2013年3月17日日曜日

【終了後感想文】絵文字のルーツがわかっちゃったかも・・・・・特別展 琳派から日本画へ―和歌のこころ、絵のこころ 山種美術館



バタバタとしているうちに次の展覧会が始まってしまいましたが、前期・後期ともに伺いましたので、感想文をば。。。
(まっ、副タイトルの通り、時系列関係なくアップしようという試みですんで・・・と開き直ってみる。。。汗)
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琳派とタイトルにあるだけで、心躍り胸ふくらむ気持ちが昂じるのは何故なんでしょうねぇ。
擦り込み?
光悦―宗達、光琳―乾山という突然のように現れた豊かなデザイン性と装飾性に溢れた天才たちとその系譜が見られるとあれば、何度見た絵であろうと見に行きたくなるのです、むずむずと。。

前期のスタートは宗達―光悦コラボの≪鹿下絵新古今集和歌巻断簡≫からスタートします。
真ん中のちょっと斜めったようなポーズの鹿の周りに和歌の句が書かれていて、なんだか
パッと見はバランスどうよ、と思うのだけど、それでも・・・一度見るとそのイメージが脳裏に
こびりついて離れないんですよね。派手な色使いはなく、金銀泥と文字の墨の黒だけなのに。
まぁ、これが宗達-光悦コンビの底力という感じなのかなぁ。表装も美しく、この断簡部分をより際立たせていた。。。からなのかもしれませんが、後期に鹿が蓮になり歌が百人一首になっても、鹿のイメージのほうがより強い印象でした。
山種美術館FBサイトより(以下引用させていただいた写真は全て山種美術館のFBサイトから)


それに引き続き古今集(通切)、石山切(貫之集)和漢朗詠集(戊辰切)の軸が続きます、
字もきれいでないし、書道は苦手なので、文字の美しさは感覚でしかとらえられないのだけど、料紙については、随分昔にカラフルな型文様の雲母(きら)刷で切箔とか砂子が美しく撒かれた国宝《古今和歌集(元永本)》をトーハクで拝見して以来、料紙の美しい歌集や、その断簡等を見るのが楽しくて仕方がないのですよ。
元永本ほどの豪華さはないにせよ、今回拝見した石山切も切箔やちぎり箔で千鳥などの柄や、蓮の花、唐草、龍や麒麟?といったデザインが地紋としてきらめいているわけなんですが、更に藤原定信という人の美しい文字が流麗でうっとりしちゃいます。それなのに運筆が早く早書きだったとの解説(音声ガイドは後期のみ聞きました)を聞いて、昔の人は(この書画そのものは12世紀頃のもの)本当に書をよくしたのだなぁ。。と感心するばかり。
ちなみに右肩上がりのこの字形は「世尊寺流」という書き方なんだそうです。


きれいな字といえば、枕草子で中宮定子が絶賛したという藤原行成の手になるといわれる《伊予切(和漢朗詠集)》にも出会えました。二色の料紙の砂子地に書かれた文字は小野道風の書風との事で確かに美しかったー。

後期には異なる紙を継ぎ合わせた・・・ってどこをどう継ぎ合わせたのかすら素人の私にはわからなかったけれど、川の流れのような青い色やピンクっぽい色の帯が紙の右中央から左下のほうに斜めに、スタートは細く、左側に向かって太くなっているとても品の良い料紙に書かれた《石山切(伊勢集)》というのも展示されていましたが、今回の発見は、上のような金銀箔や砂子がきらめいていなくても(いや、それはもううっとりの美しさですけれど)こういった品のよい料紙も沢山あるということ。


前期には、大きさという面でも、色目という意味でも(たなびく青い雲のような文様なんぞ歌を邪魔しないか?と思ったりもしますが)かなーり大胆、でももしかすると、この大胆なデザインのおかげで連歌というイメージが非常によく伝わってくるのかもしれないとも感じさせられた里村紹巴《連歌懐紙(部分)》が展示されていました。宗達の鹿下絵断簡と同様に、一瞬バランスの悪さを感じてしまうのだけど、あとで振り返ると、イメージがしっかり残るという感じです。



後期の同じ場所には、更に大胆?というか、面白い展示がありました。これです。後陽成天皇による《和歌巻》。これ↓ですね


和歌の中にあった「桜
」と「時鳥」が絵文字になってるーー@@;。




後陽成天皇は16世紀秀吉の政権下朝廷の権威回復に努めた和漢学問に造詣深く好学で、日本初の木製活字による古典を出版した天皇という事ですけれど、今だったらLINEのスタンプをJKと交換しちゃう感じ?のお茶目な天皇ですねぇ。。でも、このほうがずっと粋、そして一筆で描かれた絵の美しさ。
金泥でたなびく雲のような下絵のある料紙に映える文字も近衛信尹に学んだ流麗な筆致。

このお茶目な(・・・って勝手に言ってますが。。)天皇がこうやって書を残してくれたおかげで、500年近く前に絵文字のルーツがあった、ということがわかる訳ですね。根付がケータイのストラップに代わって今に生きているように、日本の文化は姿を変えながらも脈々と伝わっていくんですねぇ。なんだか嬉しくなってしまいました。

粋といえば、本阿弥光悦の《摺下絵古今集和歌巻》も遊び心満載です。
巻物を巻いた状態では裏面の松が見え、巻子を開くと竹(孟宗竹のような太い竹)、梅、芍薬、蝶、ぬひ、芝、蔦、竹、藤と下絵の絵柄が続くそうなんですが、前期は最初に開いたところに見える竹の部分と紙背に摺りだされた松葉が見えるように展示されていて、なるほど「松竹梅」とめでたさを演出しているんだわー、と思わす微笑んでしまいました。
このデザイン豊かな画面構成、モチーフをリズミカルに繰り返すスタイルは琳派の代名詞的な構図法として継承されていったということですが、こうやって見ていくと、光悦という人なしには宗達もあれほどまでに輝かなかったのではないかと思ってしまうんですよねぇ。そして宗達が輝かなければ雁がねやの兄弟(光琳・乾山)も・・・と思うと光悦の存在の大きさを感じます。

さて、宗達の国宝の屏風といえば、建仁寺の《風神・雷神図屏風》がまず頭に上りますが、静嘉堂にある《源氏物語図 関屋・澪標》も国宝なんですよねー。その同じタイトルの屏風、しかもですよ、色合いと山の表現に若干の違いがあるだけ、という個人所蔵の稀品なんだそうです。

その違いも含め、いつかどこかで(静嘉堂カシラ?)横に並べて比較展示して欲しいにゃー。図録だけではわかりませんものね。

さて、すでに長々と感想を書いている「第一章 歌をかざる、絵をかざるー平安の料紙装飾から琳派へ」の展示は、感想を書ききれていない作品も含め、個人的にはもう(うっとりー)の世界に入り込んでしまう訳であります。

残念ながら・・・・「第二章 歌のこころ、絵のこころー近代日本画の中の琳派と古典」に進んでいくと・・・ぐっと、冷めた目で見ちゃうんですよねー。ゴメンナサイ。
この違いは何なのだろう。。。

さはさりながら、印象に残った作品は、というと
横山大観《竹》・・・裏箔の美しい絹地の網目から透ける金色が竹の間から仄かに光を放っていて、自然光の下で見たらどんな変化を見ることができるのかしら?とワクワクしてしまうような美しさですねぇ。解説によれば岡倉天心が推進した古典模写事業に従事した集大成ということなんですが、琳派にならったというより、先日見に行った應擧の作品に構図が似ている?と反芻しています。印象はこちらの方が伸びやかで若い感じがありますが。。。デモ、ソレジャ琳派ノ系統ジャナイジャン。。
ま、敢えて言うなら竹が天地で切れているってことが琳派風?



菱田春草《月四題》・・・この人の没骨法とたらしこみを駆使した朦朧体の真骨頂的な作品。実に美しい。幻想的な月と桜・柳・葡萄・梅の静謐な世界は、ぐーーっと引き込まれてしまいます。特に秋のたらしこみで描かれた葡萄は葉の色が見えてくるような錯覚を起こさせるくらい。これが重文とかの指定がないのがフシギなくらい、(ってか国宝とか重文とかの基準もよくわからないけれど。。)な気持ちにさせられるほど、私にはうっとりさせられる作品です。この作品の翌年に亡くなってしまうんですよね。


速水御舟《紅梅・白梅》・・・右幅の紅梅は老木で画面の下の方にどっしり(といっても、細いですけどね)、古木らしい硬枝振り、薄墨でぼかした空気の先に左幅の白梅の画面が連続しているような構図が念入りに工夫されてます。二幅の間には冷たい夜気が降りている感じが画面から伝わってくるなぁ。。
そして左幅の白梅は若木であることを示すようにほそーくしなやかな枝振り。ぐんと上に伸びています。まだまだ成長するぞ、という感じ。
彩色は紅梅を表す朱と白梅に使われた胡粉の白、めしべ・おしべに使われている金泥と抑え目なのに装飾的であること・・・が、琳派研究の成果なのだそうですけど、それが琳派風なのか?と言われても、ホントのところ、見るほうにしてみれば、そうなのかー、程度のように思えるんですけどねぇ。。まぁ、日本画を志す人はどこかの過程で、先人の技術や構図を写し取ることをされているでしょうから、何某、琳派風であったり、狩野派風であったりするんでしょうけど・・・。この絵が琳派風であってもなくても、見るものを引き付けることには変わりがありませんね。

琳派研究なり、先人のスタイルを模倣しつつも自らのスタイルを追求する試み・・・という面では川端龍子の《八ツ橋》と加山又造の《千羽鶴》の屏風絵が前期と後期に分けて同じ場所に飾られていました。
《八ツ橋》は日本絵画におけるお約束の伊勢物語のモチーフということもいえるけど、やはりずばり光琳に真っ向から向き合っているというイメージですよね。その正面からむきあっているところが、評価できるけれどちょっと画面が煩いかなぁ。。。川端龍子はもっと良い絵が沢山あるのに。。。というのが正直なところ。
酒井抱一の《燕子花図屏風http://pikarosewine.blogspot.jp/2006/09/2006917-40030015066.html
のようにもう少しひねってくれると、研究成果を自分のものにした、っていう感じなんだけど。。。

その点、同じように画面一杯に展開されている《千羽鶴》はその展示の手前の低いガラスケースの中に、宗達ー光悦コンビの《四季草花下絵和歌短冊帖》があって、その短冊群の左端の《浜松》に、波・千鳥が描かれているんですね。











これを見ると、完璧にこのモチーフをいただいちゃってるっていう感じで、挑戦というよりはもう最初から白旗上げたうえで、自分のものにしているっていう感じを受け、こちらの方が好感を持てちゃいます。ま、いつも山種美術館に伺う際に、陶板にした同じ《千羽鶴》のお出迎えを受けているから、そう感じるのかもしれないけれど。


そんなわけで、やはりどうしても古典に軍配を上げたくなる「保守派」の私ですが、十二分に楽しむことができました。



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