2013年5月31日金曜日

夏目漱石の美術をとらえる頭の構造は実に面白い(湯川先生@ガリレオ風に。。)ーー夏目漱石の美術世界展@東京芸術大学美術館


仕事が遅い時間までの私には18時とか18時半とかからスタートするブロガー招待内覧会に出席するのはかな~り厳しい時間割なのですが、汐留での松下幸之助展に引き続き、翌日も当選できたので、

今日も解説を聞くのだ #漱石美術 posted at 18:27:42

とのつぶやきから、5月の最後の金曜日の夜が始まりました。今までもあったけれど、内覧会が連日になるとキビシイ。。でも、人気の内覧会だったようで、当選しただけでもありがたい事♪ だから、頑張って連日のベルサッサを敢行♪



そのおかげで、

今日のイベントは内容もだけど豪華図録を頂戴出来た上、八時半迄鑑賞させてくれるという大変寛容な企画!おかげで一度見た後に音声ガイドを借りて最後迄たどり着けた。ありがとうございました! #漱石美術 posted at 21:00:33 

尚、他の内覧会でもそうですが、特別に展覧会会場の写真を撮影することを許可されての掲載です。本展会場での撮影はできませんのでご注意くださいね。また、いつもの通り、会場での一点撮りは不許可ですのでそれで補えない個別作品については紙媒体(図録とかチラシとか)を使わせていただいています。

最初に、東京藝術大学美術館の古田准教授(この方は図録も藝術新潮の記事も東京新聞の抜刷も書かれていますね。)が「手短に」とおっしゃって、本当に短く、でもきっちりと解説をしてくださいました。

要は、漱石の小説を読むと彼の頭の中に絵画的イメージが広がっていたことがわかる事、その小説に出てくる絵を集め並べることで、彼がそれらの絵をどういう風に見ていたのか、その見方を探るという企画。

例えば、という事でご紹介戴いたのは、『坊ちゃん』中で釣りに来た赤シャツと野だ(いこ)の会話に出てくるターナー(の絵画に出てくる松にそっくりな)の松。傘のような形の頭にまっすぐな幹を持つ特徴的な松の絵を覚えていて、この場面を描いたのではないか、との説明。坊ちゃんはそんな絵の事なぞ知らないから黙って聞いていたという場面ですが、普通の読者もそんなイメージわかないから、いや、少なくともこの小説を中学生にあがるかあがらないかで読んだ当時の私には分かるわけもなく、なんだか知ったかぶり風の赤シャツと下卑た笑いをするのだいこの会話ぶりがよくわかる程度の記憶しかない場面でした。ちなみにこれに引き続いてマドンナの話が出てくるけれど、これも「ラファエル(原文ママ・・・ラファエロですね)」のマドンナと引いてあった、と今回改めて気づきました。随分絵画的なイメージが広がっていたんですねぇ。。なるほど古田先生おっしゃるポイントがよくわかります。本展では幹の部分が少し弓のようにしなっている《金枝》と坊ちゃんの描写にでてくるようなまっすぐな幹の《チャイルド・ハロルドの巡礼》の二点と、小説の該当箇所が絵画情報と同様に展示されています。
右が《チャイルド・ハロルドの巡礼》、左が《金枝》


次に紹介されたのが、《ガダラの豚の奇跡》。「夢十夜」の十夜目に出てくるストーリーとの関連づけです。
左が《ガダラの豚の奇跡》

『坊ちゃん』のように、作品中にはマタイ伝八章の一節を描いたとされるリヴァイエアーの作品名も、それを示唆する文言もなくただ豚の大群が襲ってくること、檳榔樹(びんろうじゅ)のステッキで豚の鼻頭(はなづら)を打ち据えると、ぐぅと言って豚が絶壁の下に落ちてくるという事しか書いてないので、普通だったら、そりゃ、聖書(マタイ伝)から直接のイメージを得たのではないか?と考えてしまいそうですけれど、漱石が「英国文学研究の為に、英国絵画を学ぶ事は不可分である」との言葉を残していなかったら、この絵が上野の地にやってくることはなかったかも・・と思うと感慨深いですねぇ。

さて、この他にも小説の中に出てくる絵がたくさん集められているのですが、広島⇒藝大(東京)⇒静岡と巡回するこの展覧会で、東京でしか見られない、と古田先生がおっしゃったのは渡辺崋山の《黄粱一炊図(こうりょういっすいず)》。『こころ』の最後の場面で登場するというのですが、自殺していく主人公のあの“くら~い”(そして友人の死後の場面が怖かった・・・)お話の最後に取り上げられていたかどうかなぞ、読んだ当時の私(高校生でした)に記憶なぞあるわけありません。青空文庫で確認してしまいましたが、文中には「渡辺崋山(わたなべかざん)は邯鄲(かんたん)という画(え)を描(か)くために、死期を一週間繰り延べたという話をつい先達(せんだっ)て聞きました。」というくだりがあり、主人公が決心してから自殺に至る経緯を書く時間になぞらえているという訳です。邯鄲は「邯鄲の枕」「黄粱一炊」「邯鄲の夢」と言われ 「枕中記」に出てくるお話―粟(黄粱)が炊けるまでの短い時間に見た夢のように、人生の栄枯盛衰等一瞬の夢に過ぎぬ・・・(ダカラ自殺シテイイッテモンデモナイケド)という暗喩を崋山の絵(画)で表現するとは、漱石の美術を含む広範な知の蓄積に打ちのめされてしまいます。ホント。
右が渡辺崋山《黄粱一炊図(こうりょういっすいず)》

広範な知識といえば、明治の頃には忘れ去られていた、というのが定説の伊藤若冲も作品に登場する・・ということで、これまた、びっくりさせられます。『草枕』-読んだはずだけど、記憶すらない、ましてや、そこにあげられていても、当時も全く理解できてなかっただろうと反省。


伊藤若冲《鶴図》ー『草枕』に登場


なんだか脱線気味になっちゃったけど、今回の見どころのひとつは、『虞美人草』の作品中に出てくる・・・でも実在しない抱一作《虞美人草図屏風》を想定して描いたという荒井経氏作の《虞美人草図屏風》と、「三四郎」に登場する原口画伯の描きたいといっていた(“あの女が団扇(うちわ)をかざして、木立(こだち)をうしろに、明るい方を向いているところを等身(ライフサイズ)に写してみようかしらと思っている。”)美禰子の絵を再現した佐藤央育氏の《原口画伯作《森の女》(推定試作)》。原口画伯のモデルは浅井忠ということだけど、この時代のイメージを考えて当時使っていたであろう画材を使って黒田清輝風に仕上げてあるとのこと。確かに。ちょっと薄い感じの着物の色や、塗り方は、切手にもなって有名な《湖畔》とイメージがだぶり、狙い通りといったところでしょうか。

佐藤央育氏による新作《森の女(推定試作)》

前後しますが、荒井氏作の抱一作《虞美人草図屏風》、最初の印象は銀箔の煌めきが憤死した藤尾の派手な印象に合うかとも思ったのですが、横に添えられた文章をみると・・・

荒井経氏の新作《虞美人草図屏風》
逆(さか)に立てたのは二枚折の銀屏(ぎんびょう)である。一面に冴(さ)え返る月の色の方(ほう)六尺のなかに、会釈(えしゃく)もなく緑青(ろくしょう)を使って、柔婉(なよやか)なる茎を乱るるばかりに描(か)いた。不規則にぎざぎざを畳む鋸葉(のこぎりは)を描いた。緑青の尽きる茎の頭には、薄い弁(はなびら)を掌(てのひら)ほどの大(おおき)さに描いた。茎を弾(はじ)けば、ひらひらと落つるばかりに軽く描いた。吉野紙を縮まして幾重の襞(ひだ)を、絞(しぼ)りに畳み込んだように描いた。色は赤に描いた。紫に描いた。すべてが銀(しろかね)の中から生(は)える。銀の中に咲く。落つるも銀の中と思わせるほどに描いた。――花は虞美人草(ぐびじんそう)である。落款(らっかん)は抱一(ほういつ)である。

なので、つぶやきは・・・

荒井先生の抱一見たての虞美人草屏風、銀箔がまぶしくて、漱石の文章に合わないのが残念と、おもったら、ご本人も十分承知の上、でもヒロインのイメージを損ねない事で落ち着いたと。百年後には箔も落ち着くことを計算しておられることを図録で知る。お見それしやした! #漱石美術 posted at 21:23:29 


ところが実際、図録の写真となると、古びた銀箔の屏風のようで、趣がありますので、100年待たずとも多少なりとも雰囲気はわかりました。
図録の《虞美人草図屏風》(部分)


615日にはこの文章の通り、逆さにして展示するそうです。この日って、何の日だろう?藤尾の命日?

それはともかく、古田先生の解説は大凡こんな感じ、猫(『吾輩は猫である』)に始まり猫に終わる前にちょうど300点?ほど見てきて疲れたころに現れる漱石の手によるヘタクソな絵が待っているけれど、その手前のセクションで展示されている第六回文展出品作品に対しボロクソに言いたい放題批評を書いた人の自筆絵画はこの程度のヘタクソさ、というオチが待っている・・という説明も冒頭にありました。

さて、漱石の南画は何点を与えられるでしょう?文展に出したら。。。


ま、確かに文展出品作品になると、好みの問題は別としても、私の目から見てもちょっとねーな作品があるわけで、入選しようとする目的のために描く絵を批判していたことにはおおいに賛同。今も同じ問題が・・・(以下自粛 笑)

ま、我々、感想文を書いているような感覚の人に絵を描けと言われても、描けないのと同様・・・と思えば、かなり良いレベルな日曜画家の味は出しているようにも思えますけどね。
字は明治時代の人らしく上手と、

解説でも言っていたし、最後の装丁の項で『こころ』の装丁が出てくるけれど、



橋口五葉の猫をはじめとした美しい装丁には及ばないかもしれないものの、なかなかのセンスであります。実際その時に採用された石鼓文(セッコモン)で書かれたオレンジの表紙は今も岩波書店さんの漱石全集で脈々と引き継がれているわけですし。
無論、展覧会の冒頭に展示されている橋口五葉による猫の装丁は日露戦争当時の空気をたたえた猫の正装等アールヌーボー風の扉絵デザインも、背表紙もすべて美しく、文字も色々工夫されています。


小口を切らずペーパーナイフで切りながら本を読んでいく仕掛けであるとか(そういえば「ビブリア古書堂の事件手帖」の太宰の項で、このアンカット本の話が出てきたなぁ。。)
展覧会の最後の方では五葉が工夫をしていたことを表す《続編》用のデザインも展示されています。実際には続編とはならず、上中下巻となったようですが。。。




文展作品に対する批判眼については上記でも触れましたが、その中で面白かったのは同じ
《瀟湘八景(しょうしょう はっけい)》の題材を取り上げた横山大観と寺崎広業について「実際に両方を見ていくと丸で比較にも何にもならない関係の画であった」とし、広業について「殊に洞庭の名月というのには細かい鱗のような波を根限り並べつくして仕舞った。此子供のような大人のする丹念さが君の絵に一種重厚の気を添えている」と続けてあるのですが、良かったと思ったのか、いや、ちょっとね、と思ったのか。。
此れに対し大観については「君の絵には気の利いた様な間の抜けた様な趣があって、大変巧みな手際を見せると同時に、変に無粋な無頓着な所も具えている」と評しています。
左が大観、右が広業ーいずれも《洞庭秋月》

図録でみると、あまり違いが鮮明でないようにも思うけれど、実物ではかなり印象が違い、現代人の私には、大観としらずとも、大観の筆さばきに心が惹かれます。明治人の漱石や、同時代の人にとっては、やっぱり大観は少し違った風だったのかなー、とも思いますがね。

そのほか青木繁や坂本繁二郎とか萬鉄五郎などの作品には小品であっても、やはり心動かされましたが、
萬鉄五郎《女の顔(ボアの女)》奥に見えるのは《田園風景》
漱石が褒め称えている平田松堂の《木々の秋》屏風は装飾が過ぎてうるさい感じ。
ま、全て漱石と同じ感性では見られないのは当然ですが。

さて、最後に・・・

もともと、夏目漱石と美術、というか絵画という意味では個人的には、 『薤露行(かいろこう)』関連の作品が多く取り上げられていたのがツボでした。だって遥かムカシとはいえ、卒業論文はトーマス・マロリーの『アーサーの死』が如何に後代の数多くの小説家・音楽家に影響を与えたか。。。ということがテーマだったもので。。

テニスンのシャーロットの女は言うに及ばず、漱石、マーク・トウェインなどなど(もっともっといます。)、意外な人物も含め、かなり多くの人たちがこの『アーサーの死』を種本にして、自らのアーサー王の世界感を表現しているわけで、西欧(英国)文化の基礎の基礎が何か、ということを漱石が的確に理解していたことの証明でもあります。よって、ついつい、帰りの電車で図録眺めながら、つぶやいてしまいました。



そして、私的には韮露行(カイの字ちょっと違うな)関連で、ビアズリーとか出品されていたのは期待していなかっただけにツボでした。実はアーサー王伝説が論文だったから。。で、図録の誤植ハケーン!古田センセの解説が、マロニーちゃんになってた(^^;;正しくはマロリーですが。 #漱石美術 posted at 21:05:13


いや、ホント、先生のせいではない、単なる誤植とは思うのだけど、マロニーって、中村玉緒の歌う姿を思い出し、噴出しそうになってしまった、というおまけつき。実に面白い。


章立ては以下の通りです。
I 漱石文学と西洋美術
II 漱石文学と古美術
III文学作品と美術
IV漱石と同時代美術
V親交の画家たち
VI漱石自筆の作品
VII装幀と挿図

いや、ホント、個人的なツボは別としても、かなーーーり楽しめました。(よって、長くなってしまった。)まだ会期もひと月ほどありますから是非。(イツモトチガッテ・・・汗)

夏目漱石の美術世界展
東京藝術大学美術館
2013年5月14日(火)~7月7日(日)

この後静岡県立美術館にも巡回します。7月13日(土)-8月25日(日)

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