2013年3月20日水曜日

若冲が来てくれましたープライスコレクション江戸絵画の美と生命

いや、若冲に会いに行きました・・・・仙台まで。

先日、コレクターのプライスさんの生ボイスを聞きに丸ビルまで出かけたわけですが、http://pikarosewine.blogspot.jp/2013/03/90-12-3-lacma-http-en.html
勿論、話で終わらせるつもりもなく、二時間半強で行くことのできる仙台市博物館から東北を巡回し始めているプライスコレクションに会いに行ったというわけです。



この間のトークを聞いたときには《動植綵絵》シリーズの一部でも見られるのかと、早合点してしまっていたのですが、残念ながら、それはなし。(去年DCに行けば見られたのですね。。。残念。。)
2006年の「プライスコレクションー若冲と江戸絵画」と8割がたは同じ絵画が展示されていました。
でも・・・同じ絵でも見せ方や切り口を変えると、おんなじものを見た!・・・で終わらないのが展覧会の面白さ。
前回はプライスさん言われるところの自然光の環境で見ることはできないまでも、コンピューター制御で太陽光から月明かりへと移り変わる照明を備えた特別展示室まで設けて、昔ー江戸時代での鑑賞状況に近づけるという工夫が、非常に印象的だったわけですね。
章立ても
Ⅰ 正統派絵画
Ⅱ 京の画家
Ⅲ エキセントリック
Ⅳ 江戸の画家
Ⅴ 江戸琳派
という分け方。

コレに対し、今回は前回より10点ほど少ないけれど、前回にない20点を加え、更に「国内賛助出品作品」と言って、国内の美術館から特別に出品されている作品もあるので、結果的には前回よりもトータルでは多いのかな?
・・とはいえ、会期中を4つのピリオドに分けての展示なので、見ることのできない作品もあります。(4回通ウノハ難シイケド、岩手ト福島ニモ廻るからなぁ。。。ブツブツ)

数はともかく、今回は図録によると、復興を担う未来のオトナ=子供達にこそ、見てほしい(スミマセンオトナモ楽シマサセテモライマス)、との意図もあり、章立てにしろ、絵のタイトルの見せ方にも工夫があります。図録も見返し部分には東北の子供達の写真が。
1 ようこそプライスワールドへ
  (1)目がものをいう
  (2)数がものをいう
  (3)○と△
2 はる・なつ・あき・ふゆ
3 プライス動物園
4 美人大好き
5 お話きかせて
6 若冲の広場
7 生命のパラダイス

ま、ちょっとタイトルなどがひらがな先行なので、頭の硬くなってしまった私には、どうも普通の展覧会と違って、ついていくのがちと辛い部分もありましたが、子供にもわかりやすいような解説もあり、すっかり忘れていた作品の良さを満喫できる良い展覧会でしたねぇ。

祝日といいながらも、東京のように激混み環境でもなく、しかも「若冲に会いに来た」仙台近郊の方々ばかりで、鑑賞の雰囲気もよく、常設を含め午後13:30過ぎからなんと閉館間際の16:45ギリギリまで居たことにビックリするほどでした。

さて、その中で、今回改めていいなぁーと思った作品たち。(結構沢山あるなぁ)

まずは若冲以外の絵師たち

<のし歩くシャモ>・・・・正式名は≪軍鶏図≫ 芦雪 ・・解説によると地の紙が貼りあわせてあるところから。下絵か試作で書かれたというんだけど、試作だろうが、下絵だろうが、真剣勝負で描かれている感じ・・・というか実に不敵な表情を浮かべていて、その表情がいい。これから戦いに挑む感じなのかなーと思わせられていい絵です。


<岩から下をのぞくサル>・・・・正式名≪岩上猿猴図≫ 渡辺南岳 ・・恐る恐る崖の下を覗く表情と、その崖の下を想像させる空白が素晴らしい。

この猿以外にも森狙先という人の二作品がこれまた良いのですよ。
<ハチを見上げるサル>     ≪猿図≫ これはプライス夫妻が火事の際一点だけ持って逃げるとしたら、コレ!と指定している作品。どうして好きなのか、どのようなシーンと読み取るかについても含め図録に詳しく書いてあります。蜂をほう、猿は猴(こう)とも書き、音でいうと封候(ほうこう)に繋がるので、出世につながる縁起の良い組み合わせだということは絵の脇の解説に書いてありましたけど、そのことはプライスさんが好きな理由ではないようですね。

<梅の木であそぶサルの親子> ≪梅花猿猴図≫ 親子でぶら下がるには細い梅の枝につかまって、片手でひょいと虫を捕まえている姿がなんともいいデス。



動物の章もあるくらいで、どの動物も生き生きしている(たとえトラがネコみたいな顔でもね。)のですが、印象的なのは
<野をかけまわるウマたち> ≪野馬図屏風≫ 蕭白
蕭白のぐちゃぐちゃ(スミマセン)これでもか、と線を重ねた、ともすると画面の煩い作品は、その技巧については認めるものの、あまり好きになれないことがあるのだけど、濃墨で勢いよい筆致で大胆に描かれた作品はとっても好き・・・な私にはぐっとくる作品。これは、前回の東博では出ていなかった作品ですね。
珍しく?金箔地に大胆な筆致でささっと描かれたような感じなのですけど、馬の動きが映像のように感じられます。やっぱり蕭白は巧いんだなーと改めて思ってしまいます。


おそらく今回の展示の中で一二を争うくらい好きなのは、
<雪の夜の白いウサギと黒いカラス>   ≪雪中松に兎・梅に鴉図屏風≫ 葛蛇玉
この六曲一双の屏風はちょっと奥まったところに、これだけが展示されていたのですが、たまたま後ろからやってきた若い女性が「見てると寒いねー」と言うのが聞こえました。なるほど、確かに漆黒の地(夜)に白い雪がわんさか降っている感じが良く伝わってくるし、確かに「寒さ」まで絵から感じられる。何故兎が木に登っているかの問いには答えられないけど、漆黒の闇と白い雪、そして白い兎と黒いカラスの対比がとても面白く、空気の冷たさまでが感じられるいい屏風です。

そして、今展覧会で3点ある(うち、今回は二点)「描表装」の真骨頂のような鈴木守一(其一のムスコさんなんですね)の <秋の草花> 《秋草図》
左が前回の図録で、右が今回、
今回の方が子供向きにはなってますが。。。

前回も出ていたのに、全然記憶になかったのは迂闊でした。
実に洒脱で、しかも丁寧に描かれた風帯や一文字(この中に金泥で軍鶴が描かれてるんですね)。風袋の間をひらひら飛ぶ黒アゲハは少々大きいのではないかと思う一点だけが気になるけれど、萩の上でモンシロチョウを待ち構えているカマキリ・・・周りを取り囲む天地の地まで飛び出した草花・・秋海棠・露草・紫苑の配色、たらしこみで描かれた葉など、正統江戸琳派の美しさを堪能できる作品で、大変気に入りました。

ま、このほか挙げていたらキリがないのだけど、鈴木其一で言うと≪青桐・紅楓図≫の雨の表現や≪群鶴図屏風≫・・・どうしても右隻の第二扇の鶴は餌の虫を銜えているようにしか見えない。。けど単なるゴミなのか?は気になって仕方ありません。
是真の漆絵の≪鷹と猿図≫も、山種で、波頭の絵をみたばかりだったので、すぐにそれとわかり、なんだか嬉しかったし、鷹の爪に捉まれた猿の表情も面白いです。

そして若冲からは・・・
<ニワトリの親子>  ≪親鶏と雛図≫  筆の勢いがよくて好き
<波打つ岩のワシ> ≪鷲図≫       迫力満点
<日の出を告げるオンドリ> ≪旭日雄鶏図≫ カラフル且つ構図が好き
<オンドリとバショウの葉> ≪芭蕉雄鶏図≫ 後の方に弟子が同じように筋目描きで芭蕉の葉を描いているけれど、圧倒的にいいですね、こっち。
<雪のつもったアシとオシドリ> ≪雪芦鴛鴦図≫  雪のつもった感じや、水中に顔を見せる鴛鴦の表現が好きですね。。
<よりそうツル> ≪群鶴図≫ これは他にもあるように金泥を使わずして裏箔で金に見せているんだろうなぁ。
<ツルさまざま> ≪鶴図屏風≫ 卵のような形を墨でしゅっしゅって描いただけ・・・みたいなかるーい軽快なタッチ。。。なのに、与える印象は深いですね。

あれー?ポスターになっている
<アジサイの花と二羽のニワトリ> ≪紫陽花双鶴図≫ や
<足をなめるトラ>  ≪虎図≫
を除いても、気になった作品がこんなにあっちゃぁ、時間がかかるのもむべからぬですね。

そして最後に、もちろん
悦子夫人が、これだけでも東北の人たちにお見せしたいと思われたという
<花も木も動物もみんな生きている>  ≪鳥獣花木図屏風≫
凄く近い距離で、しかもガラスケースなしで見ることのできた作品でした。確か東博の時はこの作品はケース入りしていた記憶が。。(他の作品でケースなしがあったかと。。)

この間のトークでも話題になった12ミリ四方のマス目が8万六千個ある・・・ことは確認しませんでしたが、縁取りがペルシャじゅうたんの柄・・・という確認はできちゃいました。展示されていたんです。

そして、図録には載っていなかったのだけど、この屏風の中にいる動物達の数も半端ナイ。

最初一生懸命メモしていたら、係りの人がこのパネルなら写真とってもいいといってくれてホっ。
でも右隻は書いたから記憶に残るけど、左隻は書き留めていないんで、写真だけだとあやふやになりそうですね。

図録の対談にも書いてありましたが、本当のプライスさんはコレクターでありながら、それを自分のものだけにせず、どうぞどうぞ、と見せてくれるgenerocityの塊のような方だということですが、そのおかげで、東北の子供達でもない私たちも、素晴らしい作品群に再び再会することができたわけで、本当に感謝です。

2013年3月17日日曜日

【終了後感想文】絵文字のルーツがわかっちゃったかも・・・・・特別展 琳派から日本画へ―和歌のこころ、絵のこころ 山種美術館



バタバタとしているうちに次の展覧会が始まってしまいましたが、前期・後期ともに伺いましたので、感想文をば。。。
(まっ、副タイトルの通り、時系列関係なくアップしようという試みですんで・・・と開き直ってみる。。。汗)
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琳派とタイトルにあるだけで、心躍り胸ふくらむ気持ちが昂じるのは何故なんでしょうねぇ。
擦り込み?
光悦―宗達、光琳―乾山という突然のように現れた豊かなデザイン性と装飾性に溢れた天才たちとその系譜が見られるとあれば、何度見た絵であろうと見に行きたくなるのです、むずむずと。。

前期のスタートは宗達―光悦コラボの≪鹿下絵新古今集和歌巻断簡≫からスタートします。
真ん中のちょっと斜めったようなポーズの鹿の周りに和歌の句が書かれていて、なんだか
パッと見はバランスどうよ、と思うのだけど、それでも・・・一度見るとそのイメージが脳裏に
こびりついて離れないんですよね。派手な色使いはなく、金銀泥と文字の墨の黒だけなのに。
まぁ、これが宗達-光悦コンビの底力という感じなのかなぁ。表装も美しく、この断簡部分をより際立たせていた。。。からなのかもしれませんが、後期に鹿が蓮になり歌が百人一首になっても、鹿のイメージのほうがより強い印象でした。
山種美術館FBサイトより(以下引用させていただいた写真は全て山種美術館のFBサイトから)


それに引き続き古今集(通切)、石山切(貫之集)和漢朗詠集(戊辰切)の軸が続きます、
字もきれいでないし、書道は苦手なので、文字の美しさは感覚でしかとらえられないのだけど、料紙については、随分昔にカラフルな型文様の雲母(きら)刷で切箔とか砂子が美しく撒かれた国宝《古今和歌集(元永本)》をトーハクで拝見して以来、料紙の美しい歌集や、その断簡等を見るのが楽しくて仕方がないのですよ。
元永本ほどの豪華さはないにせよ、今回拝見した石山切も切箔やちぎり箔で千鳥などの柄や、蓮の花、唐草、龍や麒麟?といったデザインが地紋としてきらめいているわけなんですが、更に藤原定信という人の美しい文字が流麗でうっとりしちゃいます。それなのに運筆が早く早書きだったとの解説(音声ガイドは後期のみ聞きました)を聞いて、昔の人は(この書画そのものは12世紀頃のもの)本当に書をよくしたのだなぁ。。と感心するばかり。
ちなみに右肩上がりのこの字形は「世尊寺流」という書き方なんだそうです。


きれいな字といえば、枕草子で中宮定子が絶賛したという藤原行成の手になるといわれる《伊予切(和漢朗詠集)》にも出会えました。二色の料紙の砂子地に書かれた文字は小野道風の書風との事で確かに美しかったー。

後期には異なる紙を継ぎ合わせた・・・ってどこをどう継ぎ合わせたのかすら素人の私にはわからなかったけれど、川の流れのような青い色やピンクっぽい色の帯が紙の右中央から左下のほうに斜めに、スタートは細く、左側に向かって太くなっているとても品の良い料紙に書かれた《石山切(伊勢集)》というのも展示されていましたが、今回の発見は、上のような金銀箔や砂子がきらめいていなくても(いや、それはもううっとりの美しさですけれど)こういった品のよい料紙も沢山あるということ。


前期には、大きさという面でも、色目という意味でも(たなびく青い雲のような文様なんぞ歌を邪魔しないか?と思ったりもしますが)かなーり大胆、でももしかすると、この大胆なデザインのおかげで連歌というイメージが非常によく伝わってくるのかもしれないとも感じさせられた里村紹巴《連歌懐紙(部分)》が展示されていました。宗達の鹿下絵断簡と同様に、一瞬バランスの悪さを感じてしまうのだけど、あとで振り返ると、イメージがしっかり残るという感じです。



後期の同じ場所には、更に大胆?というか、面白い展示がありました。これです。後陽成天皇による《和歌巻》。これ↓ですね


和歌の中にあった「桜
」と「時鳥」が絵文字になってるーー@@;。




後陽成天皇は16世紀秀吉の政権下朝廷の権威回復に努めた和漢学問に造詣深く好学で、日本初の木製活字による古典を出版した天皇という事ですけれど、今だったらLINEのスタンプをJKと交換しちゃう感じ?のお茶目な天皇ですねぇ。。でも、このほうがずっと粋、そして一筆で描かれた絵の美しさ。
金泥でたなびく雲のような下絵のある料紙に映える文字も近衛信尹に学んだ流麗な筆致。

このお茶目な(・・・って勝手に言ってますが。。)天皇がこうやって書を残してくれたおかげで、500年近く前に絵文字のルーツがあった、ということがわかる訳ですね。根付がケータイのストラップに代わって今に生きているように、日本の文化は姿を変えながらも脈々と伝わっていくんですねぇ。なんだか嬉しくなってしまいました。

粋といえば、本阿弥光悦の《摺下絵古今集和歌巻》も遊び心満載です。
巻物を巻いた状態では裏面の松が見え、巻子を開くと竹(孟宗竹のような太い竹)、梅、芍薬、蝶、ぬひ、芝、蔦、竹、藤と下絵の絵柄が続くそうなんですが、前期は最初に開いたところに見える竹の部分と紙背に摺りだされた松葉が見えるように展示されていて、なるほど「松竹梅」とめでたさを演出しているんだわー、と思わす微笑んでしまいました。
このデザイン豊かな画面構成、モチーフをリズミカルに繰り返すスタイルは琳派の代名詞的な構図法として継承されていったということですが、こうやって見ていくと、光悦という人なしには宗達もあれほどまでに輝かなかったのではないかと思ってしまうんですよねぇ。そして宗達が輝かなければ雁がねやの兄弟(光琳・乾山)も・・・と思うと光悦の存在の大きさを感じます。

さて、宗達の国宝の屏風といえば、建仁寺の《風神・雷神図屏風》がまず頭に上りますが、静嘉堂にある《源氏物語図 関屋・澪標》も国宝なんですよねー。その同じタイトルの屏風、しかもですよ、色合いと山の表現に若干の違いがあるだけ、という個人所蔵の稀品なんだそうです。

その違いも含め、いつかどこかで(静嘉堂カシラ?)横に並べて比較展示して欲しいにゃー。図録だけではわかりませんものね。

さて、すでに長々と感想を書いている「第一章 歌をかざる、絵をかざるー平安の料紙装飾から琳派へ」の展示は、感想を書ききれていない作品も含め、個人的にはもう(うっとりー)の世界に入り込んでしまう訳であります。

残念ながら・・・・「第二章 歌のこころ、絵のこころー近代日本画の中の琳派と古典」に進んでいくと・・・ぐっと、冷めた目で見ちゃうんですよねー。ゴメンナサイ。
この違いは何なのだろう。。。

さはさりながら、印象に残った作品は、というと
横山大観《竹》・・・裏箔の美しい絹地の網目から透ける金色が竹の間から仄かに光を放っていて、自然光の下で見たらどんな変化を見ることができるのかしら?とワクワクしてしまうような美しさですねぇ。解説によれば岡倉天心が推進した古典模写事業に従事した集大成ということなんですが、琳派にならったというより、先日見に行った應擧の作品に構図が似ている?と反芻しています。印象はこちらの方が伸びやかで若い感じがありますが。。。デモ、ソレジャ琳派ノ系統ジャナイジャン。。
ま、敢えて言うなら竹が天地で切れているってことが琳派風?



菱田春草《月四題》・・・この人の没骨法とたらしこみを駆使した朦朧体の真骨頂的な作品。実に美しい。幻想的な月と桜・柳・葡萄・梅の静謐な世界は、ぐーーっと引き込まれてしまいます。特に秋のたらしこみで描かれた葡萄は葉の色が見えてくるような錯覚を起こさせるくらい。これが重文とかの指定がないのがフシギなくらい、(ってか国宝とか重文とかの基準もよくわからないけれど。。)な気持ちにさせられるほど、私にはうっとりさせられる作品です。この作品の翌年に亡くなってしまうんですよね。


速水御舟《紅梅・白梅》・・・右幅の紅梅は老木で画面の下の方にどっしり(といっても、細いですけどね)、古木らしい硬枝振り、薄墨でぼかした空気の先に左幅の白梅の画面が連続しているような構図が念入りに工夫されてます。二幅の間には冷たい夜気が降りている感じが画面から伝わってくるなぁ。。
そして左幅の白梅は若木であることを示すようにほそーくしなやかな枝振り。ぐんと上に伸びています。まだまだ成長するぞ、という感じ。
彩色は紅梅を表す朱と白梅に使われた胡粉の白、めしべ・おしべに使われている金泥と抑え目なのに装飾的であること・・・が、琳派研究の成果なのだそうですけど、それが琳派風なのか?と言われても、ホントのところ、見るほうにしてみれば、そうなのかー、程度のように思えるんですけどねぇ。。まぁ、日本画を志す人はどこかの過程で、先人の技術や構図を写し取ることをされているでしょうから、何某、琳派風であったり、狩野派風であったりするんでしょうけど・・・。この絵が琳派風であってもなくても、見るものを引き付けることには変わりがありませんね。

琳派研究なり、先人のスタイルを模倣しつつも自らのスタイルを追求する試み・・・という面では川端龍子の《八ツ橋》と加山又造の《千羽鶴》の屏風絵が前期と後期に分けて同じ場所に飾られていました。
《八ツ橋》は日本絵画におけるお約束の伊勢物語のモチーフということもいえるけど、やはりずばり光琳に真っ向から向き合っているというイメージですよね。その正面からむきあっているところが、評価できるけれどちょっと画面が煩いかなぁ。。。川端龍子はもっと良い絵が沢山あるのに。。。というのが正直なところ。
酒井抱一の《燕子花図屏風http://pikarosewine.blogspot.jp/2006/09/2006917-40030015066.html
のようにもう少しひねってくれると、研究成果を自分のものにした、っていう感じなんだけど。。。

その点、同じように画面一杯に展開されている《千羽鶴》はその展示の手前の低いガラスケースの中に、宗達ー光悦コンビの《四季草花下絵和歌短冊帖》があって、その短冊群の左端の《浜松》に、波・千鳥が描かれているんですね。











これを見ると、完璧にこのモチーフをいただいちゃってるっていう感じで、挑戦というよりはもう最初から白旗上げたうえで、自分のものにしているっていう感じを受け、こちらの方が好感を持てちゃいます。ま、いつも山種美術館に伺う際に、陶板にした同じ《千羽鶴》のお出迎えを受けているから、そう感じるのかもしれないけれど。


そんなわけで、やはりどうしても古典に軍配を上げたくなる「保守派」の私ですが、十二分に楽しむことができました。



2013年3月16日土曜日

キャパは二人なのか、やっぱり一人なのか・・・「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」


きゃー、また会期末近くになっての感想文になってしまいましたが、先週 漸く「みなとみらい」の横浜美術館で開催されている(24日まで)「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展に足を運んできましたー。

仲間うちの評判が良いので、ブログやらを斜め読みして、「そうか、キャパというひとつの名前で二人がそれぞれの写真を発表していてタローが死んでからその名前をアンドレが独り占めして継承したのか・・」と早合点していたのですが、展覧会に行って、そりゃ違うな、とわかりました。やっぱりちゃんと自分の目で確かめることは大事ですね。とはいえ、美術館の展覧会概要にも、二人が創り出した名前であることは書いてあっても、二人がその名前で発表していたとは一言も書いてませんものね。おっちょこちょいの私。(汗)

世界で最も著名な写真家のひとり、「ロバート・キャパ」ことアンドレ・フリードマン(1913年生/1954年没)が生まれて今年で一世紀が経ちます。しかしこの「ロバート・キャパ」という名が、当初フリードマンとドイツ人女性ゲルダ・タロー(本名ゲルタ・ポホリレ、1910年生/1937年没)の二人によって創り出された架空の写真家であったという事実は、あまり知られていません。
1934年にパリで出会い意気投合した二人は、1936年春に「ロバート・キャパ」という架空の名を使って報道写真の撮影と売り込みをはじめます。仕事が軌道に乗りはじめてほどなく、フリードマン自身が「キャパ」に取ってかわり、タローも写真家として自立していきますが、その矢先の1937、タローはスペイン内戦の取材中に命を落とします。タローの存在とその死は、キャパのその後の活動にも大きな影響をおよぼしたといわれています。
本展覧会は、キャパとタローそれぞれの写真作品による二つの「個展」で構成されます。死後50余年を経てなお絶大な人気を誇るロバート・キャパと、その陰でほとんど紹介されることのなかったゲルダ・タロー。約300点にのぼる豊富な写真作品と関連資料によって二人の生涯と活動の軌跡を辿りながら、両者の深いつながりと個性の違いを浮かび上がらせていきます。
横浜美術館 公式サイト 展覧会概要より・・・

それはさておき、その二つの個展のタロー版が最初に始まります。
もともと、2007年にニューヨークの国際写真センター(ICP)で世界初となる個展「Gerda Taro Retrospective」が、開催・ロンドン等に巡回したものと同じ構成のようです。
真四角のローライフレックスで撮影されたタローの写真は基本的に低い位置から撮影され、広い空を背景にして人物を中央に配する構図が多いのだそうだけど、中で最も印象的だったのは、色々な職業の貧しい村人の人たちが思い思いの服装で一つの銃を共同で持って戦い始めたスペイン内戦の初期の頃女性兵士のこの写
http://digitaljournalist.org/issue0710/y_taro14.html より

 

屈んだ姿そのものが絵になっていることもあるのだけど、銃を構えているというのに、足元をみると太いけれどヒールのついた靴を履いているんですよね。これは私にとっては「新鮮な発見」でした。
戦況の悪化に伴って、前線の女性兵士の数は減ってしまったそうです。うん、ヒールじゃ無理だな。

スペイン内戦に係る美術についてはピカソの《ゲルニカ》がとても有名で、その悲惨さを強く印象づけられている訳なのですが、最期にはマドリードに程近いブルネテの前線に出向いていたというゲルダ・タローの初期の写真はとてもどかな感じがあって、ほのぼのさせられます。
スープを飲んでいる小さな戦争孤児の男の子をクローズアップで撮った写真も非常に魅力的でした

彼女の写真がキャパと同じ長方形のライカに変わっていく頃から、共和国政府(対するのはフランコ将軍率いる反乱軍・・・結果的にフランコ将軍の独裁時代が始まるわけですね)の戦況悪化と共に構図とユーモア・笑顔を失っていくという解説通り、戦死者の近くまで寄って撮る等、フロントへフロントへと突き進み、ある種の焦燥感のようなもの――余裕がなくなっていく感じが80数点の写真の流れを見て行くとよくわかりました。
そして、その焦燥感が戦況のなせるわざのみだったのか?という疑問を持つにいたったのは、アンドレ・フリードマン転じたロバート・キャパの写真を見てのことです。

というか、写真の内容に入る前に、解説を読んで凄いなーと思ったのは、横浜美術館には彼の弟さんの好意によって193点もの作品、更にいわば原版ともいうべきオリジナルプリントを相当数保有しているという事実。何故、弟さん(コーネル・キャパ・・・弟だってフリードマンだったろうに、名前変えちゃったわけね。。)が寄贈してくれたのか、そんな「いきさつ」も解説してほしかったなぁ。(図録買わなかったけれど、どこかに書いてあるのかしら?)

それはともかく、タローの焦燥感の原因について、私なりの分析。(・・というほどでもないけど。)

どこかのレビューで、「ちょっと残念なのはキャパとゲルダの写真がまったく別の部屋に飾られているので、できれば並べて見たかったと」と書かれていましたけれど、プリントではないにせよ、ちゃんとキャパとタローの年表と共に、同じ場所で撮影された二人の写真のパネルが寄り添うように展示されていたんですね。(ソノレビュー書イタ人、現場ニ行カズニ図録ミタダケデ書イタンジャナイカ疑惑。。。)
それを見ると、私の目には圧倒的にキャパの撮ったアングルやフレームの方が迫力がある・・・一枚の写真を除いて。

例えば、タローはマラガ(ピカソの出身地ですね)からの難民達を全体像として撮っています。難民の人たちが、ひとつの部屋に入れられていて、これからの不安な日々を憂えている雰囲気が伝わってくる上質の群像写真です。


(この写真はちらしに載っていた写真をトリミングしています) 

同じ場面で、キャパは慟哭の表情ををして立っている女性を横からクローズアップで捉え、そのスカートの後ろから、私がママを守るとばかりな強い光を放つ目をした少女がカメラを見据えているんです。


私にはタローの写真より、迫真を持ってこれからの難局に立ち向かうオトナとコドモの不安と決意を訴えかけている対比のあるストーリーを問いかけているように思えたわけなんですね。
どのような角度から捉えるかによって印象が違うので、どちらがいいというわけではないけれど、キャパの一瞬の表情を捉える力は凄いですよね。

タローにカメラを教えたのもキャパだった事を除いても写真の構図や撮るタイミングって、やっぱり、撮影者の天性の「眼」がものを言うから。。。(ト、イツモ自分ノ撮ル写真ノダメダメサヲ呪ッテイルノダ)

ゲルダ・タローという人は、そのタローという名前も岡本太郎から取った(本名はポポリレ)り、それが、ユダヤ人とわからぬようにする目的があったとしても、キャパの名前をプロデュースしてみたりと、ネーミングや売り込み等には子供好き(写真家として)で素朴な(勝手なイメージですが)なキャパ(アンドレ・フリードマン)に比べて才能溢れていたと思います。

ですが、写真家としてみた場合、もちろん彼女も十分優秀なんだけど、その瞬間を捉える力や構図取り等、微妙なタッチがキャパに敵わないと彼女自身感じていたのではないか、だから、フロントまで出ていって、危険な位置取りで撮影するというアグレッシブな手法で彼を上回る写真を撮りたいという欲望を出していき、構図に注意を払う余裕がなくなってしまったのかも。。等と勝手な想像を加えております。あくまでも想像の世界ですがね。

一枚の写真を除いてと書いたのも、キャパとしての出世作として知られる《崩れ落ちる兵士》だけが、
http://digitaljournalist.org/issue0710/x_capa_taro12.html より

他のキャパの写真からみるとその微妙なタッチを失っているように思えたからで、それがタローの撮影した写真説(沢木耕太郎さん)なんかを読んでしまうと、我が意を得たり・・となりかねないので、自重しますがね。それに、当時彼女が使っていたのは正方形のローライフレックス・・・だから、この作品はキャパのものと認定されていたはず。。
あっ、勿論、この写真が真実を撮影したか否かの議論やキャパかタローかという議論をよそに、この写真の構図は大変印象的で、(たとえ微妙なタッチが失われていたとしても)素晴らしい写真であることには違いがありません。念のため。

ただ、車のステップに飛び乗って脇から戦車に衝突されて亡くなるという劇的な死を遂げたタローの一生はあまりにも短く、また、その死を反ファシズム運動の殉教者として政治的に利用しようとする人たちを巻き込んでお葬式だけは数万人も集まったそうだけど、その後は忘れ去られてしまったというんですね。そうだとするとやはり、それまで有名であったのはその写真の質ではなく「勇猛に戦場を駆け巡る左翼系カメラウーマン」であり、その役目を終えたら作品は残らなかった。。という事になってしまって、「崩れ落ちる兵士」がタローの作品として世に出ていたら、ちょっとは違っていたのか・・・との想像もし、ちょっと残念でもあります。

しかし、同じく最後は戦場で地雷を踏んで命を落とすことになるキャパの力強い作品を一枚一枚みるにつけ、やはり、有数の報道写真家・・敢えて戦場カメラマンとは書かない・・としての実力をヒシヒシと感じます。特に人物の表情が実に自然で、そして一瞬の表情に被写体の性格や気持ちを捉えて切り取っている。今みたいに簡単にパチリとシャッター押して撮れる時代でないはずなのに。。。。
この↓写真


だってタローが亡くなった後もスペイン内乱を撮り続け、最後は共和国軍が解散する(つまりは負けたということ)にあたっての共和国軍兵士のなんともやり切れず哀しさあふれる表情を捉えて涙をそそります。

この人が映像写真家(ムービーですね)になりたかったという話も含め、決して戦場カメラマンとして生きたかったわけではなく、金(といってしまうと身も蓋もないけど)や売り出す為の手段として使った戦場での写真が、また質がよいが為に次を求められるようになって、心ならずも、戦地に赴いたのではないか・・とまで考えてしまう。。(実際のところは自伝も読んでないからわかりませんが)ほど。

金と思っちゃうのは日中戦争の写真が中国よりのプロパガンダ写真だったりするからですけど、戦場での写真より肖像写真に、この人本来の伸びやかさを感じるから・・特に、地雷を踏んでなくなる直前の日本での写真は名所旧跡には目もくれず人をとっていた、ことからも、この人の興味は人・・・でも有名になってしまって、戦場という場での報道写真を求められてもいたから、そのフィールドの写真を撮り続けることになったのか。だから彼にとっては、凄惨な殺戮をするのも人という切り口での報道写真なのかなぁ。。と感じさせられました。(だから戦場カメラマンと書かない)ま、これも勝手な想像ですが。

とはいえ、この数多くの残された写真の中からロバート・キャパという人、或いはゲルダ・タローという人の心の中を想像する事ができるのもこの写真展の力なのかもしれないですねぇ。

常設展でも戦争の場での報道写真を撮っていた人たちの写真が展示されていました。
丁度、出かける前に沢田教一のピュリッツァー賞を受賞した写真の被写体となった家族に俳優玉木宏が会いに行くという番組を見たばかりだったので、常設だということもあり、これは写真を撮らせてもらいました。

この写真も素晴らしいですが、戦地に赴いて前線で写真を撮る人も最期はつらい。。沢田教一は、タローやキャパ同様戦場で命を落としたんですよね。

キャパの最後の写真(本当はカラー写真が最後だったので最後から二番目の写真)はフィルムロールの右端の黒い部分をわざと残し最後のコマ11がわかるように現像されています。キャパが写真家の権利を守るべくアンドレ・ブレッソンらと設立した写真家集団(会社?)マグナムの同僚(とでもいうべき)モリスが哀悼の意を込めて現像したものだそうですけど、その黒い部分の先は永遠に戻らなかったキャパの命を表し、11番は戦場であったインドシナのちょっとのどかに見える風景で終わっていました。でも、その風景のあちこちに(今も残るといわれているけど)地雷が埋めてあったんですよね。嗚呼。




2013年3月10日日曜日

まじめな人なんだなぁ・・・・・会田誠展ー天才でごめんなさい

いや、私自身は今までの作品を見ていても、そんなに酷いとは思っていなかったというのが正直なところなので、サポーター募集のちらしを見たときから、この展覧会に注目していて行くつもりではいたんですけどね、森美術館は夜やってるから、夜空いている日に行こう、行こうと思いながらも、強烈な抗議がなされているなーんて話を聞いたせいか、来週にしようとか、いや、その次の週にしようとか、なーんか、行くのをすこーしずつ、遅らせていたという感じで。
(そのせいで、東山魁夷の《道》を連想させる初期作品《あぜ道》
http://mizuma-art.co.jp/artist/popup.php?uid=0010&imgID=11

の展示期間が過ぎてしまってましたが。。。汗)

ぐるっとパス仲間のお誘いで、ようやく、来ることができましたー。


感想は。。。


①すごく面白かった。
②会田さんはとてもまじめなアーティスト。(デモ照レガ誤解ヲ招イテイル・・・・?!)


この二言に尽きます。なーんだ、やっぱり早く行けばよかったーーー。


ご本人は「おにぎり仮面」

を自称して《考えない人》(これだけは写真撮影OK)とか作ってみたり(こうやってみると弥勒菩薩のようなほっそりした体躯ですねぇー、でも台座は。。。。汗)、

西洋哲学に対するアンチ作品とでも言うべき作品を作られていますが、それはあくまでも表面的な「見え方」であって、その作品には、ご本人の意思か否かは別として、時代に対する洞察や強烈な風刺が内包されている、というかメッセージがびんびん伝わってくるように思いました。
それが、とても面白いと感じられるのです。

だって、比較的早い時代の《戦争画returns》のシリーズを見ればわかります。
もう戦争画・・と聞いた瞬間に、近美の戦争画が集まっているコーナーを思い出させられますが、たとえばあそこに展示されているレオナール藤田の《アッツ島玉砕》のような戦争という大義名分の下のリアルな殺戮絵を見ると言いようもない、虚しさと、悲しさと同時にあまり気持ちのよいとは言えない気分にさせられます。それが藤田の見事な筆致であったとしても、それが記録のためだとしても、南の島(フジタはサイパンの玉砕も描いてますからねー)でそういう事がつい(・・・デモナイカ)60数年ほど前に行われていた。
今のゆるゆるな脳天気ニッポン(コノシリーズ描カレタ頃ハマダ震災前デスシ。)人たちは、凄惨な殺戮の行われた南の島に嬉々として行くんだね、と言わんばかりに、箔のごとく貼られた○○パックのようなパンフレットの上に、その戦争の絵(といってもドリップではないけど、アクションペインティングのような色が重ねてありましたけど)が描かれている。

同じように感じさせられるのは、最初の部屋にあった、ピンクチラシ(しかも、今や懐かしい電話ボックスとかにベタベタ貼られていたような、名刺サイズくらのやつね)を箔に見立てた地の上に狩野永徳ばり(イイスギ?)の木が描かれている《鶯谷図》にも、今の日本・・というか都会というのかな、美しいモノも猥雑なものも全て一緒くたの中から、美を選んでいかねばならぬ現実を描いているのかな・・・なーんて感じたんですよね。
確かに、センセーショナルなモノ選びというか、ロリコン的な性愛やちぎれる肉体なんかが、まず視界に入ってきてしまうから、不快感を感じないというのはウソになっちゃうけど、それを超えた深さがあるように思います。

もちろん、同じ絵をみても、みんなが同じように感じる必要もなく、表層だけで、良い悪いと批判してもいいんだけれど・・・少なくとも《戦争画Returns》シリーズは、非常に深い。
水餃子のようなものの載せられた皿の絵に「許可」という朱印の押された《支那料理》なんて、そんな検閲の時代があったこと(いや、食べ物そのものにはなかったかもしれないけれど)、そういう悲しい時代に戻りたくないよね・・と強く思わざるを得ないし、くすっと笑いもする。
この部屋の作品はどれも非常に強いメッセージ性を感じるし、彼の好きでない(ラシイ)公募展なんかでは絶対に見ることのできない大胆かつ、インパクトの強い、しかも絵も旨い屏風絵だったりするわけで、もっと長くみていたかった・・

人によっては、会田さんの説明「戦争は抒情」という言葉から、戦争の犠牲になった人のことを顧みていない、と捉えるかもしれないけれど、私には、言葉はご本人の照れのようなもので、311の時の色々な意見のツイートを公平に並べた《Monument for nothing 4》と同じように、絵からは逆にその犠牲者への思いが強くなりすぎないように、批判の目を感じさせるように”作って”いるように思うのです。

だからこそ、今回の個展のために新たに描きはじめたという縦2メートル、横17.5メートルという大作《Jumble of 100 Flowers》だって、(標的の先のヒトを殺す(?)というゲームから発想されたそうですが)ゲームがどんどん先鋭化し、現実と仮想の区別がつかなくなっていることに対する警鐘のように感じるんですよね。標的にされた少女からは、少女がアンドロイドであるために血しぶきではなく、イチゴやら蝶々が飛び散る。
そこに救いを求めてるように思える。
それすらアンドロイドとはいえ、少女のハダカだからダメと言われてしまったらおしまいだけど。。。でも、電車の中吊りにだってそんなのが溢れている時代に、この展覧会だけがダメと言われるのもなーんか不思議。

抗議している人たちもいるのはわからんでもないのですが、そうだとしたら、その人たちは葛飾北斎にも抗議するのかなぁ。北斎はそりゃ、富嶽三十六景で見事な赤富士(《凱風快晴》)や波が砕けるしぶき《神奈川沖浪裏》だって描くけれど、春画も有名ですよね。
18禁コーナーの《巨大フジ隊員VSキングギドラ》なんて、よく言われるようにその北斎の春画がモトネタだろうとすぐに想起できるわけで・・・ご本人のいわれるように、狭い部屋でコソコソと見るから面白い・・・のでしょうし、そういうニーズがある、という事実に正面から向き合っているだけのようにも思います。ま、《イデア》という美少女という文字に向かっての朱印(音同じ、漢字違いの)は、さすがの私もちょーっとね、必要なことだったのかしらん、とは思いますが。。

個々の作品では、美しい料紙の巻物に何やらとんでもない言葉が並べられている《日本語》なんてのは、料紙の美に魅せられている私的には興味をひかれたりしましたね。
ビンラーディンに扮したご本人が、その作品を宣伝していたりするVTR、しかも、いかにも洞窟の隠れ家のようなつくりにしたダンボールの家の中にあるテレビから映し出されてたり、インスタレーションなんかもなかなか楽しかったし、大学三年生の時の作品《河口湖曼荼羅》は、早くからその才能があふれていたことを示す貴重な作品でした。《灰色の山》-サラリーマンの山の中に、一人色付きの絵描きのような人がいましたが、あれは洋の東西を問わずよく画家がやる「自画像」なのでしょうか?

いやー、100点以上という作品をすべてじっくり見たわけではないけれど、制作年代、メディアや表層の表現こそ違え、かなり一貫性を感じるものも多かったし、一方で、当然ながら、ついていけない作品もありました。(感想文的には、良かったものにはかなりのシンパシーを持って書いてますけどね。)

同世代の山口晃さんが絵師だとしたら、やっぱりこの人はアーティストだな。天才・・・かどうかはわかんないけれど。
とにかく、面白かった。

2013年3月9日土曜日

プライスさんの生ボイスを聞いてきた♪ー日本美術全集発刊記念スペシャルトークセッション 若冲奇想の系譜~それぞれの若冲体験


小学館創立創業90周年記念ということで昨年12月から刊行が始まっている日本美術全集、その第二回配本が若冲・応挙を取り上げているという事と、仙台から始まった東日本大震災復興支援 特別展「若冲が来てくれました」に際してコレクターであるジョープライスさんがいらしているということもあり大々的に(?)開催された『日本美術全集』発刊記念企画スペシャルトークセッション「若冲、プライスコレクション、奇想の系譜 ~それぞれの若冲体験~」登壇者、ジョー・D・プライス氏、狩野博幸氏 (同志社大学教授)、山下裕二氏 (明治学院大学教授)@丸ビルホールの抽選に当たったので、土曜の昼という、美術館めぐりには最適な時間帯を削って行ってまいりました。








プライスさんが、そのコレクションを寄贈し、建築費用も3ン分の一以上を寄付したという日本のどの美術館よりも東洋を意識させられるロサンゼルス郡美術館(LACMA)の日本館http://en.wikipedia.org/wiki/Pavilion_for_Japanese_Art


にもたびたび足を運び、そのコレクションの恩恵に浴したり、2006年にトーハクで開催された「プライスコレクションー若冲と江戸絵画展」でも、そのコレクションと見せ方に目を見張らされただけに、プライス氏その人のリアルな姿・声を聴ける事を楽しみにしておりました。






ツイッターのハシュタグは#若冲トーク・・・と知ったは良いものの、度々のアナウンスで、会場内での携帯電話の電源オフ(カメラ撮影禁止は勿論ですが)を言われると、同時進行では呟けない。。。ですよね?! リアルタイムで呟いていた方々は、何を使って呟いていたのでしょう。。。。(ギモン)






それはともかく、山下先生がモデレーターとなって、パネル方式での会話・・・とはいっても、日本語が中心なので、狩野先生のお話が多くなりがち。プライスさんは通訳を通じ、聞いたことが正しければyesの一言、この間の仙台もそうだったんですよねー、と山下先生が会場の笑いを取っていましたが、通訳を通じての事実関係が違うことに対しては、きっちり反論(笑)もされていました。






例えば、最初に若冲作品に出会ったときのエピソードを山下先生が解説したのを通訳を通じ聞いたプライスさん。訂正したかったことは、別にポケットにベンツを買うお金をつっこんで古美術商に行ったわけではなく、しかも、そこで、若冲とも知らずにあの葡萄の軸を買うことになった事。次に狩野先生も初めて若冲の魅力に触れることのできた大正15年の帝室博物館展覧会の図録「御物若冲動植綵絵精影」【白黒】で初めて若冲の絵に触れ、その古美術商に連絡をとったら、「今はない、でもあなた、お持ちでしょ?」と言われた、というお話。要は初めに名前ありき、ではないということ。お金持ちでフランクロイドライトのかばん持ちのような事もしていて、審美眼が若いうちからしっかりしていた、という事でしょうが、何故に帝室展覧会の図録と同じ図絵を見ることができたのかしら。。そんな話をもっと伺いたかった気持ちにはなりましたね。





それはともかく、この話につながる事としては、狩野先生が2000年に京博で、没後200年ということで企画した若冲の展覧会では、最初の部屋にまず解説を見ないで絵を見てほしいという看板を立てた話。そうそう。一般的に入室するとまず最初の部屋にひとがわーっとたかっていて、なかなか進まないという事ありますよね。混雑しているときは解説なんかすっ飛ばして、先ずは目に留まった絵(や工芸品・彫刻等)をばんばん見て、それから戻って気に入ったものをじっくりみたいクチの私ですが、(空いているときはその限りではないが)、怒られちゃったことがあるんですよねー、出光で、きっちり並んでいるおばちゃまに。つばの広い帽子のまま鑑賞していたり、においの強い香水しているなら、怒られても致し方ないと思うけれど、自由に見て歩くのに何故文句を言われなくてはならんのか!とこっちが怒りたくなることがあるくらいので、我が意を得たり!なご発言でした。


(あーすっきり。)


それはともかく、プライスさんの伝えたかったことは、「自然光が入る環境で鑑賞してほしい」。うつろう光の変化で絵の見え方が変わる、そんな情緒を大切にしてほしいということだと思います。確かに2006年のトーハクの展示でも、同じ屏風が昼の光と夜の行燈光で見え方が違うということで、何分かおきに、光を変えて展示してくれていたことを思い出しました。勿論、ソレだって人工光なわけで、彼の思っている完璧な環境でもなかったし、今度の東北でもそれは叶わないかもしれない・・・それが現代の限界なのはわかっておられるでしょうが、なるほどLACMAの日本館は外光を取り入れる設計ーー普通の美術館と雰囲気が違いますし、LACMAの他のビルとも違うーー障子を多用していて、光が和らいでいる環境の中で、軸絵が見られたりしていますから、その建築と内装についても評議委員として、アドバイスをされたのかもしれないなぁ。。そんな話も聞きたかった。


勿論、狩野先生のお話や山下先生のお話も楽しかったですよ。





例えば2000年の京博での展覧会直前に発見された菜蟲譜を舞台バックのスライドで全巻見せながら、最後の蛙の絵に至った時。山下先生が、この蛙だけが、他の詳細な描写と違って漫画チックになっているとおっしゃったところ、狩野先生が、実は同志社大学の先生の研究室の入り口にこの蛙の絵をプリントして学生が貼ってしまったこと、似てるからですかねぇーと笑いを取っておられましたが、それは、きっと初めて国宝・重文を選定する委員会にご出席されたときに天啓のように、この菜蟲譜が候補として挙がってきて、重文としての推薦をすることになった、という先生の若冲への(偏)愛をユーモアと尊敬をこめて貼ってくれたにちがいないですよ、先生。





菜蟲譜はこの秋の完成を目指して、現在修復中ですけど、丁度、修復に入る直前に栃木市立吉澤美術館で公開されていた時に見られた部分もその蛙を含んだ最終部分だった事を思い出し、個人的にも感慨深かったです。



それと、初めて(?)知ったこと。


鳥獣花木図屏風の升目は正確には12ミリ四方。これは京都の染色の技法での標準サイズをそのまま使っているそうで、且つ、屏風の周囲を取り囲んでいる柄はペルシャ絨毯の柄だとか。

尤も、このことは正確には2006年の展覧会の図録に「西陣織の下絵」から発想されたと書かれていたので、あれ?染色?と思ったわけなので、初めてなのは染色と聞いた事と12ミリ四方の事なのですが。

そのペルシャ絨毯そのものは祇園祭で使っているとかで。。へーそうなんだ。

で、祇園祭で若冲が下絵を描いたものではないかと言うんですね。応挙も描いていたかで、今も祇園祭りに使われているとか、へーー。。


後、皆がかなーりツイートしていたこと。

若冲はかなりお金持ちで普通では使えないような最高の画材(絵の具・絹・紙)をたっぷり惜しげなく使っていたというお話。

魚の目玉に漆を使っているという話。
まぁ私的には、その魚シリーズの烏賊が(スルメを食べたときみたいに)一部ちぎれていたり↑蛸の足の先に子蛸がくっついている↓・・・そのユーモアにあふれた描き方ーーあんまり若冲では、そういったユーモアにあふれた作品を拝見したことはないものですから、もし東北でこの絵が見られたらいいんですけどねぇ。。





後、プライスさんが一番最初、白黒の図録で見て感動したのが《動植綵絵》の中の菊花流水図だそうです。それを機会があるということで、とんぼ返りで、京都まで往復二日で出かけて見せてもらった(イイナァ、コレクターダトソンナコトモデキルノカ・・・)とき感動して、心ふるえ、さめざめと涙を流したというのです。

実はカラーのスライドで見た感じでは、そうなの?という感じなんですよねー、私。

これも東北で見られるのであれば、是非、その魅力を確認してみたいなぁ。。




最後に、狩野先生が若冲(ワカオキと呼ぶ人が2000年の頃は多かったとか)=プライスさんと思っている学生が多いというお話を披露したとき、プライスさん、いや私には絵は描けないからとおっしゃっていましたが、まんざらでもなさそうな笑顔を見せてくれました。


今回東北には無償で貸し出しをしてくださっているプライスさんの笑顔が本当にステキでした。

筆あとの魅力ーー点・線・面   ブリヂストン美術館の企画の勝利


風景画、人物画、抽象絵画といった主題やジャンルにかかわらず、どんな絵でも平らな面の上に一つまたは複数の色が塗られています。画家たちはきっといろいろなことを考えて筆を動かしたことでしょう。目の前の風景をできるだけ正確に再現してみせようと思ったかもしれませんし、自分の心の中の理想のイメージを何とかして表現したいと考えた画家もいたかもしれません。あるいは美しい色やかたちを並べて楽しんでいた場合もあったかもしれません。しかし、どんな場合であっても、画家たちが実際に画面に描いたり塗ったりするのは線やかたちであり、多彩な色です。たとえば、花の姿をできるだけ正確に再現しようとした場合でも、花そのものを作るわけではなく、かたちや色を使って実際の花に見えるようなイメージを実現しているのです。今回の展示では、そうした絵画表現の基本要素である色とかたちに残された「筆あと」に注意を向け、当館のコレクションから「点」、「線」、「面」の筆あとが特徴的な作品28点をご紹介いたします。
(ブリヂストン美術館の展覧会の説明文より)

収蔵品による企画展だし、と、うかうかしていたら、あやうく会期が終了するところだ。。。ということで、終了間際になっちゃったけれど、一時間ほどうかがってきました。
この企画は素晴らしかったです。
殆ど見たことのある作品だし、たった、28点だし点とか線とか面なんて当たり前だ、と思っていたけど、違いましたねー。
じっくりテーマに沿って、眺めてみると、新たな発見が次々と。(そりゃ、私が注意散漫すぎたからなのかもしれませんけどね。)

勿論、例えば青木繁の《海景(布良の海)》が、点描中心かといえば、一見そうとは感じられない、確かに中央の岩は点描風に描かれているけど、、と、少々こじつけかなぁーと思うような分類もあったけど、じっくり一枚一枚、その痕跡をたどることもまた新たな魅力を見出すことに繋がって、大変面白かった。

今回の新たな収穫は猪熊弦一郎の《夜の猫》。線の例だったのだけど、水溜り(のようなもの)に反映した猫の影まで描かれたエッチングかと思いきや、水彩とグワッシュ、インクと筆で線を描いたようでした。
今まで展示されたことがあったかどうか全く覚えていないほど、たとえ展示されていたとしても目に留まらなかったわけですが、今回大変印象に残った、好きな作品。

そして、これは今までも何度も見たことがあるフォートリエの《旋廻する線》のお隣にかかっていた《人質の頭部》。解説にアンドレマルローが苦痛の象形文字と称したと書いてありましたけど、本当に盛り上がった顔状の膨らみの上に黒い線が引かれていて、確かに苦痛の表情とわかるのです。たったそれだけで、この絵における線の重要さがクローズアップされて、見事に企画者の意図を受け止めることのできる作品として頭の中に刻み込まれました。

あと、以前ザオ・ウォーキーの特集企画に行かれなかったので、初めてご対面することになった、彼のエッチングとかも新鮮でしたねぇ。


毎回知っているからと目の端に留めるだけで、さーっと、その前を通り過ぎるセザンヌの《サンビクトワール山とシャトーノワール》も今回はじっくり拝見しました。
画家が色彩をどのように捉え、色々な色を組み合わせて山の形を作っていっているのか、ということがはっきりわかるのは、最近の透明度の高いガラスのおかげもあるでしょうが、企画の勝利です。


最後に昭和天皇の即位記念に9年かけて日の出をモチーフとして何枚かを描いていたという藤島武二の《東海旭光》。

実はあんまり以前は好きではなかったのですが、実にシンプルに面を描きながら日の出を描いていたのだ、という事に思いが至り、少しだけ(笑)好きになりました。丁度常設の方にもこぶりの、《港の朝陽》がかかっていて、両者の対比に思いを寄せることもできました。

28点と少な目だったけれど、ここで感じた気持ちをそのまま通常の常設に持ち込みつつ眺めるのもいとおかし、で楽しい鑑賞となりました。


収蔵品だけで色々な企画を考えられるのも、大変とは思いますが、今回のような企画ができるのも、企画者の素晴らしさは勿論ですが、やはりこちらの収蔵作品の質の高さが決め手になっているのだろうなぁと、改めて何度も伺えるありがたさを感じた密度の濃い一時間でした。

2013年3月3日日曜日

激混みなんですけど。。。500年めにして初めてでは仕方ないか。。

実は昨年の10月にほぼ20年ぶりにフィレンツェのパラティーナ美術館に行ったんですね。
フィレンツェはウフィッツィが有名ですし、あそこはあそこで素晴らしいのだけど、その20年ほど前はパラティーナなんて、だーーれもいなくて、寒いくらいで(5月くらいだったような記憶ですが)、森閑としているんだけど、どの部屋もかなりの傑作ぞろいで、奥に進んでいくと、ある部屋があったわけです。
それは・・・・・
ラファエロの珠玉の作品ばかりの部屋。。土星の部屋と名づけられたその部屋には
 Madonna of Grand Duke==大公の聖母とか、

The vision of Ezekiel=エゼキエルの幻視、

Madonna of the Chair=椅子に座った聖母子とか、(来てませんが。。。)

もっともっとあったわけですが、全て傑作。
今回これも来てなかったですけどね



その部屋で見ているのは私一人・・・・という最高の環境で、最高の絵画を心ゆくまで堪能できた至福の時間をもう一度体験したい!と思って出かけたのですけど・・・

なんと!

昔は人っ子一人いなかったパラティーナは混んでるし、おまけにラファエロの部屋。。。がなくって、やっとみつけたラファエロの絵が2枚、いや、三枚しかなかったんです!!
何故?







その答は東京にあったみたい・・・・

そう、その頃はもう東京行きが決まっていたんですねー。


で、会いたいなー、と思ってたら、ありがたくも初日二日め限定チケットを譲ってくださる方がおられて、早々に会えることに。。。

が、しかーーし。














初日から凄い人出というニュース。でも二日間限定だから、行かねばならぬ。。

結論から申せば・・よかったベスト5

 ○大公の聖母 今回の目玉ですね。今回の来日を前に1984年に行ったX線検査で見つかった黒地の背景の下に隠れていた窓の向こう側の屋外風景の細部があきらかになったそうです。
でも、ラファエロが行ったものではないにしろ、この黒地の顔料のおかげで、逆に聖母子の姿が浮でてよかったのかもしれません。
キリストは赤ん坊の割に怖い顔だけど、聖母は本当に優しい柔和なお顔で、傑作ですよね。

○エセキエルの幻視 この小ぶりの絵は構図といい、色といい、なんとも言えず魅力的、昨年会えなかっただけに再会が嬉しかったです。

○ムーサの頭部 素描ですが、これも「巧い」の一言。大体天才画家と呼ばれる人たちは子供の頃からめちゃめちゃ絵が上手いですよねー。ラファエロは17歳の時点で(お父さんの工房を継いだという恵まれた環境であるにせよ)既に親方と呼ばれるほどという音声ガイドの説明がありましたが、ピカソにしても青木繁にしても若い頃のスケッチは天才的ですが、ラファエロのこの絵も素晴らしい。初めて出会いましたが去年やってきていたダヴィンチの「ほつれ髪の女」よりいいなー。

○聖家族と仔羊  この絵も小品ですけど構図が素晴らしい。

○ベルナルド・ドヴィーツィ(ピッピエーナ)枢機卿の肖像
 34歳といえばまだまだ普通は若い年だけど、亡くなる3年前に描かれたこの作品は表情も衣の描き方も、手の描き方も素晴らしい。ダヴィンチのモナリザに影響されて描いたと音声ガイドで説明されていた「無口な女」もそうなのですけど、ラファエロは手をとても美しく描く人だなぁと思うのです。わざとぼかしているかもしれないダヴィンチに比べて、無口な女は、顔は、リッピとか昔の人たちがよく描きそうな長い顔で、大公の聖母とは大分趣が違いますが、手はとても美しい。この枢機卿の肖像の手もこれも生き生きとした筆致です。
無口な女
ピッピエーナ枢機卿

以上は(ウルビーノの)ラファエロ(サンツィオ)作品。

最後に気になったのはマルカンドニオ・ライモンディの「パリスの審判」。

これ↓です。

この右側の下の方にいる3人の座っている人たちの構図。。。。

見覚えありませんか?


いや左の人はどうみても
あとの二人同様にオトコの人ですけど。。。



だけど。。。思い出す絵がありますよね?

そう・・・





マネ:草上の昼食

を彷彿とさせる。。いや、マネの方が後代だから。。。。



家に帰って調べちゃいましたけど、このライモンディに原点があったんですねー。

マネの草上の昼食は更にピカソが何枚も習作のようにして描いているから、




なんだか原点を発見できて嬉しくなっちゃいました。

そうそう、なんでも初日・二日めはラファエロが生まれた年1483年にちなんで先着1483名に↑こんなものを・・・
ポストカードを入れられるようになっているみたいだけど。。。微妙。。。(汗)


「ラファエロ展」 3月2日~6月2日 国立西洋美術館

常設で同時に小企画展「風景ー国立西洋美術館素描コレクションより」というのもやってます。
↑でも書きましたが、うまい人は巧い!が良くわかって面白かったですし、色もつけた素描といっても鑑賞性の高い作品もあって愉しむことができます。