2013年7月15日月曜日

【遅ればせながら・・】ふんわりとウキウキ浮世をたのしみませう。浮世絵フローティングワールドー珠玉の斎藤コレクション@三菱一号館美術館。。のブロガー内覧会レポと第一期の感想文

いや、うかうかしているうちに第一期が終わってしまいました。
ブロガー内覧会にお伺いしたのは6月25日だったのですが、直後になんちゃって外交第一弾、一瞬帰ってきて、プーシキン美術館展の内覧会(あーこれも書かないと!)にも行かせて頂いて、第二弾、戻ってきたら15日で展示期間終了の展覧会を弾丸見学ー!みたいな事をやって、15日の第一期終了時間の1時間半前に、もう一度お伺いすることができた・・・というわけであります。

いや、内覧会の時は写真撮ったり(一点撮りも含め撮影は主催者のご了解を得ています)するだけで時間が終わってしまい、一枚一枚をじっくり鑑賞した気持ちになれなかったし、音声ガイド聞けなかったし。。。

・・・言い訳はこれくらいにして。
当日はツイッターでのつぶやきはしてあるので、とりあえず、最低限のミッションはコンプリーテッド!(ナハズ)

再録すると・・・
はい、今日も内覧会 #三菱浮世絵 珍しく床に座布団敷いて聴くの。 で富士山世界遺産登録にぴったりな富嶽三十六景お土産も売ってるらしい。 pic.twitter.com/F3IczkfQH3posted at 18:31:43
そう、この日の内覧会は、肉筆浮世絵の展示されている部屋に簡易の座布団を敷いた上に座らせてもらって、学芸員の野口さんと企画してくださった「青い日記帳」ブログの中村さんやミュージアムショップの企画をされていた方のお話を伺った上で、鑑賞をするというスケジュールでした。

野口学芸員さんのの説明では
①タイトルについて・・・Floating World は日本語に訳すと「浮世」ですよね。Ukiyo-eが固有名詞になる前のムカシはまさにFloating Worldと直訳されていたとか。そして「ふんわりと」浮いた感じも表現したかったと。
②何故西洋画の美術館と思われ(がちな)ている三菱一号館で浮世絵なのか・・・いやいや、印象派などの近代絵画の発展に力を貸したのはまさに浮世絵。ジャポネスクが流行り、ゴッホが広重や英泉の模写をし、マネの《エミール・ゾラの肖像》の背景には浮世絵と西洋画が両方架かっている。
つまり西洋の家に(西洋)額装した浮世絵が西洋画と共に架けられていた。
三菱一号館はジョサイア・コンドル(ニコライ堂とか旧岩崎邸とかを設計建築)が19世紀に設計した建物を忠実に再現しているので、西洋人が建てた建物の中で西洋人が愉しんだような環境で鑑賞ができる。しかも、同美術館はロートレックなどの版画を所蔵しており、西洋の版画と日本の版画=浮世絵を並べて見たい、それが合うのか合わないのか、勝つのか勝たぬのか、響きあうのか合わないのか、ノリで選んだということもあるけれど他の美術館ではできない(洋館の中で洋版画とあわせてみる)展示をして見たかった、と。
西洋美術の美術館というイメージが一般的かもしれないけれど、その西洋の画家に影響を与えた浮世絵の展覧会を行うのは自然なこと、第一、こんな組み合わせ、今回のような企画でなければ出会えませんよね #三菱浮世絵 pic.twitter.com/ZYcBMfpvvJ posted at 20:20:26 
これは写楽《伊達与作》と
ウジューヌ・フラッセという人の
《硫酸魔》の組合せ・・・
硫酸魔って・・・(汗)、オソロシイ
が、しかし、フシギと良く合う。。

③肉筆浮世絵を通常天目茶碗等を展示するようなケースの中にいれ床の間に飾ってあるような感
じに展示し、更に展示室の中に一点一点のケースを点々と置き、まるで江戸時代の人ごみの中に『紛れ込んだ』感じのように演出。

#三菱浮世絵 江戸の街にタイムスリップする感覚を狙った展示。狙いはともかく、肉筆浮世絵の軸が目線にあるって最高な環境、ついつい長居したら最後は駆け足になってしまった。もっとじっくり見たい! pic.twitter.com/aPM7G6wyBB
posted at 20:26:17 

実はもう一度行って見たときに気付いたのですが、→この向きではなく、この手前の二枚の肉筆浮世絵の飾られたケースとケースの間に立つと、奥のほうの壁に架かった、西洋画風に奥行きのある描き方=透視図法っていうんでしたっけね、←作者不詳の《吉原賑之図》が見えるんですね。
更に江戸の街が遠くまで続き、吉原大門を通りぬけて・・・と。
なかなかニクイ演出だわ。

④元参議院議員の斎藤文夫氏(現在 コレクションを保有する川崎の砂子の里資料館館長)が50年余かけ、個人で収集した4,000点とも6,000点とも言われる(組み物の数え方次第で点数が変わるそうで・・・)膨大、且つレアなコレクションを3会期合わせ500点超に絞込み優品を展示。会期ごとに全て架け替え。早くから一般にも公開するなどされていたとはいえ、勿論知りませんでした。ものすごい数ですよね。

鳥居清長 《江之嶋》
鳥居清長《江之嶋の渡し》
天明年間のこの頃は肩車されて渡ったんですねぇ。
なんかちょっと恥ずかしかったんじゃないかなぁ。
なんでも、この方、最初(50年ほど前)はお住まいの川崎と神奈川に因んだ浮世絵を集め始めたそうだけど、病膏肓に入り、次第に江ノ島、鎌倉と版図を広げ、ついには時代毎、ジャンル毎といったように系統だって蒐集するに至ったそうです。


今回はそのエッセンンスのみだそうだけど、いずれも品が良く、幕末の血みどろの作品であるとか春画とかはコレクションにはないそうです。(春画は高橋館長が是非並べたかったといわれていたそうなんですが、育ち盛りの息子さんの教育の為蒐集しないというのが奥様との蒐集にあたっての約束を守られたそうです。・・・ま、口吸いとか女湯みたいな浮世絵はありましたがね。)


でもコレクター魂を揺さぶる「(世界で現存するのは)一点(だけの)もの」であるとか「揃い」の画帖であるとかをお持ちです。
例えば、鈴木春信の《風流やつし七小町》シリーズの七点は揃っているのは珍しい・・確か斎藤コレクションだけ。

春信は浮世絵の始まりといわれた紅摺絵の時代から木版多色摺りの錦絵に変わっていく時代の立役者で「○○やつし」といった、シリーズを手がけています。
そのひとつが小野小町のエピソードを当世風(といっても、勿論宝暦年間の当世ですね)にやつして表現したこの七小町シリーズ。

鈴木春信《風流やつし七小町 草紙あらひ》丁度根津美術館で同じエピソード=草紙洗いの浮世絵を拝見しましたが、こちらより直接的。こちらの方は知識がないとなかなかそれとわかりませんね。(汗)
 このほかにも第一期だけでも歌麿の《青楼十二時 続(せいろうじゅうにとき つづき)》シリーズの12枚セット、
喜多川歌麿《青楼十二時(じゅうにとき)続(つづき)》
続とはシリーズの事。一部はみたことがあるけれど
並んで飾られているのはみたことなかったのかー。









この午の刻なんて、客から来た手紙を
横目でみながら一服してるわ。太夫大忙し!










そしてこの《青楼十二時 続》の反対側には三菱一号館が誇るロートレックの版画作品群の中でも、いかにも西洋の女(道化師)らしく黒い絹のストッキング穿いた足をひらいたアンニュイな女性の版画と髪を梳く女の版画が飾られているところがニクイですね。
ロートレックの版画が
青楼十二時の向かい側の壁に


レアものは第一期だけでも他に沢山あります。
例えば、
《女織蚕手業草(じょしょくかいこでわざぐさ)》の12枚並べて作業の流れを洛中洛外図屏風に使われるような雲でつないであるもの↓


喜多川歌麿《女織蚕手業草》
右から左に蚕を育て機織にかけて反物ができるまでを
12枚並べると絵巻物のようになるという仕掛け。
その隣には世界で一枚しか現存しない《恵比須講》などなど。見たことのない浮世絵も多く登場します。
扇面に描かれたような勝川春章描くところの《東扇(あずまおおぎ) 初代中村富十郎の娘道成寺》は特に紫の色が良く残った優品の上、一枚しかないとのことですが、その意匠も含めきわめて印象的な絵柄ですよね、ほんと。


④会期は3期に分けて全て展示替え。でも図録は勿論3期分一緒。この図録の表紙もちゃーんと考えられています。この両国の花火(が水面に反映してますね)を愉しむべく、屋形船のへりに座った女性の後姿(珊瑚玉の簪を一本丸髷に挿していて、高田郁の「澪つくし料理帖」に出てくる御寮さんを想像してしまいますが。。)を描いた浮世絵の作者である小林清親は

図録の表表紙 第三期に展示される小林清親の
《両国花火》は広重の《両国花火》へのオマージュ

有名な初代広重の
《名所江戸百景 両国花火》も第三期に登場
こちらは二代広重の
《江戸名勝図絵 両国橋》
タイトルこそ花火ではないけれど
三枚同時に見られるのが楽しみです
広重に憬れ、名所江戸百景の《両国花火》←を参考にして制作したそうです。
うつりゆく江戸から東京がテーマの第三期に登場するそうですが、近代から江戸を回顧するというこの夏に開催されるこの展覧会を象徴するという意味で選ばれたそう。
細かいところにも配慮されているんですね。図録には協力者として今をときめく奈良美智とか会田誠などなどのアーティストの名前が並んでいましたけど、どういうところでご協力されたんでしょうかねぇ。。


⑤今回の目玉は展示だけではありません。実は売店にも力が入っているそうです。まずは、壁の色にご注目。
ジヴェルニーのモネの家の壁のようなレモンイエローの壁・・・に掛かった浮世絵は現在日本で唯一手刷りをしている版画制作の職人たちの手になる復刻浮世絵を手がけるアダチ版画研究所によるもの。モネの頃、本邦では勿論、浮世絵を額にいれて飾るなんてことはしていないわけですが、そんな感じにしていますね。
勿論ジヴェルニーの日焼けして退色したほんものの浮世絵よりも復刻版が遥かに美しいことも請け合いということでしょうね。
そして物販についても「売れないものもうるのが美術館のショップ」といいつつ、ホンモノを追求。
第二期のテーマが旅の絵ということもあり、東海道53次の宿場の時代から今に至るまで続く老舗のもの。
例えば日本橋にちなんでかつおぶしの「にんべん」の高級かつおぶし・・・削り器も含め置いているそうですが、「にんべん」の方も、まさか売れるとは思っていなかったのに、早速買う人がいたとか。
団扇にしても江戸時代から続く版元さんのもの、手ぬぐいや和紙も1600年代から続く老舗のもの、つまりはホンモノを置いているということ、
江尻の宿の「追分羊羹」さんの蒸し羊羹も、江戸時代の製法になるもので、消費期限が限られているので、滅多に手に入らないとか・・・それを聞くと買わずばいられまい。。

いやー、説明だけでもこんなに紙幅を使ってしまったけれども、私的にツボだった作品たちをささっと紹介しておきたいと思います。

まず最初の部屋『浮世絵の誕生』の壁に掛かっていた菱川師宣の白黒の切り絵のように見える墨摺絵《韃靼人・・・・図》。・・・の部分は《狩猟》だったり、《休息》だったりして、何故これを描いたのかはわからないけれど、兎に角よくかけている。。

その後に紅摺絵と言われる初期の浮世絵が並びます。いずれも良くみると、既に高度な技術だし、絵も上手。でも私が気になったのは三幅対の右となっている《みやこのもみじ》。
《みやこのもみじ》いや、背景は桜だと思うのだけど。。。
紅葉といいつつ、背景は桜と思われ。。。残りの二幅のいずれかは紅葉だったんだろうか。。などなど。。どうでもいいことなのに、ひっかかってしまいました。
《二代目坂東彦三郎》

もう一枚紅摺絵の中で私の心を捉えたのは初代鳥居清満の《二代目坂東彦三郎》
赤と緑が色濃く残っていて、印象的でしたねぇ。

春信の○○やつしのうち風流七小町やつしシリーズについては書きましたが、そのほかにも色々なやつしもの。これがまたすぐに見て理解できないのが口惜しい。残念ながら図録も主要作品の解説しかないので、何になぞらえているのかがわからないのでした。(涙)

春画はないというけれど、春信の《菊見の男女》や《風流浮世寄華 新枕 初開梅》なんかは非常にエロティック、文字の並びだけでもね。

その後に続く磯田湖龍斎の作品群はふくよかな顔とボリュームのある花魁が登場したりして、100種を超えるシリーズとなる「ファッション雑誌」のような人気があったと聞くと、確かに着物の柄だとか、髪型のお手本としての浮世絵のあり方というのが、よくわかって面白い感じ。
でも、この人、《雉と牡丹》という作品は対象が人じゃないせいか、色が退色しているだけの理由ではなく、イマイチ。ところが図録だと、丁度ジョルジュ・マンザナ・ピサロの白黒版画《いたずら七面鳥》と並べてあり、意外に映えている。なるほど。
現場ではマントルピースの上に《いたずら七面鳥》がぽつんとあった印象なので、あまり対比して考えられなかったのだけど。。。取り合わせの妙ですね。

さて、気になったといえば、あの江戸の町をぶらぶらと歩く趣向の「肉筆浮世絵」コーナー。
肉筆画はいわば注文制作という高級品だけに普段(図録では絶対味わえない)掛け軸の表装の美しさもすばらしいものが多く、うっとりしてしまいます。
特に右側の最初の陳列ケースにあった懐月堂度繁の《美人立姿図》は着物の縁の墨線が太く、着物の色も赤のグラデーション、そして姿もゆるいCの字型と、目を引く上、囲んでいる中廻しとか中縁(へり)と言われる部分の大胆な刺繍が目立ったので、印象が強くなりました。隣にあった同じく懐月堂派の《美人立ち姿図》も金地の美しい裂に囲まれていて美人が際立ちますよね。
懐月堂度繁《美人立姿図》中縁が大胆

懐月堂派の《美人立姿図》


























さて、美人といえば、歌麿の美人画で有名な「高島おひさ」と「難波屋おきた」。さすが美人だけあって、初代歌川豊国や栄松斎長喜といった人たちによっても描かれていたわけなんですね。歌麿と並べて展示してほしかったなぁ。。ということで、東洋文庫の展覧会の時の図録のおひさと勝手に並べてみました♪同じ向きだけど、趣は大分違いますね。歌麿の構図取りの素晴らしさと当時からの人気の高さが良くわかります。
こちら栄松斎長喜のおひさ
イケメンの団扇なんか
持っちゃって、あだっぽい
でも歌麿のと比較すると小娘っぽい


こちらが初代豊国のおひさ、
美人なんだけど、ただそれだけ?
って感じでモッタイナイ
歌麿のおひさ(部分)@東洋文庫 
プロマイドとしての価値が
高いのもむべからぬかな

















比較といえば最後の部屋に出てくる豊国の《浮絵忠臣蔵》と北斎の《新版浮絵忠臣蔵》の同じ段(場面)を上下に並べていたのが面白かったなぁ。これはどちらが素晴らしいということではなく、それぞれに味があって良かった。
ただ、クライマックスの夜討ちを描いた十一段目に関しては、横の壁に国芳による極めて異国情緒の強いモノクロの(ソレコソ)浮絵や、先日根津で見て強い印象の残った同じ十一段目をダイナミックに描く豊春の《新版浮絵忠臣蔵夜打之図》と比較すると大人しかったかもしれないなぁ。

上段が北斎で下段が豊国
同じ段を描いている






ジャカルタの領主館をモデルに(何故?)
十一段目を描いたという国芳、
犬に餌を与えてほえさせないようにしている
義士の姿を描くなんて、いかにも国芳らしいような。。
にしてもフシギは静寂感が良く伝わってきますね。

北斎の十一段目

豊国の十一段目
さて、ささっと書くといった割りには長々書いてきましたが、第一期の最後の部屋でもう一枚強い印象を残してくれたのが、コレ。初代豊国による《両国花火図》 少しでもいい位置で花火を鑑賞しようと人々がわんさか集まって、打ち上げられた花火にどよめく姿は、今もムカシも変わりませんね。


いやー、楽しかった。第二期も行こう♪→早速イッテキマシタ、レポハイツニナルノヤラ。


浮世絵Floating World-珠玉の斎藤コレクション展
三菱一号館美術館
第一期 浮世絵の黄金期 江戸のグラビア    6月22日(火)~7月15日(月・祝) 終了
第二期 北斎・広重の登場 ツーリズムの発展  7月17日(水)~8月11日(日)
第三期 うつりゆく江戸から東京 ジャーナリスティック、ノスタルジックな視線
                              8月13日(火)~9月8日(日)





2013年7月14日日曜日

実物は見て初めての美しさ-玉堂再び @山種美術館

前期はブロガー内覧会ということで、館長のお話を伺い、許可を得て、写真を撮らさせていただいた時に、後期には「こういう歴史画も描くんだな、と知りました」と山崎館長が説明された折パネルで見せていただいた《小山内府図》@東京近代美術館蔵などを見に、山種美術館にやってまいりましたよ。

いやいや、日曜美術館の影響か、開館前の一階ホールには長蛇の列が!前売り券買ってたし、前期で見た作品もあるから後期の作品だけさくさくっとね。

・・・と思ったのですが、やはり、じっくり見てしまいました。
特に《小山内府図》
小さなパネルではごちゃごちゃしたようなイメージだったけれど、これが《二日月》のかかっていた場所を埋めるだけの大ぶりの軸絵だったんですね。等身大くらいの烏帽子直衣姿の平重盛の顔は穏やかだけどどこか悲しみをたたえた表情。うまいなぁ。その後のまんがちっくな農民の顔とかから想像つかない筆さばき。ただあくまでもこの人の優しさなのか、甲冑をつけてこない重盛に迫る宗盛といえども荒々しさはあんまり感じられないですよね。
《小山内府図》東京近代美術館蔵
パネルは色が濃くって良くわからなかったけど。。。


日曜美術館の解説によれば、動物も歴史画もうまいにはうまいけれど、他に描く人がいるので、特色が出せないともがいた上で、コドモの頃かっら身の回りにあった自然と日常を描くことになったとか。
その最初の到達点といわれる作品《焚火》@五島美術館は、ごくありふれた日常・情感で高い評価されるきっかけとなった作品ですが、これも前期にお気に入りだった《雨江帰漁》の場所に展示されています。
霜の降りた落ち葉の質感や焚き火の煙の先の空気がきゅっと締まった冷気であることがわかるのに、焚き火は暖かそう。いい雰囲気です。
とはいえ、身近にありながら美しいということが評価されたこと自体、明治初期の日本画家たちの苦境とは違うんだなぁ、と改めて思ったりもし。

後期にお目見えの作品としては《磯千鳥図》@松岡美術館、以前の《緑蔭閑話図》の場所にすえられた向かい側の《紅白梅》と同様琳派を意識したという屏風。波の砕ける感じは琳派もそうでしょうがイメージ北斎の富嶽三十六景《神奈川沖浪裏》の波の感じだわ。ま、キレイだけど、確かに誰の描いたのかわからないというご本人の葛藤に繋がる絵なのかもしれないなぁ。

それより、湿潤感あふれる覗きケースの中の《雨後山月》の方が好きかな。これはいかにも玉堂という感じ。

前回それほど目には留まらなかった《松竹朝陽》・・よって写真も撮り忘れていたのだけど、しっかりした松の太い幹が画面を支配していて画面が煩いと思ったのだと思うけれど、もう一度見てみるとこの松の枝の構図も良いし、奥の方に朝陽があがってくる感じも良い。日を違えて同じ絵を見ると印象が異なるという例ですね。

同じ絵で良いことを再確認する絵は勿論沢山あるわけで、http://pikarosewine.blogspot.jp/2013/06/140.html


あまり気に入ることのなかった動物絵の中で大変気に入った《虎図》が何故私の心を捉えたか、今回はじっくり鑑賞することでその理由を見つけたような気がします。
《虎図》 内覧会時に撮影したものです
すなわち、虎の骨格を太い薄墨でささっと、しかしきちっと捉えて描いているからなんですね。だから毛並みとか余計なものがなくても、虎のシャープで、獰猛な感じを表現できているように思えます。
そりゃ、実物を見たことがなく、猫で代用していた宗達、応挙、若冲でも適わないわ。この作品は昭和20年ということなので、おそらくは戦前に動物園とかで写生したのでしょうかね。
丁度日曜美術館では戦地に赴く前にこれとは別の格好をした虎を描いてもらった人が紹介されていましたが、それも同じく骨格がしっかりした虎でしたね。↓
日曜美術館で登場していた虎

巻替がされていた《加茂女13首》の絵もよかったなぁ、揖斐川の柳?由比が浦、富士川の遠くの松原。。汽車旅行のワクワク感。

後期に登場した玉堂 龍子 大観の《松竹梅》はそれぞれに括弧して老松、物語、暗香浮動と名づけられていました。
老松の周りを掃除する老夫婦の後姿は玉堂の温かいまなざし、物語は当然竹取物語。故に竹の継ぎ目から光が八方に広がっているし、、大観の梅は金泥で描いてあるのかしら?暗雲の中とても印象的な梅でした♪


そういうわけで後期も楽しい玉堂展でした。



【特別展】生誕140年記念 川合玉堂―日本のふるさと・日本のこころ―
山種美術館
2013年6月8日(土)~8月4日(日) 前期  6/8-7/7 終了 後期 7/9-8/4

2013年7月13日土曜日

【終了後感想文】 江戸東京博物館開館20周年記念特別展ーファインバーグ・コレクション展 江戸絵画の奇跡

まだ若く、お金もあまり持っていなかった時に、タダで入れる(当時ハネ・・・・)メトロポリタン美術館にで見つけた南蛮図屏風展のポスターに魅せられて二㌦で購入したという1972年から約40年かけて江戸絵画を中心に蒐集を行ってきたメリーランド州に住んでいる化学者で実業家のファインバーグ夫妻のコレクションが纏めて公開になるということと、その作品が質の高いものである・・という以外は、殆ど情報はありませんよね、このコレクション。見つけ方が悪いのかな?


でも百聞は一見に如かず...
だけどやっぱり後期終了目前ぎりぎりだけど、観に来ることにしました。


うん、確かに上品・・・というのかな。まぁ、1970年代から集めるとなるとこうなるのかな?という感じでもあり・・・・

でもつかみはいいですよね。最初の章は皆も大好き「琳派」、そして宗達、そして誰もが巧くは描けない猫のような《虎図》が鎮座ましましています。


俵屋宗達《虎図》展覧会サイトより
(例ニヨッテレポハマダナンデ時系列メチャメチャニナルケド)相国寺承天閣美術館で、プライスさんのお持ちの《虎図》いや、足をなめるトラによーく似た若冲の墨で描かれた《竹虎図》を観てきたばかりなので、鏡で写したような向きで同じように足を舐めるポーズをする同じく墨絵の虎を見たら気持ちは盛り上がるというものです。

若冲はお手本としては宗達と同じように中国の絵をお手本にしたというのだけど、宗達のこの毛がふさふさした猫系トラもお手本にしたのかなぁ・・・。

その後に第一章の看板が登場します

日本美のふるさと 琳派
日本美術の歴史は遠く一万年前の縄文時代に始まるとはいっても個性が確立するのは10-13世紀の平安時代後期から鎌倉時代になってから、そして17世紀に宗達が装飾性に優れた日本古典美術を復興しようという動きを始め、18世紀前半に光琳、19世紀に抱一、20世紀は(ナント)神坂雪佳(ッテ言イ切ッテル!。。。殆ド知ラレテナイノニ。。)がその流れを継承したとして説明されています。

酒井抱一《柿に目白図》 ・・・のポチ袋
次に乾山の《百合図扇面》(後期展示)・・やっぱり、乾山は工芸品の方がいいな、ほっこり系の中村芳中の《六歌仙図》と続いて・・・
抱一の《柿に目白図》が登場します。

解説にはもともと六曲一掃の屏風だったそうで、「夕暮れに白雨が林の中で吹き荒れ、赤く色づいた柿の葉がひるがえる様子が描かれている、そこから洞庭湖の風景が夢幻のように思い浮かぶ、さぁ魯魚を用意して一杯やろう」というような趣旨の儒学者の亀田綾瀬という人による賛が書かれているのですが。。。。

文人画ならともかく、想像力の乏しい私には、どうしてもこの抱一の赤く色づき実においしそうな柿の実と鳥の美しい絵からは洞庭湖を思い出し一献の場面には繋がりません。(涙
ムカシの人の「風雅さ」が理解できていないのかなぁ。。

それにしても今回の展覧会、書画に添えられているけど、いつも意味がわからず四苦八苦する賛や和歌の説明が丁寧でありがたいですね。

さて、順番としては、その後に抱一の《十二ヶ月花鳥図》が続きます。音声ガイドでも花鳥を月毎に描くという古くからの画題に抱一は何回か取り組んでいる中で、少しずつ取り上げる組み合わせを変えていたとか。確かに現在東北を廻っているプライスさんのコレクションの中にある抱一の同じタイトルのものと組み合わせは違っているとの記憶があるものもありますね。音声ガイドでは5月のタチアオイとアジサイの組み合わせは定番と解説されていたけれど、プライスさんの抱一の5月にはタチアオイもアジサイもなく、燕子花。アジサイは6月に描かれていました。
同じ組み合わせを使っていても一月の椿の木の位置はこちらの方が右よりにあって安定した印象。
並べてみたら違いが色々判るかもしれないですね。

でも今日の最初の華は鈴木其一《群鶴図屏風》。
鈴木其一《群鶴図屏風》....のポチ袋
プライスさんのコレクションにもフリーアにある光琳の《群鶴図屏風》を写し取ったと言われている《群鶴図屏風》がありましたが、こちらは、その「模写」から脱した自由な作品。

光琳の作品とプライスコレクションの其一さんの六曲一双の屏風は右隻は左向き、左隻は右向きに沢山の鶴が並んでいて、その迫力が伝わってくるわけですが、ファインバーグさんの二曲一双の鶴は後ろ向きやら下に向いてえさを探しているふうの鶴だとか、が描かれていますね。この間の日曜美術館で、抱一が亡くなってから其一が独自性を発揮するようになったとの解説がありましたけど、これもそんな表れなんでしょうか?
同じ其一の描いたプライスコレクションの《群鶴図屏風》と比較してみるため
ファインバーグコレクションの《群鶴図屏風》のポチ袋を左上に乗せてみました。
しかも、普通よりガラス面に近いほうに寄せて展示してくれているので、とても見やすく、その迫力に触れることができますね。この展示は良いな。

次の章だては
中国文化へのあこがれ 文人画
戦国時代が終わり儒学を政治理念と思想の中核にした江戸時代に儒学的教養が武士階級のみならず町人・農民に広がっていき、その中で町人出身の池大雅や農民出身の与謝蕪村が活躍するに至った・・・という解説を読んでも、なかなかこの世界には引き込まれない・・・のが正直な感想です。ハイ。
忙しい現代の中にあってこそ、文人生活を送れるような優雅な時間を持つべきなんでしょうがねぇ。

勿論池大雅の《孟嘉落帽・東坡戴笠図屏風》の右隻中央に描かれた蘇軾の顔の大きなすんぐりした姿http://edo-kiseki.jp/highlight.htmlはそのみすぼらしい笠を借りてもその格好を気にしなかったというエピソードを知らなくても目を引くわけですが、そもそもこれが人目をきにすべきみっともない格好という風には現代人の私には解らないから・・とっつきにくいのかなぁ。勉強が足りません。(ハンセイ)
ま、ファインバーグ夫妻だって、このエピソードが分かって蒐集したというよりは、見て良いと思ったから手に入れた・・って考えたいですがね。

中身はともかく私の目を捉えたのは、この蘇軾のずんぐり姿と、向かい側のケースにあった池大雅の妻池玉瀾による風に吹かれる竹の枝先のみを表現している《風竹図扇面》です。

そして、この章の中で一番愁眉だったのは谷文晁の《秋夜名月図》、
《秋夜名月図》谷文晁
横幅170㎝の軸絵で描線を使わない左上に輝く大きな月の光に照らされた秋草が画面の右下から中央に斜めにぐんと突き出ており、その右にある大きな赤い落款が目を引きます。解説によれば安藤広重の錦絵シリーズ《江戸高名会亭尽》の《山谷八百善》の画中に「文晁」の署名が入る本図と酷似した額絵があるとの事なんだけど、見てみたくなりますよね。
・・・
なので、調べてみました♪http://www.kabuki-za.com/syoku/2/no143.html
富士山の上にある左上の欄間部分にある絵がひょっとして?ま、文晁の赤い落款は見えないので、断定はできませんが、この両者の揃い踏みも見てみたいですよね。


第三章は
写生と装飾の融合 円山四条派

圓山應挙が、手本を中国や日本の古典絵画に求めた狩野派や土佐派が自然から離れてしまった弊害から解き放つ為に「写生」を重要視する「四条派」を呉春とともに立ち上げ、それが大変な人気を博したということは、江戸絵画に少しは触れたことがある人ならばその知識の引き出しに入っているのではないかと思います。
その写生至上主義は大阪で活躍した森狙仙の森派、岸駒(がんく)の岸派(京都)などを派生し、竹内栖鳳等近代の関西日本画壇の基礎を築いたというわけなんですね。

言って見れば絵画の世界も「大衆化」し始めたきっかけを作った円山四条派の応挙については、それが故に個人的には巧いと思う同時に、何かその写しとる以外の何かを読み取る事の必要性を消してしまったという部分に対して、逆に浅さを感じてしまうようなアンビヴァレントな気持ちにさせられるんですけど、ま、それはおいて置いて・・・

ここでは裏から光を当てると二重に張られた絹のモアレ模様(タブン)が鯉の泳ぐ水の水紋が透けて見える効果が出るという《鯉亀図風炉先屏風》がよかったかな。でも上からだけで後ろから光当ててないので、十分にその効果を見出すことにはできなかったのが残念です。

これまたプライスさんのコレクションにあるのと向きの違う《孔雀牡丹図》は、牡丹の色がプライスさんのより薄いし、どっちがいいかといわれると、きっとプライスさんのコレクションの方が優品なのかもしれないけれど、その抑え目の色遣いが私には好感が持てました。
左がプライスコレクション、右がファインバーグコレクションの《孔雀牡丹図》


圧倒的によかったのは森狙仙の《滝に松樹遊猿図》。猿を得意としていたというこの人の作品はプライスさんのコレクションでも気に入りましたもんね。猿の表情や姿態がなんとも自然で、小難しい漢籍や平安の歌の知識がなくとも幸せを感じることができることを否定はできませんね。

森狙仙《滝に松樹遊猿図》二幅で一対ですが、
コレは左側部分のポストカード。右側には猿はなく滝と松が描かれてます。
右側のポストカードも売ってくれてたらよかったのに・・・

この章の最後の方には柴田是真の肉筆画二幅《二節句図》がありました。右の一幅は高貴な人の男子の端午の節句を祝う雅な絵で背景には松、対する左の一幅はひな祭りを祝う鄙の農家のつましい家族。背景には落葉樹。その頃のひな祭りは重陽の節句(9月9日)の時期に行った場合もあるそうなんで、左右は全て対比されるという仕掛けなんだそうです。何のためにこの絵が描かれたのかは不明なんだそうですけど、こういう謎を探るのは楽しいですよね。

次は
大胆な発想と型破りな造形 奇想派

ここでは三幅で成り立っている若冲の《菊図》のうち、一幅足りない軸を日本のコレクターが貸与してくれたことで、ファインバーグさんが持っている二幅との再会を果たしていますが、比較的大人しめのものです。

むしろ隣にあった《松図》のほうが大胆な墨描で松葉をしゅっしゅっつって描いてあって、つい最近拝見した鹿苑寺大書院旧障壁画の《松鶴図襖絵》と同じタッチ。でもこちらの方が齢80を超えてからの作品だというのに力強い!印象に残ります。
伊藤若冲《松図》
あと、気に入ったのは曾我蕭白の《鉄拐仙人図》・・これはいかにも蕭白。でも《大黒天の餅つき図》もなんだか白隠禅師の描いたような可愛い一筆書きのような絵。

長沢蘆雪は應挙の高弟だけど、師とは対照的な大胆な構図や奇抜な画風ということで奇想派のカテゴリーに入っているんですよね。
長沢蘆雪《一笑》
でも《拾得・一笑・布袋図》の犬なんかは應挙の犬を思い出すような表情の犬の絵ですよね。なんでも竹と犬はその文字を組み合わせると「笑」という字になるので《一笑》という名前がついているのだそうで。その話を聞くと私にも「笑み」が浮かぶ幸せな画題ですね。うん、可愛いし。
最後の章は浮世絵です。
都市生活の美化、理想化 浮世絵

鳥文斎栄之《遊女と蛍図》
ファインバーグ夫妻のコレクションには特別な注文品として描かれた肉筆浮世絵が随分とあるようですが、目を奪われたのは元旗本から浮世絵師に転じた鳥文斎栄之の《遊女と蛍図》。この遊女は髪型(横兵庫って解説には書いてあるけれど、上に向かって蝶のように広がるこの髪形は実際より誇張して描かれているのではないかと思うくらい縦に伸びてますね。)からも高級遊女であることがわかるそうですね。
いずれにしても栄之の描く遊女は胸もはだけてしどけない格好なのに気品があって、いいですね。蛍が仄かに光る感じは図録やポチ袋では分かりませんが、実物はステキです。

最後に北斎の《源頼政の鵺退治図》という肉筆浮世絵が展示されています。
天に向かって弓を引き絞っている姿は実に勇猛、筋肉隆々な感じが生き生きしています。この弓でこの後鵺を一矢で射抜くそうですが、天からは鵺が放つ赤いふた筋の光線が怪しくそして脅かすように頼政に向かってシャープに描かれていますよね。これが88歳の作品とは、先ほどの80歳の若冲といい、絵師たちはいくつになっても、というか歳を重ねるに従い迫力が増してくるというのが凄いですよね。

東京は終わってしまったけれど、この後ミホミュージアム、鳥取県立美術館を巡回するようです。


2013年7月6日土曜日

二年間待っていたのーーープーシキン美術館展@横浜美術館

なんだかんだ言っているうちに会期終了間際になってしまいました。すみません。

76日初日に開かれた件のブーシキン美術館展のブロガー内覧会@横浜美術館につき、遅まきながらご報告旁感想をようやく書くところまで至りました。スミマセン、忙しくてなかなか在庫がはけない。。(滝汗)

この展覧会はもともと2011年の4月2日に開催される予定だったのだけど、震災の影響で中止になってしまったんですよねぇ。その後開催の噂がなかなか聞こえてこず・・・・
震災でキャンセルされてから暫く音沙汰ないから券捨てちゃって悔しい思いをして居ただけに夜間特別内覧会に行けて良かったですよ。色々ご意見はあるかもしれないけど、素直に楽しめました。 #pushkin2013 pic.twitter.com/bq3vDAVNpW
posted at 21:31:01




・・とつぶやいたくらいです。あの時持っていた券が使えるかも、聞くことはしなかったけれど、その代わりこの内覧会でじっくり見ることができたので幸せ。



ところで、こちらの展覧会四部構成となっており、写真撮影が許されたのは三部まで、主に現代を扱った四部が許可されなかったのは著作権とかの問題かな? いずれにせよ、会場写真は主催者のご了解を得たものであることお断りしておきます。



今回も初めに横浜美術館の講堂のようなところで、同美術館の 松永学芸員の解説を聞いて、それから鑑賞(借りたい人は無償で音声ガイドも貸してくださったのでありがたかった)というパターンです。



最初に震災の時のエピソードが紹介されました。本来は昨年のプーシキン美術館開館100周年に合わせ、日本で開催される予定だった本展ですが、ロシアを出発する4日前に震災が起きたため、中止の運びに。でも震災が出航する前に起きた為中止ができてよかったそうです。なるほど、他の展覧会は開催されていたもの、一部来なかったもの、そしてこの展覧会のように全面中止になったものと、当時分かれていたことが気になっていたのです。特に。単に放射能被害が怖いから出し渋った某米国の美術館があったとか、なかったとか、まことしやかな噂が流れたこともあったけれど、震災直後は電力供給すら不安定で、開催しても、お客さんが精神的にも、物理的にもいらしていただけるかわからないから安心できるまで待った方が良いとの美術館側の判断もあったという事ですよね。ふむふむ。

とはいえ、先ほどの私の呟きではないけれど、待ちわびていた人は多く、内覧会のあった、展覧会初日朝10時の開館前に200数十名の行列ができたそうです。さて、プーシキン美術館はロシアの現在の首都モスクワに1912年に作られた、エルミタージュ美術館(サンクトペテルスブルグ)と並ぶロシアが誇る美術館です。

その65万点以上ともいわれる所蔵品(因みに横浜美術館は1万点程度というわけですからそのスケール感が窺えます)は、珍しいものではコインであるとか、石膏であるとか、浮世絵に至るまで多岐にわたるそうですが、なんといってもその中核となるのはフランス絵画。その更に華ともいえる1719世紀の絵画66点がやってきています。

スライドで美術館の沿革を紹介してくれていましたが、
2011年の拡張計画に伴って日本への貸与を計画していたという事のようですから、大変な交渉をされたとは思いますけど、100周年記念式典を行ったその翌年に同じ66点全てを貸与し開催することを承諾してくれたプーシキン美術館の太っ腹にも感謝したいところですねぇ。(マ、66分ノ65万クライ貸シタッテビクトモシナイデショウガ。。)そのうち47点は日本未公開という訳です。


ロシアは昔からフランスへの憧れが強く帝政ロシアの時代からロココ・バロック・印象派と王家ばかりでなく、財をなした富豪たちもこぞって蒐集に力を注いでいたわけです。副題にもフランス絵画の300年となっていますよね。

この展覧会はそのフランス絵画蒐集の軌跡、その中でも人物を取り上げた絵画を追うような形となって、100101)年前の開館に至った迄の章立てになっています。


第一章1718世紀 ―――古典主義、ロココ

第二章 19世紀前半―――新古典主義、自然主義

第三章 19世紀後半―――印象主義、ポスト印象主義

第四章 20世紀―――――フォーヴィズム、キュビズム、エコールドパリ



各章の中でも注目される作品を中心と、それらを主に蒐集した人たちの紹介を解説ではしてくれたのですが、ここから先は私が印象に残ったものを、先ずは上げておこうかな。。

1700年頃に描かれたというジャン=バティスト・サンテールの《蝋燭の前の少女》。


第一章の壁紙となった赤い地とのコントラストのせいか、非常に目を引きます。18世紀初頭であれば、こういった蝋燭の光に照らされたような絵を描く人は他にもいたかもしれないけれど、少し中心を左に寄せたうつむき加減な美しい少女の瞬間を切り取るようなこの絵は、少女の清らかさが伝わってくる印象的な絵でした。

後はベタだけどフランソワ・ブーシェの《ユピテルとカリスト》


この絵じっくり見ると、色々発見があって面白い。

かなーり豊満な女神ジュノーを描いたカルル・ヴァン・ローの《ユノ》も印象に残りますね。音声ガイドの説明でジュノーの象徴が孔雀だと聞き、何故天使が孔雀と戯れているのかがわかり、二度美味しい感じ。因みにスェーデンに嫁入りする娘の為に、この絵のタペスリーをエカテリーナ女帝が作らせたという解説もありましたので、三度美味しい絵でしたね。

去年だったかに国立西洋美術館で企画展として取り上げられていた廃墟の画家ユベール・ロベールの《ピラミッドと神殿》 


は、ひと目でユベール・ロベールだぁ。。と思わせる何かがあって、でもピラミッドのサイズおかしくないか?というか、この神殿との取り合わせ自体が非現実的なので、目に留まったというのが正解かもしれませんが。。そういう意味で改めて時空を超えたユベール・ロベールの空想世界のフシギな魅力に引き込まれたのかもしれないなぁ。



第二章では、今回の展覧会で最も見たかったアングルが登場するのですけど、その前に、おおっ、となったのはウジューヌ・フロマンタンという人の《ナイルの渡し船を待ちながら》。


ピラミッドこそ背景にはないけれど、渡し船がやってくるまでナイルの畔で待つラクダに乗った人物の服装、従者の恰好は非常にエキゾティックだし、低い位置に水平線と夕日の落ちる地平線が描かれた画面構成には奥行があって、ゆったりとした時間がたゆとう大河ナイルの流れも広大さと共にうまく表現されていて、これを蒐集した頃の首都、華やかなサンクトペテルスブルグであっても、絶対に見ることのできない異国情緒を愛でたのだろうなぁ・・と想像してしまいます。



そして、ジャン・オギュスト・ドミニク・アングルの《聖杯の前の聖母》。この絵はこの展覧会の二枚看板で、2年前に戴いたチケットもこの絵だったんですよね。だからずっと遭いたいと思っていました。
おそらくは二年後になってよかったかも・・・と思われるのは、この間に修復がされているみたいなんですね。松永さんの解説では言っておられなかったけれど、展覧会企画中に撮った写真を中心に構成されたスライドでのクローズアップ写真には、ひび割れ等の痕が見られますからね。。




目の前で拝むように何度も見てしまいましたが、実に美しい。3月に再会した、ラファエロの《大公の聖母》と同様、黒ではないにせよ、遠目には暗い色のバックに浮き出るように見える聖母は、同じく濃い青いベールの下に赤い服を着ているところまで、よく似ています。でも・・・・清楚なのだけど、匂い立つようなほのかな色気がありますよねー。


この絵はニコライ一世の皇太子アレクサンドルが当時ローマでフランスアカデミーの校長をしていたアングルに直接発注したそうで、それが故に右下のはじっこにROMAのサインが入っているとか、

後ろに聖母を背後から亡霊のように囲んでいるのはアレクサンドルと父ニコライの守護神であるとか、コネタを説明して戴きました。この守護神が背後両脇にいるから、余計聖母の色気が目立つ。。という事なのかなぁ。。。アングルの中でもっとも美しい女性像のように思えます。とにかくこの一枚がじっくり見られたことだけでも、来た甲斐があったというものです。



同じ章の最後の方(だったかな)に地味、というか全体的に暗い色ですけどコローの《突風》
という作品があって、突風に向かって歩く女性が、何故か広重の《庄野 白雨》で風雨に立ち向かう人とイメージが重なるような気になりました。構図も絵も全然違うんですけどね。。



次の章は印象主義。この部屋の目玉はルノワールの《ジャンヌ・サマリーの肖像》で、こちらを見ている花形女優ジャンヌのうるうるした眼差しとか、幸せそうな表情がバラ色の背景と相まって大変な傑作と説明されたわけなんですが、私には、どうも媚びているような感じで、好きにはなれない。。。。のが本音です。すんません。同じルノワールの《セーヌの水浴(ラ・グルヌイエール)》の方がよかった?ま、こういうところが、「感想文」である所以でもありますが。巧さとかを超えた訴えるものが、どうなのか。。というところではないでしょうかね。

(・・・と言い訳をしてみる。)



このコーナーの最後の方にはゴーギャンとかゴッホ、   とかがありましたが、ま、特筆すべき感想はなし。



次の第四章は、撮影禁止エリア。

そこで、ちょっと個人的には驚いたのはマリーローランサンの《女の顔》。
 だって、この人って、なーんか、御嬢さんの描いた絵的、対象もそんな御嬢さんのスタイル画的で好かん。。(ファンノヒトゴメンナサイ)だったわけなので、こんなちっと前衛的な絵も描いたのか、当たり前だけど、画家は試行錯誤をするんだったわ。。とちょっと安心してみたり。



ピカソもアンリルソーもあったけど、そしてこの展覧会は「人」を描いているとの話であったけれども、意外な発見が・・・・

それは・・・・


#pushkin2013 一番見たかったアングルは、もちろん良かったけれど、期待してなかった、マティスのカラー、アイリス、ミモザに逢えて嬉しい。但し撮影許可されていた今回の内覧会中、写真NGだった第四部なので、ポストカードを拡大 pic.twitter.com/NCUOuVuA1q
posted at 22:10:43

実は、この絵をみたときに、初めてみたかも?いやみたけど忘れた?と逡巡した結果、キット初めてきたに違いないと思って、ポストカードを買ったわけなんですが、家に帰って気になって、ムカシムカシにMOMAであったMatisse in Moroccoの図録を確認。
あったーーーーー!!
なーんだ。
何回も見に行かなかったから、と言い訳しながらも、自分の記憶の薄さにあきれるばかりです。
でも、これともう一点の《青い水差し》は人の絵じゃないよね。。


・・・というわけで点数は比較的少ないながらも、佳作の並ぶ展覧会です。
会期はあと10日ほどですけど、まだの方はお早めにーーー♪

プーシキン美術館展 フランス絵画300年
横浜美術館
2013年7月6日(土)~9月16日(月)