期・後期殆どに近い位に入れ替え(一部巻替え)があるのに、前期に入ると、漏れなく五百円で後期に入れるチケット迄下さる大盤振る舞い、ありがたやー。
さて、章立てはい次の通り、随分と細かく分かれてましたが、そう分けたかったであろう、という意図に合った展示と解説、時々、それは、無理やりこじつけだろう、という事があるこちらの企画も、今回は、比較的すんなり入ってきます。
1  絵巻ーアニメ映画の源流
2  仏画ー畏れと救いのかたち
3  室町時代の水墨画ー禅の精神の表現が芸術へ
4  室町時代やまと絵屏風ー美麗なる屏風の世界
5  近世初期風俗画ー日常に潜む人生の機微を描く
6  寛文美人図と初期浮世絵ー洗練されゆく人間美
7  黄金期の浮世絵ー妖艶な人間美
8 文人画ー自娯という独特の美しさ
9 琳派ー色と形の極致
10  狩野派と長谷川等伯ー正当な美vs斬新な美
11 仙厓の画ー未完了の表現

では、第一章の、アニメ映画の源流からね。
さっき、比較的すんなり入ってきたと、書いておきながら、この「映画」っちゅうのは、前期展示の二巻の絵巻からは、少し言い過ぎかな?ま、日本の絵巻が中国を元にしていても、マンガやアニメにあるような時空の展開ストーリー的であるというのは、常に語られているので、アニメ映画でもいいのでしょうけど、たまたま動きの場面がないものだから、ついつい気になって。
それはともかく。最初に登場の《橘直幹(たちばななおもと)申文絵巻(もうしぶみえまき)》、文章博士の橘直幹が、民部大輔の職に空きが出来たことを知って、自ら作文した申文(申立書かしらね)を小野道風に清書させて朝廷に奉ったけど、その文章が天皇の機嫌を損ねて、失敗に終わったというストーリーが展開するらしいのです。
いつの世も、そういう強欲っちゅうか、自らを売り込む系の人はいるもんだな、それを諌めるお話なのね、だいたい、小野道風なんて、当代どころか、歴史に残る能筆を使って、印象良くしようなんてあざといよなぁーーな〜んて、余計な感想はさておき、解説にあるように、この展示でのみどころは、鎌倉時代のこの作品の時代から既に簡易レストランのような店が構えられていて、干物なんぞを調理して食べさせてるという事がわかるということです。ま、チョットその、レストラン的な表現が分かりにくいので、何度も見ちゃいましたが、つくづく思うのは、日本の絵画って、早くから宗教的な意味合いを脱した食べ物の絵が描かれているって事なんですよねー。安定した世の中になって庶民の文化が花開いた江戸時代はもちろんなんだけど、これは、鎌倉時代の絵巻ですからね、つくづく日本人のfoodiesぶりを感じさせられちゃうなぁ。
絵巻物とはいっても、ストーリー展開の文章を読み下すことができない現代人の私たちには、面白さも半分以下なんだろうと思わされるのが、後期に重要美術品として展示された《北野天満宮縁起絵巻》。そもそも信奉するでもない神社の由来を有難がって読もうという事自体、現代人の生活にはほとんどの場合、無関係ですものね。人の顔より大きいのではないか、と思われた有名な紅梅の鮮やかな色だけが、強い印象になりました。

さて、第二章の仏画、あんまり得意じゃないんだけど、特に曼荼羅、なんとか界とか、かんとか界が、頭に入らないからなんですけど、今回前期に展示されていた《当麻曼荼羅図》は、その曼荼羅を取り囲む映画のコマ送り(解説の表現)のようなストーリーと言うのかな?極楽浄土にどうしたら行けて、行けない場合は何故なのかを解説してあるという構成が面白かったですね。これは解説を読まないと、ちと、現代人には難しいだけに、解説有難うございます!っていう感じ?
重要美術品の《山越阿弥陀図》後光が八方に広がる阿弥陀さん、チョット怖い顔だけど、それだけに色といい、構図といい、印象に残ります。
後期も《十王地獄図》で、阿弥陀仏や、観音菩薩に手をひかれ地獄から出られる人についての解説があったけど、大きな画面の中には八つ裂きにされかかってる女性がいたりして、この絵を見させられた人々が、こんな目に逢いたくないよと、真面目に信仰するきっかけは十分に作っているな。つまり、タイトルの通り、畏れと救いのかたちを画面で見せ、ある種の威圧をしながら、仏法への道を拓く事が目的で、今の我々のように鑑賞の為に、単眼鏡まで使ってガラスの向こうから見るのとは話が違うというわけさね。
第三章、能阿弥という人は、http://ja.wikipedia.org/wiki/能阿弥にもあるとおり、足利幕府時代の茶人でもあるし、鑑定士、表具師でもあるという、マルチタレントなわけですが、この人がシゴトではない、しかも年号の残る人の出世祝で描いたという《四季花鳥図屏風》(前期)重文と言われずとも、じっくり見入りたくなる魅力があります。更に後期には、これも言われなくても、しかも小ぶりなのにグッと引き込まれたのが、《破墨山水図》。大胆なブラッシュストローク、というか、筆さばきは自然で美しい。これが雪舟の真骨頂。。。とまでは言わないまでも、「破墨」といわれる凹凸を表現する手法は、「設色」と共に、明で周文に学んだのだとか。。
このほか、その周文の水墨画の《待花軒図》には、8人の僧による賛がある詩画軸の典型ということでいくつかの賛の現代語訳が解説されてました。「花を待ちながら、雪の消え方が遅いのが恨めしい限り。風雨の時は花が落ちてしまい悲しみは深い、春が過ぎた後も春のやってくる前も我が老いを急き立てる」と、まぁ、およそ修行して、ある種の境地に達した人とはおもえぬほどの俗っぽい感想を述べた賛があるかとおもえば「小さな峰に緑の草は生えて春の気配が萌えた。数本の樹が雪のまだ消え残ったところに枯れたままでたっている。花を待つのは良い客を待ち受けるのと似ているようだ、地を掃き清め香もたいた。先ずは読書をしよう」という、解説では快活な、私には絵の醸し出している雰囲気を捉えたように思える賛もありと、ひとつの絵に対して色々な感想があるように、賛も様々なんだな、と自分で読めない残念さを感じましたけれども。
ところで、美術館で、解説が詳しく書かれていても、図録には同じように、解説されていないことも多々ある昨今、今回の図録はこれらの解説は全て網羅されてるみたいです。買ってもよかったんだけど、これ以上増やすことに警戒感がある私的には、こらえるべきところであります。

更に、次章の前期の目玉(ま、この章は二作品で成り立ってるんですがね),、美麗という表現に相応しい、ゴージャスな六曲一双の《日月四季花鳥図屏風》。解説によると、現存する屏風の中でも最も古い作品の一つに考えられている室町を代表するやまと絵屏風だそう。webの解説でも、この時代は水墨画が主流とされていたけれど、近年の調査研究の結果、対照的な装飾的芸術であるやまと絵屏風が相次いで確認されたんですって。
金銀でお日様やお月様を表現するのは珍しくはないとは思うけど、大きな真鍮の板に金箔を貼った上に金泥を塗った太陽や、画面に展開する砂子、野毛、切箔、微塵箔のような蒔絵のモチーフのような多彩な装飾、絵柄もちょっと光琳が描きそうな水流だったり、胡粉でアクセントのような線が引かれていたり、元の彩色は相当ギランギランかも。。。と思うほど。それに屏風の枠も螺鈿の入った漆かしらね。ゴージャスなのは、解説によれば、通常の六曲一双屏風より小ぶりで、何より軽いとか。何せ、ウチには蔵も屏風もないので重さの感覚はないけど、とにかく、その軽さから判断して、明朝の皇帝への進物であった可能性について触れてありました。


 
後期は同じ場所に重文の《四季花木図屏風》。左隻の上の方の松林に積もる雪の解説がなければ危うく見落とすところでした。それと右隻にも左隻にも探幽斎と大きく署名されているのだけど、土佐光信って解説にはあったような。。。あれれ?いずれにしても作品リストに名前がないと言う事は・・・後代の人が書き加えちゃったの?(図録買わなかったので、そこ不明。。。)
 
第五章 近世初期風俗画―日常に潜む人生の機微を描くの部屋に行くと一気に華やかな江戸の名所が楽しめる八曲一双の大振りの屏風《江戸名所図屏風》からスタートしたのが前期。安土桃山の頃の京の都を描いた様々な洛中洛外図屏風といい、江戸が政治の中心になって栄えてきた頃の屏風だけに、生活者目線というか、庶民の生活が活き活きと描かれている事と、現在の地名と照らし合わせて見る喜びがありますよね、我々現代人にとっては。だから、もっとじっくり見たかったなぁ。
引き替え、今回展示の江戸時代の《洛中洛外図屏風》にそれ程の魅力を感じなかったのは、やはり、江戸時代というクレジットを見ちゃったから、そう思い込んだだけなのか??
《世界地図・万国人物図屏風》も画面の真ん中を世界地図、周りを色々な国の人の姿を描いている六曲一双にしては巨大な印象を受ける屏風でした。面白いけど、よく見るとどこの人も国に寄らず、同じような風俗に見えたのは私だけでしょうか?
後期には、そのもっとイキイキとした桃山時代の《祇園祭礼図屏風》が。右隻は前祭の山鉾巡業――長刀鉾とか山なぞが通りを練っているのが描かれていますが、左隻の後祭に出てくるカラフルな風船状にみたいなのは何なのかなぁ。。トーハクの《洛中洛外図―舟木本》にも同じような風船状のものが出ているんだけど、他では見たことがなかったの。でもこの屏風はさすが、同じ桃山時代のものらしく、同じような風船のようなもの、大きな日の丸の扇、南蛮風の傘は綾傘鉾かしら・・・等が出てるんですよね。。。風船のようなものは何なのか・・・これは調べなくては!
《遊女歌舞伎図》は解説では平面に描いた良い絵のようだけどちと薄くはげはげになってしまって保存状態が宜しくなくて残念。一方、《桜下弾弦図屏風》は大変鮮やかな色合いが残っているし、桜の花もぽってり描かれている二曲一隻の屏風。遊女の華やかさをその色彩で表現している印象的な屏風でした。でも解説で書いてある恋愛観にはいまひとつは入れなかった。
三室目にはいると、第六章は「寛文美人図と初期浮世絵―洗練されゆく人間美」に。
そもそも全身を描くという事がこれまでなかった、という解説に些か驚きを感じたものの、考えてみるとそうなのかも・・・その上、右手で縦褄を取り、左手を伸ばすという姿勢を取ったものが「寛文美人図」と言われるスタイルなんだ、という事も新たなお勉強の成果です。なるほど。
前期で出ていた懐月堂安度を始めとした懐月堂系は大柄な身体を「く」の字(あるいは逆くの字)にそらせたポーズをとらせた「仕込絵」と言われるレディイメードの大量制作版画なので、あまり質はよくないとか。でもでっぷり、ぷっくりした姿は印象的。とはいえ、お隣にディスプレーされた浮世絵の始祖と言われる菱川師宣の繊細な吉原風景《遊里風俗図》に比べると雑かな。因みに師宣について房州保田の縫箔師の家に生まれ、「本人自ら「大和絵師」と称していた事、やまと絵の土佐派の町絵師の画様を貴重とし漢画系の諸派や中国版画挿絵本等を大いに学んだ結果「菱川様」と言われる新様式を工夫した」との解説がありましたね。ま、一般的には《見返り美人》@東京国立博物館の絵師と言った方がわかりやすいですよね。見返り美人は言ってみれば上半身は控えめだけど、膝は、くの字に曲げ、全体は緩やかな逆くの字スタイルですものね。その意味でも懐月堂の先輩ですね。
 
第七章は、ちょっと前から広がったスペースに展開。黄金期の浮世絵―妖艶な人間美です。
前期に展示されていた《桜下三美人図》勝川春章は、手前に居る黒っぽい着物の女性だけ後向きにさせる事によって画面奥に展開されている春色に満ちた風景に誘うという視覚効果もあって印象的。
春章は「春宵一刻値千金(花は盛りでおぼろな春の月夜が千金に値する程価値が高い)」をもじって「春章一幅値千金(春章の描くなまめかしい女性は千金に値する)」とまで言われる程人気が高かったとのパネルに、前期の時はむしろ品の良さを感じたのですが、後期に出ていた《柳下納涼美人図》は粋を感じさせる仕込みが見られ(スミマセン、ノートに何か詳しく描いたのに文字が汚すぎてわからん)その真骨頂を感じたわけです。
《更衣美人図》さすがの歌麿、色っぽさが違いますね。帯を解いて肩からずり落ちそうな透かし綾の着物の衿を左手で抑える仕草が色気やたっぷり。後期の《立姿美人図》宮川長春の描いた女性がブロマイドの原節子に思えてしまったのは私だけでしょうかねぇ・。・・
 
 第八章は文人画ー自娯という独特の美しさ
なかなか難しいんですよねー、文人画が理解できる境地には至っておらず。。。
ただね、渡辺崋山の《猫図》はバッタを狙う猫の絵なのですが、空間の取り方が素晴らしく、張り詰めた殺気というか緊張感があります。
その後の崋山の運命とも重ね合わせると感慨深いですね。
 
谷文晁とか田能村竹田とかもっとじっくり見れば色々感想はあったかもしれないけれど・・・谷文晁のは小さな作品だったし、田能村の頼山陽の死をきっかけに描かれたという《梅花書屋図》の素晴らしさに対する理解度が低すぎて。。。
 
さっさと次行きましょう。
 
第九章 琳派ー色とかたちの極致です。
前期はこれに加え抱一の《風神雷神図屏風》。もうこれについては
この時の感想から脱出することができず。。。苦笑
と、其一の《桜・楓図屏風》です。
宗達を起点にした《風神雷神図屏風》もそうですけど、《八ッ橋図屏風》は光琳を起点にして、以降の絵師たちは皆この題材を写したうえで、どのように自分らしさを加えて行くか悩んだのだろうなー、と思います。風神雷神図は少々コミカルになっちゃったにせよ、八ッ橋の方は、カキツバタの数を光琳のものhttp://pikarosewine.blogspot.jp/2013/02/2012423100.html
よりぐっと減らして緑の葉を一枚一枚リズミカルに表現してより図案化を目指した抱一の努力が感じさせられます。
が、工夫という意味では《杜若図屏風》のアレンジの方がもっと好きかな。
 
其一の《桜・楓図屏風》。私は其一という人が時々わからなくなります。朝顔のような素晴らしい作品もある一方で、何故?と首をかしげたくなる作品も結構あるのよね。例えば《夏秋渓流図屏風》評価の高い作品だとは思いますが、あえていえば、毒々しく、画面が煩くて生理的にイヤ。。。
それに引き替え《桜・楓図屏風》は美術館で見た時は、比較的好印象な「抑えめ」な作品・・・と思っていたんです。。
左上の方を中心にした青い楓の太い幹、右隻の下の方を桜の花が埋めていて空間がたっぷり、色も二色のコントラスト。。でもね、後で、もう一度画像を見るとこれが不安定な視点なんだな。。画面真ん中(左上はもっと上)くらいから楓の根元が始まって上に向かって太く短い幹が見えているわけですよ。でそれより目線下に桜の花。俯瞰だと根元が見えるのが異な感じ、いや、右方向から斜め俯瞰なのか?でも正面から見るとなると楓はいいけど、桜の花の位置が変。。と色々悩んでしまいます。
でも、屏風として立体的に見ていた時はその辺りの違和感は全くと言っていいほどなかったわけです。
それが計算されたものだとすれば(色だけでなく形状としての対比を狙ったデザイン的障壁画?)とても面白いし、そうでなければ、オカシイし。。。
今後の宿題にしーよぉっ。
 
さて終盤です。第十章 狩野派と長谷川等伯―正統な美VS斬新な美
狩野派と等伯の闘いは巨大な組織に一人挑む絵師的な構図で小説等にもされていますが、狩野派と等伯に限らず、パトロンを得るが為とはいえ、洋の東西を問わず、そういったドロドロした面が美しい絵の裏にある事を知ってしまうと、どうも、こちらも見る目が曇ってしまうようでいけません。が、しかし、こちらの展示はそういった事とは関係なく、しかも狩野派といっても、闘いの象徴である永徳の作品ではなく、偉大な父の陰に隠れて下手呼ばわりされたり、長谷川派と融和を図った光信とか、その子の長信とかあまり日の目を見ない人たちの花鳥を中心とした屏風が中心でした。江戸狩野派(あー、これも感想かいてなーい。汗)のような優美さが先に立つような洗練された感じとは違って、でも力強さのある画面《西王母・東方朔図屏風》(光信)や《桜・桃・海棠図屏風》(長信)の八曲一隻らしい細長く広がる大画面に展開する花木の重厚ぶりは、やはり正統派狩野派の面目躍如といったところかなぁ。伝松栄という《花鳥図屏風》は好き。
対する長谷川派というより等伯。前期に展示されていた《松に鴉・柳に白鷺図屏風》http://www.idemitsu.co.jp/museum/collection/introduction/painting/ink/ink04.html
は、途中から等伯の署名が消されて、雪舟の偽物署名が書き加えられていたとか。確かに雪舟は等楊(とうよう)という一時違いの諱(いみな)があるし、等伯自身雪舟五代と称して自らを売り込んでいたわけで、本人のやったことなのか?と思いたくなってしまう。その偽物署名解説パネルに写真がついていて赤い四角でクローズアップされていたので、一生懸命探したけれど、良くわからなかったのよねぇ。。目悪すぎ。
後期に展示されていた同じ等伯の《波頭図屏風》。これは京都にある作品と略ほぼ同じ構図?金地に墨だけ?なのに、波濤の散る感じ、流れの速さを一瞬にして感じ取ることができる迫力のある画面ですね。《松林図》が幽玄な静寂を表しているのとは対照をなす荒くれる海のダイナミックさを余すところなく表現している様は、目の前に広がる日本海の冷たく荒ぶる海をずっと眺めて育った等伯その人そのもののような気にさせられますねぇ。。
でも、右隻と左隻の両側にある署名。自己顕示の強さを感じてちょっと萎えるなぁ。
終章である第十一章は、出光らしく仙厓―未完了の表現
仙厓さんの作品については去年の「日本の美・発見VIII 仙厓と禅の世界」の感想で詳しく書こうと思っていたんだけど・・・そのまんまだぁ。。。
ま、アップはしていないけれど、今回はパスしますかね。
 
そういう訳で、ボリュームも内容も素晴らしい出光らしい展覧会でした。感謝。
 
日本の美・発見IX日本絵画の魅惑
出光美術館(丸の内)
 
前期:201445日(土)~56日(火・休) 後期:201459日(金)~68日(日)
 
会期は終了しています。
 

 





2014年3月31日月曜日

【番外編】 坂さんの紙管の仮設教会を見てきた‼


今年の春先、プリツカー賞という建築家に与えられる賞を坂茂氏が受賞するというニュースを見たんですね。
アートの世界の中でも建築の展示(特に図面とか・・・)は、はっきりいって飛ばそうかな、と思うジャンルで、完成品としての美しさしか感想は持てないので、はっきり言って、このような賞があることも、また、この賞を数多くの日本の建築家が受賞されている事も全く知らなかったんですけど、今回はたまたま、私のアンテナに引っかかった。
 
たまさか、同氏の被災地での活動(仮設住宅のの一部として紹介されたのがクライストチャーチ(ニュージーランド)の教会。いや、丁度なんちゃって外交でクライストチャーチに行く直前だったものだから、引っかかったのでしょう。
 
そんなわけで現地に到着した日、天気もよかったので、破壊されて未だに、手も付けられていない崩れ落ちた教会と、坂氏のカードボードで作ったと言われる仮設教会を外から眺めに行ったわけです。
 
丁度、これから集会が始まるので、それまでは見学してもいいよ、と言ってくれた牧師さんやボランティアの人たちの顔が楽しそうで、明るかったなぁ。
仮設教会は、簡素ではあるけれど、とても明るくて(つまり、古めかしい教会に比して圧倒的な明るさ)そして横に広い。ステンドグラス様のようなカラフルなガラス(なのか、他の素材なのか?)が印象的な教会でした。
 
 

 
それだけ?
感想としてはそれだけなんです。でも、建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞ってどういう賞なんだろうと調べている時に、坂さんのプロフィールというのを読んで、そっちにおおいに興味をひかれた。
自分の進むべき道を明確に理解し、その目的の為に何をしていくべきなのかを小学校の頃から自覚し実行しているなんて、凄いなぁ。。(ラグビーと建築を同時にできる為には早稲田に行こう、試合に負けて建築一本に絞る為には東大に行こう、外国人がクーパーユニオン行くには、他の米国内の大学に行く必要があるから行こう・・・と学校選びだけでも、周到な準備。それなのに、建築家としての資格には無頓着だったのかなぁ。。。何の経験もないまま、実業の世界にぽんと、入っている。。)今やっておられること=難民や被災者のように、寄る辺のない人たちに快適で最先端の住環境や教会(心の拠り所)を提供し支援していくのは、そういうpracticeの積み重ねの上に成り立っているんでしょうね、
人々の顔が明るかった要因のひとつかな。。


 

2014年3月8日土曜日

obseesed with holes!--荒木 美由 anarchy

若い美術家さんのお友達の後輩の個展のお誘いを受けたので、アートスペース・イエローハウス@東日本橋久松町に行ってきました。
イエローハウスそのものも、外はカラフルでホップにリノベした感じで、中は、昔の民家みたい。だれか、美術家さんが、制作?(笑)したのかな。そういえば、古民家や、取り壊し寸前のアパートをアトリエにしたり、ギャラリーとしたりすると、そのしつらいも含めてアート
と言うことで、見る方も、たのしくなりますよね。尺の決まった美術館や、ギャラリーに比べて!フランス大使館の旧館でやっていたno man's land展とか、まだ書いてないけど、大分のフンドーキンアパートの展示とか。

話は脱線しちゃったけど、そのお誘いの主、荒木サンは、穴に魅せられた人。おじいさまのワイシャツを、お線香で穴を開けた新スタイルシャツが、かかってる一階は、 現在進行形的な公開制作展示、彼女の穴を開けたい症候群が、宝箱のように展開されたワンダーランド、これこら更に進化するらしい。
2階の展示スペースには、石の展開。<石の時間>
なんだろう、嵯峨野のお寺だったかしら?を想起させるような。ホントは踏みしめたい衝動にかられた。

で、手前のお部屋は、<for grandmother>
上から穴を開けたように見える紙が添か天井ら、床までピンと張られてた!自身の解説では穴を開けないようにやさしくするpracticeとあるから、仕方ないけど、造形的に惜しむらくは、電気つけたら、影絵が出たらもっと楽しめたかも!
なんだけど、私が、このひと、やっぱり線香での穴開けに魅せられてるな!と、感じさせられたのは!作品カタログのように、置かれたファイルケース!コンビニの(しかもセブンばっかりだよ(笑))レシートを丁寧に、炙ってる!作品を見た時かな。

そういえば、最後に入っていた名刺、前に戴いた時に、妙に心惹かれたのは、こういうことだったのかー!
今は若いので、しばらく穴に集中するのかな?最近のアーティストは、自分を主張するテーマが早くからあると思うけど、このヒトの今後の展開が、気になる展示でした。

3月16日迄11:00-21:00
アートスペース イエローハウス
中央区日本橋久松町3-1

2014年1月17日金曜日

【終了後感想文】 シンプルで美しい岩田俊彦さんの「漆芸(アート)」に首ったけ・・・欲しいなぁ・・「KIZASHI ―友禅の斬新、漆芸の大胆― 」展@ポーラ・ミュージーアム・アネックス

 

禅染といえば優雅な着物のイメージ、そして漆といえば艶やかな上質の器のイメージ・・・。ところが、これらの伝統技法を表現の手法として用いることで、現代アートの新しい息吹へと変えた2人が登場! 110日(金)から22日(日)まで、ポーラ銀座ビルの「ポーラ ミュージアム アネックス」で開催中の「KIZASHI ―友禅の斬新、漆芸の大胆」展では、石井亨の「友禅」と岩田俊彦の「漆芸」によるアート作品を展示。
 
2人に共通するのは、「用の美」ではなく、伝統技法を新しい発想で自在に操っていること。さらに、伝統技法の新たな世代の継承者として注目されており、そのセンスが国内外を問わず高い評価を得ていることも。友禅染でグラフィカルな表現を行う石井亨の作品は、糸目友禅染が本来持っている優美な線を使って色鮮やかに染め上げるもの。今回の展覧会では、ヴィヴィッドな友禅模様で現代社会の姿や都市の風景を捉え、「日本の風景の過去から未来」を描き出しているそう。
 
また、独自の視点で漆を表現する岩田俊彦は、既存の漆芸にはない新しい表現で、はるか縄文時代から用いられているという漆を使って、「人・植物・自然」を辿りながら、平成の遊び心を革新的かつポップに展開。
 
「友禅染も漆も日本の伝統的なもので、広く知られていますが、一般的に触れる機会は少なかったと思います。今回は、現代社会をシニカルかつ鮮やかに表現した石井さんの友禅作品や、遊び心あふれるポップな岩田さんの漆作品を通じて、それぞれの伝統技法の可能性が感じられる展覧会です。ぜひ、ご覧いただければと思います」と、広報担当の松本さん。
 
着物ではない「友禅」と器ではない「漆」の絵画的な作品の数々。これまでのイメージを一新するような新しい表現に、「異端」を見るか「未来」を感じるか? ここで、あなたの新しい美意識が試されるかも?
 
ポーラアネックスより
 
新しい展覧会のちらしをゲットした時からその梅干し飴のデザインを思い出す(いや、実際比べると違ったんですけど、なんか、連想しちゃった)でも、シンプルでインパクトのある松の柄が描かれた朱い漆の写真に心奪われていたんですよね。
 

会場に入ると、カラフルで細かい絵柄を連ねたポップな印象の石井亨氏の友禅作品(平面的)とシンプルで色も二色程度にしか見えない岩田氏の漆芸作品(立体的)が飾られているわけですが、どうしても、漆芸作品の方が私の心を捉えて離さなかったの。良く見ると、小さな髑髏が描かれていたり、なんだか柴田是真のような粋@21世紀のような感じです。色もアイボリーだったり、緑だったり、紫まである!む。ら。さ。きーーーー、びっくり♪
朱色や黒のイメージや器という固定観念を解き放たってくれたわけですよ。
ま、勿論、よくよく見ていけば、それが、お重を逆さにしたとか、硯入れの蓋の部分だ、と考えればそれはそれで器にも見えるのだけど、西洋風に壁にかかっていると、やはり、斬新。
 
艶めくその表面をみているだけでも溜息が出てくる。欲しいなー。。。いくらなんだろうー。なーんて考えながら素敵な時間を過ごせました。
 
また、作品に出会える時を楽しみにしたいな。。
 
(ごめんなさい、石井さんの作品・・・あまりにも岩田さんの作品に入れ込んじゃった為、感想文なしで・・・苦笑)

2013年12月8日日曜日

「特別展 小林古径生誕130年記念 古径と土牛」関連イベント ブロガー内覧会(青い日記帳×山種美術館共催)にいってきたんですー。

ありがたいことに第三弾となる青い日記帳×山種美術館共催のブロガー内覧会にも参加させて戴く事ができました。
少々バタバタなもんで、後期をみてから纏めて感想書こうとしていたら、こんなに遅くなっちゃいましたが。。えへっ。

今回も館長の解説をお伺いできるばかりか、写真もほぼ撮り放題、作品に因んだ菊屋さんの和菓子までついている素晴らしい企画♪

実は、「ザ・ベスト・オブ山種コレクション展」(2012年1月頃)の時に、この時は青い日記帳企画という名前のもと(山種美術館のサイトで応募する形ではなく、青い日記帳の中村さんのブログとツイートで知って伺ったように記憶しています)、山崎館長のお話を伺っていますから、そういう意味ではこのタッグでお話を伺うのは4回目かな。

ところが、その時伺った館長の解説とか感想文に纏めておく予定だったのに、ツイートだけして(今朝7時半に家を出、北京故宮博物院200選⇒ブリジストン60周年記念記念日で無料→一旦帰宅⇒山種山崎館長のお話by @taktwiさん企画とほぼ12時間に亙る美術探訪の一日終了。故宮みたばっかりで館長の話を伺ったので御舟桃花の見方が変ったし、楽しい話を聞けtakeさんtksです。)感想文は書いてなかったんですね。

だから古径さんや土牛さんについて解説された部分で、今回はお話がなかった部分についても、もう一度かみしめながら、いざいざ感想文を書かん♪

尚、本展覧会にはまだ著作権の残る作品も多くあるそうですが、本企画に参加し、展覧会のご紹介をするという事で特別に写真を掲載する事を許可されていますので、くれぐれも写真の無断転載はなさらぬようお願い致します。(ま、私の低性能写真を使いたいという奇特な方は少ないとは思いますが、時々、ブログ内の記事で写真を検索されている足跡がありますからね、一応念のため。苦笑)

先ずは、つぶやきをして・・・(写真ツケワスレチャッタノヨ)
これから古径と土牛posted at 17:17:17
入口で参加申し込み証とチケット代をお出しして、ピンクのリボンとチラシやお菓子の引き替え券の入った袋を戴き、荷物をロッカーにしまい。。。。階段を降りて行くと・・・そう、前回お勉強したように、看板が見えるように設計された窓つき自動扉が空いて・・・・まずは右の第一会場に。
いつも最初のご挨拶や解説のあるエリアの目玉作品はおめでたい《鶴》。

・・極めてクラシックな絵柄で、なんの変哲もなさそうに見えるこの古径の鶴ですが、猫が丸くなったように、でーんと構えていて、鮮やかな印象ですね。 でも、一枚一枚の羽の中心通る骨等、ディテールもしっかり、さすがは円熟した65歳の時の作品、人気があるそうですよ。(この柄の手ぬぐいも買っちゃいました♪)

サテ、先ずは中村さんのご挨拶―今回は「古径の金を探せ!(同じ金でも、色合いの違う二種類の金を同じ画面に展開させたりしている・・・・最初の《鶴》もね。)」がキーワードとか。ふむふむ。
引続いて、山崎館長の解説を伺います。
先ずは、古径さんの生誕130年記念という事で企画された展覧会に何故、奥村土牛さんもセットとなったのか?
それは、二人が同じ梶田半古(かじたはんこ)の画塾の兄弟弟子関係・・・というよりは、半古が亡くなってからは土牛の先生は塾頭であった古径と言ってもいいほどの師弟関係だった・・・という事のようです。勿論、古径の作品は46点、土牛の作品は135点も所蔵している山種美術館だからこそ、そういう組み合わせが可能だった、とも言えるでしょうね
脱線しちゃうけど、この梶田半古センセイ、横山大観より二年遅れた明治3年生まれ、弟子は古径、土牛に青邨と世に名を残す画家を輩出しているのに、歴史画が多いというご本人の作品は殆ど残っていないし、彼らの先生でなかったら、今の世の中にこのような形で名前が連呼されることもなかったであろうかと思うと不思議なものですねぇ。(脱線終わり)

この半古先生、「写生」や「画品」それに「色」を重んぜられていた、と古径が言葉を残しているけれど、粉本を与えず写生をさせ、今でいうデッサンを重視したのに対し、(今村)紫紅や(速水)御舟を輩出した松本楓湖(の安雅堂画塾で)は古典を粉本とし、それを写し研鑽したと言う事です。
まぁ、やり方は異なっても、結局うまい人は、備わった天賦の才でそれをモノにしていく事にはかわりはないようにも思えますが、残っている初期作品の題材に違いが出るので、面白いといえば面白いですよね。
その写生重視の半古の影響を強く受けているというのが、古径24才にして文展に出品した《闘草》。右の少年の腕の部分が透けて見えているけれど、ただ透けて見せているのではなくしっかりとしたデッサンの成果としての身躯体が表現されている結果とみるべきなのだそう。


更に半古好みの大和絵的な表現(トオッシャッテイタヨウニメモシテルンデスガ、コレデタダシイカシラ?)の《小督(こごう)》。
《小督》左幅 あばら家で琴を
奏でる小督の局と侍女
《小督》 小督を探しに野を行く
仲国
これは平家物語が題材になっているので、その内容がわからないことには、絵解きは難しいですねぇ。要は帝の寵愛を受けていたけれど、権勢をふるう平氏の中宮を慮って隠遁した小督の局が琴を奏でる場面(左幅)と、勅命を受けて探し出そうとする仲国(右幅)というふたつの異なる時間帯を描いているところは絵巻物にはよくあるパターンとはいえ、二幅の絵を繋ぐのは「琴の音」という説明には、ぐっときた人が多いのではないでしょうかねぇ。。あ、もちろん、何気に墨でぼかした地(地隈)や草花も連続して描かれている訳なんですが。




実は、本展より後に開催された「江戸の狩野派」展@出光美術館で《小督弾琴・子獣訪戴図屏風》(狩野尚信)というのを拝見したのですが、こちらは右隻の左側から仲国が右のあばら家で琴を奏でる小督の方を探しに進むという構図でした。
尚信は時の美術評論家のような人物に、時に兄の(狩野)探幽よりも先進性を感じると言わしめていますが、左隻の中国の故事との対比という描き方ということがあるせいか、この小督と仲国のエピソードに関しては通りいっぺんの表現にとどまっている気がします。まぁ、17世紀の絵師と20世紀の日本画家を比べるのも何ではありますが。

古径のこの対の二幅の絹本に描かれる、小督の方も優美なものですから、それがあばら家と理解するのは屋根が石で押さえられただけ、という描き方によってだけ・・・というくらい、上品で、構図的にも、その解釈も大変に素晴らしいということが改めて判ったというだけでも尚信に感謝しなくてはなりませんね。

《西行法師》 
頂いた猫を童子にやって、すたすたと。。
童子が小さすぎるくらい
ただ、《蛍》とか《西行法師》にみられるような周囲と比較しての(主役となる)人物の大きさには、ちょっとひるむ感じになりますがね。《蛍》なんか、牛車から袖と扇だけ出している女性の扇の大きさと引き比べても蛍大きすぎ?と思うものですから、どうもしっくり来ないんですよねー。《西行法師》が戴いた猫を童子にやるという場面を描いた絵でも、童子の大きさが小さすぎるんだけど、ストーリー的には重要な人物なのに、なんでだろう。



《蛍》
蛍の大きさが従者と比べるとおっきい。
一方、私が心惹かれたのは、《蛍》で、牛車の前に立つ白の直衣の人物。おそらくは織だけで艶のある(ひかひかした)地紋を織り込んだ羽二重なのかしら?・・・と想像をしてしまうほど細かいところにも心配りされているのを見ると、文様だけでも誰とわかる地紋なのかしら?なんか知る方法はないかなぁ・・・と別の興味が湧きますね。

そうかと思えば≪小督≫と同じように二幅の掛け軸を使った《猿曳》の場合は二幅の間に距離も時間も音も隔たりなく、シンプルな構図。曳いている紐はゴージャスな金の紐・・・な訳はなく縄なんだとは思うけれど、ささっと描いたような、緩さと勢いがあって、なんだか別人の作品を見ているような感じ。
《猿曳》

まぁ、描いている本人の時間軸には20年弱の隔たりがあるわけだから、一人の人の絵描きとしての時間の隔たりによる変化を知る意味で対比してみると面白いですね。この間に《大昆古命図》に見られるような没骨法、たらしこみ等古典技法を同じ画面で種々展開してみたり、カラフルが身上の今村紫紅の影響があったり。
因みに、解説ではこの違う師匠を持つ紫紅の影響があるという《河風》、巡り巡って、弟弟子の土牛の家の床の間で、作者を出迎えることになって、お呼ばれした古径がびっくりしたとか、書いてありました。
表装も良くて後期にも堪能させてい戴きました。話は戻りますが、その試行錯誤の結果かもしれないこの《猿曳》もまだ洋行前の作品なんですね。

洋行と書きましたが、向かって右側の壁には欧州に絵の勉強に行っていた時代の現存するただ一枚の油絵がかかっています。この絵は何度か見たことがあるけれど、(いつぞや、ブリヂストンに貸していた事ありませんでしたっけ?と、どうしても関係ない事を思い出してしまう私です。)この絵の解説の時には古径が、欧州に行ったおかげで輪郭線を大事にする日本画に回帰した、という話が常に登場するわけです。であれば、奥のケースに掛かっている、似たように果物が入った軸絵が隣に掛かっていて欲しかったなー、と思ったわけですね。なので、自分で並べてみてしまいました。

ま、日本画の方は涼しげなガラスの器に入った果物ですから、そもそもの趣が違うけれど、でも、きっとこういう絵が描きたくなったのかしらね・・・と思いをはせるには十分です。

ところで、私にとっての、今回の見どころはなんといっても《清姫》連作シリーズです。数少ないつぶやきでも・・・

清姫連作、今までなかなか見られなかった、全ストーリー見られて幸せ!当初は巻物仕立てにしようとしたらしい。清姫が安珍を追いかける右と左の展開はまさに、巻物だにゃ。 https://pic.twitter.com/zkTXMbNWrI

は、もともと、古径も絵巻にしたかったそうですが。それはともかく、全ての作品が展示されるのは久しぶりだそうです。

ユニークなのは、清姫に魅入られる事になる安珍が熊野詣を行う始めの一歩となる〈旅立〉。

これだけ白描画なんですね。館長のご説明では(図録にも載っている由)一枚の絵を長く描く古径の場合、これが完成作と断定するのが難しいのだそうですが、お弟子さん曰くもとより白描の予定だったという話が残っているので、そのように断定しているとか。確かに画家の意図に寄り添うとすると、まだ清々しい気持ちで颯爽とした感じを出したかったのかしらね、と思えてもきます。ただ、この作品だけ紙の幅が広く、異質感は残っていますが、逆の幅広の巻紙(の断簡)の中央にぽつんと描かれた感じが、これからの旅に伴う困難を予感させる為なのかもしれませんね。

その後はストーリー展開毎に額装されているわけで、中央の展示ボックスを挟んでクライマックスへ・・・


これから変身するよ、清姫!髪も金色がバックに。。。 https://pic.twitter.com/JlAjcpkn4U

この〈日高川〉は髪のバックだけではなく、袖口も怪しく光ってますよね
更に、浄瑠璃や歌舞伎でもクライマックスとなる清姫が大蛇に変身して、その蜷局を鐘に巻いて、その中に逃げ込んだ安珍を閉じ込めてしまう場面は、炎を全てオレンジ系と黄色系の金色で描き上げていて迫力があります。

終章の〈入相桜〉は、古径自身の創作による後日談なんですね。
焼き尽くされた後に芽を吹いた日本の桜が絡み合い、満開となっている図です。

これ、絵としては胡粉をたっぷり盛り上げて綺麗なんですが、焼き尽くした後にも清姫が安珍を絡め取って、ぼってりとした桜を咲かせ、勝利宣言をしているみたいで、静けさを感じる絵柄とは相反する清姫の執念みたいなのを感じて、安珍が休まらなくって可哀そうだなぁ・・・って思ってしまいましたが。

それに比すと、ただただ美しい写生をした、という感じの《桜花》は見ていて落ち着きますね。
上手―――。《栗》も同じような平安を感じます。

上手~♪なんて、名のある画家に言ってしまい、失礼千万でありますが。

さて、今回、展覧会の為にお借りしているという作品が数点ありますが、その一つ《紫苑紅蜀葵》屏風は、ゴージャスで美しい。



蒔絵のように金の砂子を撒いた金屏風、右隻は満開の紫苑、左隻には咲き始めの紅蜀葵を置き、夏から初秋にかけて咲く花を対照的に表し、その間をつなぐように朝顔を置いたとの事ですけれど、大きな紅蜀葵の華やかさが印象的です。でも紅蜀葵って何?って調べちゃいましたよ。
こんな花なんですね。
http://www.hana300.com/momiao.html
まんまですね。(苦笑)

館長は琳派を意識しているとのお話でしたが、手法的には没骨法も使っているし、背後には墨による陰影(隈)が施されていて、まさに(当時の)「現代」アートとしての障壁画であるように思われます。

その屏風の隣にかけてある《竹雀》、隣の屏風に比べると小品ですが、下草として描かれる熊笹の細かい描き方等、何故か心惹かれます。古径は《小督》の時代から草の表現がうまいですよねぇ。

さて、このあたりから、漸く遅咲きの土牛さん(奥村土牛)が登場します。二人の作品が隣り合わせとなり、個々の特徴が対比できる、うまい展示です。
色に関しては 古径が絵具そのものの色――クリアな色が多く、土牛はセザンヌを意識して色を「面」で描くといった違いがあり、輪郭線に関しては、帰国してからの古径はより強い意識で輪郭線を引き、土牛はあったり、なかったり。
ま、アタマで理解するよりも、目で見てその醸し出す雰囲気で違いを感じればそれでいいのですが・・
《弥勒》は土牛によると古径は緑青の絵具の色が気に入らずに、何度も描きなおしたとかで、全体的には色々な色を別々に重ねている印象。
左が土牛の《北山杉》 右が古径の《弥勒》

対する(?―――左隣にあるのでネ)土牛の《北山杉》の緑色はグラデーションで描かれていて、館長の説明では胡粉を薄くとかして何度も塗り重ねたとか。杉の幹がデザインのように並んだ構図が面白いですね。

土牛の再興院展の初入選は38歳で遅咲きという表現をされていましたが、今回も展示されていた代表作の《鳴門》とか《醍醐》を描いたのが其々70歳、83歳で、101歳まで長寿を全うした土牛さんにとっては、遅咲きかもしれないけれど、自分の好きなお絵描きをずっと続けられたのだから幸せだったとは思いますが、それも、無名だった時代を館長の祖父である山﨑種二が支えてくれたからこそ、なのかもしれませんね。その見返りといってはなんですが、佐久に行かなくても(佐久には土牛さんの記念美術館ありますよね。行った事ないんですが。)東京にいる私たちが135点もある所蔵品の中から、度々これらの名作を真近いで拝見する事ができるわけです。

さて、《醍醐》では胡粉と綿臙脂であのぼってりとしたピンクの桜が描かれているんですよね。綿臙脂というかいがら虫から作られた絵具の事を前回のザベストオブ山種の館長解説で知ったわけですが、今回もさらっと説明がありました。
でも今回の私の興味は鳴門の重ね塗り。遠くから見ても大変な迫力がある渦の部分、色も描き方もよくみると油絵のように塗り重ねられています。



古径があげたセザンヌ画集を良く勉強した土牛さん、姫路城は確かに影響感じられますね、 でも横山操にも似てる感じがするのは私だけ? https://pic.twitter.com/AbsWex9I2l


奥村土牛《城》 真下から見上げたような視点が面白いですよね

横山操に似ているかどうかは別として、セザンヌを意識した色の面というのは、《雨趣》にも良く表れていますよねぇ。
ただタイトルの通り湿潤感があるところが違うけど、面で描いているのがセザンヌの影響かな・・・と思っちゃいますよね。でも、セザンヌと違って見る視点が一点なんですよね。

《雨趣》は昭和3年だけど、《城》は昭和30年、ここにも時の流れがあるんですけどねぇ。

斜めちゃっているけど古径の《牡丹》
土牛《富貴草》 富貴草とは牡丹の別名
コレ、鮮やかな赤い色と縁の黄色っぽい色
のコンビネーションが美しくお気に入りです。
さて、古径との比較で土牛の代名詞のような富士山が前期・後期ともにあって、楽しめましたが、比較という意味では、コレ。輪郭線を大事にする古径の牡丹の白と色の面で描く土牛の赤い《富貴草》。

そのほかにも古径が集めていた陶磁器に活けられた花や鉢そのもの等にも個性の違いがあって面白かったなぁ。。
土牛が《泰山木》(後期)で描いた花瓶は古径の《八重山吹》(展示の対象ではありません)と同じだったとか。

ポスターになっている古径の《観音》も色鮮やかな赤の蓮が目立ちますし、比較的大画面だけど、基本的には個人の床の間に飾るような大きさの絵を描き続けたようですが、土牛の方は、戦後は展覧会芸術(云い得て妙だなぁ)の要求によって余白のない大画面も随分描いたそうです。
個人的には展覧会用の作品は好きになれないのが多いですから、すごく納得してしまいました。

第二室の牛や犬などの動物の比較も含め、前期も後期も愉しみました。
古径《牛》 
土牛《聖牛》







【特別展】小林古径 生誕130年記念 古径と土牛
山種美術館
2013年10月22日(火)~12月23日(月・祝)