お買いもののついでに出かけてしまったものだから、短眼鏡はないわ、クーポンもないわ、ついでに、現金の持ち合わせも、かろうじて1300円あった・・レベルでありまして、行った日は、作品的に端境期であった事を認識したのは展示室に入ってからでありました。
いつも思うのだけど、作品保護という観点では素晴らしい配慮、しかし、作品リスト片手にこの作品は何番だっけと実物と作品リストの照合をするには極めて暗い展示室内で、真ん中あたりのスポットライトの下まで行ったり来たりしつつ、リストの作品番号を対照しながら、二重丸マーク=国宝は、既に展示が終わっているという事を知ったという訳であります。
展覧会の主題である「もののあはれ」については後述するとして、個人的には山口晃センセの『ヘンな日本美術史』で、アラベスク文様的な、と評されていた《枕草子絵巻》の白描画を松岡映丘の模写で見ることができたことは、良かったですよ、ホント。写真図版では若干、機械的な感じ、つまりアラベスク文様と言われる通りだな、との印象を受けていたのですが、実物大?の白描画を見ると、もっとストーリーに目が行く為か(中宮定子に挨拶に来た場面を清少納言が御簾の陰から窺っている)、いや、図版で見たのは、もう少し奥行のあるシーンだったからか?いずれにしても、印象は異なりました。とはいえ、その几帳面な文様調のリズム感と、黒によって目立つ地の色の白さは、他に展示されていた白描画を見ても、白描画なの?コレ?と思い至る事になるほど、コントラストが強いものとなりました。
印象に残ったと言えば、土佐派で復古大和絵の祖と言われている田中訥言という人が江戸時代に描いた《日月図屏風》(じつげつずびょうぶ)。六曲一双のこの屏風を描いた22歳で法橋位を取得したというこの人の名前を初めて知った体たらくはさておき、右隻の白と水色で表現された波頭の形のユニークさ(典型的な波頭の絵とは異なりますね。。)は印象的。波間から昇るのか、それとも消えて行くシーンなのかはわからないけれど、うっすら頭を出している太陽(旭日)は、それとわかるまでちょっと時間がかかったのですが、一応二重に金箔を施して、厚みを持たせていると解説に書いてありました。左隻の夜の川の流れも、流れというにはシャープな濃い青い色の切り込みのようであり、これまた普通の川のイメージとは異なり、何とも言えず素晴らしい。(名古屋市美術館所蔵の為、図録を買わないとポストカード等の画像情報が手に入らず。図録を買わなかったので、気になって色々検索をかけてみたらartscapeさんの2012年11月の記事中に写真と解説を発見♪)
因みにこの屏風は第五章の「もののあはれ」と月光の表現に登場しており、左隻には下弦の月。この向かいに主な月齢の説明のパネルがあって、どの展示作品にどの月齢の月の絵が描かれているかの解説がありました。私の印象では一般的に結構下弦の月が多いように思っていましたが、やはり満月や三日月には勝てないんですね、今回の展示では三番目か四番目の位置づけでした。
このあたりにやってくると、鳥の音が聞こえてくるなー、と思っていたのですけど、果たして、階段を降りて行ったあたりから花鳥風月の章が始まって、写真つきで、よく登場する鳥たちの解説がありました。ここで、新たな発見(イヤ、もの知らずの私的に・・・デスガ)が・・・今まで花鳥風月の絵で見かける尾の長い鳥は「三光鳥」っていうんですね。。ふむふむ・・・できれば、解説のところにボタンでもつけておいてくれて、ボタン押すとその鳴き声が聞こえると言う方がよかったけれど、啼き方についての文字情報はありました。
話は脱線してしまったけれど、丁度階段を降りたあたりの空間は階上まで吹き抜けで、遠くのほうから聞こえてくる時鳥や鶯の歌声が森の中から聞こえてくるような音響効果で、目の前に展示されている《春夏花鳥図屏風》(狩野永納)の景色に奥行を与えてくれていました。キュレーターの展示の工夫により、趣(もののあはれ?)を立体的に感じることができました。
サントリー美術館所蔵の代表的工芸品である《色絵桜楓文透鉢》(仁阿弥道八)に久しぶりにご対面しましたが、こんなに大振りだったのか、と改めてビックリしてみたり。。これまた何度かご対面している乾山の《銹絵染付金彩薄文蓋物》の蓋部分の薄の大胆なリズミカルなデザインはポロックもびっくり・・・というか、ポロックは見たことがあるのかなー、等と思いをはせると同時に、内側の菱形を使ったデザインとの対比には、何度見ても惚れ惚れするし。。。乾山全盛期の素晴らしい作品は「薄」という秋の「もののあはれ」の代表をヒップホップな世界に連れ出したような感じでもあり、ものののあはれの定義がよくわからなくなってしまうような気分にもなってきたわけです。
私には乾山の作品は「余白の美」というよりは画面全体を使ったアバンギャルドなデザインの印象が強いので、「ものののあはれ」という言葉からくるイメージとのズレを感じたわけです。が、同じ乾山の81歳の時の《短冊皿》は何枚かを並べると、上の方に蒼色、上の方に茶色っぽい色の雲がたなびくような、巻物の料紙の下絵のような柄が現れるように描いている・・ところは勿論洒脱なこの人の真骨頂ではあると思うけれど、それ以外は短歌の文字のみの為か、乾山の作品としては抑えめで(短歌の内容次第とは思うけれど)異なる趣を感じるものでした。
趣深いと言えば、作者の名前はわからない《武蔵野図屏風》。いや、武蔵野と言っただけで、平安の時代は勿論のこと、これが描かれたとされる江戸時代でも、言葉だけでも「荒涼感」が伝わってきたのではないかと思うわけですが、この六曲一双の屏風は、単純に薄等秋の草花を連続して、平面的にパターン化して並べて見せ、右隻の上る(或いは沈む)大きな太陽と左隻の遠くに見える富士山を背景に、どこまでも、どこまでも荒涼とした武蔵野の荒野が続くのだ、という事を見事に描いている佳作です。
薄がお椀をさかさにしたような図案にしてみせている仁清の作品もよかったなぁ。
北政所遺愛の秋草蒔絵歌書箪笥は、題材としては秋草なので、もののあはれ、と言えるのかもしれないけれど、ひとつひとつの引出しに別々の秋草が描かれる豪華な蒔絵が目を引きました。豪華であっても、もののあはれ、で括ることができるわけね。
もののあはれ、は本居宣長によって「発見」された感覚と、どこかに書いてあったけれど、「再確認」が正しいのではないかと思うほど、「趣」を感じるという感情は現代の日本人にすら流れている感情で、限定的に使うのであれば、やはり平安王朝文学の世界に見られる雅と裏腹の「荒涼感」との境目のように思わされた展示でありました。
今回の展示のウェブの解説にも「「もののあはれ」を知ることは、ひとり物思いに耽り、しみじみと心動かされるだけにとどまらない。和歌に詠まれ、絵画や工芸に表現され、鑑賞されることによって、初めて人々と共有され、それぞれの憂いが晴れるという側面が確かにある。また花見、月見、紅葉狩り、雪見など、大勢で連れ立って洒落込む季節ごとの行楽の動機づけには、「もののあはれ」の情趣への共感が等しく息づいていると言ってよい。私たちの暮らしには1年12ヶ月や、春夏秋冬、朝昼夕晩夜、月の満ち欠け、そして人の一生と、巡り来るさまざまなサイクルがある。これらはいにしえの人々と変わらぬ事情であるから、過去を生きた人々と心を重ねあわせることはそう難しいことではない。一方、江戸時代に始まる両国の花火など、「もののあはれ」を誘う要素は、伝統に閉じこもることなく常に更新されてきたと言えよう。鏑木清方の風俗画を眺めると、現代の暮らしの一齣一齣にも「もののあはれ」を感じる心が脈打っていることが実感されてくる。」(一齣一齣――ヒトコマヒトコマ。。の旧字体ですね。)
・・と書いてあり、「更新」されて、我々の奥底に眠っている感情なのだということなのでしょうね。
時間の関係から駆け足で巡ってしまったけれど、本当はもっとゆっくりしてもののあはれの感情に浸りたくなる展覧会です。
(ネタバレ・・・・にならない程度に。。。⇒期間終了したので、書き足します。)
展覧会の最後に、お楽しみがあります。
オ タ ノ シ ミ
↓ ↓ ↓
出口の手前に本日の月は・・・と、毎日の月の状態・・・満月とか十六夜とかの形を投影して、
ご来場ありがとうございました。との文字が添えられていました。
思わず微笑んでしまいました。
出口の手前に本日の月は・・・と、毎日の月の状態・・・満月とか十六夜とかの形を投影して、
ご来場ありがとうございました。との文字が添えられていました。
思わず微笑んでしまいました。
これを見て、企画者の優しさを感じた人は多かったのではないかしら。。
「もののあはれ」と日本の美
サントリー美術館
4月17日(水)~6月16日(日)
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