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2013年5月31日金曜日

夏目漱石の美術をとらえる頭の構造は実に面白い(湯川先生@ガリレオ風に。。)ーー夏目漱石の美術世界展@東京芸術大学美術館


仕事が遅い時間までの私には18時とか18時半とかからスタートするブロガー招待内覧会に出席するのはかな~り厳しい時間割なのですが、汐留での松下幸之助展に引き続き、翌日も当選できたので、

今日も解説を聞くのだ #漱石美術 posted at 18:27:42

とのつぶやきから、5月の最後の金曜日の夜が始まりました。今までもあったけれど、内覧会が連日になるとキビシイ。。でも、人気の内覧会だったようで、当選しただけでもありがたい事♪ だから、頑張って連日のベルサッサを敢行♪



そのおかげで、

今日のイベントは内容もだけど豪華図録を頂戴出来た上、八時半迄鑑賞させてくれるという大変寛容な企画!おかげで一度見た後に音声ガイドを借りて最後迄たどり着けた。ありがとうございました! #漱石美術 posted at 21:00:33 

尚、他の内覧会でもそうですが、特別に展覧会会場の写真を撮影することを許可されての掲載です。本展会場での撮影はできませんのでご注意くださいね。また、いつもの通り、会場での一点撮りは不許可ですのでそれで補えない個別作品については紙媒体(図録とかチラシとか)を使わせていただいています。

最初に、東京藝術大学美術館の古田准教授(この方は図録も藝術新潮の記事も東京新聞の抜刷も書かれていますね。)が「手短に」とおっしゃって、本当に短く、でもきっちりと解説をしてくださいました。

要は、漱石の小説を読むと彼の頭の中に絵画的イメージが広がっていたことがわかる事、その小説に出てくる絵を集め並べることで、彼がそれらの絵をどういう風に見ていたのか、その見方を探るという企画。

例えば、という事でご紹介戴いたのは、『坊ちゃん』中で釣りに来た赤シャツと野だ(いこ)の会話に出てくるターナー(の絵画に出てくる松にそっくりな)の松。傘のような形の頭にまっすぐな幹を持つ特徴的な松の絵を覚えていて、この場面を描いたのではないか、との説明。坊ちゃんはそんな絵の事なぞ知らないから黙って聞いていたという場面ですが、普通の読者もそんなイメージわかないから、いや、少なくともこの小説を中学生にあがるかあがらないかで読んだ当時の私には分かるわけもなく、なんだか知ったかぶり風の赤シャツと下卑た笑いをするのだいこの会話ぶりがよくわかる程度の記憶しかない場面でした。ちなみにこれに引き続いてマドンナの話が出てくるけれど、これも「ラファエル(原文ママ・・・ラファエロですね)」のマドンナと引いてあった、と今回改めて気づきました。随分絵画的なイメージが広がっていたんですねぇ。。なるほど古田先生おっしゃるポイントがよくわかります。本展では幹の部分が少し弓のようにしなっている《金枝》と坊ちゃんの描写にでてくるようなまっすぐな幹の《チャイルド・ハロルドの巡礼》の二点と、小説の該当箇所が絵画情報と同様に展示されています。
右が《チャイルド・ハロルドの巡礼》、左が《金枝》


次に紹介されたのが、《ガダラの豚の奇跡》。「夢十夜」の十夜目に出てくるストーリーとの関連づけです。
左が《ガダラの豚の奇跡》

『坊ちゃん』のように、作品中にはマタイ伝八章の一節を描いたとされるリヴァイエアーの作品名も、それを示唆する文言もなくただ豚の大群が襲ってくること、檳榔樹(びんろうじゅ)のステッキで豚の鼻頭(はなづら)を打ち据えると、ぐぅと言って豚が絶壁の下に落ちてくるという事しか書いてないので、普通だったら、そりゃ、聖書(マタイ伝)から直接のイメージを得たのではないか?と考えてしまいそうですけれど、漱石が「英国文学研究の為に、英国絵画を学ぶ事は不可分である」との言葉を残していなかったら、この絵が上野の地にやってくることはなかったかも・・と思うと感慨深いですねぇ。

さて、この他にも小説の中に出てくる絵がたくさん集められているのですが、広島⇒藝大(東京)⇒静岡と巡回するこの展覧会で、東京でしか見られない、と古田先生がおっしゃったのは渡辺崋山の《黄粱一炊図(こうりょういっすいず)》。『こころ』の最後の場面で登場するというのですが、自殺していく主人公のあの“くら~い”(そして友人の死後の場面が怖かった・・・)お話の最後に取り上げられていたかどうかなぞ、読んだ当時の私(高校生でした)に記憶なぞあるわけありません。青空文庫で確認してしまいましたが、文中には「渡辺崋山(わたなべかざん)は邯鄲(かんたん)という画(え)を描(か)くために、死期を一週間繰り延べたという話をつい先達(せんだっ)て聞きました。」というくだりがあり、主人公が決心してから自殺に至る経緯を書く時間になぞらえているという訳です。邯鄲は「邯鄲の枕」「黄粱一炊」「邯鄲の夢」と言われ 「枕中記」に出てくるお話―粟(黄粱)が炊けるまでの短い時間に見た夢のように、人生の栄枯盛衰等一瞬の夢に過ぎぬ・・・(ダカラ自殺シテイイッテモンデモナイケド)という暗喩を崋山の絵(画)で表現するとは、漱石の美術を含む広範な知の蓄積に打ちのめされてしまいます。ホント。
右が渡辺崋山《黄粱一炊図(こうりょういっすいず)》

広範な知識といえば、明治の頃には忘れ去られていた、というのが定説の伊藤若冲も作品に登場する・・ということで、これまた、びっくりさせられます。『草枕』-読んだはずだけど、記憶すらない、ましてや、そこにあげられていても、当時も全く理解できてなかっただろうと反省。


伊藤若冲《鶴図》ー『草枕』に登場


なんだか脱線気味になっちゃったけど、今回の見どころのひとつは、『虞美人草』の作品中に出てくる・・・でも実在しない抱一作《虞美人草図屏風》を想定して描いたという荒井経氏作の《虞美人草図屏風》と、「三四郎」に登場する原口画伯の描きたいといっていた(“あの女が団扇(うちわ)をかざして、木立(こだち)をうしろに、明るい方を向いているところを等身(ライフサイズ)に写してみようかしらと思っている。”)美禰子の絵を再現した佐藤央育氏の《原口画伯作《森の女》(推定試作)》。原口画伯のモデルは浅井忠ということだけど、この時代のイメージを考えて当時使っていたであろう画材を使って黒田清輝風に仕上げてあるとのこと。確かに。ちょっと薄い感じの着物の色や、塗り方は、切手にもなって有名な《湖畔》とイメージがだぶり、狙い通りといったところでしょうか。

佐藤央育氏による新作《森の女(推定試作)》

前後しますが、荒井氏作の抱一作《虞美人草図屏風》、最初の印象は銀箔の煌めきが憤死した藤尾の派手な印象に合うかとも思ったのですが、横に添えられた文章をみると・・・

荒井経氏の新作《虞美人草図屏風》
逆(さか)に立てたのは二枚折の銀屏(ぎんびょう)である。一面に冴(さ)え返る月の色の方(ほう)六尺のなかに、会釈(えしゃく)もなく緑青(ろくしょう)を使って、柔婉(なよやか)なる茎を乱るるばかりに描(か)いた。不規則にぎざぎざを畳む鋸葉(のこぎりは)を描いた。緑青の尽きる茎の頭には、薄い弁(はなびら)を掌(てのひら)ほどの大(おおき)さに描いた。茎を弾(はじ)けば、ひらひらと落つるばかりに軽く描いた。吉野紙を縮まして幾重の襞(ひだ)を、絞(しぼ)りに畳み込んだように描いた。色は赤に描いた。紫に描いた。すべてが銀(しろかね)の中から生(は)える。銀の中に咲く。落つるも銀の中と思わせるほどに描いた。――花は虞美人草(ぐびじんそう)である。落款(らっかん)は抱一(ほういつ)である。

なので、つぶやきは・・・

荒井先生の抱一見たての虞美人草屏風、銀箔がまぶしくて、漱石の文章に合わないのが残念と、おもったら、ご本人も十分承知の上、でもヒロインのイメージを損ねない事で落ち着いたと。百年後には箔も落ち着くことを計算しておられることを図録で知る。お見それしやした! #漱石美術 posted at 21:23:29 


ところが実際、図録の写真となると、古びた銀箔の屏風のようで、趣がありますので、100年待たずとも多少なりとも雰囲気はわかりました。
図録の《虞美人草図屏風》(部分)


6月15日にはこの文章の通り、逆さにして展示するそうです。この日って、何の日だろう?藤尾の命日?

それはともかく、古田先生の解説は大凡こんな感じ、猫(『吾輩は猫である』)に始まり猫に終わる前にちょうど300点?ほど見てきて疲れたころに現れる漱石の手によるヘタクソな絵が待っているけれど、その手前のセクションで展示されている第六回文展出品作品に対しボロクソに言いたい放題批評を書いた人の自筆絵画はこの程度のヘタクソさ、というオチが待っている・・という説明も冒頭にありました。

さて、漱石の南画は何点を与えられるでしょう?文展に出したら。。。


ま、確かに文展出品作品になると、好みの問題は別としても、私の目から見てもちょっとねーな作品があるわけで、入選しようとする目的のために描く絵を批判していたことにはおおいに賛同。今も同じ問題が・・・(以下自粛 笑)

ま、我々、感想文を書いているような感覚の人に絵を描けと言われても、描けないのと同様・・・と思えば、かなり良いレベルな日曜画家の味は出しているようにも思えますけどね。
字は明治時代の人らしく上手と、

解説でも言っていたし、最後の装丁の項で『こころ』の装丁が出てくるけれど、



橋口五葉の猫をはじめとした美しい装丁には及ばないかもしれないものの、なかなかのセンスであります。実際その時に採用された石鼓文(セッコモン)で書かれたオレンジの表紙は今も岩波書店さんの漱石全集で脈々と引き継がれているわけですし。
無論、展覧会の冒頭に展示されている橋口五葉による猫の装丁は日露戦争当時の空気をたたえた猫の正装等アールヌーボー風の扉絵デザインも、背表紙もすべて美しく、文字も色々工夫されています。


小口を切らずペーパーナイフで切りながら本を読んでいく仕掛けであるとか(そういえば「ビブリア古書堂の事件手帖」の太宰の項で、このアンカット本の話が出てきたなぁ。。)
展覧会の最後の方では五葉が工夫をしていたことを表す《続編》用のデザインも展示されています。実際には続編とはならず、上中下巻となったようですが。。。




文展作品に対する批判眼については上記でも触れましたが、その中で面白かったのは同じ
《瀟湘八景(しょうしょう はっけい)》の題材を取り上げた横山大観と寺崎広業について「実際に両方を見ていくと丸で比較にも何にもならない関係の画であった」とし、広業について「殊に洞庭の名月というのには細かい鱗のような波を根限り並べつくして仕舞った。此子供のような大人のする丹念さが君の絵に一種重厚の気を添えている」と続けてあるのですが、良かったと思ったのか、いや、ちょっとね、と思ったのか。。
此れに対し大観については「君の絵には気の利いた様な間の抜けた様な趣があって、大変巧みな手際を見せると同時に、変に無粋な無頓着な所も具えている」と評しています。
左が大観、右が広業ーいずれも《洞庭秋月》

図録でみると、あまり違いが鮮明でないようにも思うけれど、実物ではかなり印象が違い、現代人の私には、大観としらずとも、大観の筆さばきに心が惹かれます。明治人の漱石や、同時代の人にとっては、やっぱり大観は少し違った風だったのかなー、とも思いますがね。

そのほか青木繁や坂本繁二郎とか萬鉄五郎などの作品には小品であっても、やはり心動かされましたが、
萬鉄五郎《女の顔(ボアの女)》奥に見えるのは《田園風景》
漱石が褒め称えている平田松堂の《木々の秋》屏風は装飾が過ぎてうるさい感じ。
ま、全て漱石と同じ感性では見られないのは当然ですが。

さて、最後に・・・

もともと、夏目漱石と美術、というか絵画という意味では個人的には、 『薤露行(かいろこう)』関連の作品が多く取り上げられていたのがツボでした。だって遥かムカシとはいえ、卒業論文はトーマス・マロリーの『アーサーの死』が如何に後代の数多くの小説家・音楽家に影響を与えたか。。。ということがテーマだったもので。。

テニスンのシャーロットの女は言うに及ばず、漱石、マーク・トウェインなどなど(もっともっといます。)、意外な人物も含め、かなり多くの人たちがこの『アーサーの死』を種本にして、自らのアーサー王の世界感を表現しているわけで、西欧(英国)文化の基礎の基礎が何か、ということを漱石が的確に理解していたことの証明でもあります。よって、ついつい、帰りの電車で図録眺めながら、つぶやいてしまいました。



そして、私的には韮露行(カイの字ちょっと違うな)関連で、ビアズリーとか出品されていたのは期待していなかっただけにツボでした。実はアーサー王伝説が論文だったから。。で、図録の誤植ハケーン!古田センセの解説が、マロニーちゃんになってた(^^;;正しくはマロリーですが。 #漱石美術 posted at 21:05:13


いや、ホント、先生のせいではない、単なる誤植とは思うのだけど、マロニーって、中村玉緒の歌う姿を思い出し、噴出しそうになってしまった、というおまけつき。実に面白い。


章立ては以下の通りです。
I 漱石文学と西洋美術
II 漱石文学と古美術
III文学作品と美術
IV漱石と同時代美術
V親交の画家たち
VI漱石自筆の作品
VII装幀と挿図

いや、ホント、個人的なツボは別としても、かなーーーり楽しめました。(よって、長くなってしまった。)まだ会期もひと月ほどありますから是非。(イツモトチガッテ・・・汗)

夏目漱石の美術世界展
東京藝術大学美術館
2013年5月14日(火)~7月7日(日)

この後静岡県立美術館にも巡回します。7月13日(土)-8月25日(日)

2012年11月8日木曜日

【過去日記 2012/11/8】 美術にぶるっ!=東京近代博物館で絶賛開催中・・・・・FBやってるおかげでブロガー扱い=ブロガー向け内覧会にいってきたーの巻



美術にふるえたことがありますか?

美術を体験すること。
深く感動すること。
知的に考えること。
それらすべての出発である衝撃を「ぶるっ!」という言葉でひょうしました。
あらためて大切にしたいと思う美術鑑賞の原点です

。。。。。。。。。。


・・という解説から始まった約20分弱のミニレクチャー、図録、招待券一枚、音声ガイド、写真撮影OK(但し一点のみはNG)、しかも夜6時半から9時まで!というどんだけGenerousなんだ?という東京国立近代美術館(MOMAT)開館60周年記念展覧会「美術にぶるっ!」のブロガー向け夜間特別観覧会に行って来ましたー。(ツイッターとFBやってる人もブロガー扱いしてくれるので、行けたのです。サンキュ) 昨日のこと。今日は今日でトーハクの中国王朝の至宝展ーーこれも担当部長さんの解説のおかげで、面白さ100倍。。それはまた後日ご報告するとして。。。今日は美術にぶるっ!(ビックリマークは斜めってます。)

みどころは
1 所蔵品ギャラリーが10年ぶりにリニューアル
「近代美術の流れ」としていた常設展示を「MOMATコレクション」に改称し
①ハイライトコーナーと②日本画コーナーの誕生というより分離)、もっと展示室を細分化し
壁紙を一部紺色に、休憩コーナーはオレンジの床色にして(3階にあった資料コーナーを



名前を変えた「眺めのよい部屋」部分の導入部に移設

2 寄託作品を含む重要文化財13点(日本の重要文化財は全部で51点中)一挙に公開

3 1階(第二部)実験場 1950's展との連動(連続性)
時の流れは①MOMATコレクションの「戦争の世紀に1・2」(これも大きな部屋の一部だったものが独立してる)から②戦争が終わり、サンフランシスコ講和条約を日本が結び漸く日本が独立国としての自尊心を取り戻した1952年(そして、同年に近美=MOMATは開館)を含む50年代、戦争の傷跡・基地闘争などが混沌とした1950年代はジャンルの垣根を越え作家と鑑賞者が交流する「場」が存在した。
そこから革新的な表現がうまれた、との認識により実験場と名づけた「実験場1950s展」へ
そして更に時代は、60年代70年代となり再びMOMATコレクションの「疑うこと、信じること」へと続いていく。
しかし、近代美術館の役割は近代美術史の研究としてこの時代を単に回顧するのではなく「現代の文化や社会を批判的に考察し新しい価値創出に向けた問題提起を行うこと」、と位置づけ。

短いながらもコンパクトにまとまったミニレクチャーを聞かなかったら第二部との連携に篭めるキュレーター/主催者の思いと熱意を理解することは難しかったかもしれないので、本当に昨日の内覧会はレクチャーを聴いて更によかった!と思えるものでした。

コレクションの名品が一堂に会しながらも「名品展」ではない!と言い切るあたりも、そのリニューアルの成果を感じることに繋がってよかったなぁ。

絵の並べ併せ方の問題だけ。。かもしれないけれど、今までどうしても好きになれなかった原田直次郎の「騎龍観音」が、萬鉄五郎の「裸体美人」と隣り合わせになり、背景の壁紙の色が紺色になっただけで、以前とほぼ同じ位置にかかっているにもかかわらず、かなり魅力的に写ったわけで。。⇒
もともと好きな劉生の「切通之写生」の隣に、タッチは全く違うし対称的でもないのだけど、同じように下から上へのカーブを持つ絵がかけられたりしていて(作品名確認しわすれたー!泣)、絵を鑑賞することの楽しさを再確認できる展示の工夫が以前にも増してなされるようになったという感じ。⇒

未だにあのガラスのケースに入って展示されている屏風絵などの扱いが変わらないのは残念だけど、ガラスのケースから飛び出してきた絵たちの生き生きとしたこと!小倉遊亀の「欲女 その1」がこんなに大きな作品だったんだと再認識させられた


のも、日本画フロアを分離した・・・というか、再構成して一部は4階同様紺の壁紙の効果ー上村松園の「母子」とかねーが上がっている感じ。



改装を担当された方たちの思いが伝わってきましたよ。

思いの強さという意味では、第二部は咀嚼するには、置いてある資料も含め、相当な時間をかける必要があるのではないか?と思ってしまうけれど、「現代の文化や社会を批判的に考察し新しい価値創出に向けた問題提起を行うこと」を単純化していくと。。。
第一部の原爆の刻印ーーその被害が公にされたのはMOMAT開館の1952年



つまり7年もの間、真の被害状況を人々は知らされていなかったーー翻ってフクシマはどうなの?7年の歳月を要するのかという暗喩

・・同じく砂川事件

ーー場所を変えて基地への反対は今も続くー

現代への連続性?東山魁夷の道が東北の地に題材をとられたところ




からスタートし50年代の国土開発で失われていく東北地方の原風景への思い?

まっ、全く違うかもしれないけれど、こんなことを考える自由をあたえてくれるのも主催者の狙いかもしれないし、メッセージなのか?などと考えながら鑑賞していると
あっという間に9時に!

限られた鑑賞時間ではムリーと思ったわけですね。ま、時間がたっぷりあっても現代美術の解釈は難しいことが多いからね、それぞれのコーナーでもらった4枚の解説の紙を後でもう一度読んでから、出直してきます!

さて、そんな中でちょっと気になった(・・・というか初めてみて好きになった)・・・いやいや、昨日の内覧会一「ぶるっ!」と来た作品はコチラ。⇒

福沢一郎の「牛」 ピンク色の大地と穴のあいた牛(黒の模様。。。ではなく穴があいて空洞)。。
このなんともシュールな絵は「戦争の世紀に1」のコーナーにかかっていました。戦争への序章ともいうべき満州国の理想と現実のギャップを描いたんだそうな。。

いやいや、500点超という今回の展覧会、レクチャー始まる前は今日は二時間もあるから十分あると思うかもしれないけれど、メリハリつけないと時間が足りなくなりますよ、とご説明いただいた主任研究員の鈴木さんのウォーニング通り、ホント、時間がいくらあってもたりないくらいでした。
今まで何度も見ている好きな絵が多いし・・・と思っていたんだけどなぁー。
やっぱり展示の方法が変わるだけで、今まで気付かなかった魅力がまた新たに発見できる。。ホント美術鑑賞ってつきることはないよなー。。。

もう一度行きます、絶対。 12月1日も開館60周年で入れるようだし、あと2回みようかな。。

2012年10月16日~2013年1月14日@東京国立近代美術館 「美術にぶるっ!」ーベストセレクション 日本近代美術の100年



最後のおまけ:その新たな発見。。


頭の上にバッタなんかのってましたっけ?ゴームリーの「反映」って。。

(次に行ったときにヤッパリ、バッタは乗ってなかった。。。。)

2007年8月12日日曜日

【過去日記 2007/8/12】 3人のアンリ


マイミクOさんの日記を見た時に 
シマッタ。。と思ったのだ。。 
平日でも混んでる。。 らしい。。

アフリカから帰った後
2週間も平日の時間があったのに。。だ。。
行かなかったもんねー。。

でも、今頃になってハンセイしても
シカタないのだ。。
このク○暑いのに、今日が最後だし。。
やっぱり行くしかないじゃん。。

東京で一番空がきれいになる週の
この日曜日は暑いといっても風もあるし。。
。。。

意を決してチカテツ地下鉄を乗り継いで駅を出た
午後3時過ぎ。
あと2時間弱でで入場時間が終わるっていうのに。。
同じ方向を目指す人、少なくとも10人。。

いやーな予感。。

果たして、、

まるで、彼が撮った紫禁城やクレムリンの前
の群集のような無名の人の波が会場を覆っている、、、
こんなにも多くの人が鑑賞したいと思っているわけね、
アンリ・カルティエ・ブレッソン。。

世界中の「今」を切り取った素晴らしい
作品ばかりなのに。。





この人垣では、じっくり鑑賞は、、、ちょっとムリ。。



ワタクシ的には大好きな
アンリ・マティスを撮った写真を見られればいいかな、
程度のつもりだから、



、、、というか、本命はアンリ・ミショー
だったから、まー、適当に流してみれば
良いと言えばよかったのだけど
この光景をアンリ・ブレッソンだったら
どう撮影するのかなー、などと雑念ばかり。
ちょっと勿体なかったかしらん。。

それに引き換え
常設は空いていて、キモチいいなー。。
岸田劉生が昔の代々木辺りの切通しを描いた
「道路と土手と塀」はお気に入り
前回行った時は掛ってなかったから、じっくりと。。



これまたお気に入り、
萬鉄五郎のヴィヴィッドな「裸体美人」
もじっくり見られたし、 
木村伊平の小特集は、うーん、
やっぱ、アンリ・ブレッソンに
影響を受けても敵わなかったかな。。とか、

麗子に宛てた絵手紙や、戯画、
麗子が描いた絵を挿絵にした
本なども展示された
岸田劉生の小特集もほほえましい。。

今日の収穫はお初にお目に
かかった徳岡神泉の「菖蒲」。。
私には朝靄の中に浮かびあがるような
イメージで、幽玄なのに、
冷気を伴った清々しい印象だったな。。
いずれあやめかかきつばたの類は、
名作が多いだけに
それに負けないだけの独自の世界を築いている
この作品に暫し見入ってしまったよ。。
(一応トップに載せたけど、
小さい画像なので拡大すると
ヘンテコです。。)


おっと、そうそう、今日の目的は
アンリ・ミショーだったじゃん。。

この「ムーブマン」という作品が気になって
最終日の超混雑した近美に出向いたのでありました。。



見に行ってよかった。。
ムーブマンってMove Man(動く人)かと
ずーっと思ってたんだけど
実はMovement (動き)
英語ならムーヴメント、というところ
ベルギー出身のアンリ・ミショーにあわせフランス語
読みだったとは。。
無知とは恐ろしい。。げっそり
ハンセイです。。

もうひとつ、
思ったより小ぶりな作品ばかりだったな。。


実物を見るという事は大切ですな。。
ちなみに、アンリ・マティスを撮った写真は
かなり大きく引き伸ばされていたし、
菖蒲も100号以上の大きさです。

コレ、、↓も気に入りましたで。。
(当然実物はもっときれいな色とタッチですが、、)



暑い日ではありましたが、
ココロは涼しくなりました。。 

2006年9月29日金曜日

【過去日記2006/9/29】 夜の楽園行き小旅行  東京←→倉敷 1時間半。。。。。疲れたー。。

何しろ意気込みがすごいのである。 東西の饗宴なのである。 東は東洋でもあり、東京でもあるのである。 西は西洋でもあり、倉敷でもあるのである。 だから私も夜のピクニック、、、じゃあなかった。 小旅行と決め込んだ。 





************

意気込みは認めてもその表現方法に対しては巷間賛否両論(やや否が多いのかなぁ・・?)の「モダン・パラダイス展」(東京国立近代美術館 10月15日まで)。 倉敷までは1時間半ではいけないけれど、竹橋までは30分だし 今日は金曜なので20時まで開館している。大原美術館所蔵品に触れる機会はなかなかないので、仕事帰りに、のこのこ出かけてまいりやした。。 (ぐるっとパスの割引はたった100円だけど、常設展も見られるのでまっついいか。。)
http://www.fujitv.co.jp/event/art-net/go/351.html


この展覧会で試みられていたのは対比。 例えば「心のかたち」というセクションで岸田劉生とアンリ・マティスのそれぞれの娘を描いた作品を並べていた。



劉生はより写実にすることで、マティスは簡素化することで娘への愛情を表現したのである、しかも娘が対象だから、それが素直に出たのである、というような内容の音声ガイドが流れたときは、ひょえーホンマかいな、とずっこけそうになった。。 そーんなにこじつけなくったてさぁ。。。 だって単に、その時代に彼らが行き着いていた描き方だったからではないのー? でも、この対比で面白かったのは麗子がいつものおかっぱじゃないし、数え5歳のくせして表情が実に大人びていて、ゴヤの人物画のように性格が伝わってくるような「洋画」であるのに対し、同じ1918年のマティスの場合は、どんどんデフォルメが進んで平面的に展開し始めているのが、東洋を意識しているのかなーと劉生と並ぶと思わせられそうになることかしら。。 




いや、確かにキュレーターの意気込みはひしひしと感じるものの、若干ムリがないか?という組み合わせもありましたが、100余点の作品の多くは初めて出会う作品だったので、楽しむことはできました。。 萬(よろず)鉄五郎の裸体美人(上写真:看板の右の絵)も良かったし、エチオピアの難民キャンプの避難民を撮影したセバスチャン・サルガドの写真3葉も、非常に印象的で心に残った。 

その後閉館まで20分くらいあまったので常設展もさくさくっと。。。とはいかず、足をひきずりひきずり。。。そうよね、もうかれこれ1時間半、会社から2時間も歩き通し。。 疲れるわけだ。。

常設展だけならまだぐるっとパスがあるからもう一度来ましょーと心に誓い、倒れそうになりながら家路につきました。。 やっぱりハイヒールでの鑑賞はしんどいわ。。(このおかげで、思いついたときに行けるように運動靴を机の下におくようになったわけです。)