見れば、それはそれで、魅力的だとは思うクリムトですけど、どんな絵も見逃したくないっ!というほどのファンではない私、引っ張ってこられなければ、危うく固定化したイメージだけで決め付けて終ってしまうところでした。
・・・が、行ってよかったことかな。
残念だったのは、複製パネルが多かったこと。
勿論、焼失してしまった《医学》《哲学》《法学》の三部作↓
が残っている白黒写真をおこした複製パネルだったり、《ストックレー・フリーズ》のオリジナル(ストックレー邸@ブリュッセル)や《ベートーベン・フリーズ》(ヴェルデベーレ宮@ウィーン)を剥がして持ってくるわけに行かないのはわかるけれども、いずれも大作の複製だけに、残念感が残ります。
とはいえ・・・・
さすがに生誕150周年という企画でもあり、彫金職人の息子として生まれ、ウィーン工芸美術学校で西洋美術の古典というべき基礎教育を受けた彼の実に巧いデッサンから始まり、晩年のカラフルな、でも《接吻》等の全盛期の作品とは毛色の異なる、ちょっとシーレのイメージを湛えた華やかな作品までを網羅すべく企画されており、特に前半の初期作品はなかなか面白かったです。
デッサンうまいなぁーーー。バラとかチューリップとか。。
初期の作品では《森の奥》であるとか作品集「残欠」の《白樺の森》だとか、木は重要なモチーフのようで、構図や木(白樺)がとても良く、お絵かきの巧い人、ということが良くわかります。
そして、巧いお絵かき=写実から離れていく、というのは、やはり才ある画家たちの辿る道なんでしょうね、新しい理念を掲げる『ウィーン分離派(Secession)』の結成に至るとの説明が成されています。
この分離派はウィーンの分離派館のあの美しいドームやポスターで有名ですけど、1898年3月の第一回目の告知ポスターが、実は検閲を受け、修正を加えざるを得なかったという事が説明されます。
宇都宮美術館に置かれていた豪華な色刷りパンフレットには、その修正後のポスターの写真が載っていますが(そしてウェブにも)、http://u-moa.jp/exhibition/exhibition.html
愛知のウェブ、というかこの展覧会の公式サイトの方には、修正前の写真が載っているので、比べてみると、判るでしょうか?
ここでも、検閲後に彼にとって重要なモチーフ、木があしらわれているんですね、実は。展示は、最初の部屋に検閲後のポスター、そして、部屋が変わった後半部分に、検閲前のポスターが展示されていて、もう一度、戻ってどのように変わっているのか、を比較してみないと、間に他の作品が来ると正確には思い出せなかった。。私って。。。。(汗)
さて、タイトルに書きましたが、今回の展覧会のテーマは「クリムトの戦い」です。
分離派を結成した時から、検閲修正事件により、その「戦い」は始まった。。。。というわけですね。
いや、そもそも、このポスターの題材はテセウスがミノタウルスを倒すという場面に保守を倒すという意味合いを籠めているわけで、はじめから、古い美術界の様式に戦いを挑むのである、という決意の内容ですね。
言い換えれば、写実ではない世界を求めるスタイルの試行錯誤を行う「戦い」ということになるのでしょうが、それはほんの序の口。
ウィーン大学の天井画の《哲学》が、その当時の伝統・歴史主義を排した革新的な絵画であったことからセンセーショナルとされて批判されてしまったそうですが、孤高の戦いを強いられた彼は更に赤を基調にし、生を意味する裸体の女性や男女の身体がおりなす帯のような中心分にはあの有名な恍惚の表情をした《ユディット》と印象の近い医神アクスレピオスの娘という女性が描かれた《医学》で、更にその裸体女性が批判の対象となって議会でも問題視されたとの解説。
それでも、その批判に立ち向かうがごとく、「真実」「正義」「法」の女神を描いた《法学》で三部作は完成させたわけですが、これがウィーン分離派を脱退することになったきっかけとなった、とか。
「戦い」は続くわけですね。
ま、個人的には赤を基調にした《医学》のホンモノを見てみたかった・・・灰に帰した今となっては誰にも叶うことのできない夢幻ですが。。
そういう前ふりがあって、今回のポスターに使われている愛知県美術館所蔵の《黄金の騎士》の展示されている部屋に移動していくわけです。
この《黄金の騎士》は幸せを求める一人の騎士が不幸に満ちた世界と対峙し、最終的には楽園に至るというストーリーを描いた内容で旧弊なウィーン美術界と戦う自分に重ね合わせているのである、と音声ガイドは断言していました!
この《黄金の騎士》は批判を浴びた三部作の天井画を描いていた時と同時並行的に制作されていたようなので、まっすぐに前に進もうとする当時の彼の心境を表していたというわけです。マーラーの作品がモデルとも解説されていて、本当にまっすぐに前に進むことだけの心境なのかどうかは定かではないんじゃないか?という疑念もちらとは湧きましたが。ね。
それはともかく、このデューラーの版画が原版という黄金の騎士のモチーフは《ベートーベン・フリーズ》にも出てくるし、《ベートーベンフリーズ》や《ストックレー・フリーズ》には、有名な幾何学模様のような文様もエジプトの目のデザインも出てくるしで、彼の試行錯誤の過程が見られたのはよかったですね。
この展覧会はクリムトの作品ばかりではなく、同じ分離派の人や、ウィーン工房のデザイン系の人たちの作品も展示されています。
19世紀末のホフマンを中心としたモダンな家具調度や食器、アクセサリー、そしてシャンデリアに至るまで、頽廃した時代背景を反映し、いかにもドイツ系らしい機能美を追求したような美しい工芸品たちですね。
勿論イギリスのマッキントッシュの椅子やその夫人のビアズリーの影響を受けたという刺繍作品(ウーン、コレハドッチデモイイ気ガシタガ・・・・)等もあるので、ドイツ系と言い切れないインターナショナルなその頃の退廃的ウィーンの混沌から生み出された洗練といったほうが正しいのかもしれませんが・・・
個人的には特にモーザーという人のデザインのシャンデリアが気に入りました。灯りを吊っている部分に緑の玉状のものがいくつかあって・・・・・って、文字で表現するのは難しいけれど・・・
そういえば、クリムトによる初期の《横顔をみせる少女》という作品やマクシミリアン・レンツによる《ひとつの世界(ひとつの人生)》という100号くらいの大作には美しいアールデコ風の額装がなされていました。いずれもこの時代らしいモダンなデザインで、作品との組み合わせも美しく、魅了されました。最近はどうも、そういうところばかり目に入る・・・私の悪い癖です。でも・・・
その美しさの原点は、日本の型紙に使われていた文様のようで、三菱一号館美術館でやっていたKATAGAMI STYLEの時と同じように型紙原版が何枚か飾られていたのを見たときには、ウィリアムモリスだけではないのね、と、改めてこの時代の欧州全域に日本の美や様式がどれだけの影響を与えたのかを認識させられ、思いを馳せることになりました。
目玉は戦いを象徴する《黄金の騎士》だし、ウィーンで見ることのできる、あの恍惚感あふれる女性たちのイメージを追求すると、ちょっとがっかりな気分にもなるかもしれないですが、日本にある作品を中心に「クリムトの旧弊や世間に対する?戦い」と周囲の動きという切り口での企画構成には意欲を感じることができました。《ベートベンフリーズ》のコーナーの交響曲九番との関係性など、もう少しほり下げてもらいたかったような点もありましたが。。。
そうそ、コシュカを高く評価し、可愛がっていた、ということを今回の展覧会で知りました。ココシュカのリトグラフの作品集には愛人アルママーラーとクリムトへの献辞が添えられていて、二人の師弟関係?がわかるというわけです。ま、戦いに、直接関係があるかというと???ですけどね。
例によって、会期はあとわずかです。
生誕150年記念 クリムト 黄金の騎士をめぐる物語
6月2日(日)まで 宇都宮美術館
おまけ:企画展に行くともれなく常設展に行けるチケットがついてきます。コレクション展Part1と名付けられている中で、難波田龍起《わが生の記録(シリーズ)Ⅰ》とか、袴田京太朗《野蛮》とか、クレーの《上昇》が、今回は特に目に留まり、よかったと思います。
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