2018年9月24日月曜日

【松潤がなりきる人だよ、松坂牛試食会もあるよ】~生誕200年記念~幕末の北方探検家 松浦武四郎展 ブロガー内覧会に行ってきた。

実は、入り口付近で地味な番宣的な紙を見つけてはいたんですが、まぁ始まる前だからさ、最初のツイートはここからよね。

これから、トークショーを経ての #ブロガー内覧会 #松浦武四郎展 #北方探検 #幕末 #いつもの静嘉堂とは毛色が違うテーマ
2018/09/24 14:52 @静嘉堂文庫美術館
開館時間中に始まったトークショーは
ナビゲーターは、いつものTAKさん、そして河野館長、今回ご担当の主任司書で普段は和漢書の整理の成澤さんによるものだけど、成澤さんの掴みが最高。
あんまりパッとしないようなイメージについてふられるなり、①2013年にすべての所蔵品が整理できた時に松浦武四郎展を開催し、人気があったので二回目を開催、(これはいいとして)②来年4月にNHKでドラマ化され、主役は嵐の松本潤さんと深田恭子さんです、と言い放った瞬間、会場から「松潤が?へーーー!!」という歓声が上がるという、美術館のトークイベントではお目に掛かれない会場の動揺と歓声にこっちが驚いてしまいましたよ。全く。
冒頭書いた通り、私は目ざとく見つけてましたよ。この紙を↓


来年の四月に放映、今もうロケに入ってるので、楽しみにしてお待ちください、等と聞くと、がぜん松浦武四郎が松潤にみえてくる?
そんな訳はないですが、その武四郎由来の作品並ぶ展覧会です。この方は蝦夷地と言われていた地を150年前に北海道(もとは、北加伊道 加伊とはアイヌ語で北のアイヌの人が住む大地という意味で)と命名。
実は渡航が大変厳しかった幕末の松前藩が統治する北海道から国後、択捉、樺太も含め13年間のうち6回渡り探査して詳細地図を作ったので実績を認められ明治新政府では開拓のトップとして任命された方で 顕彰碑があるそう。

この方、生まれは伊勢(松坂市)で、かの地には 記念館があり、家で保管してたものを展示 しており、全部重要文化財。 最近大判小判も引き取られたので金庫設置したばかり。
今回の展覧会中に、美術館としては斬新な企画、松坂牛の試食会もあるのは、先方からお話があったからだそうですよ。皆さん、先着100名ですから 奮ってどうぞ➡http://www.seikado.or.jp/exhibition/index.html

さて、前ふりはここまでとして、まずはいつもの通り、注意喚起です。
このブログで掲載した会場写真は美術館より特別に撮影の許可を頂いたものですので、期間中、会場内(会場の外の川喜田半泥子の焼き物は撮影OKです)での写真撮影はできませんのでご注意ください。

松潤以外の今回の展覧会の特徴を表現すると・・
1)今回の展覧会は武四郎を表現するキーワード3つのうち2つを中心に
  「蝦夷地を知る資料」と「武四郎のコレクション」に分かれる
2)武四郎を表現するキーワードとは
  「北方探検家」であり、
  71歳に没するまで日本全国を隈なく自分の脚で歩いた「旅の達人」
  そして「古物の大コレクター」
3)そのキーワードを支えたのは、彼を突き動かした
  根底にある「好奇心」
  思想(驚嘆すべき独自のヒューマニズム、田能村竹田に通じる)に支えられ
  た「行動力」と「人間性」


上記を補足するエピソードが面白いの。
小さい時から好奇心のなせる業なのか、ひとところに収まらない性なのか、最初に松坂を飛びだしたのは16歳。残念ながら 江戸で知人に見つかり連れ戻されたけど、翌年本格的に飛び出して10年。篆刻技術があるので、地元の庄屋等の有力者が必要としていた印の篆刻等をして泊まらせてもらったり、野宿したり、旅せざるを得ない性格と行動力。
山登りは好きだったようで 富士山には三度、なくなる一年前にも日帰りで登ったという。

北海道に行くことになった理由もまたユニーク。最初は朝鮮半島に行きたいと思うがいけず、長崎でロシアが蝦夷地に来て圧をかけていると聞き及び、日本の危機だと思い、自分の目でみたい、という事ですぐに向かった。でも、その頃本州とは違い、松前藩の取締は厳しく渡れず。翌年、商人手代に、身をやつし渡れた。2回めお医者さんの弟子として。そういうことをしないとまともに入れなかったのに二回も私費で渡っているそう。その成果として、残りの4回は幕府のお雇いで、(いつ覚えたのか?)アイヌ語を繰りアイヌの人たちと一緒に内陸部迄を調査、このため海外線沿いが中心の伊能忠敬、間宮林蔵とは違う北海道の詳細地図を作りあげた。
勿論、それを幕府に提出したことは勿論だけど、広く一般にも知らしめようとして
一般人に分かり易い紀行文を販売してたというから、驚き。

そして、その詳細地図が、会場のカーペットを一部剥がして、ほぼ原寸大で表現してくれてる。

この最高の仕事が大久保利通などに認められ、明治政府の開拓トップに雇われ、 土地の名前をつけた。
ふつうなら、そこから政府上層部への階段を昇り詰めるはずなのに、一年で辞めちゃう。彼は、松前藩時代からのアイヌに対する倭人同化作戦に反対して、松前藩はこんなことをしたという告発本を出し、勿論発禁になり、命も狙われ、弾圧方向になったそうで、明治政府になっても変わらぬ方針に反対し辞めたというわけ。
その後は一介のコレクター人生を歩む。 明治政府のやり方、アイヌ弾圧のやり方を馬鹿くさいと皮肉こめ、それを阻止できなかった自身への皮肉も含めたという説がある、という彼の毫、馬角(ばかく)はこれ


展示コレクションの特徴
良いものをコレクションするのがコレクターだけど、彼は好きな分野を集める人
静嘉堂にある900点は集めた中ではほんの数パーセント、ありとあらゆる分野が揃ってる、心に響いたもの。集めたものを分類、整理して後世に残すのは明治以降の博物館構想。明治の政府に知人がいるので、影響を与えた可能性も?
古銭を物凄い数を当時の大蔵省に寄贈してたり、他のコレクターとは
一線を画す。そのコレクションの一部は、河鍋暁斎に依頼して生前のうちに描いてもらった
涅槃図(模写)に出てくるのが面白い。



















さて、今回特別出品されている川喜田半泥子
 陶工として知られてる実業家(第百五銀行頭取)、7点ロビーに。

趣味の陶工としては、西(伊勢)の半泥子、東の魯山人、として言われていたのに、すっかり魯山人ばかりが取り上げられているが、作品の質としては、甲乙つけがたい。川喜田家は松坂の立派なおうち、おじいさんの石水という人と武四郎のパトロンが 幼馴染という関係。石水に送った手紙もとってあった。
実業家であることで、四代目社長小弥太と親しくなった。明治生命の株主同士という事で親しくなった。敗戦の色濃い昭和20年5月、小弥太が社員を連れて、半泥子の元でお茶会に参加する等岩崎家とも関係あり。松浦家とも関係があるという事で今回の特別出品になった。
弥之助と小弥太は美術品を集めてきたけど、美術品とは違うもの900点 。弥之助が購入したと思われるが、残念ながら確固とした証拠はない。弥之助の深川の別邸建築の大工頭だった柏木貨一郎(大変な目利きで国宝の源氏物語を所蔵していた)が二人の接点にいて人任せにしないで自分で購入を決める弥之助にアドバイスしこれなら購入しても良いと判断したと想像できる。

個々の作品での注目は(私基準)・・
最初に出てくる大首飾り
冒頭で紹介した満64歳の時の唯一実在する写真でも首からかけてるけれど、実物を五年前まで公表しななかった為、ずっと写真でしかわからなかった。なんだ、あんなところにあるんだと、言われたそう。縄文から近代、絹糸で留めた首飾りの重さは三キロ!
形、ぴったり合う例ないが、資料として、神社の神宝に似てるので、彼なりの根拠あったと思われる。ご自慢。一個ずつ材質、縄文からガラスについて上のパネルに説明あり。(文字小さくてわかりませんが)國學院大の方が整理してくれたそう。



そして床の地図の先にある翡翠の首飾り

今はもう絶対に手に入らない純粋な翡翠だそうです。実際透明感や色が濁っていない感じで美しいです。

上述の涅槃図とそこに登場する古物

あと、 本居宣長に影響された鈴好きがわかる説明とか、鈴とか。

とにかく、気になったものを集め、それを几帳面に記録し、更にそれを自分のものにだけにしないで、常に「公にする」姿勢が素晴らしいのですが、なぜか、最後の一畳敷に集めた古材で亡骸を焼いて欲しいというのだけ、コレクションしたゴッホを棺に入れて焼いて欲しいといって 非難をあびた実業家を思い出して、なんかしっくりこなかったなぁ。(歳をとると皆変わってしまうのかなぁ)

まあ実際にはご本人の遺志とは関係なくICU(国際基督教大学)にめでたく保管され、学園祭の時には公開される(もうすぐ)だそうですが。。

~生誕200年記念~
幕末の北方探検家 
松浦武四郎展
2018 9月24日(月・祝日)~12月9日(日)
休館日:月曜日 ただし9月24日、10月8日は開館。10月9日(火)休館
10:00~16:30(入館は16時まで)

2018年9月14日金曜日

【投稿更新中】15日から始まる「狩野芳崖と四天王」の視点が面白い!泉屋博古館


プレス内覧会より一日前に発信力に期待してブロガー内覧会を開催されるという泉屋博古館に行ってまいりました。
なので、いつもと違うアップの仕方=随時更新 でお伝えしてまいります。
まずは、いつもの通りのお願いを最初に。
会場内写真は主催者の許可を得ての撮影であり、通常会場での写真撮影は不可となっております。(不出来な写真なので、される方は居ないとは毎回思っておりますが、転載もおやめくださいね。)→まだあげてませんが、写真は徐々に上げてまいります。

まず個人的感想としてお伝えしたいのは、
江戸末期から明治初期の日本美術に関しては、
①フェノロサ→岡倉天心→東京美術学校そこから輩出された天才たち
②超絶技巧の世界(工芸品を中心にした江戸末期から明治初期→博覧会出品)
の視点から取り上げられたものが多い中で、この展覧会は、その前からを丁寧に掬い上げているという面で斬新だし、面白い切り口だな、という事です。
(いや、他に似たようなのあったよ、という場合はごめんなさいなのですが。)
その意味でも、野地館長のギャラリートークが開催される土曜の午後3時、絶対面白いと思うので是非

さて、ここからは「狩野芳崖と四天王」ブロガー内覧会の概要をご報告

ますは野地館長からのご挨拶

ブレスより先の発信力あるところに注力

ハッシュタグて発信してね、という事でありましたので、発信したことご報告致しますわ。


昨日は 泉屋博古館で明日から開催される  #狩野芳崖 #四天王」#ブロガー内覧会 にいったよ!面白い視点からの #近代日本画 を鑑賞できて楽しかった!#美術館に行った 感想は別途纏めますが、土曜の15時は館長のギャラリートークもあるから、是非聞かれるといいと思います。凄く勉強になります。


明治150周年、明治は遠くなりにけり

野地さんご自身は今年60歳になられるそうで、
今年が明治150年という事は生まれた時は明治90年だった事になる。

そうなると、まだ明治時代生まれのおじいちゃん、おばあちゃんもいらして近しい感じがしたし、その後明治100年には、100年を記念して東京近代美術館ができた事、その翌年美術館は京橋(今のフィルムセンター)から竹橋に移ったのであること等に触れられ、既に明治は、平成世代にとって近世扱いの分野であるとのお話がありました。
明治初めの日本絵画を取り巻く状況は?
さて、明治という近代における日本絵画を取り巻く状況はどうだった?
ということですが・・
江戸時代は、各藩のお抱えとして狩野派が活躍していたわけですが、体制の瓦解共に

給料をもらっていた絵師達は路頭に迷う事になります。
(維新政府が文化面にも力を注ぐようになる)明治15年くらいまで絵師たちは陶器や漆器の下絵を描いて糊口を凌いでいたというのです。
芳崖は、この美術館にほど近い、愛宕下に住んでて上述の陶器や漆器の下絵を描いて食い扶持を得ていたのですが、維新政府の請負で政府の象徴の絵を描いたり、東京大学で解剖図や地図を描く仕事をしていたらしい。
器用な人なら、それくらいなんでもないでしょうね。(朝ドラの主人公が漫画家で売れない時に星占いか何かのイラストの仕事請け負ってた事をふと思い出す・・・いや、レベル全く違いますが)

で、フェノロサが登場。明治11-22年(←要確認)にやってきて 法哲学教えつつ、日本美術の研究、コレクション更には日本絵画史記述をするという(かなり入れ込んだのね)。

その時、アドバイザーとして起用されたのが橋本雅邦、雅邦が͡古画の鑑定ができたという理由のようで、同様に狩野派が重用され、お互いウインウインの関係に。
狩野派って?
狩野派といっても、いくつかの流れがある事も解説されていました。
場所との関係が面白い。マメ知識をどうぞ。
〇江戸後期の狩野派といえば、「木挽町狩野家」
   木挽町と言えば、現在の歌舞伎座辺りで画塾があったそうです。

   今週から静岡美術館で木挽町狩野家の特集があるそうですよ。

〇幕府の、奥絵師は中橋狩野家、場所は今のブリジストン美術館の場所にあった

〇江戸城に出仕できたのが、鍛冶橋狩野家、今の国際フォーラムのあるところですね
(昔の都庁)

日本人は四天王好き?
ところで、日本人は四天王という言葉好きなんですね、今回のタイトルの四天王に併せ、本展覧会では①弟子の四天王②東京美術学校の四天王が登場します。
章立ての説明 
〇第一章は 基礎になる作品絡み
明治時代に入った狩野派がどういう方向に向かうかがテーマ
芳崖、雅邦、木村立獄(りつがく)、しょうぎょく(?)は作品ないので狩野友信を紹介

〇第二章は芳崖四天王、すなわち4人のお弟子さんが 明治時代に変容していく姿
岡倉秋水、岡不崩、高屋肖哲、本多天城

〇第三章は朦朧体に代表される 東京美術学校で学んだ革新的なひとたち
 =芳崖四天王(天心の甥でもある秋水等)が教育者としての道を歩かされるのに比し、
  同期生でもある大観、観山、春草らは自由に革新への道を進んだ

(ギャラリー詳細解説と写真はあとで)


狩野芳崖と四天王
2018/9/15(土)~10/28(日)休館日月曜(17日、24日、8日は開館)
前期 ~10/8(日)
後期 10/10(水)~
泉屋博古館 分館

2017年11月12日日曜日

【FB投稿:#美術館に行った シリーズ】 典雅と奇想ー泉屋博古館

(FBというよりは ツイッターで書いたのが飛んできただけなんですが。。)
11月12日 11:14


静嘉堂文庫の #明清絵画 のご縁でこちらの #中国名画 にもやってきました! #美術館に行った #泉屋博古館 楽しみ https://t.co/DL7QPAW43Y



(私)こっちの方が好きな作品多かった!

返信


正直 こちらの作品の方が好みとしては良かったですし、(以前から言ってるけど)最近の泉屋博古館は 添えてくれる解説もいいので、もっと時間があったら 勉強したいと思うきっかけを作ってくれてますよね。

な、もんだから ついつい控えていた図録購入というやつを久々やっちまいました 。(まだ詳しくは読んでないところが、私のダメダメなところですが。。)しかも、この図録は、コラムには取り上げられてはいても、美術館の出しているものではない…というところがミソであります。先日の静嘉堂文庫で解説いただいた板倉先生他による美術本という立ち位置でしょうか。


典雅と奇想
明末清初の中国名画
板倉聖哲・実方葉子・野地耕一郎 編
典雅と奇想

2017年11月3日金曜日

【FB投稿:#美術館に行った シリーズ】鏨の華 ―光村コレクションの刀装具― 根津美術館


風邪ひいっちゃったので、青空なのにお出かけはここだけの文化の日自動代替テキストはありません。
 #美術館に行った #初日なのに激混み #刀剣は人気が高いの


冒頭はそういうわけでFBの投稿から・・(なかなか長い感想が書けないので繰り出す事に致しました。)

追記:

刀剣外装のための金具は、江戸時代以降に装飾性が増し、金属とは思えないほどのきらびやかで細密な作品が残されました。光村利藻(みつむら としも・1877-1955)はそんな刀装具を中心に一大コレクションを築き、名著『鏨廼花』(たがねのはな)を刊行した明治時代の実業家です。一方で断絶の危機にあった装剣金工の技術継承にも心を配りました。単に作品の美を称えるだけではない利藻の幅広い活動により、刀装具への理解は深められ、作り手も護られました。
現在根津美術館には利藻のコレクション約1200件が伝わっています。本展覧会では、この根津美術館のコレクションを中心とした約130件の刀装具に刀剣や絵画資料も加え、光村利藻が魅せられた金属美を、紹介いたします。

【美術館HPより】

あまりにも混んでいて、あまり集中して見る事ができなかったので、もう一度行く予定です。(感想になってない。汗)
ただ、この光村さんの収集家としての審美眼は素晴らしいのに、作らせたという作品たちは、解説によれば「彼の好みか、濃密で華やかな刀身装飾」なんていう表現ではあったけど、要はなんかごてごてしていて、美しい鍛造をぶち壊す感じがちょっと気に入らなかったんですよねぇ。。

あと、二階の展示室6の歳暮の茶に展示されていた灯りに油を注ぎ続けるからくり機械のようなもの、もう一度じっくり見たい!

2017年10月28日土曜日

憧憬が新しい世界に導いてくれたの? あこがれの明清絵画~日本が愛した中国絵画の名品たち~ 静嘉堂美術館文庫 のブロガー内覧会に行ってきた!



久しぶりにブロガー向けの内覧会に行ってきました。
知り合いの美術ブロガーさん達にお会いできたけど夜の予定があるので、早めに失礼したし、行きは珍しくニコタマからバスに乗ったら遅刻してしまい、冒頭の面白そうだったお話はすっとんでいるし、解説も最後まで聴けなかったけど、もう今回は型破りな解説でびっくりしたので、投稿も型破り?でいきます。

尚、会場写真は主催者の許可を得ての撮影であり、通常会場での写真撮影は不可となっております。(不出来な写真なので、される方は居ないとは毎回思っておりますが、転載もおやめくださいね。)

型破りな解説って何?ですよね。ま、型破りってほどではないけれど、なかなか、ぶっ飛んでましたので、最初にツイッターで呟いたのは・・・

16:22 - 2017年10月28日
コバンザメ商法の下心があると認める館長の話が面白い ▶︎あこがれの #明清絵画〜日本が愛した #中国名画 いや、中国絵画の名品たち〜 #ブロガー内覧会 なう ▶︎辻先生が言ってるんだから若冲が明清絵画情景あるの間違いないらしい ▶︎初公開の虎図が元 #美術館に行った 
会場風景


何に乗っかったかというとチラシの上に踊る言葉「若冲、応挙、谷文晁も、みんな夢中になった」の「若冲」は昨今のブームに乗っかった事をあっさり認めた河野館長だったのです。若冲に関しては、「夢中になったかどうか」について核とした証拠となる作品はありませんが、若冲発掘?の大御所辻先生の著述の中にそれと読めるものがあるとか、有名な筋目描きのように輪郭線のない描き方の作品が 李日華さんの《牡丹図巻》にみうけられるとか(これは会場で東京大学東洋文化研究所・情報学環教授の板倉先生―後述がおっしゃっていたと思います)、まぁ「こじつけ」れば、色々言える要素はある。。という風に解釈するつもりでございます。

いきなり河野館長の止らない解説の感想をアップしておりますが、先輩だからやりにくい、と言いつつもこれを優しく諌めるが如くに解説を加える板倉先生との掛け合いは、この初日に訪れた方なら先着順で参加できるトークショーの一部です。列品解説でも11月11日と12月2日、7日、14日に河野館長のお話も聴けるようですから、参加できる方は是非聞かれるといいかと思います。
   11月11日(土)11:00~ ゲスト:塚本麿充氏(東京大学東洋文化研究所 准教授)
    12月2日(土)   11:00~ 河野元昭館長
    12月7日(木)・12月14日(木)何れも14:00~ 河野元昭館長
HPの情報 http://www.seikado.or.jp/exhibition/index.html
に触れたので、HPでの解説をまずは御紹介。

深遠な山水から愛らしい猫まで多様な様相をみせる中国・明清時代(1368~1912)の絵画は、江戸時代以降の日本でも多くの画家たちの憧れの的でした。静嘉堂の明清絵画コレクションは、質量ともに国内有数のコレクションとして知られていますが、本展ではその中から、日本の画家に多大な影響を与えた沈南蘋(しんなんぴん)の代表作をはじめ、日本が愛した中国絵画の名品を精選し展示いたします。
この他、HP上では今回の展覧会のみどころとして、
①12年ぶりに明清絵画の優品を一挙公開
李士達(りしたつ)・張瑞図(ちょうずいと)・王建章(おうけんしょう)といった名立たる画家たちによる山水画の名品や、日本の花鳥画に新風を巻き起こした沈南蘋(しんなんぴん)の代表作、また清朝の宮廷趣味がうかがえる華やかな草花の作品等、充実のコレクションをじっくりご堪能ください。
②日本の画家が描いた模本なども共に展示
室町~明治時代にあたる明清時代に描かれた作品は、各時代の日本の画家たちに大きな影響を与えました。本展では、画家たちが実際に見たことがわかる明清絵画と、それを模写した作品・感想などを述べた跋文、愛蔵の文房具等も共に御覧いただきます。彼らが楽しみながら享受していた明清絵画への想いを、実際の作品を通して感じていただきたいと思います。
③書跡の優品も特別公開
王鐸(おうたく)や張瑞図(ちょうずいと)といった、明末清初の個性的な書跡の優品も特別公開いたします。

なのですが・・・
恐らくは、連携企画として六本木一丁目の泉屋博古館分館で開催中の「典雅と奇想 明末清始の中国名画展」(11/3(金・祝)~12/3(日)
https://www.sen-oku.or.jp/tokyo/program/
とセットで観ると、より理解が深まるというのもお勧めポイントではないでしょうか。

さて、トークショーとその後にブロガー向けに坂倉先生自ら展示室を回って解説戴いた内容、そして、展示品に添えられた解説から私の感想まで、これから順不同で一気に参ります。

★江戸時代の日本から見た憧れの中国⇒日中の美意識の違い?⇒模写の問題?
    館長から今回の展覧会の中心軸にあるのは、明清のものをそのまま見せるではなく
    中国(舶来)に対する憧れを持っていた日本目線でみた明清絵画である事が披露
 され、日中の美意識の違いを見て下さいというようなお話があったけど、
 のっけから?
   そんな違いを垣間見る事になった気がします。
   坂倉先生が(模本は縮図という形で多くを描いていた狩野探幽が珍しく原寸大の
   模写を下という事からか)「原寸大」である事を強調していた狩野探幽が模写を
   した《山水図》を 描いた張翬(ちょうき)という人は有名な人ではなく、
    雪舟が留学していた頃に活躍していたみたいですが、実際に眺めると静かな風景
    だけど迫力があって、奥行 と筆の勢いを感じますね。
    これに対し、館長が「一生懸命夢中になって熱心に模写している」「フラットな
 感じ」と言われてましたが、やっぱり模写の限界なのかな、
    探幽の《張翬 山水図模本》は、筆の勢いがない(特に人物)と思うんですね。
    それがよりフラット感を高めている気がします。


★名幅中の名幅!
     今回の展覧会のポスターの中心人物、ならぬ猫がクローズアップされているのは
      沈南蘋(しんなんぴん)の《老圃秋容図》の事です。
     吉宗公が長崎奉行を通じ唐船主に中国画を取り寄せるように命じたものの実行
     されず、名画の写しの取り寄せを命じたものの入手困難という事で実現しない
     代わりに、沈南蘋が来日し滞在中に絵を描いたという話を聴くと、なんだ、
    名画以下のレベルの絵しか描けない人物のように 思うし、中国から見れば日本が
    低く見られていたんだろうな、 という切ない思いにもなってしまう訳ですが、
  絵を見ると、当時の中国の画壇の層の厚さと技量の程が窺えるという事なの
 かもしれないなぁという感想。     
     日本(長崎)に着いてから描いたという伝説のような話は、確証がないそうだけ
     ど、少なくとも来日直前か、直後かの作品だったようです。
     いずれにしても、この名幅或いは南蘋の齎した画風に対する熱狂が日本の花鳥画
 を深化させた事には間違いはないようで・・猫の毛描きが見事だという事ですが、
 それは 単眼鏡でじっくりご確認戴くとして、狙っているカミキリ虫?との距離感が
 良い感じ。
     猫が耳をピーンと立てて今にも飛びかかれるぞという体勢なのも緊張感が感じられ
    ていいですよね。


★ 猫の粉本あるよ!
     そしてこの同じ絵をほぼ粗、写し取った谷文晁派の江戸随一の画塾「写山楼」で
      使われた粉本が 最近見つかったそうで、真ん中のガラス ケースの中に(すごく紙
      が白い)鎮座ましましておりました。こちらも原寸大だそうですが、描きっぷりは
      地の色の違いもあってか、色はついているのに白描画とは言わぬまでも あっさり
      した印象。
      例えば朝顔の色は塗られていないし、ところどころ違う印象があるので、本当に
      模本なの?って思ったりもした訳ですけどね。
   (それとこちらの方が視点が近い処からだからなのかな?)

★ 画塾だけでなくて、谷文晁が手掛けた模本もあるよ!
     藍瑛《秋景山水図》と谷文晁《藍瑛筆 秋景山水図》
     模本ならば、全てが一致しているのかと思いきや、やはりそのままでは
     行かなかったのが谷文晁の真骨頂なんでしょうかね。
     画面下部の長さがないだけで、全体のバランスイメージが変わる事は勿論、
     点描のように描く山の表現も少しずつ違うということですけど、どっちが
     日本テイストかと言われてもわかんないよね、正直。
   (比較はHPの展示作品紹介頁に詳しいのでそちらをご覧ください←って
      うまく写真が撮れてなかった言い訳ですが。。)
      http://www.seikado.or.jp/exhibition/constitution.html
     
★下から眺めよう!
   金箋(きんせん)⇒金箔を貼った紙地、
    絖本(こうほん)⇒光沢のある絹地に描かれている
    という違いがあるにせよ、光った地に描くというのは、中国におけるジャポニズム
    という話が出て参りまして、、ほほー。となりました。
《米法山水図》王健章金箋墨画淡彩
《秋景山水図》絖本墨画
その金箋の上に描かれた  を見るときは是非下から 眺めて!という事で、確かに下から眺めると地が光っているのがわかります。
(このあたりは「写真」には 収めきれないところね)
でも隣の絖本の方は正直うっすら程度しか光ってる感しか感じられない ガラスケースの限界。  


     絖本ではないけれど、同じガラスケースには入っていても、目線の近い、#59 
     #60の 山水図扇面》はいずれも金箋墨画(淡彩か濃い目かの違いはあるけど)で、
     ひかひかした感じを楽しめますわ。
#60《山水図扇面》金箋墨画 明時代


★ 平民からのし上がったのに失脚した張端図(ちょうずいと)に
    興味もっちゃうよね?

   書く文字の独特なリズムとうねるような山水図、同じ人物の手になるものとは
   一見してわからないわー。というのが最初の印象。
   成りあがっていた時期は、当然のように時間がなくて、詞の部分は本人作では
   なくて、他人の五言律詩を書いていたという事だけど、「木の葉返し」と言われる
   ような筆の表と裏を使って器用に書かれた書は独特ではあっても、リズム感が
   あって美しい。
右が張端図《草書五言律詩》

   当然書家との認識のあった応挙は、文字の模写をしているそうで、脇にちょろっと
   張端図の絵も落書きのように描いているとか。


張端図 《秋景山水図》と柳沢淇園による跋文(これも絖本)

最初の印象は同じヒトの手になるものとは思えなかった筈の張端図の絵は失脚後に描いたという事なんだけど、段々みていくうちに、文字と同じで濃淡のリズムがあることに気づきました。
なーんだ、どんなステータスにあろうとも、その人の基本って 変わらないんだなぁ。。と妙な納得感がありました。

池大雅による跋文の解説はミニガイドブックに詳しく載っているので、是非お買い求めの上読んでみてくださいませ
★文房四宝蒐集も流行ったんですって
   中国への憧憬は絵や文字だけではなくて、それを生み出す筆・墨・硯・紙
   の蒐集という形でも表現できたようですが、私が気に入ったのは、江戸後期の
   文人画家 浦上春琴の愛蔵品の《双鵞硯》を含む文具一式とそれを入れる箱。
   箱の題字は幕末の志士・文人山中信夫翁、蓋裏は頼山陽の次男の鑑識、更に
   箱側面に可愛い鵞鳥図が描かれているけれど、これが富岡鉄斎というんだから
   贅を尽くしてるなぁ。というか、茶道具とかもそうですけれど、箱書きは勿論
   仕覆とかの生地まで何重にくるんで大切にする昔の日本人の美意識というのか
   その洒脱さというのか、それが凄く好きなんですよねぇ。。(クローズアップ
   した写真は撮れないので、是非会場でじっくりご覧ください。あとミニガイド
   ブックにも写真アップされているから、是非お買い求めください。←回しもの
   のように書いてますが、これほんとお得ですんで。)
右の軸の下にある文房具セットと富岡鉄斎の絵が施されている箱

★ 初公開の《虎図》は若冲に影響与えた?
《虎図》

龍は雲を呼び、虎は風を呼ぶということで、龍虎を描く作品は昔から多いわけなので、この特定の作品が本当に若冲に影響を与えたのかと言われると、いくら解説で毛描きが一定方向でない事が若冲の描き方に影響を与えたと言われても俄かに信じる事ができないのではありますが(すみませぬ)、まぁ、明らかに若冲が学習した元の作品は宋の時代のものだったので今回は展示できなかったという話は信じます。(笑)
 
《花鳥図》
★ 狩野派に影響を与えた《花鳥図》 
一方で、この解説があった日にはまだやっていた(すみません)サントリーの狩野元信の展覧会でも似たような作品があったよね、と解説を聴いて思い出したくらいで、構図とか、選ばれた花鳥のイメージ(あくまでもイメージですね、きっと個別に観ると全く違うかも)がいかにも狩野派的、いや、オリジナルはこちらの方なのでしょうが、に見えてくるから面白いです。
私の中の固定概念がカチコチなのかもしれないけれど。

この他流派の違いや、これまた冒頭に触れた李日華の《牡丹図巻》等の解説は楽しかったけれど、会場内の解説も丁寧なので、先ずは会場に行かれて、どんな絵に当時の日本人が憧れ、マネしようとしたかを見てみるといいと思います。






こがれの明清絵画~日本が愛した中国絵画の名品たち~
静嘉堂文庫美術館   http://www.seikado.or.jp/guide/index.html
会期:2017年10月28日(土)~12月17日(日) 休館日:月曜日
開館時間:午前10時~午後4時30分(入場は午後4時まで) 

2017年10月9日月曜日

【FB投稿 #美術館に行った シリーズ】 サントリー美術館 狩野元信 むずかしいわーー 書体 ならぬ 絵画書体なのか?

今日は「岡崎体育の日」らしいけど、英語風の歌も歌わず、運動もせず、朝イチで日曜美術館アフターマスにやって来たら「ミニ掛軸作り体験」チャンスに遭遇し、体験好きの本領発揮することになったと言うオチ。
自動代替テキストはありません。
(真体、行体、草体言われても区別の仕方が難しすぎてギブな元信)
自動代替テキストはありません。
ラストフラワーズ見るから帰るー

追記:
①もう一度勉強するために行こうと思ってたのに、あっという間に会期終了。。嗚呼。
②掛け軸の勉強した筈なのに、それもあっという間に忘れる。。。。嗚呼2

2017年10月8日日曜日

【FB投稿 #美術館に行った シリーズ】 出光 江戸の琳派芸術 想いが溢れていたのに。。。

個室でのヘッドスバを含め約三時間弱、新人の美容師さんが練習に入ってくることも、それが竹内涼真ではなかった哀しみ(爆)をも超えて、ちょっと時間ができたので、寄ってみたら、今朝日曜美術館で取り上げられてた、とは!
そんなわけで若干混んではいたけど屏風などの大物が多いせいで、観難いということはなく、ホッとしたわ。
でも、これから、どんどん混むと思うので行きたいかたはお早めに!
抱一と其一中心ですが、色々な思いと感想が溢れそうで、久しぶりにblog書こうかなと思う感じでしたけど、格安な図録購入を思い止まった!◀️自分を誉めたい!ついでに他にも買いたかった雑誌も留まった!◀️本と雑誌に埋め尽くされる家の整理は出来てない!◀️おいっ!


#美術館に行った
#竹内涼真のファンではない
#モニタリング


追記:すぐに書かなかったので結局このままでアップします、すいやせん。
思い出したら書く・・・(有言不実行の可能性大)