2013年2月11日月曜日

華麗なる伝来と超絶の修復技術、そして広い心・・・「茶道具の美ー岩崎父子二代のコレクション」静嘉堂文庫美術館

平成20年以来ですから、比較的短いインタバルで静嘉堂文庫が誇る国宝ー曜変天目茶碗の美しい虹色に輝く斑文美に会うことができるというので、岡本まで行ってきました。
ココはクルマが止められるから私的には便利なの。
ま、環八の混雑を考えて早く出なくてはならないけど。

最近の、というのか、静嘉堂文庫創設120周年記念・美術館開館20周年記念の「受け継がれる東洋の至宝」シリーズだからなのか、とにかく、この東洋の至宝シリーズ3回について、カラー8ページの豪華ミニ冊子を渡してくれるので、とてもありがたいのです。
今までは簡素な出品リストが一枚切れだったわけですから、かなりゴージャス。


右側の黄色い紙は平成20年のときの作品リスト 

特に、前回の『茶碗の美』で初めてお目にかかって感動した(野々村)仁清の「数茶入18口揃」については静嘉堂が過去に出版した図録や本の中に掲載されていなかっただけに、今回銘が入った写真がこの8ページのミニ冊子に紹介されていて、個人的には嬉しかったですねぇ。



勿論ホンモノに再び会うことができて嬉しい限りです。仁清はもともと好きな作家ではありますけれど、この数茶入はひとつひとつの形といい、釉薬の生み出す柄など個性がきわだっており、いつまでも見飽きないです。実際はなかなか長居できないので、後ろ髪を引かれる思いでその場を立ち去ることになるわけですが。。

さて、茶入れといえば、今回の見どころのひとつとして、静嘉堂文庫を創始した岩彌之助太郎の弟)が会社に4百円を前借して【*】 手に入れたというダケではなく、それが兄の太郎(三菱の創始者ですね、竜馬伝で香川照之=今の市川中車が演じてましたね。)に見つかったが為、本家預かりとなったという「付藻(つくも)茄子」「松本茄子(紹鴎茄子)」という二つの茶入れが展示されていました。
【*】今回の展示ではこの金額の解説はありませんが、静嘉堂の過去の図録に出ています。


明治9年の4百円といったら、色々な計算方法があるみたいだけど40-50万円くらい??。。茶入れの価値を考えると意外に安い!

というのも、この二つの茶入れはすごい来歴を持っているからなんですね。
前者は足利将軍家(義満ー義政)の手から始まり、山名礼部豊重⇒伊佐宋雲⇒朝倉教影(宋滴)⇒その後が急に京の小袖屋⇒越前小袖屋⇒京袋屋という民間に渡った後松永久秀が⇒織田信長に献上、でも信長と共にあって、本能寺の変で一度罹災⇒豊臣秀吉⇒有馬則頼の手を経て⇒豊臣秀頼・・・大阪夏の陣で燃え上がった大阪城と共に罹災、ここで徳川家康の命によって、罹災したこの茶入れの探索を藤重藤元・藤重の親子に命じたそうで、二度目の探索で見つかったと。灰の中から9つの茶いれのかけらが見つかったそうで、それを丹念に塗りで修復したというのだから、凄い!


ねっ? 両方とも接いであるのがX線写真でわかりますよね。

しかもこのX線写真では接いだ後がわかるけど、現物はまるで釉薬のような光を保っているわけですね、本当は漆なわけですが。足利将軍家から信長ー秀吉ー家康の元にあったと言う華麗な遍歴も凄いけれど、今回の展示でも「超絶の修復技術」と表現されるほどの素晴らしい修復ぶりも凄いですよね。
そして、更に凄いなと思うのは、その修復振りを気にいった家康がしたこと。あれだけ灰の中から探索させたのに、自分の手元におかずに、もう一点の華麗な来歴を持つ松本茄子と共にこの付藻茄子をこの修復した親子にそれぞれ恩賞として与えたという事。
夏の陣で捉えた秀頼の子を見つけ出して処刑するばかりか、信長に命ぜられて実子すら切腹させるほどの冷徹さもあるけど、これだけ苦労して探した茶入を恩賞として分け与えるほどの広い心もあるんだなぁ、、と妙に感心。

あっ、その後の遍歴は、付藻茄子も松本茄子(山名氏⇒松本珠報⇒天王寺屋宗伯(引拙)⇒武野紹鴎⇒武野宋瓦相続を今井宗久が預かり之織田信長に献上、付藻茄子と以降同じ)も同様に藤重家から更に今村長賀を通じ岩崎家⇒静嘉堂に落ち着いたというわけですね。日本の名茶器・茶道具はこればかりではなく華麗な遍歴のものが多いけれど、この二つの茶入れの過酷で華麗な運命に思いを馳せることができてよかったなぁ。。

勿論、今回の最大の珠玉である、曜変天目(国宝)そして、油滴天目(重文)、いずれもたっぷり堪能しましたよ。
何故か、この二つ、他より人垣がなかったので、じっくり見られました。
特に油滴は元の安宅コレクションにあった大阪東洋陶磁美術館の持つ国宝の油滴天目茶碗より大振りだし、油滴の大きさも大きいけど、下からライトが当てられていたので、胴と腰といわれている外側の部分が美しく角度によって虹色に光る大振りの油滴斑がとてもキレイだし、高台脇に溜まった黒釉がこれもとても美しいことを再確認しました。

もうひとつ、胴部分の美しいお茶碗、こちらは唐物ではなく、その姿に倣って瀬戸の美濃窯で生産されたといわれている「瀬戸天目 銘:埋火(うずみび)」。国宝でも重文でもないけれど、小堀遠州の目を捉えたというだけあって、その美しい虹色に光る銀色の帯の景色が素晴らしいの。
別の図録からその部分を撮ってみたけど、やっぱりホンモノには適わない。

もちろん、その他、以前も見たけれど、ステキな茶道具がいっぱい。
本当に目の保養になりますねぇ。。

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