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2015年5月6日水曜日

やっぱり抱一と守一が好き♪ーーーー琳派400年記念 京都 細美美術館 琳派のきらめきー宗達・光琳・抱一・雪佳ー @日本橋髙島屋

江戸時代に華やかに展開した琳派。王朝文化の復興をめざした裕福な町衆らによって創始され、時を経て隆盛し、大坂にも広がりをみせます。その後、花の都・江戸において装いを新たにし、さらに近代の京都で再興されました。400年の歴史を持つ琳派は、日常の中で追及された日本独自の美、そして日本人に寄り添った美として高い人気を博しています。
本展では、琳派を幅広く蒐集し、国内外から高く評価されている「細美コレクション」を通して、京都・大坂・江戸と3つの都で咲き誇った系譜を総覧。それぞれの特徴や魅力を、美術館開館以来はじめての規模で展覧いたします。また、今回出品される屏風や掛け軸などは細美家で実際に飾られたものもカス多く、個人コレクションならではの視点と美意識が光る琳派を紹介いたします。
日本が誇る美の世界「琳派」の優品の数々を、細美コレクションでどうぞお愉しみください。
展覧会ちらしより

今年は琳派400年ということであちらこちら、特に京都で、琳派関連の展覧会が多く開催され、観るほうも忙しい、忙しい。
つい先日(といっても、もう1月の事でしたな)、三越で岡田美術館の所蔵する「琳派名品展」があり、デパートで開催する展覧会とはいえ、もとの所蔵する美術館次第では十分に良い作品を見られるということを覚えた私、今回は混雑する前の午前中に出かけてきたわけです。
細美美術館の琳派作品は有名ですからね。(デモナカナカ機会ガナクテ行ケテナイ)

展覧会構成は以下の通り
第一章  琳派誕生ー光悦・宗達の美ー
第二章  花咲く琳派ー光琳・乾山と上方の絵師ー
第三章  新たなる展開ー抱一と江戸琳派ー
第四章  京琳派ルネサンスー神坂雪佳ー

第一章 琳派誕生ー光悦・宗達の美ー
琳派の誕生はいわば総合プロデューサー光悦が家康から鷹峰の土地を与えられて今でいうところのアーティスト村を作ったことから・・・とか言われていますが、どこが起点かという事はともかくとして、扇や料紙を扱ってた宗達と光悦が間違いなく時代を切り開いてますよねー。
だって↑の扇面《月梅下絵和歌書扇面》の画面を対角線に金泥、銀泥の二分割に分けるとか、そんなこと今は普通に見てるけど、この時代すごく斬新ですよね。
対角線という意味では、同じく宗達が描いている《伊勢物語図色紙「大淀」》も口説く男を女が拒絶する場面をうまく対角線の左上と右下に男女を配しその間に海山雲松で区切る。。二人の心の距離を巧く表現しています。
今根津でやっている光琳の《燕子花図屏風》ではパターンのように同じ型紙を使っているということが有名ですけど、実は光悦・宗達の作品にもパターンはみられますよね。《忍草下絵和歌巻断簡》の上部は金泥と銀泥の藤が描かれているけど、これって絶対型紙のようなものを使っていますよね。同じように光悦の《和歌短冊》の和歌の背景の草もパターンだし。ついでに隣にあった《前田宗悦宛書状》を貼った掛け軸の中廻し部分の右側の草の葉と全く同じ柄、思わずこれも光悦が描いた(描かせた?)のかな・・・と思ったりもし。。。

光悦の養子の嫡男だったという本阿弥光甫の《梅に鶯図》 抑えぎみなふくよかな線がよかったわー。。

第二章  花咲く琳派ー光琳・乾山と上方の絵師ー
冒頭登場の光琳の《宇治橋図団扇》
いかにもという絵柄と大胆な線ですねぇ
それに日して乾山の《唐子図筆筒》はらしくない・・・と思ったら、中国の赤絵写しだった、
今回は光琳・乾山の作品は少な目で、むしろ工房のお弟子さんたちや私淑した芳中の作品が多く並んでいるのがこの章の特徴。気にいったのは渡辺始興の《簾に秋月図》 簾のむこうに桔梗、ススキ,藤袴を配し、外隈の大きな月に照らされた一種エロい感じの絵なんですえ。あとね
《白象図屏風》、二曲一双の画面を斜めに白象を配したところが、なんかいいなーって。今サントリーでやっている若冲の象はなんとなくコミカルだけど、この人のは絶対観て描いたよね、と思う精緻さ。

芳中は六曲一双の《白梅小禽図屏風》が金箔地の上に大胆な筆で描かれていて細美の持つ代表作なんでしょうが、なんか、琳派っていってもずいぶんと光琳とは違った力強さみたいなものを感じて、個人的にはこれよりも抑えめの朝顔図だとかの方が気に入りました。

さて第三章は私の大好きな抱一の名前が冠されてます。いや、昔っから抱一のその育ちのよい品の良い作品群が好きで、弟子の其一さんは玉石混交でどうよっていう感じ、其一さんの息子の守一さんは好きだなぁという作品が多いんです。
今回もそれをまざまざと感じることになりました。
たまさか、細美家の現在の当主のお父様が琳派に傾倒・蒐集することになったのが抱一の美しい団扇《鹿楓図団扇》だそうで、そんなことからなのか、抱一作品は品の良いものばかり。とりわけ以前トーハクでの「大琳派展」でも拝見したと思う《桜に小禽図》と名付けられた(大琳派展では《桜に瑠璃地鳥》
であったみたいなので似た別ものかしら?)軸一幅とそのとなりの《雪中檜小禽図》が対をなすように並んでいたのだけど、ご当主も語っておられましたが、育ちの良さがにじみ出たような気品のある作品。桜のS字カーブも自然に一番美しい姿に描かれていて、やっぱり好きだーと改めて思ったりし。
ところで蒐集のきっかけとなったという団扇の鹿の姿はどことなく光悦・宗達の作品で宗達が描いた鹿に似ているんですよねー。いや鹿の振り向く角度とかを考えると全然違うんだけど、印象が似ている。






玉石混交と書いたけど、こちらがお持ちの其一作品は、比較的抑えめでまぁまぁ好みのものが多うございましたが、やはり息子の守一の作品の方が記憶に残りました。《楓桜紅葉図》は中廻しの上下に桜の木を配し、地面には桜の花びらが散り、タンポポが咲いている様、上は桜満開、左右には燕子花やらそのほかの季節の花を配しているんですね、オサレ。。。しかも表装の中廻しの絵も手描き。
同じように手描きの表装(描表装)の《桜下花雛図》《業平東下り図》などうっとりするくらい素敵。

あと、名前はないのだけど《四季草花虫図屏風》(六曲一双)がよかったなー。右隻は金箔地に春夏を、左隻は銀地に秋冬の草花と虫を描いた屏風で、左隻は季節こそ違いけれ、これまたトーハクの「大琳派展」でみた光琳の風神雷神図屏風の裏側に描かれていたという抱一の《夏秋草図屏風》を彷彿とさせるタッチのような気がしたんですよねー。

最後の章は神坂雪佳。

岡田美術館の時は加山又造に至るまでの流れだったけど、こちらは神坂雪佳まで。でも雪佳は充実。なんといっても、中廻りに葦簀まで描いてしまった《金魚玉図》の秀逸さには脱帽でした。

比較的開催が短い期間なのでお早めに。

琳派400年記念
京都・細美美術館
琳派のきらめき
ー宗達・光琳・抱一・雪佳ー
2015年4月29日(水)~5月11日(月)
日本橋髙島屋8階ホール





2013年7月13日土曜日

【終了後感想文】 江戸東京博物館開館20周年記念特別展ーファインバーグ・コレクション展 江戸絵画の奇跡

まだ若く、お金もあまり持っていなかった時に、タダで入れる(当時ハネ・・・・)メトロポリタン美術館にで見つけた南蛮図屏風展のポスターに魅せられて二㌦で購入したという1972年から約40年かけて江戸絵画を中心に蒐集を行ってきたメリーランド州に住んでいる化学者で実業家のファインバーグ夫妻のコレクションが纏めて公開になるということと、その作品が質の高いものである・・という以外は、殆ど情報はありませんよね、このコレクション。見つけ方が悪いのかな?


でも百聞は一見に如かず...
だけどやっぱり後期終了目前ぎりぎりだけど、観に来ることにしました。


うん、確かに上品・・・というのかな。まぁ、1970年代から集めるとなるとこうなるのかな?という感じでもあり・・・・

でもつかみはいいですよね。最初の章は皆も大好き「琳派」、そして宗達、そして誰もが巧くは描けない猫のような《虎図》が鎮座ましましています。


俵屋宗達《虎図》展覧会サイトより
(例ニヨッテレポハマダナンデ時系列メチャメチャニナルケド)相国寺承天閣美術館で、プライスさんのお持ちの《虎図》いや、足をなめるトラによーく似た若冲の墨で描かれた《竹虎図》を観てきたばかりなので、鏡で写したような向きで同じように足を舐めるポーズをする同じく墨絵の虎を見たら気持ちは盛り上がるというものです。

若冲はお手本としては宗達と同じように中国の絵をお手本にしたというのだけど、宗達のこの毛がふさふさした猫系トラもお手本にしたのかなぁ・・・。

その後に第一章の看板が登場します

日本美のふるさと 琳派
日本美術の歴史は遠く一万年前の縄文時代に始まるとはいっても個性が確立するのは10-13世紀の平安時代後期から鎌倉時代になってから、そして17世紀に宗達が装飾性に優れた日本古典美術を復興しようという動きを始め、18世紀前半に光琳、19世紀に抱一、20世紀は(ナント)神坂雪佳(ッテ言イ切ッテル!。。。殆ド知ラレテナイノニ。。)がその流れを継承したとして説明されています。

酒井抱一《柿に目白図》 ・・・のポチ袋
次に乾山の《百合図扇面》(後期展示)・・やっぱり、乾山は工芸品の方がいいな、ほっこり系の中村芳中の《六歌仙図》と続いて・・・
抱一の《柿に目白図》が登場します。

解説にはもともと六曲一掃の屏風だったそうで、「夕暮れに白雨が林の中で吹き荒れ、赤く色づいた柿の葉がひるがえる様子が描かれている、そこから洞庭湖の風景が夢幻のように思い浮かぶ、さぁ魯魚を用意して一杯やろう」というような趣旨の儒学者の亀田綾瀬という人による賛が書かれているのですが。。。。

文人画ならともかく、想像力の乏しい私には、どうしてもこの抱一の赤く色づき実においしそうな柿の実と鳥の美しい絵からは洞庭湖を思い出し一献の場面には繋がりません。(涙
ムカシの人の「風雅さ」が理解できていないのかなぁ。。

それにしても今回の展覧会、書画に添えられているけど、いつも意味がわからず四苦八苦する賛や和歌の説明が丁寧でありがたいですね。

さて、順番としては、その後に抱一の《十二ヶ月花鳥図》が続きます。音声ガイドでも花鳥を月毎に描くという古くからの画題に抱一は何回か取り組んでいる中で、少しずつ取り上げる組み合わせを変えていたとか。確かに現在東北を廻っているプライスさんのコレクションの中にある抱一の同じタイトルのものと組み合わせは違っているとの記憶があるものもありますね。音声ガイドでは5月のタチアオイとアジサイの組み合わせは定番と解説されていたけれど、プライスさんの抱一の5月にはタチアオイもアジサイもなく、燕子花。アジサイは6月に描かれていました。
同じ組み合わせを使っていても一月の椿の木の位置はこちらの方が右よりにあって安定した印象。
並べてみたら違いが色々判るかもしれないですね。

でも今日の最初の華は鈴木其一《群鶴図屏風》。
鈴木其一《群鶴図屏風》....のポチ袋
プライスさんのコレクションにもフリーアにある光琳の《群鶴図屏風》を写し取ったと言われている《群鶴図屏風》がありましたが、こちらは、その「模写」から脱した自由な作品。

光琳の作品とプライスコレクションの其一さんの六曲一双の屏風は右隻は左向き、左隻は右向きに沢山の鶴が並んでいて、その迫力が伝わってくるわけですが、ファインバーグさんの二曲一双の鶴は後ろ向きやら下に向いてえさを探しているふうの鶴だとか、が描かれていますね。この間の日曜美術館で、抱一が亡くなってから其一が独自性を発揮するようになったとの解説がありましたけど、これもそんな表れなんでしょうか?
同じ其一の描いたプライスコレクションの《群鶴図屏風》と比較してみるため
ファインバーグコレクションの《群鶴図屏風》のポチ袋を左上に乗せてみました。
しかも、普通よりガラス面に近いほうに寄せて展示してくれているので、とても見やすく、その迫力に触れることができますね。この展示は良いな。

次の章だては
中国文化へのあこがれ 文人画
戦国時代が終わり儒学を政治理念と思想の中核にした江戸時代に儒学的教養が武士階級のみならず町人・農民に広がっていき、その中で町人出身の池大雅や農民出身の与謝蕪村が活躍するに至った・・・という解説を読んでも、なかなかこの世界には引き込まれない・・・のが正直な感想です。ハイ。
忙しい現代の中にあってこそ、文人生活を送れるような優雅な時間を持つべきなんでしょうがねぇ。

勿論池大雅の《孟嘉落帽・東坡戴笠図屏風》の右隻中央に描かれた蘇軾の顔の大きなすんぐりした姿http://edo-kiseki.jp/highlight.htmlはそのみすぼらしい笠を借りてもその格好を気にしなかったというエピソードを知らなくても目を引くわけですが、そもそもこれが人目をきにすべきみっともない格好という風には現代人の私には解らないから・・とっつきにくいのかなぁ。勉強が足りません。(ハンセイ)
ま、ファインバーグ夫妻だって、このエピソードが分かって蒐集したというよりは、見て良いと思ったから手に入れた・・って考えたいですがね。

中身はともかく私の目を捉えたのは、この蘇軾のずんぐり姿と、向かい側のケースにあった池大雅の妻池玉瀾による風に吹かれる竹の枝先のみを表現している《風竹図扇面》です。

そして、この章の中で一番愁眉だったのは谷文晁の《秋夜名月図》、
《秋夜名月図》谷文晁
横幅170㎝の軸絵で描線を使わない左上に輝く大きな月の光に照らされた秋草が画面の右下から中央に斜めにぐんと突き出ており、その右にある大きな赤い落款が目を引きます。解説によれば安藤広重の錦絵シリーズ《江戸高名会亭尽》の《山谷八百善》の画中に「文晁」の署名が入る本図と酷似した額絵があるとの事なんだけど、見てみたくなりますよね。
・・・
なので、調べてみました♪http://www.kabuki-za.com/syoku/2/no143.html
富士山の上にある左上の欄間部分にある絵がひょっとして?ま、文晁の赤い落款は見えないので、断定はできませんが、この両者の揃い踏みも見てみたいですよね。


第三章は
写生と装飾の融合 円山四条派

圓山應挙が、手本を中国や日本の古典絵画に求めた狩野派や土佐派が自然から離れてしまった弊害から解き放つ為に「写生」を重要視する「四条派」を呉春とともに立ち上げ、それが大変な人気を博したということは、江戸絵画に少しは触れたことがある人ならばその知識の引き出しに入っているのではないかと思います。
その写生至上主義は大阪で活躍した森狙仙の森派、岸駒(がんく)の岸派(京都)などを派生し、竹内栖鳳等近代の関西日本画壇の基礎を築いたというわけなんですね。

言って見れば絵画の世界も「大衆化」し始めたきっかけを作った円山四条派の応挙については、それが故に個人的には巧いと思う同時に、何かその写しとる以外の何かを読み取る事の必要性を消してしまったという部分に対して、逆に浅さを感じてしまうようなアンビヴァレントな気持ちにさせられるんですけど、ま、それはおいて置いて・・・

ここでは裏から光を当てると二重に張られた絹のモアレ模様(タブン)が鯉の泳ぐ水の水紋が透けて見える効果が出るという《鯉亀図風炉先屏風》がよかったかな。でも上からだけで後ろから光当ててないので、十分にその効果を見出すことにはできなかったのが残念です。

これまたプライスさんのコレクションにあるのと向きの違う《孔雀牡丹図》は、牡丹の色がプライスさんのより薄いし、どっちがいいかといわれると、きっとプライスさんのコレクションの方が優品なのかもしれないけれど、その抑え目の色遣いが私には好感が持てました。
左がプライスコレクション、右がファインバーグコレクションの《孔雀牡丹図》


圧倒的によかったのは森狙仙の《滝に松樹遊猿図》。猿を得意としていたというこの人の作品はプライスさんのコレクションでも気に入りましたもんね。猿の表情や姿態がなんとも自然で、小難しい漢籍や平安の歌の知識がなくとも幸せを感じることができることを否定はできませんね。

森狙仙《滝に松樹遊猿図》二幅で一対ですが、
コレは左側部分のポストカード。右側には猿はなく滝と松が描かれてます。
右側のポストカードも売ってくれてたらよかったのに・・・

この章の最後の方には柴田是真の肉筆画二幅《二節句図》がありました。右の一幅は高貴な人の男子の端午の節句を祝う雅な絵で背景には松、対する左の一幅はひな祭りを祝う鄙の農家のつましい家族。背景には落葉樹。その頃のひな祭りは重陽の節句(9月9日)の時期に行った場合もあるそうなんで、左右は全て対比されるという仕掛けなんだそうです。何のためにこの絵が描かれたのかは不明なんだそうですけど、こういう謎を探るのは楽しいですよね。

次は
大胆な発想と型破りな造形 奇想派

ここでは三幅で成り立っている若冲の《菊図》のうち、一幅足りない軸を日本のコレクターが貸与してくれたことで、ファインバーグさんが持っている二幅との再会を果たしていますが、比較的大人しめのものです。

むしろ隣にあった《松図》のほうが大胆な墨描で松葉をしゅっしゅっつって描いてあって、つい最近拝見した鹿苑寺大書院旧障壁画の《松鶴図襖絵》と同じタッチ。でもこちらの方が齢80を超えてからの作品だというのに力強い!印象に残ります。
伊藤若冲《松図》
あと、気に入ったのは曾我蕭白の《鉄拐仙人図》・・これはいかにも蕭白。でも《大黒天の餅つき図》もなんだか白隠禅師の描いたような可愛い一筆書きのような絵。

長沢蘆雪は應挙の高弟だけど、師とは対照的な大胆な構図や奇抜な画風ということで奇想派のカテゴリーに入っているんですよね。
長沢蘆雪《一笑》
でも《拾得・一笑・布袋図》の犬なんかは應挙の犬を思い出すような表情の犬の絵ですよね。なんでも竹と犬はその文字を組み合わせると「笑」という字になるので《一笑》という名前がついているのだそうで。その話を聞くと私にも「笑み」が浮かぶ幸せな画題ですね。うん、可愛いし。
最後の章は浮世絵です。
都市生活の美化、理想化 浮世絵

鳥文斎栄之《遊女と蛍図》
ファインバーグ夫妻のコレクションには特別な注文品として描かれた肉筆浮世絵が随分とあるようですが、目を奪われたのは元旗本から浮世絵師に転じた鳥文斎栄之の《遊女と蛍図》。この遊女は髪型(横兵庫って解説には書いてあるけれど、上に向かって蝶のように広がるこの髪形は実際より誇張して描かれているのではないかと思うくらい縦に伸びてますね。)からも高級遊女であることがわかるそうですね。
いずれにしても栄之の描く遊女は胸もはだけてしどけない格好なのに気品があって、いいですね。蛍が仄かに光る感じは図録やポチ袋では分かりませんが、実物はステキです。

最後に北斎の《源頼政の鵺退治図》という肉筆浮世絵が展示されています。
天に向かって弓を引き絞っている姿は実に勇猛、筋肉隆々な感じが生き生きしています。この弓でこの後鵺を一矢で射抜くそうですが、天からは鵺が放つ赤いふた筋の光線が怪しくそして脅かすように頼政に向かってシャープに描かれていますよね。これが88歳の作品とは、先ほどの80歳の若冲といい、絵師たちはいくつになっても、というか歳を重ねるに従い迫力が増してくるというのが凄いですよね。

東京は終わってしまったけれど、この後ミホミュージアム、鳥取県立美術館を巡回するようです。


2013年3月17日日曜日

【終了後感想文】絵文字のルーツがわかっちゃったかも・・・・・特別展 琳派から日本画へ―和歌のこころ、絵のこころ 山種美術館



バタバタとしているうちに次の展覧会が始まってしまいましたが、前期・後期ともに伺いましたので、感想文をば。。。
(まっ、副タイトルの通り、時系列関係なくアップしようという試みですんで・・・と開き直ってみる。。。汗)
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琳派とタイトルにあるだけで、心躍り胸ふくらむ気持ちが昂じるのは何故なんでしょうねぇ。
擦り込み?
光悦―宗達、光琳―乾山という突然のように現れた豊かなデザイン性と装飾性に溢れた天才たちとその系譜が見られるとあれば、何度見た絵であろうと見に行きたくなるのです、むずむずと。。

前期のスタートは宗達―光悦コラボの≪鹿下絵新古今集和歌巻断簡≫からスタートします。
真ん中のちょっと斜めったようなポーズの鹿の周りに和歌の句が書かれていて、なんだか
パッと見はバランスどうよ、と思うのだけど、それでも・・・一度見るとそのイメージが脳裏に
こびりついて離れないんですよね。派手な色使いはなく、金銀泥と文字の墨の黒だけなのに。
まぁ、これが宗達-光悦コンビの底力という感じなのかなぁ。表装も美しく、この断簡部分をより際立たせていた。。。からなのかもしれませんが、後期に鹿が蓮になり歌が百人一首になっても、鹿のイメージのほうがより強い印象でした。
山種美術館FBサイトより(以下引用させていただいた写真は全て山種美術館のFBサイトから)


それに引き続き古今集(通切)、石山切(貫之集)和漢朗詠集(戊辰切)の軸が続きます、
字もきれいでないし、書道は苦手なので、文字の美しさは感覚でしかとらえられないのだけど、料紙については、随分昔にカラフルな型文様の雲母(きら)刷で切箔とか砂子が美しく撒かれた国宝《古今和歌集(元永本)》をトーハクで拝見して以来、料紙の美しい歌集や、その断簡等を見るのが楽しくて仕方がないのですよ。
元永本ほどの豪華さはないにせよ、今回拝見した石山切も切箔やちぎり箔で千鳥などの柄や、蓮の花、唐草、龍や麒麟?といったデザインが地紋としてきらめいているわけなんですが、更に藤原定信という人の美しい文字が流麗でうっとりしちゃいます。それなのに運筆が早く早書きだったとの解説(音声ガイドは後期のみ聞きました)を聞いて、昔の人は(この書画そのものは12世紀頃のもの)本当に書をよくしたのだなぁ。。と感心するばかり。
ちなみに右肩上がりのこの字形は「世尊寺流」という書き方なんだそうです。


きれいな字といえば、枕草子で中宮定子が絶賛したという藤原行成の手になるといわれる《伊予切(和漢朗詠集)》にも出会えました。二色の料紙の砂子地に書かれた文字は小野道風の書風との事で確かに美しかったー。

後期には異なる紙を継ぎ合わせた・・・ってどこをどう継ぎ合わせたのかすら素人の私にはわからなかったけれど、川の流れのような青い色やピンクっぽい色の帯が紙の右中央から左下のほうに斜めに、スタートは細く、左側に向かって太くなっているとても品の良い料紙に書かれた《石山切(伊勢集)》というのも展示されていましたが、今回の発見は、上のような金銀箔や砂子がきらめいていなくても(いや、それはもううっとりの美しさですけれど)こういった品のよい料紙も沢山あるということ。


前期には、大きさという面でも、色目という意味でも(たなびく青い雲のような文様なんぞ歌を邪魔しないか?と思ったりもしますが)かなーり大胆、でももしかすると、この大胆なデザインのおかげで連歌というイメージが非常によく伝わってくるのかもしれないとも感じさせられた里村紹巴《連歌懐紙(部分)》が展示されていました。宗達の鹿下絵断簡と同様に、一瞬バランスの悪さを感じてしまうのだけど、あとで振り返ると、イメージがしっかり残るという感じです。



後期の同じ場所には、更に大胆?というか、面白い展示がありました。これです。後陽成天皇による《和歌巻》。これ↓ですね


和歌の中にあった「桜
」と「時鳥」が絵文字になってるーー@@;。




後陽成天皇は16世紀秀吉の政権下朝廷の権威回復に努めた和漢学問に造詣深く好学で、日本初の木製活字による古典を出版した天皇という事ですけれど、今だったらLINEのスタンプをJKと交換しちゃう感じ?のお茶目な天皇ですねぇ。。でも、このほうがずっと粋、そして一筆で描かれた絵の美しさ。
金泥でたなびく雲のような下絵のある料紙に映える文字も近衛信尹に学んだ流麗な筆致。

このお茶目な(・・・って勝手に言ってますが。。)天皇がこうやって書を残してくれたおかげで、500年近く前に絵文字のルーツがあった、ということがわかる訳ですね。根付がケータイのストラップに代わって今に生きているように、日本の文化は姿を変えながらも脈々と伝わっていくんですねぇ。なんだか嬉しくなってしまいました。

粋といえば、本阿弥光悦の《摺下絵古今集和歌巻》も遊び心満載です。
巻物を巻いた状態では裏面の松が見え、巻子を開くと竹(孟宗竹のような太い竹)、梅、芍薬、蝶、ぬひ、芝、蔦、竹、藤と下絵の絵柄が続くそうなんですが、前期は最初に開いたところに見える竹の部分と紙背に摺りだされた松葉が見えるように展示されていて、なるほど「松竹梅」とめでたさを演出しているんだわー、と思わす微笑んでしまいました。
このデザイン豊かな画面構成、モチーフをリズミカルに繰り返すスタイルは琳派の代名詞的な構図法として継承されていったということですが、こうやって見ていくと、光悦という人なしには宗達もあれほどまでに輝かなかったのではないかと思ってしまうんですよねぇ。そして宗達が輝かなければ雁がねやの兄弟(光琳・乾山)も・・・と思うと光悦の存在の大きさを感じます。

さて、宗達の国宝の屏風といえば、建仁寺の《風神・雷神図屏風》がまず頭に上りますが、静嘉堂にある《源氏物語図 関屋・澪標》も国宝なんですよねー。その同じタイトルの屏風、しかもですよ、色合いと山の表現に若干の違いがあるだけ、という個人所蔵の稀品なんだそうです。

その違いも含め、いつかどこかで(静嘉堂カシラ?)横に並べて比較展示して欲しいにゃー。図録だけではわかりませんものね。

さて、すでに長々と感想を書いている「第一章 歌をかざる、絵をかざるー平安の料紙装飾から琳派へ」の展示は、感想を書ききれていない作品も含め、個人的にはもう(うっとりー)の世界に入り込んでしまう訳であります。

残念ながら・・・・「第二章 歌のこころ、絵のこころー近代日本画の中の琳派と古典」に進んでいくと・・・ぐっと、冷めた目で見ちゃうんですよねー。ゴメンナサイ。
この違いは何なのだろう。。。

さはさりながら、印象に残った作品は、というと
横山大観《竹》・・・裏箔の美しい絹地の網目から透ける金色が竹の間から仄かに光を放っていて、自然光の下で見たらどんな変化を見ることができるのかしら?とワクワクしてしまうような美しさですねぇ。解説によれば岡倉天心が推進した古典模写事業に従事した集大成ということなんですが、琳派にならったというより、先日見に行った應擧の作品に構図が似ている?と反芻しています。印象はこちらの方が伸びやかで若い感じがありますが。。。デモ、ソレジャ琳派ノ系統ジャナイジャン。。
ま、敢えて言うなら竹が天地で切れているってことが琳派風?



菱田春草《月四題》・・・この人の没骨法とたらしこみを駆使した朦朧体の真骨頂的な作品。実に美しい。幻想的な月と桜・柳・葡萄・梅の静謐な世界は、ぐーーっと引き込まれてしまいます。特に秋のたらしこみで描かれた葡萄は葉の色が見えてくるような錯覚を起こさせるくらい。これが重文とかの指定がないのがフシギなくらい、(ってか国宝とか重文とかの基準もよくわからないけれど。。)な気持ちにさせられるほど、私にはうっとりさせられる作品です。この作品の翌年に亡くなってしまうんですよね。


速水御舟《紅梅・白梅》・・・右幅の紅梅は老木で画面の下の方にどっしり(といっても、細いですけどね)、古木らしい硬枝振り、薄墨でぼかした空気の先に左幅の白梅の画面が連続しているような構図が念入りに工夫されてます。二幅の間には冷たい夜気が降りている感じが画面から伝わってくるなぁ。。
そして左幅の白梅は若木であることを示すようにほそーくしなやかな枝振り。ぐんと上に伸びています。まだまだ成長するぞ、という感じ。
彩色は紅梅を表す朱と白梅に使われた胡粉の白、めしべ・おしべに使われている金泥と抑え目なのに装飾的であること・・・が、琳派研究の成果なのだそうですけど、それが琳派風なのか?と言われても、ホントのところ、見るほうにしてみれば、そうなのかー、程度のように思えるんですけどねぇ。。まぁ、日本画を志す人はどこかの過程で、先人の技術や構図を写し取ることをされているでしょうから、何某、琳派風であったり、狩野派風であったりするんでしょうけど・・・。この絵が琳派風であってもなくても、見るものを引き付けることには変わりがありませんね。

琳派研究なり、先人のスタイルを模倣しつつも自らのスタイルを追求する試み・・・という面では川端龍子の《八ツ橋》と加山又造の《千羽鶴》の屏風絵が前期と後期に分けて同じ場所に飾られていました。
《八ツ橋》は日本絵画におけるお約束の伊勢物語のモチーフということもいえるけど、やはりずばり光琳に真っ向から向き合っているというイメージですよね。その正面からむきあっているところが、評価できるけれどちょっと画面が煩いかなぁ。。。川端龍子はもっと良い絵が沢山あるのに。。。というのが正直なところ。
酒井抱一の《燕子花図屏風》http://pikarosewine.blogspot.jp/2006/09/2006917-40030015066.html
のようにもう少しひねってくれると、研究成果を自分のものにした、っていう感じなんだけど。。。

その点、同じように画面一杯に展開されている《千羽鶴》はその展示の手前の低いガラスケースの中に、宗達ー光悦コンビの《四季草花下絵和歌短冊帖》があって、その短冊群の左端の《浜松》に、波・千鳥が描かれているんですね。











これを見ると、完璧にこのモチーフをいただいちゃってるっていう感じで、挑戦というよりはもう最初から白旗上げたうえで、自分のものにしているっていう感じを受け、こちらの方が好感を持てちゃいます。ま、いつも山種美術館に伺う際に、陶板にした同じ《千羽鶴》のお出迎えを受けているから、そう感じるのかもしれないけれど。


そんなわけで、やはりどうしても古典に軍配を上げたくなる「保守派」の私ですが、十二分に楽しむことができました。



2006年9月17日日曜日

【過去日記 2006/9/17】 400年前と300年前と150年前が66年ぶりの揃い踏み 10月1日まで 出光美術館(日比谷

○2日目でございます。ぐるっとパス。。今日もがんばるぞー。  この展覧会に行くつもりだったから、昨日最初の1枚を使ったのであります。。

○3
年ぶりでございます。宗達の風神・雷神屏風にお目にかかかるのは。  前回は鶴岡八幡宮の鎌倉国宝館で開催された建長寺創建750周年記念特別展で奉祝寺院である建仁寺からの出品作品でした。人もまばらでしたので、じーっくり、対面させていただきました。

○66
年ぶりなのだそうです。宗達とその実物を見て模写した光琳と、光琳をOriginalと思って模写した抱一の風神・雷神屏風が一同に会するのは。。  いやー、今日も出遅れたから午後になっちゃったという理由もありますが、いつもは静かな出光美術館が、それはそれは大変な人出でございました。 でも、66年ぶり、というか宗達の実物にだってなかなかお目にかかることができない中、光琳や抱一までもれなくついてきちゃうわけですから、混まないほうがおかしいです。はい。  

見せ方も非常に工夫され、構図・目の位置、足、へそ、手の握り方を風神・雷神に分け、徹底的に比較し説明するコーナーがあったり、宗達がいかに雷神のモチーフを気に入っていたかを他作品を紹介しながら説明したり、抱一の弟子の鈴木其一が金屏風ではなく襖絵として描いた風神雷神があることまでの体系的な解説がなされている。  

そればかりでなく、この風神雷神の構図から光琳が宗達に対する答えとして描いた紅白梅屏風のモチーフ梅や燕子花(カキツバタ)を抱一がどのようにアレンジしていったか、と見せ方に流れがあって非常に面白い展示でした。。
http://www.fujitv.co.jp/event/art-net/go/369.html
  



風神雷神に関しては、私的にはやっぱり、彫像などを研究した成果をもとにこの大胆な構図を作り上げた宗達が一番!





指が四本しかない雷神が鉄アレイのような雷棒を握り締めているのはまんがチックとまで解説された抱一の分が悪い。抱一が光琳の八橋図(メトロポリタン所蔵)のような構図にも挑戦している絵もあったけど、やはり光琳の大胆なあの八橋図の燕子花の印象に勝つことができていない。(メトロポリタンの薄暗い部屋一面に広がる八橋の印象が強いからかもしれないけど。。)やはりOriginalityって大切なんだなー。   


でもね、抱一の名誉のために言っておくと、模写から一歩踏み出た抱一の燕子花図屏風は構図といい、遊び心(白いかきつばたが3輪挿入されている)といい、無冠の風神雷神屏風よりお上も高い評価を下している(重文)良い作品で、私のお気に入りです~。。



☆p.s.  この後、京橋のブリヂストン美術館、白金台の松岡美術館を廻り、へとへとでーす。。頭の中も東洋>西洋>東洋>ヘレニズム>ガンダーラってもうパンクしちゃう! 廻り方悪かったか?!  それでも、やはり良い絵や自分にとって印象的な絵というものは記憶に残るものですね。。こうやって、ちゃんと日記が書けるわけで。。 あーあ、明日は少しセーブするかなー。